《2015年9月4日》
民主党政権時代は2030年には原発ゼロにするとしていたので、脱原発運動は条件闘争的な要素もないではなかった。しかし、自公政権になってから、原発を基盤エネルギーに据えるという政策によって、脱原発は反自公政権そのものでなければならなくなった。
その間、白井聡さんの『永続敗戦論』 [1] や矢部宏治さんの『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』 [2] などの著書に典型的に現われたように、自公政権打倒を超えて、アメリカ合州国政府と向き合うことが避けられないことを多くの国民は知ることになった。
原発による日本国土の荒廃のみならず、戦争法案という日本国民の命を賭ける政策に対峙せざるを得ない私たちは、当面は自公政権に抗っていくしかないが、いずれは、日本の政治システムの背後にべったりと張り付いているアメリカ支配に向き合わざるを得ない。
先に詩を引用した鮎川信夫は、先の戦争に行き、生き残った詩人である。新しい戦争危機の時代にあって、その詩集最後には奇しくも「アメリカ」と題する詩が収められている。
それは一九四二年の秋であった
「御機嫌よう!
僕らはもう会うこともないだろう
生きているにしても 倒れているにしても
僕らの行手は暗いのだ」
そして銑を担ったおたがいの姿を嘲けりながら
ひとりずつ夜の街から消えていった
胸に造花の老人たちが
死地に赴く僕たちに
惜しみない賞讃の言葉をおくった
予感はあらしをおびていた
あらしは冷気をふくんでいた
冷気は死の滴り……
死の滴りは生命の小さな灯をひとつずつ消してゆく
Mよ 君は暗い約束に従い
重たい軍靴と薬品の匂いを残し
この世から姿を消してしまったのだ
………
今でも僕は橋の上にたつと
行方の知れぬ風の寒さに身ぶるいするのだ
「星のきまっている者はふりむかぬ」
Mよ いまは一心に風に堪え 抵抗をみつめて
歩いて行こう 荒涼とした世界の果へ……
鮎川信夫「アメリカ」より [3]
[1] 白井聡「永続敗戦論――戦後日本の核心」(太田出版、2013年)。
[2] 矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル、2014年)。
[3] 『鮎川信夫全詩集 1945~1965』(荒地出版社、1965年)pp. 240-243。
《2015年9月14日》
安保法案(戦争法案)の是非の議論の時期はもうとうに終わっていて、いまはひたすら反対の声を上げるときだ。この点に関しては、木村草太首都大学東京准教授の発言がきわめて明快だ。木村さんは、9月13日のNHK日曜討論で次のように述べている。
時期じたいは、私は熟しているというふうに思います。
まず法案の違憲性ですけれども、元最高裁判事、元法制局長官、著名な憲法 学者、のほとんどが、つまり憲法解釈の専門的なトレーニングを受けた方のほとんどが、この法案に違憲な部分があると言っています。また世論調査でも、違憲であるという認識が多数を占める状況になっていて、違憲な点があるという点は決着がついています。
また法案の必要性についても、少なくとも、今国会で成立させるべきではないという意見が、どの世論調査でも大勢を占めています。
さらに政府の説明ですけれども、政府がまともに説明する気があるのかという点についても、それはなさそうだ、ということがわかってきました。
したがってこれは否決・廃案以外にはない。そういう判断ができる時期に来ていると思います。
(1) 法律関係者も国民も法案は違憲だと判断して議論は決着している、(2) 国民の大勢が法案成立に反対している、(3) 政府は説明する気がない。よって、否決・廃案する以外にない。
明快にして簡明、民主主義国家であればこれ以外の選択肢はない。問題は、安倍自公政権も自民党、公明党も民主主義そのものを理解していないところにある。結局、私たちは集会・デモで意思表示するしかないのである。
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