かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『ターナー展』 東京都美術館 

2013年12月03日 | 展覧会

 ターナーの絵といったら、大海原で荒れ狂う大波に翻弄される帆船であるとか、風雨と霧の中を疾駆してくる列車とか、とにかく自然の持つ激烈なドラマ性を目一杯表現しているもの、そんなイメージが私には刷り込まれている。ターナーの絵は好きではあるが、それを見るには時と場所、あるいは心性における条件があると思うのだ。たとえば、風景画を一つ欲しい(もちろん、複製画だが)と思ってもターナーは候補外である。小さな家の小さな部屋で毎日ターナーの激しい自然ドラマを眺めていたらきっと疲れてしまうだろうと思ってしまう。

 私が想像するようなターナーの絵が次々に並んでいたら、きっとへとへとになってしまう、そんな気がする。ターナー展はまもなく展示期間が終ってしまうので、とても気が揉めていたのだが、なんとなく腰も引けていたのだ。
 私の想像は完全に的外れに終った。想像していたような絵はごくわずかだったのだ。ほんのわずかなターナー経験を拡大解釈してしまったターナー知らずの要らぬ心配だった。

《月光、ミルバンクより眺めた習作》1797年ロイヤル・アカデミー展出品、
油彩・板、31.4×40.3 cm [図録、p. 43]。

 初期の作品、《月光、ミルバンクより眺めた習作》はテームズ川の夜景を描いたじつに静謐な情景を描いていて、私のターナーのイメージと真逆の作品である。こういう絵ならいついかなる時に眺めても、じっと見入り続けることができる。
 月光の中の風景というのは私の好みの画題のようだ。初めて見たアンリ・シダネルの《月明かりのテラス》や《月下の川沿いの家》に感激したのもそんな好みのせいである。

《鉄の値段と肉屋の小馬の装蹄料を巡って言い争う田舎の鍛冶屋》
1807年ロイヤル・アカデミー展出品、油彩・板、54.9×77.9 cm  [図録、p. 86]。

 《鉄の値段と肉屋の小馬の装蹄料を巡って言い争う田舎の鍛冶屋》もまた私の想像外の風俗画である。風俗画といっても、ブリューゲルやヤン・ステーン、ワルトミューラーのような農民、職人など庶民の風俗が描かれた絵が好きなので、この絵はすっぽりと私の好みに嵌った。
 図録 [1] の解説によれば、ナポレオン戦争の影響で鉄への増税があったことが背景にあるのだという。時代の風俗と歴史事象が籠められた作品ということらしい。

《スピットへッド:ポーツマス港に人る拿捕された二隻のデンマーク船》
1808年ターナーの画廊に展示、油彩・カンヴァス、171.4×233.7 cm [図録、p. 88]。

 《スピットへッド:ポーツマス港に人る拿捕された二隻のデンマーク船》もまたナポレオン戦争が背景にあるのだが、制作事情のようなことにあまり拘泥しないでおくことにしよう。
 この絵は荒れ狂う大洋という絵ではないと思う。不思議なのは、右手の二隻のデンマーク船あたりを境に手前の海が荒れていて、帆船から向こうの海は凪いでいるように見えることである。波のうねりとそれに伴って変化する色彩の美しさもさることながら、海面の様子の不思議に打たれていた。物理的にはありえないのだから、何か象徴主義的な意味合いがあるのだろうかと疑ってしまうのだが、一方で私の目の錯覚かもしれない、とも考えて困惑した(今もしている)。

《レグルス》1828年ローマで展示、1837年加筆、
油彩・カンヴァス、89.5×123.8 cm [図録、p. 63]。

 光に包まれた遠景には何があるのか、それにしても太陽が光の中心にあるとしてもその広がりの不自然さはどうしたのだろう。《レグルス》の絵の不思議さは、さすがに解説なしでは理解できなかった。長いが重要だと思うので引用しておく。

本作の主題は古代口一マの将軍マルクス・アティリウス・レグルス。第一次ポエニ戦争(紀元前264-前241年)でカルタゴの捕虜となった将軍である。歴史の伝えるところによると、レグルスは両国の和平をとりもつように指示されたものの、ローマの元老院に提案を拒むよう助言した後、傲然とカルタゴに帰還したため、結局、拷問され、殺された。ターナーがとくに興味を憶えたのは、レグルスが命を落とすまでの奇怪な経緯だった。伝説によると、レグルスは暗い地下牢に閉じ込められ、瞼を切り取られる。その後、牢獄から引きずり出され、陽光に当たり、失明する。ターナーは、瞬きできないレグルスの目が眩いばかりの陽光に晒される悲惨な瞬間を絵画化して不朽のものとし、鑑賞者は命運尽きたこのローマ人同様、絵の中心で燃え盛る白熱の太陽を見つめるよう強いられる。 [2]

 強烈な陽光に灼き尽されて盲いていく過程の一瞬、その灼かれている網膜に写った光景だというのだ。あの輝く光の球は急速に全景に拡がって、そして暗転するのだろうか。それとも、網膜全面に白熱する光が固着するように、見えない目は白光だけを見続けるのだろうか。この光景は、戦慄するような恐怖に支えられている。

《逆賊門、ロンドン塔(サミュエル・ロジャーズの『詩集』のための挿絵)》
1830-32年頃、水彩・紙、19 ×30.6 cm [図録、p. 138]。

 《レグルス》の恐怖に裏打ちされた光景の「美しさ」から一変して、《逆賊門、ロンドン塔(サミュエル・ロジャーズの『詩集』のための挿絵)》はもっと軽やかな明るさの「美しさ」である。
 最初にこの小品を見たとき、「いい絵だな」とは思ったがあっさり通り過ぎた。そのあと、遠景が霞んでいるような、風景画でありながら部分部分に何があるのか判然としないような絵をいくつも見ながら最後の展示まで進み、入口まで戻っての見直しの途中で文字通りこの絵を「見直した」のである。

 風景画の遠景を霞ませてしまうというのは、その方が〈美〉としてふさわしいからであろうし、あるいは省略することによって主題を際立たせる効果もあるだろう。しかし、一方で、あるべき風景が見えないことに対する不安(私の場合はこれが強い)や苛立ちも生じることがあるだろうと思う。もちろん、それはそうした技法がもたらす〈美〉との競合であろうが、正直に言えば、いくつかの絵によっていくぶんもやっとした不安感が生まれていた。
 そのような気分でこの絵を見たとき、線や絵柄の鮮明さに打たれたのである。顔を近づけないと何が描かれているのか分らないほど小さい絵だが、鮮明であることは離れていても分るのだった。詩集のための挿絵であるためか、一連のターナー作品の中で異なった系列に属しているような絵である。


《ハイデルベルク》1844-45年頃、油彩・カンヴァス、
132.1×201.9 cm、 [図録、p. 170]。

 《ハイデルベルク》もまた遠景が霞むように描かれている作品である。下部に描かれた人物群の姿には王族の物語が籠められているが、ここで挙げたのは私の個人的な懐かしさのためである。たった一度訪れただけのハイデルベルクだが、その時に私が見た風景を彷彿させるのである。あの辺に川が流れ、橋があり、対岸には素敵な散策路がある。茫洋とした遠景の描き方に説得力のあるリアリティがあるのだ。

《サン・ベネデット教会、フジーナ港の方角を望む》
1843年ロイヤル・アカデミー展出品、油彩・カンヴァス [図録、p. 184]。


《日の出》1835-40年頃、水彩・ダワッシュ・青い紙、19.5×27.8 cm [図録、p. 192]。


《湖に沈む夕陽》1840-45年頃、油彩・カンヴァス、91.1×122.6 cm [図録、p. 204]。

 上の三作品を並べて眺めると、画家が自然から〈美〉を抽出していくプロセスが理解できるようだ。ターナーは風景画という徹底した具象、リアリズムをもって画業を開始した。そして、《湖に沈む夕陽》を描くような境地に達するのである。レヴィナスは次のように述べている。

美的規範としてはこきおろされたが、レアリズム〔現実主義〕はその名声をいささかも失ってはいない。事実、レアリズムはより上級のレアリズムの名においてのみ否認されるのだから。シュルレアリズムとはレアリズムの最上級なのである。 [3]

 リアリズムを評価できるのはさらに上位の審級としてのリアリズムだというのだ。

 《サン・ベネデット教会、フジーナ港の方角を望む》では、舟はやや明瞭、港の構造は少し痕跡を残し、遠景の具象は色彩に置き換わっている。《日の出》になると、おそらく水平線から昇る太陽であることは推測できても、河口なのか港なのか、それとも拡がる海面と砂州なのか、判然としなくなる。存在は色彩と形象である。絵画としては当たり前と言えば当たり前なのだが、それが実現されているようだ。
 《湖に沈む夕陽》になると、太陽の位置は分るし、右手に何らかの構造があるようなことも分る。しかし、この絵を《無題》として提出しても、つまり一枚の抽象画としてもまったく違和感がない。

 この三枚の絵は、芸術というものがその表象の中から現実の意味に汚れた夾雑物を取り除いて〈美〉だけを抽出していく過程を表わしているように思える。これは、デリダによるフッサールの(言語の場合の)「表現」論の解釈 [4] だが、言述から身振り、手振りを取り除くことはもちろん一つ一つの言葉が持つ指標作用そのものを排除して純化することで「表現」となるという。絵画のケースに翻訳すれば、風景、静物、人物、それぞれの具体がもつ指標作用(纏わり付いた美意識)を排除するということだろう。そうしたプロセスの中で様々なレベルの審級があるだろうけれども、抽象画やシュルレアリズム(シュールリアリズム)がきわめて重要な審級に位置していることは確かだろう。

 ターナーは、〈美〉の審級の道をしっかりと歩んでいたのである。言うまでもないことだが、一人の画家の画業全体を俯瞰できるというのはとても大切なのだ。 

 

[1] 『ターナー展』(以下、図録)(朝日新聞社、2013年)。
[2] 図録、p. 111。
[3] エマニュエル・レヴィナス「現実とその影」『レヴィナス・コレクション』(筑摩書房、1999年) p. 302。
[4] ジャック・デリダ(林好雄訳)『声と現象』(筑摩学芸文庫、2005年)。