《2016年1月22日》
あるフェイスブック友だちの投稿で、赤坂憲雄さんが1月17日付の福島民報に「山や川や海を返してほしい」という文章を寄稿していることを知った。学習院大学教授で福島県立博物館館長でもある赤坂憲雄さんは、慶応義塾大学教授の社会学者、小熊英二さんとの共編著の『辺境から始まる』 [1] があるが、『東北学へ』シリーズなどを著されている民族学者である。
政府も福島県も、そして、それぞれの市町村さえも、放射能汚染地となった故郷から避難した人々を躍起になって帰還させようとしている。日本の国民は1mSv/年以下の被爆に抑えられるように法で守られているというのに、福島の人たちは20mSv/年まで被爆してもいいのだ、というあまりにも不当な差別のもとに帰還が進められている。
赤坂さんはそのことに異を唱えているのである。
福島の外では、もはや誰も関心を示さないが、どうやら森林除染は行われないらしい。環境省が、生活圏から離れ、日常的に人が立ち入らない大部分の森林は除染を行わない方針を示した、という。それでいて、いつ、誰が「安全」だと公的に宣言がなされたのかは知らず、なし崩しに「帰還」が推し進められている。
わたしは民俗学者である。だから、見過ごすことができない。生活圏とはいったい何か。人の暮らしは、居住する家屋から20メートルの範囲内で完結しているのか。もし、そうであるならば、民俗学などという学問は誕生することはなかった。都会ではない、山野河海[さんやかかい]を背にしたムラの暮らしにとって、生活圏とは何か、という問いかけこそが必要だ。
〔中略〕
除染のためにイグネが伐採された。森林の除染は行われない、という。くりかえすが、生活圏とは家屋から20メートルの範囲内を指すわけではない。人々は山野河海のすべてを生活圏として、この土地に暮らしを営んできたのだ。汚れた里山のかたわらに「帰還」して、どのような生活を再建せよと言うのか。山や川や海を返してほしい、と呟[つぶや]く声が聞こえる。
家に閉じこもった生活でしか20mSv/年以下が保証されないのだ。20mSvという数字そのものが福島に住む人々の将来的な健康を無視した数字なのに、普通に暮らせばそれ以上の被爆が実質的に想定されるのだ。
何よりも、赤坂さんが指摘するように、現在の帰還政策は、人間が「ある場所」で生きることの意味をまったく考えていない非人道的な措置なのだ。
一編の詩がある。東京電力福島第一原発の過酷事故のために富岡町から避難せざるをえなかった女性の詩 [2] である。
「富岡のそらへ」
佐藤紫華子
そーと吹いてくる
風に誘われて
すゝきの穂がたなびいている
北へ 北へ
なつかしい
富岡の空へ向かって!
あの空には
思い出がいっぱい
私達の心をのせて
雲は両手を広げ
茜色に染まる
空へと走って
行く……
森も、山も、川も、私たちが暮らす故郷である。空も、雲も、私たちの故郷には欠かせない。放射能にまみれた森や川、放射能を降らせる空と雲の下で生きることを強制する社会とは何か。私(たち)もその社会の一員であることの意味を考える。考えながら、原発に反対してデモを歩く。
[1] 赤坂憲雄、小熊英二(編著)『辺境から始まる 東京/東北論』(明石書店、2012年)。
[2] 佐藤紫華子『原発避難民の詩』(朝日新聞出版、2012年) p. 110。
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