昨日は、日本国憲法が施行されて70年目。
日本国憲法の理念である「国民主権・基本的人権の尊重・戦争放棄(平和主義) 」のおかげで、他の国々と違い国家による殺人を
一度も一人も殺し殺されずに済んだ。世界に先駆けた優秀な法だからだ。
その憲法を行政府の長が憲法9条はおかしいからと改悪を目論んでいる。
バックは日本会議という団体で、名称は「日本」であるけれど、彼らの主張は、米国の意向に沿ったものだということが米国の戦争屋
と仲良しの政治家のレポートを読めばわかる。
「米国会議」という名称のほうがぴったりだ。その内、「米国の日本州になろう会議」でもできるんじゃない?
だいたい、憲法を遵守するべき行政の長が「今の憲法は古い~変えるべき」等と提案する事は、大問題である。
本来、「憲法を変えようか」というのは、国民の側からの強い要求があって、それに応えるべく国会議員がそれを国会の中で提案する
というのが筋だ。
国民の8割以上は、平和の礎である憲法9条を変えたいなんて思っていない。
安倍シンパだけが戦争のできる条文にしたいのだと思う。
安倍首相の「憲法変えよう」発言で優秀なる我が国の憲法記念日が台無しになった。
憲法を護ろうという人々の集会を空から攻撃した連中がいたとの情報もある。何故、こういう暴力集団を取り締まらないのか?
思想や信条の自由を暴力で封じ込めようとするのは、「テロ」と同じで糾弾されるべきだ。
昨今の世界を見てみると、どこもかしこも敵や味方に分かれて、戦闘行為を繰り返し(軍産複合体は笑いが止まらないね)マスコミ
は、人を殺戮する戦闘機や武器が如何に進化?して優秀なのかを毎日のように広報している。その戦闘機や武器が、どれ程悲惨な
死をもたらしているかは、殆どが「省略」だ。
ただ、意図的に日本がその戦闘に参加できるようにしたい時だけ被害の悲惨さを見せ、「復讐」をそそのかすような報道をしている。
根底にあるのは、幼児期の戦争ごっこの精神だ。
「平和を力(戦争)でしか解決できない」という愚にもつかない幼稚な発想が闊歩しているのは、世界のリーダーに男が多いというのも
原因じゃないかと思う。
世界の母(女性)は、子供が殺されたり人殺しをするようにはなってほしくないと願って育てている。そうではない母など一人もいない
のだ。
折角、大切に育んだ命を敵であれ味方であれ、奪ったり奪われたりするのは、許しがたいもの。
愚そのものだ。ホントに馬鹿々々しいったらありゃしない!
もういい加減にこの幼稚な男達の「ごっこ」に女性たちは、喝を入れるべき時でしょう。