東京の三日目は山種美術館、「古径と土牛」展である。東京に出てきたときはまとめて美術館を回る(美術館を回るために東京に出て来るというのが正確)のだが、こんなふうに同じ時期に見たい展覧会がいくつも揃うのは珍しい。私の受容範囲は狭いので、三つ目あたりは大いに悩むのである。
実際のところ、日本画に関していえば、画集を眺めることはあったものの、美術館に足を運ぶようになったのはここ4年くらいである。少ない機会の中で山種美術館はいちばん回数が多い。偶然だが、私が東京に出かけられる機会と美術館の企画がうまくマッチするらしい。
小林古径の生誕130年を記念する企画展で、梶田半古のもとで兄弟弟子だった奥村土牛作品を併せての展示である。
小林古径《伊都峻島》大正9年、絹本・彩色・軸(一幅)、
57.7×83.1cm、山種美術館 (図録 [1]、p. 30)。
《伊都峻(いつく)島》は、宮島(厳島)の朝霧に包まれた景色を描いている。昨日は東京都美術館の「ターナー展」に行き、ターナーの風景画をたっぷり見てきた。そこではいつも遠景が霞むように描かれていて、《伊都峻島》の前景が霞んでいる景色と良い対照をなしている。
古径の絵は霧という実体があって前景が隠されている。ターナーにおいても霧や雨で霞むのは同様だが、遠景ほど見えにくいという物理的な合理性に従っているように思える。もちろん、霧が近くに発生するのは自然として不思議はないけれども、遠くほど見えにくいというのは自然を認識するときの合理的判断として私たちの思い込みとして刷り込まれているのだ。
いわば、古径の絵はそのような西洋的合理性(らしき感覚)とは無縁だということだろう。そして、この絵が私の感覚にすっと入ってくるのは、おそらくこの日本で生まれ育って、もちろん日本画を見る機会もあるだろうが、連綿と続いてきた美意識が日常の暮らしの中で知らず知らず身についていたからだと思う。育ってきた場所、環境が私の感性を左右しているのは当然のことだ。少なくとも私にとって日本画のほとんどは、感動の多寡がどうであれ、ほとんど違和感なく受け入れられるのだ(もちろん、感動の多寡こそ大切なのだが)。
小林古径《果子》昭和11年、絹本・彩色・軸(一幅)、
56.8×72.2cm、山種美術館 (図録、p. 41)。
《果子》はいい。こころがほっこりとする。古径はその線描の美しさを高く評価されているが、この絵もその評価の根拠となっているだろう。物理的に言えば、果物とそれを包む空間(空気)の間に線は存在しない。境界面があるだけで、どんな空間の1点でも、果物に属するか、空気の領域に属するかである。つまり、この線は空間を切り分ける抽象的な概念であって、数学における線の概念と同じなのである。
しかし、実在しなければ描かないというのはつまらない俗流リアリズムだ。存在しないものを描くことで、実存性が見事に表現できるというのが芸術というものだろう。フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスは「レアリズムはより上級のレアリズムの名においてのみ否認される」 [2] という意味のことを述べているが、「上級のレアリズム」というのは芸術家が対象をいったん象徴界に抽象化(昇華)した後の表象として作品が表現しえたものであろう。
妙に理屈っぽくなってしまったが、要するに、古径の線は「上級のレアリズム」だと思ったということである。
小林古径《清霽》昭和12年、紙本・彩色・軸(一幅)、
58.3×70.3cm、山種美術館 (図録、p. 46)。
冬木の姿に惹かれるというのは私の常だが、《清霽》もまた例外ではなかった。なぜ冬木に心惹かれるのか、うまく説明できないが、次のような短歌や俳句に強く惹かれることと同じではないかと思う。
切実な言葉をはけよ葉をすべて落とし垂直の意志持つ木々に
大口礼子 [3]
意志持ちてゆく明るさの冬木立 岡本眸 [4]
歌も句も、なにがしか冬木に喚起される意志ということを詠っている。秋を経て葉をすべて振り落とした冬木は終末をイメージさせ、一方で春に芽吹く期待と可能性を秘めている。枯れ木のような姿にもかかわらず、生の大転換を意味していて、そのような大変身は優れた意志に導かれているように見えるということなのだろう。
凡庸な鑑賞者が冬木に表象された「意志」のようなものを云々しているというのに、古径は画題を《清霽》とする。冬木の背景の晴れた空のことである。「溢れるような静謐さ」というのは形容矛盾のような気もするが、私の古径観の一部で、それが画題も含めたこの絵にも表わされていると思う。
奥村土牛《雪の山》昭和21年、絹本・彩色・額(一面)、
93.0×114.8cm、山種美術館 (図録、p. 64)。
《雪の山》は併せて展示されている奥村土牛の絵である。「古径と土牛」という企画展なので、古径と土牛の違いはどんなところにあるのだろう、会場を歩きながらそんなことをずっと考えていた。「繊細と豪放」では、土牛にあたらない。古径の繊細さとの対照で、土牛を豪放と言ったのではあまりにも言い過ぎである。土牛だって十分に繊細なのだ。
この絵や《城》 (図録、p. 59) を見て思いついたのが、「曲線と直線」という対照である。《雪の山》は、冬山の厳しさと美しさが大胆な直線で描かれている。これもまた「レアリズムを越える上級のレアリズム」である。
さて、「曲線と直線」という対照だが、思いつきに気をよくして会場をもう1度回り返してみたのだが、大はずれだった。二人はともに必要にして十分に直線と曲線を組み合わせているのだった。もともと二項の単純な対照で二人を理解しようとしたのが無理だったのである。
小林古径《牡丹》昭和26年頃、紙本・彩色・軸(一幅)、
57.7×83.1cm、山種美術館 (図録、p. 72)。
奥村土牛《富貴草》昭和期、絹本・彩色・軸(一幅)、
58.0×73.0cm、山種美街館 (図録、p. 73)。
二人の対照をよく示す作品が並べて展示してあった。《牡丹》と《富貴草》で、どちらも一輪の牡丹の絵で白と紅の対照である。古径の牡丹の花弁は、古径らしく線で縁取られている。葉の色も古径らしい清澄さを示すように青みがかる。土牛の牡丹の花弁は紅から黄へのグラデーションで縁取られている。葉は花色を際立たせるかのごとく白みを帯びた緑である。
二つの絵は対照的でありながら、それがどんな対照かを指摘しようとはもう思わない。兄弟弟子、ときとして師弟関係にあった二人だからよく画風が似ている、とごく普通の評言にとどめておく以上のことは私にはとうてい無理だということだ。。
牡丹という花は、ごく日本的な対象で、芸術家の心を惹きつけるものらしい。古径と土牛の牡丹にうまく照応するかどうかはわからないが、牡丹を詠んだ三句を挙げて、古径と土牛へのオマージュとしておこう。
牡丹見るこの驕奢のみ許さしめ 山口誓子 [5]
栄華とは、牡丹この朝自刃せんとは 荻原井泉水 [6]
牡丹見てゐる間も人は老いゆくか 安住敦 [7]
[1] 『古径と土牛』(以下、図録)(山種美術館、2013年)。
[2] エマニュエル・レヴィナス「現実とその影」『レヴィナス・コレクション』(筑摩書房、1999年) p. 302。
[3] 『大口玲子歌集 海量(ハイリャン)/東北(とうほく)』 (雁書館 2003年) p. 27。
[4] 『岡本眸読本(俳句研究別冊)』(富士見書房平成11年)p. 201。
[5] 『季題別 山口誓子全句集』(本阿弥書店 1998年)p. 227。
[6] 『現代日本文學大系95 「現代句集」』(筑摩書房昭和48年)p. 472。
[7] 『わが愛する俳人 第二集』(有斐閣 1978年)p.33。