あちらの美術館で二つ、こちらの美術館で一つというようにジャコメッティの彫刻作品を観ることがあって、その都度、心がザワザワするような印象があった。あの感覚はなにに由来するのだろうと、喉に刺さった小骨のように気になってしょうがなかったのだが、ずいぶん長い時間が過ぎてしまった。
そして突然、なぜか「そうだ。ジャコメッティだ」と思い立ったのである。理由はない、ただの気まぐれである。
仙台市立図書館に「ジャコメッティ展」という図録 [1] があったのでさっそく借り出してきた。しかし、図録を眺めたとしても、あのザワザワとした感覚の由来を明らかにできそうにない。「存在の孤独」だとか「苛立つ実存」などという言葉が浮かぶが、それから先にどんな言葉もない。何かが見えてきそうな感じがまったくしないのだ。
図録を見たぐらいでどうにかなるなどということはやはりない。助けが必要だ。それで、矢内原伊作 [2] とジャン・ジュネ [3] とサルトル [4] も併せて借りてきた。
左:『小さな広場(三つの人物像、一つの頭部)、 1950、 58×53.5×40cm [5]。
右:『歩く男II』、 1960、 190×27×110cm [6]。
この特異な細長い人間の形は何に由来するのか。人間を描く、人間の存在を描く、「存在そのもの」を描く。人間の属性を次々に削いでいって「在る」ことだけを見ると、こういうことになるのか。「器官なき身体」という概念を「かたちづくる」とこうなるのか。
「エトルスクその他古代のものを私は全く知らなかった。今でもほとんど知っていない。私は作品を小さくしようと思ったことは一度もない。自分の眼に見える通りのものを作ろうと努力する。そうすると作品の方がだんだん小さくなってしまうのだ。始めはこれ位でも、だんだん小さくなって、しまいにはこんなになってしまう」――「こんなに、こんなにcomme ça- comme ça」と言いながら、三十センチ位に開いた両手の距離を彼はだんだんせばめて一センチ位にし、「小さく小さくなって埃りみたいになってしまう。或る時から私は作品を絶対に小さくするまいとかたく決心した。そしてやってみると、今度は細く細くなるのだった。小さく或いは細くしょうと私が思うのではない。彫像自体がそうなるのだ。どうしてだかわからない。」それから彼は独り言のように呟いた。「が、今ではだいぶわかってきた、自分が何をやっているか、これからどうしたらいいか、以前よりはかなりわかってきている。」 [7]
彼の作業は、やはり「削ぎ落とすこと」のようだ。矢内原が繰り返し書いていることだが、「以前よりはかなりわかってきている」とジャコメッティは語るが、翌朝にはすっかり元に戻っていて、初めからやり直す。その繰り返しが続くのだそうである。
私は、ジャコメッティの彫刻にある「孤独」のようなものを感じていたのだが、彫刻家はそれが不満らしい。
彫刻家はしばらくしてから、「バーゼルでいま私の作品の展覧会が開かれている。それの批評が新聞に出ているのを幾つか読んだが、どの批評も作品の具体的なフォルムには触れず、現代の不安とか孤独とかといつたメタフィジックな内容ばかりを問題にしている、どうも不思議だ。」彼の言葉には不満らしい口吻があった。ぼくは自説を繰り返して言った。「それは明らかにあなたの作品には内容があるからです。内容のない彫刻が氾濫している現代にあって、あなたの作品だけが人間の本質を考えさせる力をもっているからです。」が、彼は、「内容があるかないか、どういう内容があるのか、私にはわからない。どういう内容のものを作るかというようなことを考えたことはない。私はただ私の眼に見えるがままの人間を作りたいだけだ。それすらも私にはできない」と暗い顔で言う。 [8]
彫刻家は見えるままの「在るもの」を描こうとしていて、それは私のような鑑賞者とのあいだの懸崖が厳しいことを意味している。しかし、「在るもの」が私に孤独に見えるとはどういうことか。ジャン・ジュネは「孤独」に言及している。
数限りない死者たちにジャコメッティの作品は、各存在が、そしてまた各事物が孤独であるという認識を、そして、この孤独がわれわれのもつとも確実な栄光であることを伝える。 [9]
私は自分が感じたままをいってみよう――彼のさまざまな人物像が示すあの血縁性とは、そこにおいて人間存在がそのもっとも本質的なものにまで、つまり他のいかなる人問とも完全に等価であるという彼の孤独にまで導かれる、そんなかけがえのない地点なのではないか。
もし――ジャコメッティの人物像たちは一切虚飾をはぎとられているのだが――偶有性が絶滅されれば、後には一体何が残るだろう。 [10]
一種の友情がもろもろの事物を輝かし、それらの事物が友好的な思想を私たちに語りかける……と私は書いたが、それはいささか雑な語り方だ。フェルメールについてなら多分真実をうがっているだろう、ジャコメッティになると、これはまた別の話だ。ジャコメッディによって描かれた事物が私たちの心を動かし、私たちの心を安らげるのは、それが〈より人問的〉――有用なものであり、またいつも人間によって利用されているという理由で――になっているからではない。人間存在のもっともすぐれた、もっともやさしい、もっとも感じやすいものでそれが装われているからではない。逆にそれが事物の純粋無垢な新鮮さにおいて <〈この事物〉であるからだ。それであり、他のものは一切ない。完全な孤独におけるそれそのもの。 [11]
そして、ジュネは究極的な審級に言い及ぶのだ。
私が恐怖にかられたというのも、実はまぎれもなく神を前にしていたからだ。この恐怖感に非常に近いある感情とこれに匹敵するほど大きな魅惑とをジヤコメッティのいくつかの立像は私に抱かせる。 [12]
もしかして、この孤独は神に前に立つアブラハムの絶対的な孤独なのではないか。キルケゴールが説く [13] 信仰の逆説に立ちすくむ究極の単独者、デリダの言う「不可能性の経験」 [14] にむかう単独者としての孤独。つまり、ジュネは神の前の単独者の絶対的孤独を見つつ、その孤独を通じて神を見ているのはないのだろうか。絶対的な逆説、絶対的な不可能性、そのような存在として「在る」所の人間アブラハム、すべての人間の側にある属性を無意味化しつつ神の前に立つ「存在」。つまりは、すべてを削ぎ落として描かれる人間存在として、ジャコメッティの彫刻像は現前している(と、断言するのはまだまだ心許ないが)。
上:『犬』、 1951、 58×16×100cm [15]。 下:『猫』、 1951、 32×82×13cm [16]。
人間ばかりではない。犬も猫も、細く細く立ち現れる。この『犬』と『猫』については、ジャン・ジュネに委ねることにする。
ジャコメッティの犬は素晴らしい。その奇妙なマチエール――石膏、こんがらかった紐や麻屑――がほどけてぼろぼろになったときはひときわ美しい。前足の、これといって関節らしいところもないが、それでいてよく感じを出した曲り具合は全く美しく、それだけで優にこの犬の身輊な歩きぶりを決定している。その犬は長い鼻づらをすりつけんばかりに地面を嗅ぎまわっているところなのだ。それはやせこけている。
私はあの素晴らしい猫を忘れていた、石膏の、鼻づらから尻尾にいたるまで、ほとんど水平で、二十日ねずみの穴も通り抜けることができるほどの猫。そのきびしい水平性は猫が、たとえ、うずくまっているときでも、身に備えているフォルムを完璧に復元していた。 [17]
同じように細く肉体を削ぎ取られた「形」ながら、人間の彫刻とは大きく印象が異なる。孤絶した感じが薄い。猫は用心深く静かに歩み、犬は逡巡し立ちよどむ。人間像よりも特徴的な属性が顕在化しているような気がする。
ジャコメッティの芸術に関して、矢内原伊作やサルトルの言説の中にすごく重要だと思えるものの、十分に理解できない概念が用いられている。「虚無」、「空虚」という言葉、それが意味するものに私のイメージが届いていかない。
たとえば、矢内原の「虚無」は次のように使われている。
「あなたの作品は、オブジェの充実した空間ではなく、日常の空間とは全く違った、いわば虚無の空間を創り出している。そこにあなたの作品が他の多くの彫刻とは違う点があるのではありませんか」とぼくが言うと、彫刻家は、「それはそうかもしれないが、虚無の空間はよく人が言うようにメタフィジックなものではない、日常の空間が虚無なのだ、そうではないか、すべてのものは虚無の空間のただ中にある、私はそれを捉えたいのだ」と答えた。 [18]
オブジェが創り出す「虚無の空間」とはオブジェ自体なのか、それとも削ぎ取られた「非在」の空間のことなのか。しかし、彫刻家の考えは後者に近い。「すべてのものは虚無の空間のただ中にある」と、明らかに「在る」ものとして存在を見ている。
サルトルの「虚無」と「空虚」は、もう少し難解である。
ジヤコメッティの一つの像は、彼の小さな局部的な虚無を作り出しているジャコメッティ自身である。しかし、われわれの名前のように、またわれわれの影のようにわれわれに属しているこれらの軽微な非在、これだけでは一世界を作るに足りない。これとは別に〈空虚〉そのもの、すべてからすベてへのあの普遍的な距離がある。街路はからっぽである。日が当たっている。そしてこの空虚の中に突然一人の人間があらわれる。彫刻は充実から空虚を創造するのだが、前からあった空虚のただ中に生まれ出る充実を彫刻は示すことができるだろうか。この間題に答えようとジャコメッティは繰り返し何度も試みた。 [19]
確かにコケットな、また絶えず動いているので優雅な、またそれを取り巻いている空虚の故に不気咮なこれらの虚無の創造物は、身をかくし、われわれの眼から逃がれる故に完璧な存在に達するのだ。 [20]
〈空虚〉な空間に創り出されたオブジェ(小さな像)が「小さな局部的な虚無を作り出して」いると言い、それを「虚無の創造物」と名付け直して、それが「完璧な存在」になるのは周囲の空虚の故だという。
小さな彫像が虚無なのではない。彫像が虚無を生みだしている、つまり虚無をまとっている。虚無と一体となった彫像が、ジャコメッティの「存在」または「在ること」だという意味ではないか。そんなふうに理解すると矢内原の言との整合性がよい。
ただし、「虚無」とは何か、と問い直す必要があろう。じつは、私の中には「虚無」という言葉に不信感のようなものがある。
一九六〇年代、サルトルがもてはやされていた時代、人々(私を含めて)は「虚無」をはやり言葉のように使っていた。概念規定が曖昧で、何でもかんでも関連がありそうだと「虚無」と言いつのっていたのではなかったか。そして、いつの間にか誰も使わなくなったような気がする(これは、サルトル理解が不充分だった私自身のの個別的な感慨なのかもしれないが)。
左:『赤いシャツを着たディエゴの肖像』、 1954、 89×62cm [21]。
右:『ヤナイハラの肖像』、 1959、 92×73cm [22]。
ジャコメッテイの絵を実際には見たことがない。図録で初めて油彩画を見た。肖像画の人物は、彫刻ほど細くはない。しかし、『赤いシャツを着たディエゴの肖像』に見られるように身体を囲む苛立つような無数の線が意味するのは、矢内原がくり返し報告しているように、存在にたどり着こうとして苛立ち、完成間近な絵を放棄してやり直す、それを何度も繰り返すという。苦しみ抜きながら何度も何度もやり直す作業そのものが凝縮されたような無数の線なのではないか。
顔はそれ自身の上に戻る。それはそれ自身で完結している円環である。そのまわりをまわって見たまえ、決して輪郭を見出すことはないだろう、充実以外の何も見出せないだろう。線は否定の端緒であり、存在から非存在への移行である。だがジャコメッティは現実にあるものは純粋な存在性だと考えている。つまり、存在がある、そして突然その存在はもはやない、しかも存在から虚無への転移は全く知覚し得ないのだ。彼がひくおびただしい線が、いかに彼の描く形に対して内的であるかをよく見たまえ。いかにそれらの線が存在と彼との内密な関係をあらわしているかを見たまえ。上着の襞、顔の皺、筋肉の隆起、運動の方向。これらの線はすべて求心的である。これらの線は絶えず引きしめようとし、眼をその動きに従わせていつも顔の中心に連れ戻す。 [23]
一方、 『ヤナイハラの肖像』では激しい線は抑えられている。この違いが何に由来するのか、私には分からない。「完成した」と言いながら初めからやり直す創作過程のどこかの瞬間を切りとると、このような差違が顕現するのだろうか。
ジャコメッティの肖像画について、サルトルが述べた次の文章にいたく感心してしまった。とくに『ヤナイハラの肖像』を見た後でこの分を読むと「なるほど」と言うしかない。
これらの驚くべき像は、しばしば透明になってしまうほど完全に非物質的でありながら、拳固の一撃を人に与えるほど、そして人がそれを忘れることができないほど完全に現実的である。これらの像はいったい現われるのか隠れるのか。その両方だ。それらは時にはあまりにも透明なので人はそれらの頭部がどんなふうなのかと考えてみようとさえしない。ただ、それらが本当に存在しているのかどうかを知るために自分をつねってみるのだ。 [24]
二枚の肖像画の差違が、風景画にも現れているのではないか。下のような二枚を選んでみた。複数の線で輪郭をなぞられる家、輪郭線のない白い建物。この差違も、存在へのアプローチの過程での切断の瞬間の差違によると考えてよいのではないか、と思う。
左:『真向かいの家』、 1952、 70×39cm [25]。 右:『白い家』、 1958、 65×81cm [26]。
どこまで行っても、ジャコメッティの彫刻に近づいていってる実感はない。彫刻も油彩画も、まとめて観る機会があればいいのだが。
最後に、彫刻家自身による「答え」のようのものを記しておこう。
人体は、私にとつて、決して充満しているマッスではなく、いわば透明なコンストリュクシオンだった。 [27]
[1] 『ジャコメッティ展』(以下、「図録」)(現代彫刻センター、1983年)。
[2] 矢内原伊作『ジャコメッティとともに』(以下、「矢内原」)筑摩書房、昭和44年。
[3] ジャン・ジュネ「ジャコメッティのアトリエ」(以下、「ジュネ」)『ジャン・ジュネ全集 第3巻』 (新潮社、1967年)p. 421。
[4] ジャン・ポール・サルトル「 ジャコメッティの絵画」(以下、「サルトル」) 『サルトル全集 第30巻』(人文書院、昭和39年)p. 296。
[5] 「図録」図版18、Collection Foundation Maeght, Saint-Paul。
[6] 「図録」図版49、Collection Foundation Maeght, Saint-Paul。
[7] 「矢内原」p. 19。
[8] 「矢内原」p. 81。
[9] 「ジュネ」p. 428。
[10] 「ジュネ」p. 431。
[11] 「ジュネ」p. 449-50。
[12] 「ジュネ」p. 424。
[13] ゼーレン・キルケゴ-ル「おそれとおののき」(桝田啓三郎訳)『キルケゴール著作集 第五巻』(白水社、1962年)。
[14] ジャック・デリダ『死を与える』(広瀬浩司/林好雄訳)(ちくま学芸文庫、2004年)。
[15] 「図録」図版22、Collection Foundation Maeght, Saint-Paul。
[16] 「図録」図版23、Collection Foundation Maeght, Saint-Paul。
[17] 「ジュネ」p. 431-2。
[18] 「矢内原」p. 81-2。
[19] 「サルトル」p. 300。
[20] 「サルトル」p. 308。
[21] 「図録」図版52、Collection M. et Mme Adrien Maeght, Paris。
[22] 「図録」図版62、Collection M. et Mme Adrien Maeght, Paris。
[23] 「サルトル」p. 302-3。
[24] 「サルトル」p. 307。
[25] 「図録」図版54、Collection M. et Mme Maeght。
[26] 「図録」図版60、Collection M. et Mme Maeght。
[27] 「矢内原」p. 322。