放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

時計台と運河紀行6

2022年11月27日 00時23分19秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 2022年8月21日・日曜日
 お宿を出て札幌駅へ向かう。
 目指すのはホントの目的地・小樽。
 函館本線に乗って西へ向かう。
 市街地をぬけてしばらく走ると、やがて右手に石狩湾の景色が見えてきた。太平洋側のギラギラな海とは違って、少し黒くて険しい色をしている。そもそも広い砂浜などはなく、線路のそばまでゴツゴツの岩場が迫っている。海面から顔を出している岩もあるので岩礁だらけなんじゃないだろうか。かと思うと小さなコテージが数件建っている小さな海水浴場が車窓越しに通り過ぎていった。なんか小ぢんまりしていていいな。
 少し陽が出てきた。すると暗かった海の色がみるみる青く輝き、夏の海らしい明るい表情を取り戻す。見れば遥か遠くまで湾曲しつつ続く海岸線の向こうに小さな突端が見えてきた。岬だろうか。それなりに大きな山塊のようだ。
 列車はその山塊の根本めがけて進んでゆく。小樽築港、南小樽と駅を通り過ぎる。不思議なことに南小樽で乗客の乗り降りがたくさんあった。ここは何かあるの?

 やがて小樽駅到着。
 なんか、雰囲気ある。プラットホームの屋根が「昭和」って感じ。H鋼鉄の腕木にぼってりと厚い塗装がされており、港町の厳しい寒さを想像させる。
 改札を抜けてロビー広場に進むと、中央に小さな木枠のドームがある。そこにガラス風鈴がいっぱいぶら下がっている。見上げれば高窓の格子枠にはいっぱいのランプ。ランプには横一列ごとに同じ色ガラスの笠を揃えてあり、まぁるいガラス火屋一つ一つに陽の光が照り映えて柔らかく屈折している。ステンドグラスみたい。それがレトロなランプで出来ているってのがいかにも昭和っぽくていい。
 キレイだ・・・。これはテンション上がるなぁ。



 実は小樽に捜しに来たのは「小樽ガラス」。

 大切な喪くしモノを求めてここまで来た。
 でも同じものが果たしてあるかと言うと、望みはかなり薄い。販売していたお店は判っているが、同じ製品を扱っている可能性はむしろ皆無と言って良い。そもそも手作りのガラス製品なのだから、基本一点モノばかり。似たような雰囲気の製品を見つけて買えたとしても、却ってオリジナルとのギャップに苦しむことになるかもしれない。
 
 さて、小樽駅を出て、明るく晴れた街にあるき出す。
 小樽は駅から港まで下り坂である。急坂ではないが、そこそこの傾斜、しかも長い。ロサンゼルスみたい(行ったことないけど)。これは行きはいいけど、帰りは上り坂だからコロコロ引っ張って地獄だね。
 どーする?お宿までバスで行く?タクシー?いやいや歩こう!
 というわけでコロコロ引っ張って坂道を下りてゆくことになった。
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時計台と運河紀行5

2022年11月21日 00時51分49秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 明治11年(1878)に建てられた旧・札幌農学校演武場は明治14年(1880)に時計台を増築。バルーンフレーム工法も建物だったが、時計台の櫓は重厚な在来工法を採用した。その理由はいくつかあるのだろうが、想定したものより巨大で重たい時計機構を収納することになり、柱と梁と筋交いでがっちり組む工法が一番安心できたのかもしれない。時計機構は精密そのもの。これらは水平に設置しなければ正しく時を刻まない。実際、現在もこの時計は現役で時を告げている。時計の精密さもさることながら、歪みの生じていない櫓こそ、時計台の値打ちそのものと言って良い。
 こうして明治14年、演武場は今の時計台の姿となった。時計の始動にあたり、構内にある天文台で天体観測を行い正確な時刻を割り出してから針を動かしたという。
 時計機構は一般にガンギ車、アンクル、テンプによって調速が図られている。壁掛け時計から腕時計、懐中時計に大名時計に到るまで、すべてのアナログ時計はこの調速機能ナシには存在できない。16世紀に発明されたというこの絶妙な仕組みは工学というよりは芸術に近い。さすがに動力は分銅からゼンマイ、ボタン電池と変遷したが・・・。
 さて旧・演武場(現・札幌時計台)の時計も例外なくガンギ車、アンクル、テンプを核とした機構でできている。ただし動力は巨大な分銅を使っている。

 この分銅、ちょうど建物のエントランスの真上にある。落下してきたらエントランスはどうなっちゃうのだろう?って話は置いておいて、驚くべきは、この分銅が順当に下まで降りていくと、普通は動力が途絶えて時計が止まってしまうと思いきや、第二歯車が作動して時計が止まることがないという。つまり分銅を巻き上げるなどメンテナンス中も、時刻が狂うことがない。いつもの正しい時刻に時の鐘が鳴動する。斯くして、今日も札幌に時計台の鐘が時を告げている。あいにく僕らが聴いたのは録音されたものだったけど・・・。

 イヌとオオカミのギモン。なぜかここで答えがひらめいた。
 イヌ頭骨はオオカミ頭骨と違って眉間に出っ張りがある。イヌとオオカミの違いは人間との共生にあると思っていたが、頭骨にまで違いが表れている。
 なぜか。
 その答え → 人間と共存関係を構築する過程で表情筋を発達させていったから。
 たぶんコレに違いない。

 ネコもイヌも手法は違うけれど、共通しているのが「人間の敵には回らないよう」にしているということ。そのためにどちらも表情を豊富にすることで、コミュニケーションをとるということが非常に大事だったのではないか。このためネコは鳴き声を変化させ、イヌは目で訴える生物に変化した。つまり目の周囲に表情筋がたくさん必要になったのだ。どうだこの仮説・・・。もしかして既に誰かが提唱していたか。
 
 考え事している間に、売店にたどり着いた。最後にお土産を買って出口に向かうことになった。
 いやあ、見ごたえのある建物だった。正直、侮っていました。ゴメンナサイ時計台さん。今日も板張りの外壁が素敵ですね。

 ところで下見板張って、日本にもなかったっけ?
 昭和の木造住宅に、よく下見板を見かける。西洋の下見板と違い、こっちはあんまり装飾性を感じない。押さえ板で仕切るからまるで鎧の小札(こざね)を重ねたみたい。おそらく洋の東西を問わず板張りの壁というのはそれなりに環境に耐えられるものだったのだろう。
 素人が考えれば木製の外壁は雨水で腐る。でも木材にはある程度の脂分があり、これが木目への浸水を妨げる。現代でも少しオシャレな住宅で、白無垢の板を真っ直ぐ並べた外壁を見ることがある。ホンモノの板なのかと疑ったが、数年で黒ずんでゆくのでホンモノらしい。かと言って腐敗している様子もない。木材は、表面を雨水が流れるだけならば意外と傷まないようだ。
 下見板張り工法は、つまり板を濡らす雫を早く落とすために工夫された構造なのだ。それでも板が腐ればそこだけ抜いて新しい板を挟めばいい。メンテナンスもし易いようだ。
 
 今日は札幌で一泊。
 夕食は「義経」のジンギスカン。
 早めに行ったので店内は静か。やっとここで地元の大手ビールメーカーのビールを大ジョッキで頂きました。おいしー。
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時計台と運河紀行4

2022年11月08日 00時19分57秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 札幌の北海道大学植物園では、いくつか中に入れる建物があって、そこには確かに開拓時代・札幌農学校の面影が大切に残されている。ここで新渡戸稲造の消息に出会えた。新渡戸一族の足蹠は岩手県花巻市でもじっくり見てきた。いつか十和田市の新渡戸一族の功績にも触れてみたい。
 北方民俗資料室が休館していたのが残念。ぜひ見てみたかった。
 そのまま植物園を出て、大学の構内には行かないことにした。時間が足りないのがその理由。ゆっくりし過ぎた。でもゆっくりできて本当に良かった。

 札幌大通公園に向かう。この時期は「さっぽろ大通ビアガーデン」開催中で、ケータリングやテントがにぎやか。いい匂いもしている。まあ、大手ビールメーカーがありますからね。僕も大好きなビールの銘柄。★マークがかっこいいよね!
 ここではビールは飲まず(ガマン、ガマン)、旅行客らしく「さっぽろテレビ塔」を上り、次の札幌時計台へと向かう。
 十年以上も前だが、札幌時計台はタクシーからちらりと見えただけ。その時は夕暮れということもあって、ビルに囲まれた一角にひっそりと(まるでビルの付属物のように)見えた。だから正直なところ印象はかなり薄い。
 少し雨が降ってきた。そういえば今日の札幌、微妙な天気予報だったっけ。
 庇を伝うように移動して時計台に到着。
 「演武場」と書かれている。時計台とは現在の俗称であり、札幌農学校演武場が正しい。国指定の重要文化財。
 以前来たときに「ひっそり」していたのは改修期間だったからのようだ。
 この建物も外壁は下見板張。いいね。明治期の洋館らしい。
 中に入るのは初めて。つうか入れるのを知らなかった。改修中だったし。

 入館料を払って中へ。石の階段も古びた扉もいい感じ。全室には世界各地の時の鐘が聞けるボックスがあったり、北海道の歴史建造物を紹介するコーナーがあり、結構な情報量。その奥には展示が続き、これまた想定外にゆっくりしてしまう。演武場が札幌大火の危機に遭っていたことや、当時の敷地から移築されていたことなど初めて知った。
 特筆すべきは二階。すごく広い。こじんまりしているように見えた建物の中にこんな広い空間があったとは思いもしなかった。そこに長椅子が列をなしてずらりと並び、その正面には大きな壇が設えてある。ステージみたい。
 ここが広く見える秘密は、支柱にある。建物の規模が大きくなれば空間を支える支柱が一定数必要になる。でも支柱は視界を遮ってしまう。ではどうすれば支柱を減らすことができるのか。答えは「がっちり造る」。柱で支えるのではなくて面で支える。板を桁状に並べて面(パネル)を構成する。なるべく長い板。1階から2階まで貫くような板。これで面を構成すればそれは柱であり壁になる。これで四方を囲み屋根を乗せる。屋根も桁上の板で面にする。床は貫を入れてその上に床材を張る。こうすれば支柱を入れなくても広い空間が作れる。バルーンフレーム工法というらしい。って2階のキャプションに書いてあった。2✕4(ツーバイフォー)工法の祖型だそうな。

 驚くのは、これを作ったのが在来工法の大工さんたちだったこと。基本構想(間取りなど)は札幌農学校の2代目教頭・ホイーラー氏だけど、設計・監督は安達喜幸氏。つまり日本人が造った洋風建築だった。時計台は後に設置されたものだけど(こちらは柱を使った在来工法)、未だに歪み少なく、時計も健在。明治時代の日本人の学習力・技術力の高さを証明している。
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時計台と運河紀行3

2022年11月06日 01時30分12秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 明るいところに出ると、緑の照り返しが眩しい。
 見れば、外壁のメロン色が夏の日差しを柔らかく受け止めている。これがエナメル質の白い塗装ならば、陽の光もひときわ鋭く感じただろう。森の中にある博物館は、その存在自体が奇跡的なのは言うまでもないが、その美しさにおいても奇跡的だと思う。
 美しさの要素として、この洋館が木造であることも特筆すべきである。外壁は横板が重なって段々畑のようになっている(横板の下の部分がせり出すようにして、その下にさらに横板を滑り込ませるように嵌められている)いわゆる「下見板張」と言う工法。かと思うと横板をフラットに嵌めている部分もある。なんか目的が違うのかな?それとも装飾的な意味?

 素朴なギモン。
 どのくらいの厚みのある板なのかわからないが、よく北海道の厳しい風雪に耐えるものだ。なぜ石やモルタルではなく木材で建物を造ったのだろう?
 このギモンは、旅の後もしばらく頭の片隅にくすぶることになる。

 博物館の背後にも歴史的建造物が控えている。いずれも木造建築。ゆっくりと歩をすすめ、一棟ずつ見て回る。中に入れないのが残念。

 足元に見たことないような大きなマツボックリが落ちている。エゾマツだろうか。エゾマツったって3種類くらいあるようだが、申し訳ない、マツボックリでは標札がないから見分けがつかない。とにかく大きい。クリスマスの飾りみたい(ってか、そのまんま)。
 お、木の根本で何か動いた?
 建物群の後では緑が密集していて陽も差さない。奥からせせらぎの音がする。
 その陽が差すか差さないかの境界をするするっと動くものがいる。

 エゾリス?

 尻尾にやや硬そうな黒い毛が混じって見える。
 エゾリスだ。写真でしか見たことないけど内地のリスとは明らかに違う。
 次の瞬間、小さく芝草を揺らして森の奥へ消えていった。

 ホントにここは2百万人都市なのかい?大自然そのまんまだよ?
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時計台と運河紀行2

2022年10月31日 01時00分43秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 北海道大学植物園には重要文化財となっている建物が複数軒ある。複数棟と言ったほうがいいか。
 その筆頭が国内最古の博物館建築である本館。竣工は明治15年(1882)。
 当初から北海道開拓使の博物場(後に札幌農学校の博物館)として使われており、今も現役の博物館。
 木造建築ながら、アメリカ開拓時代の教会を彷彿とさせる立派な洋風建築。
 外壁は板張り。なぜかメロン色に塗られている(この言い方でいいのか?)。屋根は鉄板葺の亜鉛塗装。銀色に輝く屋根とメロン色の壁。これが夏の緑に映えてなかなかいい。まるで宮沢賢治のお話に出てきそうな博物館。
 中に足を踏み入れると、板張りの床に靴音がゴヅン・・と響く。
 ゴヅン・・ゴヅン・・。しばらく音を楽しむようにゆっくりと歩いてみた。
 洋風建築なのにどうしてこうも懐かしい気持ちになるのか、不思議で仕方がない。
 次男坊はもうとっくに陳列ケースの迷宮の奥。BELAちゃんも先に行っている。僕はやっと剥製ヒグマの前。
 ゴヅン・・ゴヅン・・

 剥製ってやつは微かに死臭が残っている。毛がある個体ならなおさら消しようがない。そして星霜を経た陳列ケースもまた独特の匂いがある。古いペンキ独特の、かすかに酸っぱい匂い。これらの匂いが混ざると不思議な雰囲気を場に醸す。子供の頃、どこかで嗅いだこの匂い。やはり博物館と名のつく施設で嗅いだように記憶している。いちばん古い記憶は上野の科学博物館(旧館)か。そういえば恐竜の博士になるのが子供の頃の夢だったっけ。
 博物学という見知らぬ知の世界への憧れが、この匂いにはあるように思う。木製の陳列ケースだけでも十分博物学へ誘う魔力があるが、そこに陳列されるモノによって魔力はいっそう増幅される。あいにく基礎学力が追いついていないから恐竜の博士にはなれなかったが、それでも知的好奇心を失ったわけではない。何歳になっても好奇心が掻き立てられる瞬間が、確かにあるのだ。ここならば、そういう瞬間を思い出すことが許されているような気がした。
 賢治の話に出てくる博物局十六等官・レオーノ=キュステなどは、こういうところに勤めていたにちがいない。そこまで考えて、なぜ自分が木造の洋風建築に懐かしさを感じるのか思い出した。
 ゴヅン・・ゴヅン・・
 この靴音も僕の記憶を蘇らせる助けになった。
 この音は、かつて父の職場で聞いた靴音だ。東京にあった蚕糸の研究機関。
 あそこは古い建物がいっぱいあった。いまも残っていれば富岡製糸工場並の文化財群だったのではないか。そこの廊下がやっぱり靴音の響くところだった。
 ゴヅン・・ゴヅン・・
 
 目の前にエゾオオカミの剥製と頭骨がある。頭骨もまた微かな死臭を帯びている。
 オオカミとイヌの違いは眉間の出っ張りにあるという。確かにエゾオオカミの頭骨には出っ張りがない。でもオオカミとイヌの区別はもっと社会的なものだったはず。それと眉間の出っ張りはどう連動するのだろう。ずっと前に抱いた疑問を思い出した。恐らくまだ解明されていないのではないか。謎が解ければよし。謎が解けなくても空想の翼は無限の荒野に答えを求めて旅をする。これが博物学の醍醐味ではないか。

 ゴヅン・・ゴヅン・・
 やっと一周。小ぶりな展示室ながらすごい充実ぶり。旅先にて更に旅をした気分。二階にも行きたいが、残念ながら立ち入ることが出来ない。その先にも旅が続いているはずだが・・・。
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時計台と運河紀行

2022年10月21日 23時52分31秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました


 2022年8月21日(日曜日)、僕たちは北海道の小樽運河沿いにあるバル(酒場)にいた。
 重厚な一枚板の大きなテーブルに重厚な木の椅子。革張りのクッションはツヤツヤとカブトムシ色-黒ずんだ赤茶色-が年季を感じさせる。
 ホールの柱や梁はエゾマツか。ずいぶん太い。そして高い。その中央に、大きなポットスチル(蒸留器)、いや蒸留器はウイスキーだからコレはきっと別の機器だろう。恐らくビールの貯酒タンクか。
 そう。小樽でバルとくれば小樽ビールの出番だ。
 外は夕闇の静寂に運河も染まり、ガス灯が柔らかい光を空に掲げている。
 つまりロケーションも時刻も完璧。さぞ気分も盛り上がり、数段ウマいビールが飲めるはず。

 すこし説明が足りなかったか。
 順を追って話そう。
 僕たちは札幌と小樽を2泊3日で移動する計画を立てた。
 というより、小樽で捜し物をする、というのが元々の目的であったが。
 小樽での捜し物は人との約束だった。責任を伴う約束である。
 ところが2022年の夏は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)第7波の流行ピークがやってくるぞと予測されていた頃。そして予測どおり第7波は現実のものとなった。
 さらに今、政治も経済も大混乱である。戦争も起きた。某政治家も殺された。
 どうにも落ち着かない状況で札幌・小樽行きの日を迎えた。いまさら中止はない。捜し物、いや捜し事は決行である。
 
 2022年8月20日(土曜日)出発。
 仙台から千歳空港は所要時間も短く便数も多い。正午を待たずにもう北の大地へ着いてしまった。
 まずは札幌。
 目的地は小樽なので、札幌に興味津々な次男坊(なんで?)のための途中下車である(というか一泊するけど)。ひたすら歩くことになるだろうな、とは思っていた。
 札幌で、まず行ってみようと相談していたのが北大。北海道大学。しかし前日になって植物園にヒグマの剥製があることが判明。同じ北海道大学であるが、こちらは札幌駅を挟んで反対側(南)。まぁ、やっぱし歩くことになるのね・・・。
 札幌は大都市。高架線下の通りはまるで東京の品川あたりでも歩いてるみたい(あ、夏だからか?)に人通りが多い。
 道順に従って碁盤の目のような街並みを進む。
 途中、「六花亭」の看板を発見し大騒ぎしたりしながら進むと、古めかしい塀がぐるっと囲んでいる敷地に行きあった。
 花崗岩の重厚な基壇と金属塀、その奥には深い深い緑が広がっている。
 ここが北海道大学植物園。都市のど真ん中だというのに信じられないくらい広大な緑地が確保されている。
 本州で広大な緑地といえば城址か大名のお屋敷くらいだろう。つまり庭園のようなもの。仙台には庭園すらないけど。
 
 入り口にまわり、入館料を払い中へ。その先は時空を超えたように北の大地の森林が広がっている。
 早速出迎えてくれるのは幹の太い巨きなエゾマツ。幹の太さがハンパない。

 北海道の樹木は一言で言えば巨大。荒々しくて枝まで太い。その太い枝が不自然なくらいに低く垂れ下がりその先がぐいっと上を向いている。何がそうさせるかは一目瞭然。冬の風や雪だ。この幹が太いのは、寒い冬に幹の芯まで凍って破裂してしまわないように、枝が垂れ下がるのは雪の重みのせい。
 寒冷地の生物は巨大化するという。氷河期のマンモスのように。きっと極寒の世界で生きてゆくためだ。
 きっと君も長い時間を耐えてきたんだろう? 巨きな幹を見上げながらいろいろな空想をした。

 左の森でひどくカラスが啼いている。少し警戒音に近い。こういうときには近寄らない方がいい。
 まだ営巣しているのか。少なくとも歓迎はされていないようだ。頭を突っつかれるくらいなら離れるのがいい。

 そうやって森と森の間を真っ直ぐ突っ切ってゆくとその奥に建物が見えてくる。
 まるでアメリカ開拓地にある教会のような建物。緑色に塗られた板壁。
 率直に美しいと思った。
 これが北海道大学植物園の中にある博物館本館(重要文化財)。
 建物の奥にヒグマの剥製が見えた。

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雨の角館

2022年09月24日 03時13分37秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 ビールを愉しんでから数十分後、もう角館駅にいました。
 雨はだんだん強くなっています。
 お目当ての和菓子屋さんまでいけるかなぁ。
 まずは比較的駅から近い「新潮社記念文学館」へ行きましょう。
 
 ちょっと入り口間違えちゃって仙北市総合情報センターの方から入りました。
 エントランスには自習用デスクがソーシャルディスタンス確保しながら設置されており、学生さんが自習していました。
 邪魔しないように足音も少し抑え気味にそっと通り過ぎます。お、あっちは図書館だね。
 脇の連絡通路を通って新潮社記念文学館へ。
 受付で入館の申込み。するとカウンターに復刻版「橡の木の話」(富木友治・作、勝平得之・画)がありました。
 この本は秋田の誇る美術品と言っても良いのではないかと思います。角館の昔話を題材としており、秋田魁新報に掲載されたものです。のちに味わい深い版画が挿絵として装丁されて版行されました。作者の富木は角館出身。版画家の勝平は秋田市出身です。
 角館の文学・美術については平福穂庵・百穂親子が欠かせない存在ですが、「橡の木の話」のように豊かな文学風土があることも角館の自慢としてよいのではないでしょうか。
 そして新潮社を生んだ創業者・佐藤義亮もまた角館の出身です。
 
 雨の日は、本に囲まれるのも悪くない。
 少しカビ臭くて、インク匂いの染みた紙を繰って知らない世界に潜り込むのがまた良い。
 そう、新潮文庫の古い本はそんな匂いがしていた。 
 創業者・佐藤は、出版社で本を刊行する度に必ずこの記念文学館に寄贈していたそうです。
 その中には、今となっては大変貴重な書籍も含まれているのです。
 多くの書籍が新潮文庫として世に出ていく中で、ここ新潮社記念文学館は同じものを蔵し続けているのです。まるで砂時計のように。またはタイムカプセルのように。
 
 タイムカプセルからそっと降りて、元の連絡通路を戻ります。
 折角だから図書館の方も見てみたい。あ、仙北市民じゃないと閲覧できないかな?
 いやいや、そんなことないみたいですよ。
 早速「銀河鉄道の父」を速読。実感としては賢治の死後も賢治の顕彰と高村光太郎への支援を惜しまなかった姿も描いてほしかった。
 BELAちゃんも何か調べ物。ちょっと司書さんにコピーをお願いしたりしていました。

 雨の日に、お互いに本の世界を愉しみました。さあ、そろそろ角館ともお別れです。
 弾丸ながら楽しい旅でした。
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ゴホン!と言えば、「田沢湖ビール」4

2022年09月18日 23時54分38秒 | 観劇日記
 七頭舞(ななずまい)の梵天が頭の中でヒラヒラしている気分で劇場の外に出ると、やっぱり雨でした。
 止むはずないか・・・むしろさっきより強い?
 二人で傘を差して温泉ゆぽぽへ移動。っても入浴じゃあないです。併設されているお食事処「ばっきゃ」へ。
 ばっきゃ、て何? フキノトウのことです。ワラビじゃあないです。
 東北地方の方言でフキノトウは「ばっけ」「ばっかい」などと言います。語源は不明(諸説あり)。アイヌ語説もあり、時空のロマンさえ感じます。
 角館-田沢湖周辺の地名にはアイヌ語源と思われるものが多いし。あ、あんまり関係ないか。

 食事処「ばっきゃ」には公演を観終えたお客さんと思われる組がいくつか見えました。我々もその一組。
 さっそくメニューを開きます。お目当てはもちろん田沢湖ビール!
 すると、龍のロゴが大きく描かれたビールに目が行きました。
 なに、ドラゴンハーブヴァイスとな?
 妙に清涼感のあるロゴで、ビールらしくない?
 とんでもないコラボをしましたね。と思わず思いました(なんじゃソレ)。

 現在わらび座ではミュージカル「ゴホン!といえば」を上演中です。
 これは秋田出身の蘭学医・藤井玄信が秋田藩の秘薬「龍角散」を世に広めてゆくお話だそうです。
 
 なるほど。つまり、ドラゴンハーブヴァイスとは? このミュージカル上演で実現した、あの喉飴とヴァイスビールのコラボ・・・?
 ・・・どんだけチャレンジャーよ。ここを。この2つを掛合わせるなんてスゴいな。
 いやそれよりも、今は飲むか飲まないかだ。どっち?オイどっちにするの?
 「飲む?ドラゴンハーブ。」
 BELAちゃんが訊く。はい・・・。飲みましょう。
 「私は別のにする。」
 えぇぇ・・・。
 
 注文したドラゴンハーブヴァイスは美しいビアジョッキで来ました。
 背が高くてスリム。普通のジョッキと違い、スリムは泡が消えにくいようです。
 こういう酒器、憧れるんですけどねぇ。でもウチ置くところないし。

 BELAちゃんは「桜こまち」。かわいいグラスで登場。口当たりの柔らかいビールです。

 さて、いただきましょうか。ドラゴンハーブヴァイス!
 まずは香り。
 そのまんまの香りです。よく口にするのど飴の香り。
 ビアグラスに口をつけます。味もそのまんま。
 ビールなのに喉飴。いや喉飴なのにビール。ってどっち?
 すこし混乱している。鼻にハーブの爽快感が抜けてゆく。
 マズイとは思わない。むしろこれはこれでアリです。少なくとも清涼飲料としては成立していると思います。
 思いっきり汗かいて、喉が渇いてヒリヒリするくらいの時に飲んだら楽しそう。
 逆を言えば、肉料理を食べながらは難しいのかな。個人的な感想ですが。

 BELAちゃんは「桜こまち」に続いて「ブナの森」を注文。
 こちらもエレガントな小グラスで登場。このビールもおいしいんですよ。
 ビールの歴史を語るまでもなく、ヴィルヘルム純粋令(1516)を引き出すだけでビールは説明できてしまうのですが、要するにビールは「麦芽・ホップ・水・麦芽」だけを原料とするものです。日本では、ここにお米が入ったり、または別なもので発酵させたりして一時期ビールはどんどん変態化していきました。
 ビールの原点回帰を目指す「クラフトビール」という産業が各地で成功するようになってきて、しみじみビールって美味しいなぁと思って飲むようになりました。やっと日本にもホンモノのビール文化が開花したのです。ありがとう!クラフトビール。
 
 お食事処「ばっきゃ」の極上メニューといえば「御狩場焼き」。
 鋤鍬を模した鉄板の上で肉がジュウジュウ言っているところに箸を突っ込みます。
 お次のビールはヴァイス。無濾過なので少し酸味があります。
 すべてを平らげるころにはお腹がはち切れそうになっていました。ビールだけで1リットル呑んだ・・・。
 そりゃ苦しいわけだ。
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ゴホン!といえば、「田沢湖ビール」3

2022年09月14日 01時18分07秒 | 観劇日記
 「わらび座 夏の特別公演」はこれまで上演してきた演目からのオムニバスという形で進行されます。劇団の総力が結集された、全力全開のパフォーマンスが次から次へと展開します。まずミュージカル「銀河鉄道の夜」のオーバチュアで始まると、劇場は一気に四次元幻想の世界へ旅立ちます(そういえば、さっきまで列車に乗ってたっけ)。
 旅は東北の各地を皮切りに全国の現在・過去へと時空を超えて繋がってゆきます。
 
 わらび座がすごいのは、劇団であり歌舞団であること。
 歌い、唄い、謡い。踊り、躍り、舞う。
 男踊り、女踊り、手踊り、
 死者の踊り、生者の舞踏、そして神の舞い。
 海の恵みがたっぷり詰まった重い網をひく手。
鋭く突き出した櫂。
 一糸乱れぬ樽太鼓。
 神降らすような波動で空へ伸びる声。
 一個の虎になりきる合せ技。
 全方位の表現力を観せるため、少しも手を抜いていない。その研鑽はとてつもなく深いのです。「藝能」とは、理に叶った美しさとあらゆるものを超えて顕れる驚きと明快さ。簡単に云うと、んー難しい。要するに「すごい」。
 唄は日高見へ、または琉球へ。
 
 究極の技ではないかと思ったのが「盆舞」。
 手のひらにお盆を載せて踊ります。盆を握っているのではありません。手のひらに、載せているだけ。
 次の瞬間、手のひらをくるっと下へ、そのままくるくるっと一回り。
 今度は手を上からぶぅんと下までお盆を載せたまま振ります。何度も何度も。

 ど、どうなってんの?
 普通こんなことすれば、お盆を落としたりどっかに吹っ飛んでいっちゃうような気がするのですが、どういうわけかお盆は手のひらにぴたりと貼りついて離れない。
 今度はお盆を持ったままでんぐり返り。あり得ない!あり得ない、コレはあり得ない!
 もう一度でんぐり返り。両手にお盆を載せたキレイに廻ること・・・。
 つぎの瞬間、ポロッとお盆が手のひらから落ちました。素早く拾い何事もなかったようにお盆を振り回す。
 実はここのところすごく大事。
 もしもここをノーミスで演ったなら、綺麗すぎて、恐らくどれだけ難しいことをやっているのか判らなかったでしょう。
 演者には悪いのですが、このアクシデントには盆芸のリアリティを裏付けた大きな意味があります。
 お盆が手のひらからこぼれたからこそ、これがトリックでもズルでもなく、シンプルに難しい技の披露であることを理解できたのです(あれだけお盆を載せて舞ったのに、お盆が離れたのがあの一瞬だけだったことにも驚きです)。やっぱりすごい。
 
 ずうっと圧倒されたままいつの間にかフィナーレへ。
 身体はすっかり熱くなり、お尻までむずむずです。あまり感情を表に出す習慣のない自分にとって、誰かが爆発的な表現をするのにシンクロして、内面でカタルシスが起きる場合があります。劇場ではそれが罪ではない気がして、こっそり発散しています。

 今日は良かった! すごく楽しかった。
 まだ身体が熱い。劇場はもうすっかり幕が降りているのに、膝がしびれているような気がして、さっと立ち上がれません。
 ありがとう。来てよかった。

 おっと、まだタイトルの謎解きしていないですね。
 それはこの後で。
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ゴホン!といえば「田沢湖ビール」2

2022年09月11日 18時16分09秒 | 観劇日記
 劇場に足を運ぶ人には、いろいろなタイプがあるでしょう。
 劇場の雰囲気が好きな人。
 上演する演目に興味がある人。
 出演者に興味がある人。
 誰かに誘われた。
 もの好き。
 逆を言えば、これらのどれにも該当しない人は劇場に足を運ぶことはないかもしれません。けど、声を大にして言いたい。一度行ってご覧なさい。

 「献身」、という言葉が適切かどうかわかりませんが、この場を創り出すためだけに、どれほどの準備、鍛錬があったことか。それを劇場で惜しげもなく放出する。この行為は少なくとも「献身」という行為にとても良く似ています。そこから感じられるのは、パワー、躍動、またはあらゆる感情。不思議なことにそれらは、舞台からではなく、観ている我々の心の底から沸き上がってきます。まるで操られているよう。歳を取れば取るほど、現実でいろいろな物を見れば見るほど、容易く、いろいろなスイッチが勝手に入ってしまう。これが演劇であれば、あらゆる感情が勝手に出てくる。感情を抑え込む方法もあるのでしょうが、わざわざ劇場に来てそんなことするのはお金の無駄っていうものです。演者の献身を受け止めてこそ、劇場という空間は成り立つのです。

 前置きが長くなりました。勿体ぶった言い方でごめんなさい。
 では、「わらび座 夏の特別公演2022」について、ゆっくり語りたいと思います。
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