……からの距離は雑草にふちどられ
おきさった形象はひび割れている
風がとだえる
道路の両側から庄しよせる熱気の壁が
白い都市の相貌をゆがめる
吐息と汗のいちめんの澱みに
ひしめきあう不定形のものたちが
音をたててくずれ
飛沫をあげ
やがて
遠のき
………
わたしの中心から一個の錘をおろすと
それは水面をかすかにゆるがせて
増水した黒い容積のなかに消えるが
骨の層に達するまえに
糸は切れ
関係を失ったものの反動だけが
そのとき確実にわたしを超えたのだ
路上にポリバケツ
〈像〉とは一皿の空白だと
わたしはすべり落ちた匙を
今朝の食卓にもどした
崖と隧道と遠近法と
うなずくものすべてを
おまえの小さな指で
ゆびさしたとしても
表層を漂う
浮標にすぎない
欠けた皿とナイフを並べ
果実の薄い皮をむけば
うすももいろの芯と
むしくった核 と
そして
敏捷に動く素足を追って閱へと入りこめば閽の手はわたしの眼をおおい鼻孔 をふさぎ臆病なおまえが身を隠す筒状の迷路の夜々はにがくいっそう息苦しく長いのだ 穿たれた裂目に塗りこめられてゆくものは歳月だけではない 上へ上へと白いしっくいによって塗りかためられたかの幻想の島々を思い描くならばどのような悪意と妄想のあおざめた神々がよみがえるであろうか
名づけられることを拒否する名なき島々の岬をめぐる環碟と回路と
「波動」(詩集〈波動〉)部分 (pp. 8-9)
詩集の最初に置かれた「波動」という詩の前半部分である。言葉の使い方、表現手法にびっくりするほど感嘆もしたのだが、戸惑いも大きくて少し腰が引けてこの詩集から撤退した方がよいのではないか、そんな気もしたのである。
「路上にポリバケツ/〈像〉とは一皿の空白だと/わたしはすべり落ちた匙を/今朝の食卓にもどした」という4行に詰め込まれた技法には確かに驚かされ、感心もした。1行目にはシュールレアリズム風のイメージ、2行目には思いっきり観念的な命題、3、4行目にはごくごく日常的な動作の描写が描かれている。とても感心したのだが、どうもうまく心がついていけないのである。
1行目の「……からの距離は雑草にふちどられ」にも驚かされた。その距離が問題になるような重要な対象が隠されていて、その欠落感を抱えたまま次行へ移らざるを得ない。詩の後半部で「あなた」が出てきて、たぶん「……」は「あなた」ではないかと想像するのだが、欠落感は解消しないのである。
もう一つ、「おきさった形象」とか「白い都市の相貌」という言葉にアーバン・モダニズム(こんな言葉があるかどうか知らない。もしかしたら私の勝手な創作かもしれないが)の匂いがしてこれにも腰が引けたのである。ポストモダニズムがあらゆる価値を相対化した後で、都会的で小洒落た言葉遣いやファッション(言葉も含めて)があたかも価値あるかのように流行り始めたころ、田舎者の私は強く反発し、リキッドモダンなる時代になってもその感覚が続いていて、腰が引けてしまうのである。
しかし、詩集の2番目に掲載された次の「薄暮」という詩で、私の印象は一変する。
わたしたちはすこし不機嫌に
黙っている
雑踏のなかで
パンの包をもって
改札口を出る人とすれちがう
長いプラット・ホー厶の先端へ
かたむく名もない夕ぐれから
夕ぐれへと気ぜわしく羽搏きながら
移り棲むほの暗い疲労と
もうひとつ
消滅した一日と
そして都市の重い扉を出る電車の
車内広告に燃えつきる太陽は
どこの地の
太陽か
遠い国では火をふく戦乱があり
近い国では圧政があり
わが地上には
薄暮の貧しい連带がある
混雑する市場や丘の上の集合住宅の眼をいっとき明るくかがやかす燈火はわたしたちを幸せにする?
ごらん どの窓からも真昼間の雲と洗濯物はとりこまれ下着はたたまれ 食卓をめぐって子供らのはずんだ声と若い母親の優しい叱り声が でもひとつだけ燈がともらない窓がここにもあって そこからまた夜が拡がろうとしているなら?
屋上にぬけるもうだれもいない階段の踊場に その上につき出たアンテナの林に たち去りがたげにとどまっているのは沈黙と夢のぬけがらだけだ 奥多摩方面の
遠い山々の稜線にはまだ
かすかな明るみがあり
電車はいま
町はずれの河を渡る
「薄暮」(詩集〈波動〉)全文 (pp. 10-11)
いい詩である。一日の仕事が終わった夕暮れ時、電車で帰宅する都会人の1時間やそこらの物語である。車内広告の写真から遠い異国や隣国の政情のこと、私たち貧しい者の連帯に思いを致し、電車の窓から見えるアパートメントの窓々の灯火の有無から幸せな家庭とおそらくは崩壊した家庭とを想像する。
机の前や書斎や研究室だけから哲学や思想が生まれるわけではない。人は日常の繰り返しの生活の中でありきたりな振る舞いをしながら、あらゆることを考え、想いを進めることができるし、それが私たちの思想や情念となるのだ。この詩にはそういう主張がある、と私は読んだのである。
そして、「奥多摩方面の/遠い山々の稜線にはまだ/かすかな明るみがあり//電車はいま/町はずれの河を渡る」という詩の終わり方がとても良い。さりげない率直な描写が主題をよく浮き立たせていると思う。
この詩集に載せられた最初の2編の詩だけでもずいぶんと考えさせられたが、それ以降を読み進めると、この詩人はじつに多才(私にとって多才という言葉は褒め言葉ではないのだが、ここでは文字通り)だということがよく見えてくる。単に多才というよりも、想世界の多重性、異なった世界の時空間が詩人の精神の中に美しく折り重なっているように見える。
すべてをすっかり透きとおらせるためには
魂は透きとおったレンズを持たねばならないが
透きとおったレンズを持つためには
あわれな病者を野に追いやらねばならない
黄金色の麦畑を描くために画家は
彼の病む耳を切り落さねばならなかつた
そして鉛の弾丸と一緒に
光の海に飛び込んでしまった
わたしの手のひらの感情線は繊細で
たくさんの小枝に別れているのに
このさまざまな枝のなかから
ただ一本を
選び取る困難を免れることはできない
空に向って垂直に伸びている枝か
重く曲って地に這う枝か
いずれにせよわたしたちの根は
永遠に地を離れることを許されていないとしても
そのことがいっそう
人間の空を美しくしている
古い足跡の上にも
春になるとたんぽぽの花が咲き
こんな小さな花にさえ
向日性のあることがわたしを
深く感動させる
「光の声」(詩集〈波動〉)部分 (pp. 14-15)
「あわれな病者を野に追いやらねばならない」というフレーズにはいくぶん疑問符が付くが、すぐ後のゴッホについての記述から、それがたとえ悲劇的であっても透き通った精神のために己の中のなにものかを捨て去らねばならないという意味だろうと理解できる。無数にある感情線の枝分かれの1本を選ばざるを得ないのは、様々な感情を人は有するがその時々において一つの強い感情が際立つことは避けられないのだ。
「いずれにせよわたしたちの根は/永遠に地を離れることを許されていないとしても/そのことがいっそう/人間の空を美しくしている」や「古い足跡の上にも/春になるとたんぽぽの花が咲き/こんな小さな花にさえ/向日性のあることがわたしを/深く感動させる」という詩句は、人間存在のありようとして逃れようのない宿命のごときものが美しい世界を形づくることへの反語的なみごとな表象だと思う。
次の「岬」という詩にも、「光の声」と同じように特別な素材に依存せずに人間の想念、想いの深さを表現した(私にとっては)とても好もしい詩である。
そこでは
えいえん という観念が垂直に
光の雨に打たれている
野茨の白く咲く道を
かわいた風が駆けぬけて
視界は遥か高空へ傾いてゆく
畑や森
崖や隧道
家々やカモメたちの寂しい岸壁を乗せ
うつくしいめまいのように
終点の岬で
バスをおりた
最後のひとりが車道をよこぎり
ひとつの影が日射しをさえぎる
小指ほどの世界の果てまで
ひとはながい自分の影をひきずってゆき
カラの車体は
かるがると世界の裏側へまがってゆく
ひとは
ここに来て願うだろう
吹きすぎる風をとらえることを
いっしゅん という観念が手の中で
かたちある光となってかがやくことを
そのささやかな幻の頭上に
純粋な白い雲がしばらくはとどまることを
祈るだろう
のばされるまなざしが
ひとつの港
ひとつのまち
ひとつの窓
ひとりの天使と赤銷びたひとつの錨
果てという果てを通りぬけ 世界の
中心へとどくことを
「岬」(詩集〈半島を吹く風の歌〉)全文 (pp. 60-61)
一方で、散文詩の形式をとった物語と呼べるような詩もある。私にとって散文詩は、文字通り散文であって詩とは思えないということがしばしばあって、いくぶん避けたい気分がするのだが、「海辺の祭り」を引き込まれて読むことになった。
岬で。
水揚げされたばかりの魚の眼が大きく見開かれて 色の深い空がのぞく。その海の窓をくぐり抜けて祭り囃の聞こえる方角へ小走りにゆく。
小さなまちの小さな祭り。
張りぼての鉾を先頭に 花飾りをつけた山車が草いきれの中をねり歩き 白装束の鬼面のアニたちの榊を乗せたあばれ神輿が景気よく海になだれこんだ。
老人たちが笛。
子供らが太鼓。
魚たちの眼球がいちれつに連なり みずいろの吹き流しになって流れてゆく。
おくれて来た夏のおくれて来た祭り。
わたしは忘れられようとしている わたしがそこにいるのに。
烏賊つりの火が明滅してその夏は長かった。ははがいて赤ん坊がいて遠雷の音が響いた。窓の裏側を熱い闇が帯状の霧となって流れ火がばんやりと揺れていた。あれが祭りだったのだ 多分。
小さな部屋の小さな星祭り。願いごとを書かなかった短冊。形而下へ墜ち続ける矩形の夕凪。忘れないで。伯母がいて年寄りがいて女たちがいて 腐敗した魚の臭気がどぶ沿いに緩やかに漂うそのまちでわたしたちのひねこびた赤ん坊は指を吸いつづけいつまでも大きくなれない。
わたしは手紙を書く。現象の向こう側へ避暑地からの手紙に似せてさり気なく。
岬で見た魚たちの蒼い眼球のこと。踊る女たちのこと。醉酊したたくましいアニたちのこと。驟雨と虹と植物になって繁茂してゆく鳥たちについても。
彼等は永遠に楽園の島にいて帰って来ない。
祭りが通りすぎる。道が急に白く乾く。わたしは急がねばならない。
わたしがいてわたしが忘れられる。ははがいてははが忘れられる。赤ん坊がいて赤ん坊が忘れられる。小さなまちの小さな祭り 長い長い夏 すべてが。
「海辺の祭り」(詩集〈河口まで〉)全文 (pp. 21-22)
読んでみれば、これは散文詩ではない。1行が長いだけのことで、言葉は明らかに詩のリズムをもって繋がれていくとても良い詩なのである。山育ちの私には海辺の祭りのイメージが薄いけれども、ここに描かれる祭りと人々の描写は懐かしくリアルである。祭りの場にいる(あるいは眺めている)自分と祭りの人々との距離が語られ、そして「祭りが通りすぎる。」からの最終部分で、人生における緊急性と忘却が語られる。
「海辺の祭り」が過去の記憶を丁寧にたどることで生じる過去への想念を語っているとすれば、「グリューネヴァルト頌」は現前するイーゼンハイム祭壇画から喚起される過去の物語が語られる。いや正しくは、現在と過去が重複して語られるということだろう。
この祭壇画を見てもっとも心をひかれた部分がキリストの凄惨な磔刑像のリアリズムではなく 支えられた腕のなかで殆ど気を失った聖母の蒼白な顔でもなく それ自体はなにをも意味せぬ女の身体の一部分 かつての娼婦マグダラのマリアの背をおおう豊かな金髮であったのは不思議なことのように思われる。鼓動を止めた男の肉体の上に酸鼻に開く傷口にも頭部に鋭くくい込む茨の太い棘にも母の悲哀の涙にも 場面の劇的構成のすべてにわたしの関心はうすかった。ひとり両腕を祈る形にさしのべ苦悩をあからさまにする現世の女の弓なりにしなう背中から腰へ野獣の鬚よりも色濃く波打つ金髮は流れた。暗い空の下に荒漠と拡がるの背景の 褐色を带びた濃緑色の中世空間にはげしいコントラストとなって輝く一房の髮。その即物的な力がわたしをこの祭壇画へと引きよせていたのだ。
復員した父をまじえたわたしたち家族の戦後の貧しい寄食生活の細部をいま思いおこすことはすでにまれである。
その頃わたしは僥倖のように二匹の仔山羊を飼っていたのだが 母の出産を前にそのうちの一匹を父は屠殺した。父の振り上げたハンマーでみけんを砕かれた仔山羊が三、四歩飛び上がるようにして倒れ四肢をのばし全身を痙攣させて死ぬまでの一部始終をわたしは凝視していたからいまでも場面を眼の奥に再現することは容易だが その瞬間の幼いけものの悲鳴 鼻孔からどっと流れ出した鮮血の色を思うことはまれである。
より美しい一匹を残し美しくない一匹の命を手放したことへのわたしの最初の罪の意識を反芻しくり返し手を洗う密かな性癖もいつか消えた。
その山羊のすべてを食べつくし赤ん坊が生まれてわたしたち家族はあの戦後という時代を無数の小さな罪とひき換えに生き抜いてきた。
死体がずり落ちてくる全重量を左右上方にのびきった腕の先端で掌に打ち込まれた犬釘が支え 裂けてゆく傷からしたたる血潮が横木の上にどす黒く凝固しはじめている。井戸端に吊された仔山羊は血を抜かれ皮を剝がされたちまち数個の肉片と化した。重い皮表紙の徽くさい頁を繰って描かれたひとりの男の殺害の現場に逃れがたくひき寄せられながらそのとき わたしはおしよせる死と罪の強迫観念から逃れて太陽の光に似たものの持つ生命力を本能的に選びとろうとしていたのだろうか。ひたすら 金色の髮のリアリズムに心われつづけた子供の無意識は。
イーゼンハイムの この極限の構図のなかに女の波打つ毛髮のひとすじひとすじを執着をこめて描写した画家。あなたにとってその輝きの意味とはなにか。生きることの罪と生命の官能をつなぐ金色のほそいみちすじのありかがいまここにかすかに見えている。
「グリューネヴァルト頌」(詩集〈いすろまにあ〉)全文 (pp. 47-48)
私はイーゼンハイム祭壇画の実物を見たことはないのだが、キリストの磔刑が描かれる絵画ではいつもマグダラのマリアに目を魅かれる(聖母子像にしばしば一緒に描かれる幼い洗礼者ヨハネにも魅かれるが)。マリアの「豊かな金髪」に心をひかれた詩人とは異なり、私の場合はいつもマリアの美しさに惹かれるのだが。
詩は、祭壇画の主題からは少し離れた細部から、「わたしたち家族の戦後の貧しい寄食生活の細部」が想起される構成だが、実際には二つの時空は全く独立しているかの如く描かれている。「より美しい一匹を残し美しくない一匹の命を手放したことへのわたしの最初の罪の意識を反芻しくり返し手を洗う密かな性癖もいつか消えた。/その山羊のすべてを食べつくし赤ん坊が生まれてわたしたち家族はあの戦後という時代を無数の小さな罪とひき換えに生き抜いてきた。」という過去は鮮烈に響く。私にも似たような過去の記憶があるが、この詩句は過去の経験の有無にかかわらず響くだろうと思う(戦争、敗戦、戦後を理解するうえでもそうあってほしい)。
最後に、この詩人の想世界の中で私から見たら極北と思えるほど遠い世界を見ておくことにする。
海からの白い道を彼女は歩いて来た。運河にかけられた橋を渡った。彼女は微笑しわたしは微笑をかえす。なにかが色づきなにかがあたたかくふくらむ。新しい汐の匂いがしてわたしたちは一つに溶けあう。いっしょね。とわたしはいう。いっしょね?
魚市場の前で西へゆくははに出会った。腰を深く曲げて灰色の眼をした彼女はやさしく ひどく年老いていた。またいつかの祭の日 幟の立つ田舎びた商店街のにぎわいを 幼児の手を引いてゆくうら若い彼女を見た。そばかすのある丸顔に疲労のけだるい影がすけて見えた。
家々の台所に立つ家ごとの彼女らは タぐれの魚の白い腹を裂き俎板についた血を腰を洗う手つきでたんねんに流していた。よく動く細い指で長い髮をすき きりりとたばねた。子らを産んだ涼しい女陰をさっぱりと閉じて戸口をみがいた。
彼女らはいつも遠いところから来る。彼女らは微笑しわたしは微笑をかえす。いっしょね? けれどわたしは 〈そこ〉に帰ることができない。わたしはどこへゆくのか。鏡の前で髮をとかし口紅を拭いファスナーをおろす。何千日目かの同じような夜。わたしはまたしても裂かれてゆく魚だ。折れた指だ。産まない性。黒い水の中で〈……〉とど声もたてずに平べったくなる。
「西へゆく」(詩集〈いすろまにあ〉)全文 (pp. 33-34)
私が理解しようとしても理解できない女性性というものがあるだろう。いや、観念的には理解できる気分になること(ところ)もある。だが、情念はどこまで行っても後れを取っている感じがする。女性詩人が書く詩にはそんな部分が含まれていて、それが私にとって魅力のようにも思えるのである。
しかし、これは性差の問題ではないのかもしれない。私たちは、性差にかかわらず「他者」の中にどうしても届かない精神や情念があることを知っている。だからこそ、「他者」は「他者と」して向き合わねばならないのであり、そうであればこそ、私たちが共有する象徴としての言葉、詩を含めた芸術の計り知れない価値があると考えられるのだ。
であれば、「西へゆく」のなかの「わたし」へ限りなくアプローチすることに私が新井豊美という詩人の作品を読む正しい意味があるということになるのだが、どうにも遠い道のりのように見えているのがなんとも口惜しい。
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