かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(19)

2025年02月28日 | 脱原発

201784

 テレビのチャンネルをつぎつぎと切り替えていて、こんな場面が目にとまった。韓国ドラマの一シーンである。

 「お子さんの誕生日を覚えていますか?」
 医者が70歳くらいの老婦人に尋ねる。
 「長男は〇〇年××日に生まれました。」
 「それでは、こちらのお子さんの誕生日はいつですか?」
 母親に付き添ってきた息子(次男らしい)を見ながら、医者はかさねて質問する。母は、隣の息子の顔をじっと見つめるが、答えられない。息子は答えを促しもせず、笑顔を絶やさず母親の言葉を黙って待っている。

 母親の認知症の診断の場面である。102歳で亡くなった私の母のことを思い出した。特養ホームに入っていた母親の話は、しだいに昔のことばかりになってきて、話に登場する人物も場所も私はよく知らないものばかりだった。それは、長男と次男が生まれた4、5年の間のことで、その頃、母は20代半ばだった。
 母の人生のハイライトシーンが初めての子供が生まれたころというのは、なんとなく理解できる。長い人生の多くの記憶が薄れていくなかで、そのハイライトの時代のことどもが心に深く残り続けていたのだろう。
 母はしだいに人の識別も難しくなってくる。6人の子どもの中で最初にわからなくなったのは末っ子の私の顔である。たぶん6人の子どもの中で一番足繁くホームに通っていた私を最初に忘れたのだ。なにしろ私は母が42歳の時に生まれた子どもなのだ。長男とは17歳も離れている。母のハイライトの時代から最も遠い時代を一緒に生きていたということだ。
 ただ、母の記憶の中心が20代半ばであることを知っていたので、私の顔を誰よりも先に見分けられなくなったことはとくに驚きではなかった。すなおに納得できたのだった。

 さて、先の韓国のテレビドラマだが、「ディア・マイ・フレンズ」というタイトルで、認知症の女性を含む幼馴染の5人の老婦人の友情を描いたものらしい。一人は独身で、中卒なのだが高卒認定試験の勉強中で、大学で学ぶことを願っている。一人はがんの手術から生還して元気に生きている。一人は、進行癌の手術を控えて一人娘と旅行しながら田舎の両親を訪ねたりしている。もう一人はそんな友人たちを助けたくて、家事のまったくできない夫を捨ててまでも家を出ようとする。もう一人、認知症の女性をずっと想い続けている老教授も登場する。
 こういうドラマなら見てもいいかな、と思ったのだが、私が見たのは15回連続の14話目だった。私のテレビとの付き合いはこんなものである。
 
 母親に最初に忘れられた子どもは、今日もデモに行くのである。東北の小さな田舎で生まれ育ち死んだ母は政治的なデモのことはまったく知らないと兄姉たちは思っているが、私の学生時代に何度か訪ねてきた母は私のデモのことはよく知っていたのである。ただ、ほかの子どもたちには何も話さなかっただけのことなのだ。




街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫





【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(50)

2025年02月26日 | 脱原発

2017630

 台湾に引き続いて、隣国韓国も原発のない未来に向けて動き出した。619日、韓国の新しい文在寅大統領が、原子力発電を重視した従来のエネルギー政策を破棄して脱原発を進めると宣言し「新規の原発建設計画は全面的に白紙化する」と表明したのである(文在寅は、ムンジェインと読むらしい。覚えておこう)。
 もともと、文大統領は脱原発依存を掲げて5月の大統領選挙を勝ち取った。脱原発が大統領選挙の主要な争点ではなかったかもしれないが、そのような大統領を韓国国民は選んだのである。
 脱原発の表明は、韓国で一番古い古里原発1号機の「永久停止宣言式」でなされた。韓国で操業する原発は24基となったが総発電量に占める割合は30%とまだまだ高い。しかし、脱原発を宣言することで新しいエネルギー源の開発が著しく促進されるのは、ヨーロッパ各国の例を見るまでもなく明らかである。
 文大統領が「福島の事故が、原発が安全でも安くもないことを明白に示している」と語ったと東京新聞の624日付けの社説に書かれていた。それに続く社説の言葉は次のようなものだった。

 台湾でも一足早く、福島の教訓に従って、新政権が脱原発にスイッチを切り替えた。未来を見通す政治家ならば、福島の教訓生命最優先脱原発依存再生エネへの転換という大きな流れに乗る方が、むしろ自然なのではないか。
 ところが福島のあるこの国が、教訓を生かせず、流れに乗りきれず、次に原子力規制委員になる人が「寿命延長」を公然と支持するような逆行をほのめかすのは、なぜだろう。隣国の変化を見守りながら、よく考えてみたいと思う。

 どんな政治家を私たちが選ぶかで私たちの未来は左右されてしまう。少なくとも、こと原発に関する限り、私たち日本の国民が選んだ政治家たちは、未来を見通す能力に欠けているのは間違いない。



201777

 201777日に国連で「核兵器禁止条約」が採決された。核兵器を持つことばかりではなく、核兵器をもって他国に脅威を与えることも禁止する画期的なものである。核兵器を保有する「先進的」軍事国家は参加しなかったし、唯一の被爆国たる日本もアメリカに従属するために参加しないものの、122の国と地域の圧倒的多数の賛成で条約は採択された。
 美しいか醜いか訳の分からない日本の政治家の言葉はさておいて、条約の一部を抜き書きしておく(78日付の毎日新聞から)。

第4条(核兵器の全廃に向けて)

 一、2017年7月7日以降に核兵器もしくは核爆発装置を所有、保有、管理し、また本条約の発効前に全ての核兵器関連施設の廃棄もしくは後戻りしない形での転換を含め核兵器計画を廃棄した締約国は、核兵器計画が後戻りしない形で廃棄されたことを検証する目的のため、第4条の六項で指定する法的権限のある国際機関と協力。その機関は締約諸国に報告。そうした締約国は申告済みの核物質が平和的な核活動から転用されていないことやその国全体で未申告の核物質・核活動がないことについて信頼に足る確証を与えるため、国際原子力機関と保障措置協定を締結。協定の交渉はその締約国について本条約が発効してから180日以内に開始。協定はその締約国の本条約発効から18カ月以内に発効。それゆえ各締約国は将来において採択される可能性がある追加の関連文書にかかわらず、これら保障措置の義務を守る。

 二、第1条(a)にもかかわらず、核兵器やその他の核爆発装置を所有、保有、管理する締約国は、それらを直ちに核兵器システムの稼働状態から取り外し、破壊する。これは、全ての核兵器関連施設の廃棄もしくは後戻りしない形での転換を含め、検証可能かつ後戻りしない形での核兵器計画廃棄のため、法的拘束力があり時間を区切った計画に沿ってできるだけ速やかに、ただ締約諸国の最初の会議で決めた締め切りより遅れてはいけない。その締約国は本条約がその国で発効してから60日以内に、本計画を締約諸国や締約諸国が指定した法的権限のある国際機関に提出。本計画は法的権限のある国際機関と協議される。国際機関は手続き規則に従って承認を得るため、その後の締約国会議か再検討会議かいずれか早い方に本計画を提出。

 三、上記二項に当てはまる締約国は、申告済みの核物質が平和的な核活動から転用されていないことやその国全体で未申告の核物質・核活動がないことについて信頼に足る確証を与えるため、国際原子力機関と保障措置協定を締結。協定の交渉は二項で言及した本計画の履行が完了する日までに開始。協定は交渉開始から18カ月以内に発効。それゆえ締約国は最低限、将来において採択される可能性がある追加の関連文書にかかわらず、これら保障措置の義務を守る。三項で言及された協定の発効後、その締約国は国連事務総長に第4条での義務を遂行したとの申告を提出。

 四、第1条(b)(g)にもかかわらず、領内やその他の管轄・支配している場所において、他国が所有、保有、管理する核兵器やその他の核爆発装置がある締約国は、それら兵器についてできるだけ速やかに、ただ締約国の最初の会議で決めた締め切りより遅れることなく、迅速な撤去を確実にする。そうした兵器と爆発装置の撤去に関し、締約国は国連事務総長に第4条の義務を遂行したとの申告を提出。

 五、第4条が当てはまる締約国は、第4条での義務履行を遂行するまで、締約国会議と再検討会議に進展状況の報告書を提出。

 六、締約諸国は核兵器計画の後戻りしない形での廃棄のための交渉と検証のため、法的権限のある国際機関を指定。検証には第4条の一項、二項、三項に従って、全ての核兵器関連施設の廃棄や後戻りしない形での転換を含む。第4条の一項、二項が当てはまる締約国に対する本条約の発効前に上記の指定が済んでいない場合、国連事務総長は必要な決定のため締約国の特別な会議を開催。


 これから私たちのやることは決まっている。被爆国の国民として、戦争準備を進める安倍政権から平和を希求する政権へと替え、そのうえで、私たちの日本を誇りある「核兵禁止条約」加盟国とするのである。どう考えても、その答えしかない。安倍首相ふうに言えば、「その道しかない」のである。



 

街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(18)

2025年02月24日 | 脱原発

2017年7月21日

 吐き気と下痢に悩まされながら寝込んでいた二日のあいだ、とても退屈なのだが、本を読む気力はない。今読んでいるのは『デリダ、ルーマンの正義論――正義は〈不〉可能か』 [1] というタイトルの本で、私はルーマンが苦手なのだが、デリダという名前に惹かれて買ったのだ。
 しかし、ほとんどルーマン派の学者の論文で、わたしにはあまり面白くないのである。我慢して読んでいれば、何かが見えてくるかもしれないとわが身に言い聞かせて読んでいたということもあって、けだるい気分ではまったく読む気が起きない。
 それでユーチューブで探した歌をポツポツと聞いて時間を過ごした。その中に加藤登紀子さんが歌う「美しき5月のパリ」もあった。1968年の5月革命のことを歌ったと言われている。1968年、パリばかりではなく東京でも私が住んでいた仙台でも学生たちの闘いはあった。
 1968年5月、私は22歳と5か月、大学院の学生だった。いま思い返せば、私は闘ってなどいなくて、ただ立ちすくんでいただけだった。若いときのことはあまり思い出したくはないのだが、そんなふうにしか思い出せないのである。
 一枚の印象的な写真がある。1968年5月6日のパリ、一人の若者が投げた石礫がはっきりを写っている。この写真の主役はあの石礫である。発煙弾で煙る街路の向こうに壁のように並んでいるのは機動隊という権力システムである。


ジル・キャロン
《サン=ジャック通りで舗石を投げる人、1968年5月6日》
1968年、ヴィンテージ・ゼラチン・シルバー・プリント、
30×20cm [2]


 かつてこの写真を見ながら、「私は石を投げる人間になりたかったのか、投げる人を撮る人間になりたかったのか」と自問したことがある。結局、私はそのはざまで立ちすくんでいただけだった、というのがその時の答えだった。
 加藤登紀子さんが訳した「美しき5月のパリ」は次のような詩句で終わっている。

ほこりをかぶった 古い銃を取り
パリの街は今 再び生まれる
Ah! le joli mois de mai à Paris
Ah! le joli mois de mai à Paris

歌え 自由の歌を 届け 空の彼方に
この五月のパリに 人は生きていく
Ah! le joli mois de mai à Paris
Ah! le joli mois de mai à Paris

 ユーチューブにはフランス語で歌っているものもあって、それを聞いていると最後が違っているように聞こえる。私はフランス語はまったくわからないので、ネットで朝倉ノニーさんという人の翻訳を見つけた。「ああ!パリの美しき5月」という歌は、Jean-Frédéric Brossard(別名Evgen Kirjuhel)という人の作詞、作曲で、歌詞の最後の部分は次のように訳されていた。

まもなく日が昇ろうとしている
仕事場は地雷の原にある。
蘇った反乱が
くたばった古い世界を葬る。
Ah! le joli mois de mai à Paris
Ah! le joli mois de mai à Paris

おのおのが完全に自分をそこに委ね
自分の運命と
人類の運命に責任を持ち得る
社会を僕たちは築きあげるだろう。
Ah! le prochain mois de mai à Paris
Ah! le prochain mois de mai à Paris
Ah! le prochain mois de mai à Paris
Ah! le prochain mois de mai à Paris

 「ああ! パリの美しき5月」の最後は、「ああ!来たるべきパリの5月」で終わっているのだ。パリの5月革命は成就されなかった。日本の学生叛乱も成功しなかった。思想や文化状況に大きな変化をもたらしたが、政治的に得たものは少ない。
 しかし、「過ぎ去ったパリの5月」があったけれども、「来たるべきパリの5月」もあるのだ。1968年5月に「石を投げた人」、「石を投げる人を撮った人」、「そこで立ちすくんでいた人」それぞれは、その時心に抱いていたヘテロトピアを「来たるべき5月」のために育ててきただろうか。私の残りの人生で、それぞれのヘテロトピアが見えてくるといいな、そんなことを寝床のなかで考えていた。病んだ体で、すこしばかり感傷的になりながら……。

[1] グンター・トイプナー編著(土方透監訳)『デリダ、ルーマン後の正義論――正義は〈不〉可能か』(新泉社、2014年)。
[2] 『ポンピドゥー・センター傑作展――ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで――』(朝日新聞社、2016年)p. 163。


街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(49)

2025年02月22日 | 脱原発

201762

 今日の市民へのアピール文の主題は、金デモのような市民運動に牙をむくに違いない「共謀罪」法案と、同じく国会で審議されている「日印原子力協定」承認案の二つが中心だった。「共謀罪」法案への反対は全国的な規模で起きているが、ネットは加計学園とアベトモジャーナリストの犯罪疑惑で賑わっている。どれも安倍首相が中心にいる「大事件」である。
 いずれも内閣が崩壊しても不思議ではないほどの事件だが、かつて内閣総辞職に力があったマスコミジャーナリズムは今ではすっかり弱体化してしまった。今、期待できるのは、国会での野党の闘い方と、私たちの市民運動だけである。それに、ネット世論がいくらか役に立つかもしれない。
 加計学園問題で潮目が変わったと言う人たちもいるが、私にはよくわからない。政府権力に引導を渡す決定的な力、手段を野党も私たち市民も手にしていないように思う。動かないマスコミのために、倒閣の世論形成が必ずしも容易ではないのだ。自民党内部の動きに期待する向きもあるが、私個人としては自民党のどんな部分にも期待するのは嫌だ。




201616

 水曜日(614日)から翌日の朝まで、テレビならぬスマホに張り付いていた。予想通りと言えばそれまでだが、またまた強行採決である。もうそのことしか書くことがない、と思い込んでパソコンに向かったが、まったく書くことが思いつかない。
 ブチ切れそうになるほど怒っているということも、書くことが思いつかない理由でもあるだろうが、どうもそればかりではない。このような悪い状況では、私としてはなにがしかパフォーマティブな言葉を書きたかったのだ。
 しかし、パフォーマティブな言葉はパフォーマティブな日々に少しずつ紡がれるのだろう。戦争法案のときのように、この「共謀罪」法案では国会前に出かけることはなかった。614日当日に、知人の何人かは仙台から国会前に出かけた。それを聞いてから、私自身が一度も東京へ行こうと思わなかったことに気づいて、そんな自分を訝しくさえ思えたのだった。
 行動が伴わない言説は意味がないとは必ずしも思わない。しかし今回は、遂行された行為に裏打ちされた行為遂行的な言葉が欲しかったのだが、それはないものねだりだった。
 せめてこれから必死で考えよう。成立した「共謀罪」法に反対するパフォーマティブな言葉と日々の行いのことをじっくりと考えてみたい。さしあたっては、ブログであれ、手紙であれ、会話であれ、自公政権への批判や悪口の度合いをもう少し強めておこう。さしあたっては、脱原発デモばかりではなく他のイシューのデモももう少し気合を入れて参加しよう。
 そのうえで、反共謀罪的な日々の営みをなんとか構築して、何年あるかわからない残りの人生を生きることにする。615日にそんなことを考えた。国会に突入した樺美智子さんの命日に、国会前に行けなかった私はささやかな決意だけはしておくのである。
 少し心が治まった。

 共謀罪についてあらためて書くことがないなあ、と思いなしたことにはおそらくもう一つの理由がある。14日の昼過ぎから15日の朝まで、ネットで流れるニュースや評論や意見表明をたくさん読んだ。個人で考える範囲を大きく超えたさまざまな考えがネットで飛び交っていれば、ことさららしく私見を述べるなどという気分は薄れる。
 15日になって次のようなツイートを読んだのを最後に、ネット情報の海からから這い上がったのだ(最近、スクショなるものができるようになった)。

 
 先の大戦で多大な犠牲を払って戦後民主主義は生まれた。しかし、その犠牲は民主主義を勝ち取るために支払った犠牲ではない。軍国主義、天皇制ファシズムによって強いられた犠牲だった。
 日本人は自らの力で民主主義を獲得したのではない、あるいは、日本人は近代的自我形成を経ないまま現在に至っている、などとしばしば指摘されてきた。であれば、今、日本人としての私たちは民主主義を自らの手で獲得する歴史上の一点に立っていると言うことができるのではないか。安倍晋三は、日本人が真剣に民主主義を考える機会を与えているのだ。沖縄・辺野古であれ、「もり・かけ」疑惑であれ、性犯罪の握り潰しであれ、国会運営であれ、もののみごとに反民主主義的な政治というものの実態を安倍政権は国民に教えてくれているではないか。
 この時代を経て、日本の民主主義は「もっと強くなって復活する」。それは、期待でもあるが、決意でもあるだろう。

 

街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(20)

2025年02月20日 | 脱原発

2017年10月27日

 先ごろ、「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」訴訟で国や東電の責任を明確に認める福島地裁の判決が出されたが、「子ども脱被爆裁判」も福島地裁で行われている。その第12回口頭弁論で新潟に妻子を非難させている福島大学准教授の荒木田岳さんの弁論内容が​『民の声新聞』​で紹介されている。​

​​
 「政府や福島県が(原発)事故前に定められていた原発事故対応の手続きを守らなかったゆえに、避ける事が出来たはずの被曝を住民、とりわけ子どもたちに強要した。その責任は重大だ」
 〔……〕「住民をいかに被曝から守るか、という原子力防災の目的はないがしろにされ、住民は情報の隠蔽ゆえに被曝を避ける事が出来なかったのです」と訴えた。
 原発事故後の放射線モニタリング一つとっても、実測と予測の二方向で放射線の拡散を調べるよう事細かく決められていたはずだった。「『緊急時環境放射線モニタリング指針』(以下、指針)では、計測する場所も使用する機器も、計測方法も細かく決められていた。それは乾電池一個、鉛筆一本にまで及んでいた」。そうして得られたデータに従えば、福島県民にばかりでなく、さらに広い範囲の住民に対して避難が呼びかけられたはずだと指摘する。とりわけ、荒木田さんが重視しているのが、ウランが核分裂する際に発生する「テルル132」だ。
 「福島県原子力センターは2011年3月12日の朝には大熊町や浪江町で、昼過ぎには南相馬市で自然界に存在しないテルル132を検出していた。それが意味するのはメルトダウンの蓋然性であり、住民被曝の可能性。しかし福島県はこのデータを隠蔽し、住民の避難に活かさなかった」​​

​​ 
 データの隠蔽ばかりではない。いわば、サボタージュとでも呼ぶべきことも行われていた。原発事故以前に定められていた除染(スクリーニング)基準値が被曝現場でどのようにごまかされ、被ばくにつながったか。そうした事情は、『見捨てられた初期被曝』[1] に詳しい。
 福島事故で起きたこと、行われたことは、政府や県や電力会社がいまどのような被ばく防護基準や対策をそれらしく作成したとしても、住民の安全のためにそれが守られる保証はないということを示している。
 原発事故が起きたら、被ばく限度を1mSv/yから20mSv/yに引き上げてしまうように法律そのものを変えてしまう。そのような政府の安全対策を信じることは難しい。再び事故が起きたら、また法律を好きなように改ざんして政府や行政はサボタージュを決め込むだろうと考えるのは、ごくごく自然な論理的帰結である。
 引き続いている裁判において、政府や自治体の責任を厳しく問うこと以外にこうした事態を防ぐ手立てはない。もちろん、政権をそっくり変えて、行政の体質に根本的なメスを入れる方法がもっとも正しいことだろう。だが、今度の選挙結果は、それは先延ばしにせざるを得ない手段であることを示している。それが残念である。

[1] study2007『見擦れられた初期被曝』(岩波書店、2015年)。



 
街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(48)

2025年02月18日 | 脱原発

2017年5月19日

 予想通りの、そして予定通りらしい強行採決だ。秘密保護法、安全保障関連法(戦争法)で強行採決したので、共謀罪法案で強行採決するだろうことは予想できたが、かつて二度の法案提出をしながら成立を諦めたことがあったので、自民党のなかから逡巡する声が上がる可能性をわずかながら期待する気分もあった。
 自民党はかつての「保守」から「極右」政党に変わったことはこれまでも明らかだったが、党内にまったく異論がないまま国民監視法案が採決される有様は、「極右」政党から「ファシスト」政党にまで堕ちてしまったことの証左だろう。日本の政治状況は奈落へ真っ逆さまに落ち続けている(しかし、まだ奈落ではない)。
 秘密保護法でも安保関連法でも共謀罪法案でも、政府は立法趣旨をほとんど説明していない。説明できる大臣は一人もいなかった。首相自ら説明に立つこともあったが、饒舌ではあっても日本語として成立していない。国会で言葉によるコミュニケーションが成立していないのだ。
 最近、安倍首相や金田法相と野党議員の質疑応答を一言一句正確に文字起こしをして、その朗読会を開いて、国会におけるディスコミュニケーションの実態を明らかにするという試みがされているという。安倍首相の言葉は日本語のように聞こえながら、まったく言語としての意味が汲み取れない。日本語らしい音がする鳴き声のようなものにすぎないのだ。
 言語が成立しない国会で何かを決議しようとすれば、立法趣旨に納得するチャンスがないのだから、どんな形であれ強行採決になるしかない。こうして、ファシズムによる独裁政権は成立する。いま、私は、私が生まれる前の歴史を追体験しているのかもしれない。

 国連人権委員会のプライバシー権に関する特別報告者であるJoseph Cannatati氏が、共謀罪法案についての緊急警告の書簡を5月18日付で安倍首相に送ったということがネットで報告されている。
 そのニュースを記したブログ記事から、次のような警告書簡の要約を引用しておく。

 書簡では、法案の「計画」や「準備行為」の文言が抽象的であり恣意的な適用のおそれがあること、対象となる犯罪が幅広く、テロリズムや組織犯罪と無関係のものを含んでいることを指摘し、いかなる行為が処罰の対象となるかが不明確であり刑罰法規の明確性の原則に照らして問題があるとしています。
 さらに、プライバシーを守るための仕組みが欠けているとして、次の5つの懸念事項を挙げています

1 創設される共謀罪を立証するためには監視を強めることが必要となるが、プライバシーを守るための適切な仕組みを設けることは想定されていない。
2 監視活動に対する令状主義の強化も予定されていないようである。
3 ナショナル・セキュリティのために行われる監視活動を事前に許可するための独立した機関を設置することが想定されていない
4 法執行機関や諜報機関の活動がプライバシーを不当に制約しないことの監督について懸念がある。例えば、警察がGPS捜査や電子機器の使用のモニタリングをするために裁判所の許可を求める際の司法の監督の質について懸念がある。
5 特に日本では、裁判所が令状発付請求を認める件数が圧倒的に多いとのことであり、新しい法案が、警察が情報収集のために令状を得る機会を広げることにより、プライバシーに与える影響を懸念する。

 これらの懸念事項は国内でもずっと指摘されつづけた内容で、とくに目新しいわけではないが、少なくとも民主主義先進国にとってはごく常識的なことであって、日本でも法律の専門家の多くが懸念を示していたものである。
 国連において、日本はいまだに第二次世界大戦の敗戦国という立場である。その日本が特別秘密保護法、安保法制という戦争法、そして共謀罪法案という警察国家を目指す法律によって、第二次世界大戦の敗戦前の国家を復元しようとしていることを国際社会はどう見るだろうか。
 このような経過は、戦前、全権を委任された松岡洋右が国際連盟を脱退したことを思い出させる。いまや、敗戦国としてアメリカの属国となったままの日本がアメリカの意向に逆らって国連を脱退することは不可能に違いないが、政治思想的には孤立していくばかりだろう。それは、外交における劣勢ないしは敗北へと向かう道だ。そうして、日本はますますアメリカにしがみつくしかなくなり、ますます隷属度を強めるしかなくなるに違いない。
 それにしても、ウィキペデイアで松岡洋右の項を読むと、彼が「僕は誰にも議論で負けたことがない」と語ったと書いてあり、笑ってしまった。現代日本の宰相も「僕は誰にも議論で負けたことがない」と思っているに違いないのだ。ぜったいに負けるはずがない。意味不明な鳴き声のような長広舌で、どんな人間とも議論が成立しないのだから、負けることは不可能だ。しかし、勝つことも不可能だということまでは、本人は知らないらしい。

 


2017年5月26日

 脱原発デモのコールに共謀罪(テロ等準備罪)法案に反対する言葉が新しく加えられた。この法案は、たしかに日本の歴史を大きく歪めてしまった治安維持法の平成版というきわめて悪質な法案だ。しかも、ここまでに至る安倍自公政権の政治的言動もまたこれまでの戦後日本の政治には見られなかったような質の悪さである。
 こうした低劣な政治ないしは政治手法を支えているのは、自公政権に加わる政治家たちの「万能感」なのではないかと思う。選挙に勝って(しかも大勝ちして)政治権力を握った者は、「何でもできる、何をしてもいい」という思い込みがあるようだ。
 かつて民主党が選挙に勝って政権の座に就いた後、民主党の政治家もまた口を滑らして批判されることが増えて、民主党もまた慢心するのだということにかなりがっかりしたことを覚えている。しかし、その口説は大口をたたく程度に過ぎなかった。
 ところが自民党の言説は、大口をたたくというのではない。まったくの嘘、まったくのでたらめを国会という場、記者会見という公的な場で数限りなく行っているのである。安倍首相が「ちゃんと辞書を調べたら「そもそも」というのは「基本的に」という意味だ」という趣旨のことを国会答弁で行ったが、どんな辞書にもそのような意味は記されていないことが明らかにされた。いま、そのことについての質問主意書にたいして「首相が自ら辞書を引いて意味を調べたものではない」という答弁書を閣議決定したというニュースがあった。つまり、何度も「辞書で調べた」と話したのは安倍首相の嘘だったことを閣議決定によって政府が認定し、オーソライズしたことになる。まったくのブラックジョークだが、国会答弁が虚偽だったことを反省するわけでも謝罪するわけでもない。全く平気なのだ。この例ばかりではない。国会で嘘を語ることは権力者の権利であるかのような言動がずっと続いているのである。
 だから私には、自公政権は、選挙に勝ったことで神のごとき万能の力を与えられたと思い込んでいるとしか思えないのだ。しかし、ここで民主主義における多数決の意味などという民主主義の初歩の初歩、小学生レベルの話をするのはごめん蒙りたいし、代表制民主主義の仕組みなどという話もまた今さらという気がする。

 最近、『人民とはなにか?』 [1] という本を読んだ。若いころ、「人民」とか「大衆」などという言葉を使うと、それはどのような主体なのか、どのような階級なのかなどという議論が沸き起こって、その左翼的生真面目な概念論議にうんざりした記憶があって、読まないでおこうかと躊躇ったのだが、アラン・バディウやピエール・ブルデュー、ジャック・ランシエールなどの論考を収めた本だったこと、なによりも『権力の心的な生』で主体創成の契機を論じたジュディス・バトラーも執筆者の一人だったことが決定的だった。
 そのバトラーが代議制について次のように書いている。

選挙によって公職に就いているある種の議員が、多数によって選ばれたという理由で人民の主権を(より正確には「人民の意志」を)代表していると見なされるとしても、それによって人民主権が完全に選挙制度によって体現され、選挙が人民の主権を選出された代表者に移譲するということが帰結するのではない。人民は自らが選んだ人びととは区別され続けるのであり、自らが選んだ人びとの行動と同様に、選挙が実施された状況やその結果について異議を唱えることができるのだ。人民の主権は投票の際に選出された人びとにはっきりと委ねられ得るのだが、この移譲は決して完全には行なわれない。人民の主権のなかには移譲され得ない何かが残るのだ。人民主権が政治権力の議会制という形態を正当化するとしても、それは同様にこの権力の正当性を否定する力をも保持するのだ。議会制という権力形態が人民主権を支えとして必要としているとしても、この形態はそれを同様に怖れてもいる。というのも、この人民の主権のなかには、それが設立するあらゆる議会制の形態に対立し、越え出る部分が存在するからだ。(『人民とはなにか?』 p. 56)

 選挙によって選ばれた政治家に人民主権が移譲され、それが国家主権の源泉となる。しかし、移譲された主権は一部にすぎない。憲法を含む法システムに許される範囲の主権というのは、人民主権のわずかな部分にすぎない。全権を与えられたと思い込み、あたかも万能の支配者のごとく振舞うのは、代議制民主主義をまったく理解していないということだ。
 自民党のなかには、「天賦人権説」は間違いだ、と主張する政治家がたくさんいる。彼らは、国民の人権保護が施政に邪魔になるので認めたくないだけで、その点においては明らかに間違った主張だ。しかし、人権は神や天から人間に与えられたものという文字通りの意味で主張するなら、それは必ずしも間違いではない。
 人間が社会を形成し、国家を創設するプロセスでその主権の一部を国家に法形式的に委譲する以上、人民主権の根源は個人としての人間存在そのものに由来する。逆の言い方をすれば、存在論的に根源的な人権を持つ人間が集団的行為として国家に主権を賦与(委譲)しているに過ぎない。移譲された主権のもとに国家統治に従事する政治家が、国民の人権を云々(デンデンではない)すること自体がおこがましいことだし、間違っているのである。
 人権は、神(天)から賦与されたものではない。ましてや、国や政治家が国民に認めるものではない。私たち「人民」の本質的な属性である。そうでなければ、人民からの主権委譲は不可能で、国家自体が成立しないからである。
 さて、私たちが自らを「人民」と称するのだが、この「人民」とは何か? バトラーは次のように主張する。

まず何よりも、「われわれ人民」という言葉を発することは、自己=指示的、自己=構成的行為であることは明らかだ。誰かが、別の誰かと同時に「われわれ」と言い、一つのグループ全体が「われわれ」と言うのであり、それによって彼らは「人民」として自らを構成しようとするのだ。このように一つの発話行為と見なされるなら、「われわれ人民」とはそれが名指す社会的複数性を出現させる言表なのだ。この言表はその複数性を記するのではなく、それを存在させるようとするのだ。(『人民とはなにか?』 p. 58)

 私たちが「われわれ人民」と語り始めることは、きわめて行為遂行的(パフォーマティブ)な言表なのである。このパフォーマティブな言表から発して、人々が集まり、協同する政治的行動が始まり、そのプロセスで私たちは実質的な「われわれ人民」を構成することになる。そうして、ときには、人民の主権のなかに存在する「議会制の形態に対立し、越え出る部分」が委譲した主権をあらためて政府から剥奪し、新たな政治主権を創設することもあるのだ。
 主権を委譲された政府は「われわれ人民」を畏れなければならない。驕り昂る政権というのは、政治論的には本質的誤謬なのだ。いや、だからこそ、安倍自公政権は、秘密保護法や「共謀罪」法案で「われわれ人民」の持つ根源的な主権を抑え込もうと必死なのだ。彼らの政治主権は剥奪されるに値することを自覚しているために必死なのだ。
 せっかくなので、アラン・バディウの「人民」も引用しておく。

選挙制度によって定められる多数者の代表という解釈は、国家の正当性の法的手段による承認によって、人民の国家的惰性態に形態を与えるのだが、そうしたものの代わりに、また同様に、常に半ばコンセンサスにより、半ば強制による専制権力への服従の代わりに、われわれはひとつの前例のない政治の方向付けによって「人民」という語を動態化する、国家から切り離された少数者のグループを手に入れるのだ、と。「人民」という語は新たに、民族解放闘争のそれとはまったく異なったひとつのコンテクストにおいて、ある政治プ口セスの主体を意味することが出来るのだ。しかしそれは常に、自らが人民を代表しているなどということではなく、自らが、それ自身の惰性態を破壊し、政治的革新の身体となる限りでの人民そのものだと宣言する、少数者という形態においてなのである。(『人民とはなにか?』 pp. 15-6)

 デモが少数であることなどまったく問題ないのである。バディウの理路をこう言い換えてもいいだろう。「われわれ人民」と言表する少数者としての私たちは、その言表と政治的行為遂行を通じて「われわれ人民」という社会的複数性を象徴する存在となって、「国家惰性態」と堕した代議制を破壊し、政治的革新の集合的身体となるのである。脱原発デモもまた、その政治的行為遂行の一つの形態なのである。

[1] アラン・バディウ他(市川崇訳)『人民とはなにか?』(以文社、2015年)。
[2] ジュディス・バトラー(佐藤嘉幸、清水知子訳)『権力の心的な生』(月曜社、2012年)。

 

街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(17)

2025年02月15日 | 読書

2017年7月7日

 このごろ、変な言葉に憑りつかれて、いつかどこかで自分でも言いだしそうで心配である。「拍手をもってオマヌケください」というフレーズである。事の起こりは、東京都議選の選挙運動の最終日(7月1日)、秋葉原の街頭演説に安倍首相が現れたことを紹介するために石原某という国会議員が発した言葉である。
 ネットでいろいろ流布されているが、石原さんの名誉のために正確に書き出すと次のように話している。「ただいま安倍総理が到着でございます。どうぞみなさん、拍手をもってオマヌケ……、オマグメ……、ください。」
 ご本人は言いよどんで、間違ったという自覚はあったらしいが、なぜか修正できなかったようだ。言い間違いのはまり方があまりにも見事だったので、ネットでは「拍手をもってオマヌケください」という発言として流布されて、そのフレーズが私の中を駆け巡っているのである。
 このフレーズは、「まぬける」という動詞が日本語にあれば、すんなりと受けとることができる。この新しい語彙のオリジナリティは、もちろん石原さんにある。石原さんのオリジナリティを尊重しながら、その日本で最初の用例の意味を考えるとどうしてもこういうことになってしまう。「安倍総理が演説のために到着されましたので、みなさんで拍手をしながら安倍総理のオマヌケぶりをご覧ください。」
 自動詞的用法の「まぬける」の意味は、「間抜けなことをする」ということで単なる間抜けな状態を指すのではなく、主語となる主体がパフォーマティブに間抜けなことを行うという意味になる。つまり、従来の「間抜け」という言葉が持つある人間の属性を罵るような意味合いは薄れる。
 用例としては「安倍総理はまぬける」のような使い方になる。活用は「食べる」という動詞と同じである。まぬける(食べる)、まぬけない(食べない)、まぬけましょう(食べましょう)、おまぬけください(お食べください)、など。
 いっぽう、石原さんのように他動詞的に使う場合は、「誰それ(目的格)のまぬけぶりを見る、まぬけぶりを笑う、まぬけぶりを嘲笑する」という意味になる。「安倍さんはまぬける」も「安倍さんをまぬける」も安倍さんがマヌケなことをするという意味では同じ事象を表現することになる。
 このように「まぬける」という動詞が定着すれば、日本で最初の用例のように「ただいま安倍総理が到着でございます。どうかみなさん、拍手をもってオマヌケください。」というようにとても使い勝手のいい日本語になるのである。金デモでの使い方としては、「再稼働だって! みなさん、コールをもってオマヌケください!」など。故郷喪失につながるような原発の再稼働などという想像力なきマヌケな政治はごめんだという意思表示ができる。
 
 一国の宰相を引き合い出して「まぬけ」だの「あほ」(とは言ってないが)だのとはあまりにも無礼ではないか、と良識ある国民や安倍首相のネトウヨサポーターのみなさんはお怒りになるかもしれないが、これは「オマヌケください」という表現を発明された石原さんのオリジナリティを尊重し、その日本最初の用例を重んじる立場としては止むを得ない仕儀なのである。オリジナリティを徹底的に尊重する学術論文の引用の仕方に準じて記述しようとした私なりの努力の結果なのである。



街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(47)

2025年02月13日 | 脱原発

2017年4月7日

 今村復興相が福島の放射能汚染地からの避難者について「故郷を捨てるのは簡単」と話したとき、言葉は悪いが「この人はほんとうにゲスだな」と思った。「下衆」ではなく「ゲス」である。「下衆」だとまだ少し人間臭さがあるが、それ以下である。
 彼らは故郷を捨てたのではない。「捨てさせられた」のである。国の原子力政策と東京電力の安全への不作為によって故郷を追い出されたのである。どんな思いで故郷を離れたのか、その思いに想像が及ばない限り、「被災者に寄り添う」などということは美辞麗句どころか、ただの虚言である。
 しかし、4月4日に復興相はさらに言葉を極めてしまった。福島に帰れずに避難生活を続けるのは「自己責任」で、不満なら「裁判でも何でもやればいい」と発言した。ここまで言ってしまったらこの大臣が下衆かどうかという話ではなくなる。
 原子力事故子ども被災者支援法(「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」)には、東電1F事故の責任が国にあることを明記している。

第三条  国は、原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護すべき責任並びにこれまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っていることに鑑み、前条の基本理念にのっとり、被災者生活支援等施策を総合的に策定し、及び実施する責務を有する。

 その上で被災者に対する支援を次のように定めている。

第二条の2 被災者生活支援等施策は、被災者一人一人が第八条第一項の支援対象地域における居住、他の地域への移動及び移動前の地域への帰還についての選択を自らの意思によって行うことができるよう、被災者がそのいずれを選択した場合であっても適切に支援するものでなければならない。

 第八条第一項にある政府の恣意性を問題にしなければ、「帰還についての選択を自らの意思によって行うことができる」というのに「自己責任」と主張するのは、法に逆らう言明ということになる。大臣というのは、その所掌する事柄に関する法律を誠実に実行すべき行政サイドの責任者である。これは、法からの逸脱などではない。法に反する発言である。
 こうした復興相の発言を聞いたという人間が新潟県の避難者施設に電話して「自主避難者は勝手に避難している」「毎日遊んでいるのに何で避難しなければいけないんだ」と繰り返し主張したというニュース(4月6日付け朝日新聞)があった。法には次のようなことも定めている。

第二条の4  被災者生活支援等施策を講ずるに当たっては、被災者に対するいわれなき差別が生ずることのないよう、適切な配慮がなされなければならない。

 「適切な配慮」どころか、大臣は「いわれなき差別」を煽っているのである。何重にも法に反しているのである。人格下劣な人間はその辺にもそれなりにいるが、職掌義務に反する人間というのは社会的に存在が許されないはずだ。それなのに、首相は復興相を辞任させる必要がないと発言している。たぶん、真意は「辞任させられない」「辞任させても意味がない」ということだろう。
 復興相より省格が上とみられている法相や防衛相ですらあのような無残な国会答弁しかできない(答弁ができない)のを見ていると、自民党には人がいないということは明らかである。復興相を変えたくても彼よりましな人間がいないということだろう。法相も防衛相も変えられなかったのは同じ理由に違いない。少なくとも、首相に忠実な政治家から選べば首相以下の能力ということになるので、極端に能力が低い人物になってしまうのはごくごく当然なことである。首相以下そっくりと交替させる以外に改善の道はない。



2017年4月15日

 アッキードスキャンダルと共謀罪法案などいやな話題でネットは賑わっている所へ、アメリカによるシリアへのミサイル攻撃や北朝鮮近海への米空母攻撃群の移動などのニュースが加わって、原発関連の話題はすっかり霞んでしまった。
 そんな中でも、九州電力玄海原発3、4号機の安全性が確認されたと佐賀県知事が発言し、佐賀県議会は再稼働容認の決議をしたという報道があった。玄海原発の30km圏内には佐賀、長崎、福岡3県にわたる一町七市が含まれ、そのうち伊万里市、松浦市、平戸市、壱岐市が再稼働に反対している。
 玄海町と唐津市は、ちょうど東北電力女川原発の立地自治体としての女川町と石巻市に相当する位置にある。玄海町は、2016年度の町予算の59%、42億5千万円が原発関連の収入になっている。ほかの立地自治体と同様、原発関連収入はいわば「麻薬」となってしまって、原発にすがるしか自治体の未来はないかのようだ。
 女川町も、2011年以降は震災復興予算が大幅に増額して原発関連収入は判然としない(経済音痴の私には読み取れない)のだが、2009年度予算では65%の64億円が原発関連の収入だった。
 3・11以降に停止している原発への国の交付金は、原発の81%が稼働しているものと見なして交付されているが、例えば、美浜町の原発関連収入が昨年度の41.5%から今年度は37.3%に減っているように、軒並みその額を減らしている。
 ところが、3、4号機をいったん再稼働した高浜原発のある高浜町では前年度の30%から一挙に55%へ増額した。これは、原発交付金を欲しがる立地自治体に再稼働を急がせようとする政府の方針があって、原発が稼働する立地自治体へは交付金を重点配分するためである。
 このような交付金配分は、地方自治体の「金め」を当てにした政策であって、こんな政治を続けてきたる自民党の政治家には国民がすべて「金め」で動いているとしか見えないのである。しかし、原発建設を阻止して拒否し続けている地域は全国に29ヵ所もある。処理施設や貯蔵施設を含めれば64か所に及ぶ(水口憲哉『淡水魚の放射能』(フライの雑誌社、2012年)より)。「金め」で動いてしまった自治体より、「金め」に動じない自治体の方が多いのである。
 原発を容認し、建設を認めてしまった自治体は、その収入を原発に依存する体質から抜け出せず、原発廃炉どころか、原発の増設を望むようになる。「禁断症状」が亢進してしまうのだ。
 東京電力福島第一発電所のある大熊町に生きて、事故後に避難先のいわき市で亡くなった歌人、佐藤禎祐が原発立地の町を詠んでいる(佐藤禎祐歌集『青白き光』(いりの舎、平成23年))。


原発依存の町に手力すでになし原子炉増設たはやすく決めむ

原発に縋りて無為の二十年ぢり貧の町増設もとむ

リポーターに面伏せ逃げ行く人多し反対を言へぬ原発の町


原発に自治体などは眼にあらず国との癒着あからさまにて

原発を本音で言ふはいくたりかうからやからを質にとられて

原発に縋りて生くる町となり燻る声も育つことなし

うからやから質に取られて原発に物言へぬ人増えてゆく町

 
 そして、原発事故後、次のような歌が詠まれていた(『短歌』2011年10月号)。


眠れざる一夜は明けて聞くものか思はざりし原発の放射能漏れ

死の町とはかかるをいふか生き物の気配すらなく草の起き伏し


 

街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(19)

2025年02月11日 | 脱原発

2017年6月23日

 6月6日に起きた日本原子力開発機構大洗研究開発センターの汚染・被ばく事故はおおよそ以下のようなものだった。

 核燃料物質を収納した貯蔵容器の点検作業中、貯蔵容器内にある核燃料物質が入った容器を封入した樹脂製の袋が爆発し、作業員5名に身体汚染が発生した。汚染検査の結果、鼻腔内に最大24Bq(α線)を確認した。
 核燃料サイクル工学研究所における肺モニタ測定により、最大22,000Bq(Pu-239)が確認されたため、国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構放射線医学総合研究所(放医研)に移送した。
 放医研の検査の結果、肺へのPu-239の吸入は認められず、微量のアメリシウム(Am-241)が検出された(当初の22,000Bqという数字は、胸部の外部汚染を誤測定したものと推定)。
 当初、「核燃料物質」とのみ発表していたが、高速実験炉「常陽」で実験する燃料の試料を作った際に出たくずで、約300グラムの粉末をエポキシ樹脂で固めてポリエチレン製の容器に入れられ、二重のビニール袋で密閉したうえで、金属製容器に入れて26年間保管していたものということだ。

 この汚染・被ばく事故には「政治的」な問題と「技術的」な問題とがある。
 政治的な問題とカテゴライズするにはいくぶんかの逡巡があるが、「核燃料物質」とのみ発表する原子力開発機構の判断は、多くの憶測の原因となった。汚染として検出された放射能核種がPu-239だったことから、ほぼ純粋なプルトニウムである兵器級の核物質ではないかと疑う人もいた。兵器級ならもちろん国際問題に発展するので公然化することはできない。
 このような憶測に立つ人は、肺へのプルトニウムの吸入はなかったとする放医研の発表も、不都合な事実の隠蔽ではないかと疑ってしまうことになる。3・11以来、原子力に関連する産・官・学の発表は隠蔽、ごまかしが圧倒的だったので、このような最悪の推測が生まれてしまうのだ。
 高速増殖炉用の核燃料の一部だったというマスコミ発表があっても、まだ「核燃料物質」の実態が明らかになったとは言えない。高速増殖炉とは、核分裂を起こさないU-238に中性子を吸収させて核分裂を起こすPu-239に変換させることで、原子炉を運転しながら核燃料を増殖しようとするものである。そこで使用される「核燃料物質」にはU-235を濃縮したものやPu-239を混ぜたMOX燃料など核分裂を起こして大量の中性子を発生させる「核燃料物質」と、中性子を吸収するU-238を主体とした「核燃料物質」とがあって、発表からはU-235、 Pu-239 、U-238の割合の見当がつかない。ほとんどがウラニウムなら22,000Bq のPu-239汚染の背後には大量のウラニウム汚染があることになり、純粋なプルトニウムなら大きな汚染量ではないともいえる。
 このような事情を理解するためには「比放射能」という概念が必要である。「比放射能」というのは、同じ量の放射性核種があったときの放射線を出す量の比のことで、半減期が短い核種ほど比放射能が高いのである。ウラニウムとプルトニウムが共存しているとき、半減期が二桁も短いプルトニウムだけが検出されるのはそのためである。この汚染・被ばく事故でプルトニウムだけが検出されたのは「比放射能」を考えればそれなりに理解できるが、どういう組成の核燃料物質か明らかでない以上、ウラニウムの大量の飛散があったのかどうかは判断できないのである。
 とまれかくまれ、正しい情報を与えなければ憶測を呼ぶだけというのはどうしても避けがたい。多くの憶測のなかには当然ながら間違ったものも含まれる。しかし、そうした憶測がたとえ間違っていようとも、正しい情報を出さない側、隠蔽する側が非難することはできない。

 技術的な問題は明らかである。核燃料粉末をエポキシ樹脂で固めたこと、ポリエチレン容器に密封したこと、長期間放置したこと、ガス発生が予測できなかったこと、ことごとく科学・技術としては低劣なレベルとしか言いようがない。
 U-235、 Pu-239 、U-238のどれもα線を放出して核変換する原子核である。α線はヘリウムの原子核なのでヘリウムガスが発生する。有機高分子重合体であるエポキシ樹脂もポリエチレンも高エネルギーのα線によって局所的に化学結合がバラバラにされる。分解された炭素や水素が再結合してメタンやエチレン、水素ガスなど分子量の少ない化合物となるが、これらはすべて常温では気体である。
 加えて、放射線はポリエチレンやビニール袋を劣化させる。日光に1、2年さらされたビニール袋がボロボロになるのは紫外線によって重合有機物の結合が切断されるためである。高エネルギーの核放射線による有機化合物の放射線損傷は紫外線の比ではない。
 核燃料粉末を固めた樹脂は劣化してボロボロになっていて、ポリエチレン容器もビニール袋も元の強度は失われた状態で、金属容器の蓋を開ければガス圧で爆発するのは容易に想定できるはずのものだ(想定していたという報道もあったが、想定していながら爆発させたなら犯罪と言っていいだろう)。
 こうした事柄を作業前に想起できない科学的知識、技術力とはいかなるものか、それを想像することすら難しい。40年以上も前に大学院修士課程まで原子力工学を専攻した身なのだが、もともと原子力工学の科学的力量がこんなものだったのか、国家権力の全面的差配下ではいかなる学問も劣化するように原子力推進という国家方針の保護下で原子力工学も著しく劣化したのか、今の私には判断できない。
 いずれにせよ、日本原子力開発機構は、文字通り日本における原子力技術の開発、研究の中心となっている組織である。その組織でこの程度の核燃料の扱いしかできない事実は、日本の社会には核燃料を扱うことを許容しうるような人的、組織的な機関は存在しないということだろう。
 核燃料を扱わないで済む「脱原発の未来」へ踏み出すしか論理的な結論はない。


 
街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫


【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(46)

2025年02月09日 | 脱原発

2017年3月31日

 マスコミはアッキード疑獄や共謀罪法案などの重大な政治的局面の報道で賑わっている。また、高浜原発3,4号機の再稼働を大阪高裁が容認したこと(大津地裁判決を覆したこと)や広島地裁が伊方原発3号機の運転差し止めの訴えを却下したことなど脱原発運動にとって重要なニュースもあった。もちろん、全国で無数に起こされている(起こされようとしている)裁判のうちの2例にすぎないので、さほど落胆するには当たらないし、むしろ独立性を失った司法で福井地裁判決や大津地裁判決があったという価値の方が決定的だと言っていい。ある司法判断を徹底的に批判する司法判断を司法自体がその内部に抱え込んでいるというのは将来を見通すうえでとても重要だろう。
 さて、そうした大ニュースの陰でひっそりと流されたニュースがあった。1週間ほど前、原子力規制委員会はこの29日に4原発5基の廃止措置計画(廃炉の工程計画)を許可する方針だというニュースがあった。30日になったら、廃止措置計画の資料の一部に分かりにくい記述があったため、認可を見送ったというニュースになった。
 ニュース価値としていえば、4原発5基の廃炉はすでに決まっていて、規制委員会は単に事務的手続き的な仕事をしているのであって、許可するとかしないとかはたいした問題ではない。私が気になったのは、「この5基の原発は運転開始から40年たったので廃炉が決まっていた」という意味の文が何の注釈もなしに記述されていることだった。間違いはないのだが、しかし、規制委員会は40年で廃炉という原則を破って別の3基は40年を越えて運転することをすでに認めているのである。つまり、40年は何のクライテリオンにもなっていないので、上の文章はあえて書く意味がないのである。
 廃止措置計画が審査されている4原発5基というのは、日本原電敦賀原発1号機(35.7万kW)、関西電力美浜原発1、2号機(各42万kW)、中国電力島根原発1号機(46万kW)▽九州電力玄海原発1号機(56万kW)で、それ以外ですでに廃炉が決定している原発には、浜岡原発1、2号機(各69万kW)、日本原電東海原発(16.6万kW)がある。
 一方、40年を越えて運転することを規制委員会が認めた原発は、美浜原発3号機(82.6万kW)、高浜原発1,2号機(各82.6万kW)である。
 これを見れば、廃炉か延長容認かを決定しているのは、明らかにその原発の発電量である。運転延長には数千億円規模の安全対策費用がかかるとされていて、70万kW以下では採算が取れず、80万kW以上では採算が取れるという判断である。ここには、40年経った老朽原発は危険だから廃炉にしようという安全性の観点を規制委員会はとっくに捨てているのである。安全性ではなく経済性がクライテリオンになっているのだ。
 おそらくこうした判断に関わった役人(規制委員会委員も実質的には上に逆らえない役人にすぎない)は、「社会的、経済的に合理的な判断」だとか「合理的に達成しうる目標」などという屁理屈で自己弁明しているに違いない。ここで言う「合理的」というのは「霞が関文学」ではきわめて恣意的、主観的な意味合いしかもたない。
 こうしたことから思い出されるのは、放射線被ばくの線量限度を定めるときに適用される「ALARA原則」である。国際放射線防護委員会(International Commission on Radiological Protection, ICRP)は「すべての被ばくは、経済的および社会的な要因を考慮に入れながら、合理的に達成できる限り低く保たれなければならない」と勧告している。この最後の部分「As Low As Reasonably Achievable」の頭文字をとって「ALARA原則」と呼ばれている。
 ICRPは、「ALARA原則」を前提にして東電1F事故による汚染地域における被ばく限度を1~20mSv/年とするよう勧告したが、日本政府はよりによって最大値の20mSv/年を採用したのである。1mSv/年とするのは「経済的および社会的要因」を考えると不合理で、合理的に達成できる数値ではないと考えたということだ。
 20mSv/年ではなく1mSv/年とすることで生じる問題は避難区域が広がって避難者が増大することだけである。つまり、避難者への経済的保証が増えるだけである。経済的にさほど裕福ではないベラルーシなどでは実現させているので、経済大国と自慢する日本では楽に実現できることである。しかも、1mSv/年とすることで将来間違いなく拡大する被爆者の晩発性障害にかかる医療費を大幅に抑える効果もある。どちらが経済的かはわからないのである。しかし、政治家と官僚は福島の被爆被害者に支払う目先の金が惜しいのである。
 彼らが考える経済的、社会的「合理性」というのはその程度のものにすぎない。議論を戦わせる価値もない。ただ一言「いやだね」と断言して反対することが唯一の正しい国民的態度だとしか思えないのである。

 

街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫