放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

コロナに罹った

2024年01月10日 10時05分39秒 | 肝苦りぃさ
具合が悪くなり診療所へ行くと、医者から新型コロナ陽性であると告げられた。

この感染症は4年前と比べると弱毒化が進み第5類感染症相当に移行している。けど防疫はしなければならない。僕は寝室隔離が決まった。

隔離を恨む話しをするつもりはない。
家族の適切かつ迅速な感染対策に驚き、感謝し、並以上の負担に申し訳なく思っていている。
常時換気、ペーパータオル設置、アルコールスプレー配置。
僕は寝室とトイレの往来だけ。あとは上げ膳据え膳、着替えの用意、シーツ、カバーの交換。病院並の対応である。
家族の予定もみんなキャンセル。
ここまでしてもらって家族に感染させるわけにはいかない。
腹括って療養生活に入った。

ノドの痛みは1日目で引いた。けど眉間のムカムカと頭痛がひどい。あとしつこい微熱。
眉間のムカムカと頭痛と微熱のせいで眼球から後頭部へクギ2本刺さっているみたいな不快感。
3日目に寝ていられなくなり、布団に座り込んだ。

寝室にはラジオはあるけどテレビはない。
あっても眉間のムカムカで見ていられない。
字も読む気になれない。
触るもの全てに菌を残留させてしまうから触ろうとも思わない。
なにもすることが無いまま座っているだけ。
なんとなく能登地震(2024/1/1発災)の被災地のことを思った。

あちらが大変な状況なのは言うまでもない。
きっと多くの方が寒くてテレビもないところで安否の判らない人を想いながらじっと座っているのだろう。
それはこんな風なのだろうか。
(あちらの感染状況が心配です)
目を閉じると耳ばかり澄んで、やたら外の音が気になる。
考え事ばかりしてしまうのは、時間が有り余っているから。
でも考え事にはやがて妄想がまじり、答えの出ないメビウスループができるだけ。
余計に疲れて落ちこむ。
思考が明るく正常化するには誰かに声を掛けてもらえる必要がある。

ウクライナでもガザでも今この瞬間に呆然と座り込んで、今いない人のことを想う人がいるのだろう。
まるで何かに閉じ込められたように、そこから抜け出せない。
時間の経過を待つしか無い。

かつて新型コロナに罹った家族が地域に住めなくなり引っ越しを余儀なくされた事案があった。
責められて自死した人もいた。
治療に当たった医師の子が保育所から拒まれる話も聞いた。
今のコロナ株とは毒性が違うのかもしれないが、あの時傷ついた人たちに、今の僕はなんて言ったらいいのだろう。
無知とは恥ずかしいこと。
今すでに危機や恐怖と併存していることを知らない愚かさ・・・
災害や戦災、感染症。
それだけではない。
もしも今、家族が急変し、認知症や感情障害になったとしたらどうなるか。
家族が突然暴れ、または目を離すと何をするかわからないようになったら。
その日から危機や恐怖と同居していることになる。
実際それに耐えながら暮らしている人は少なくはない。
そんな人たちには、近所にコロナ患者がいることなぞ恐怖のうちには入らないだろう。

現世(うつしよ)は苦界にて浄土にあらず。
それは壊れやすく、長持ちしない生命だから。
それこそが唯一の平等性だと気がついているくせに目を背ける指導者たちはなんて罪深いんだろう。

日常生活から離れ、想いは遠くを彷徨う。
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石田組2023-The First Inpact

2023年12月02日 23時31分43秒 | 観劇日記
2023年12月1日、東北電力ホールにて19:00開演。
それは、おもむろに始まった。
シベリウス「アンダンテ・フェスティーヴォ」。
その瞬間に僕は天上高く舞い上げられたような錯覚に包まれた。

空はいちめんエメラルドグリーン、藍色、孔雀石色、あらゆる種類の青と緑がきらきらと鋸歯形、あるいはあらゆる抽象的なモザイクに編み上げられてゆく。たえず色彩は透明でうつろい、模様はゆらめく。天地というものはなく、ただひたすらに輝く空だけがうごめいている。

なんだこれは。
目を開けると、木目調の茶色いステージに黒い服を来た奏者が10人立っている。
(正確にはコントラバスとチェロ✕2の合計3人は座っていた・・・)
目を閉じると再びターコイズ色の光のモザイクが頭上を覆ってくる。

それが弦楽器の奏でる音から来る幻覚のようなものだと気がつくのにしばらく時間がかかった。
仕事帰りで直行したので確かに綿のように疲れてはいたが、こんな不思議な体験をするとは思わなかった。

その繊細で緻密な音は奇跡に近い。
これが形も大きさも制作時代も異なる弦楽器が一斉に奏でていることを思えば、奇跡の度合いはますます大きい。

クラシックのコンサートはほぼ初めて。聴き方もエチケットも知らない。
とにかく咳払いなどしないで、じいっと聴こうと思っただけ。
最初の一曲目からその鮮烈な世界観に一瞬で連れて行かれた。

石田組長・石田泰尚さんのことはNHKのコンマス特集の番組で知った。
その硬派(?)な風貌と繊細な音色のギャップに驚かされた。
で、BELAちゃんが石田組コンサート情報のリサーチを始め、仙台公演を察知。チケット確保に至る。毎度ながらBELAちゃんの「引き」の強さは驚異的。ありがとう。

前置き無しでおもむろに始まった演奏。
前半MC一切なしでプログラムがどんどん進んてゆく。
合間のチューニング(調律)も手早い。
勿体ぶっているところが一秒もない。
「とにかく聴け。そして感じろ」という風で小気味よい。
ステージは一切の飾りつけがない。照明も動かない。
楽器用のマイクもない。
ただ、名器と超一流の技術で紡ぐ音だけがホールを満たしてゆく。

この上ないほど贅沢なひと時でした。
弦楽器って、こんなに自由なの?こんなに表現できるの?

アンコールで「津軽海峡・冬景色」を、まさかのナマ声でご披露いただいたのは驚きました。
組長さん最高。会場も大喝采。

世の中にはまだまだいい音楽がいっぱいありますね。
であえてよかった。
来年の福島公演も行きたい!
パイプオルガンのあるホール「夢の音楽堂」へ!
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追悼のRyuich Sakamoto

2023年04月16日 01時08分36秒 | Weblog
「The End OF Asia」のLIVE版が聴きたくなった。
ぼくはこれが坂本龍一の最高傑作ではないかと思う。
ただし、これが故人の最終形態かと問われればもちろん違う。
ただ、シンセ・ソロの無限かつ壮大な世界観を聴けば、やはり最高傑作と思ってしまう。
ちなみに一番好きな曲は「The End OF Asia」ではない。大好きだけど。

やっぱり一番好きなのは「千のナイフ」。
「千のナイフ」または「Thousand Knives」。
本人のソロ曲だったり、ダンスリーとの合作もあるが、YMOアルバム「BGM」に収録されている版が重厚かつ一番カッコイイと思う。
その後の「Mr.ロレンス(「戦メリ」のこと)」を始めとする映画音楽で世界を席巻する前にこれだけの熱量で制作しているということを、どこかで特集してほしい。

思えばYMOには制約があった。
テクノポップには連続性、メリハリより平坦、さらには非ドラマチックであることが求められる。
「機械的」という定義から外れると「テクノ」と言う言葉がウソになるからだ。

坂本龍一という巨人にYMOは窮屈だった。
「The End OF Asia」のLIVE版はいくつか発表されているが、どれもテクノ(機械的)の枠から逸脱している。
それを一言で言ってしまえば「旅情的」「旅愁的」。
伊武雅刀のモノローグ「ああ、NIPPONは、い~い国だなぁ」が背後について回る。
テクノとは矛盾する楽曲だった。
それでもYMOの傑作には堂々と枚挙されるだろうし、だれも異論はないはずだ。
そこにYMOの裏テーマが垣間見えるからだ。

YMOは、あれだけ機械にこだわる音楽ユニットだったけど、実は高橋幸宏のドラム、細野晴臣のベース、坂本龍一のキーボードプレイがしっかり聴ける純粋なバンドサウンドであった。高い技術を携えた(=機械的なことを人の手で正確にやってのける)職人バンドだったのだ。
彼らが人間らしい感情を表出してしまえば他のバンドとやっていることが同じになってしまう。だからYMOは制約を設けた。
テクノポップの定義(=機械的)を軸とし、常に実験的であるように。それが表のテーマ。
裏のテーマは、「あくまでも人の手で」である。

そもそも坂本龍一のソロ楽曲だった「The End OF Asia」は、むしろこの表のテーマに収まっていた様に思う。
4ビット時代のコンピューターゲームサウンドのような表情のない音色。後半の渡辺香津美ギターが吠えるまでは単調に徹している曲だった。
それをスネークマンショーでは馬子唄のようなリズムに改変し、YMOのLIVEでは、より一層旅情感たっぷりにした。
どういうロジックでテクノ・ポップの定義を逸脱する楽曲に仕上げたのだろうか。
ゴリ推しだったのか、それとも実験的という枠だったのか、その伸び伸びとしたサウンドを聴くと、今でも奇跡を感じてしまう。テクノを逆手に取った奇跡。表も裏も超越した音楽観。

後年語られる坂本サウンドの+11や+13は確かに発明と言ってよい出来事だけど、メロディーラインの秀逸さがそもそも故人の才能であることも強調しておきたい。

YMOのさまざまなものを削ぎ落としたと言って良い名曲がもう一つある。
「Epilogue」。アルバム「(いわゆる)テクノデリック」に収録された逸曲。

この曲こそメロディーラインの美しさの究極といってよい。こんなキレイな曲は聴いたことがない、と思ってしまうほど異次元な美しさである。機械的であるのに感情的。ここでやっとYMOの表と裏のテーマが融合したような気がした。

早世した高橋幸宏さんに誘われるようにして逝ってしまった坂本龍一さん。
この曲を紹介することを以て、故人への追悼としたい。お二人のご冥福をお祈りします。
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The Life Eater 2023

2023年04月01日 18時22分30秒 | 東日本大震災
2023年3月、石巻へ行った。
今年の3月は、明るくて温かい。
それでも海の耀きは、あの日のことを思い出させる。
そう
この季節は海の色が最も碧く、とても澄み渡っている。
なぜあんなに狂ったような禍をもたらしたのか戸惑ってしまうほど美しく碧い海。
そのあと、天地には涙のような霙(みぞれ)がざんざんと降った。

しばらく石巻へは行けなかったが、道路が改善してからやっと日和山の下の道を通った。
そうそう、更地になって砂埃だらけの土地に「がんばろう石巻」と書かれた看板があったっけ。
あの看板は今、どうなっているのだろうか。
 
日和山の懐には痛々しい壁をさらす門脇小学校の旧校舎がある。当時の校舎を左右ともに短くしてしまったが、まるで児童を護る城壁のように構えたその姿は変わらない。
津波火災、という最も怖ろしい災害をこの城壁は黒焦げになりながら受け止めた。
水平避難でも垂直避難でもなく、シンプルに山に逃げる、という行動が助け合いを生み、多くの人が難を逃れた。
これまで宮城県内の多くの震災学校遺構を見てきた。
それぞれに災害への教訓を持っており、答えが一つではないことを教えてくれる。

亘理の中浜小学校は究極の垂直避難で命を繋いだ。
仙台の荒浜小学校も垂直避難。ほかの選択肢はなかった。
石巻の大川小学校は、迷いと水平避難が被害を大きくした。

そして門脇小学校の場合、垂直避難も水平避難も正解ではなかった。
児童と引率する教諭はいち早く校庭から裏山への道を辿って日和山へと逃れていた。
一方、避難してきた住民と一部教諭は校舎と屋内運動場に残っていた。
そこへ津波が迫る。

この時の怖ろしい映像が残っている。
映像は校舎の屋上から撮られたものだ。
車から漏れたガソリンや埠頭にある燃料などが海面に集まり、そこへ漏電火災などの火花が引火する。
すなわち、海が燃えながら陸に押し寄せてくるのだ。漂流物が炎上しながら押し寄せる場合もあるという。
門脇小学校校舎の屋上に避難していた市民は燃えながら校舎にぶつかる波頭を目撃した。
 押し寄せる衝撃と轟音、アブラの匂い、熱風。
   どんなにか怖かったことだろう。
少し波が引いたとき、みんなは決断した。山へと伝い逃げる方法を模索しよう。
時間は限られている。校舎の裏山はそそり立つ擁壁があって、直接渡れない。
誰かが教壇を担ぎ出して2階から擁壁へと渡した。
教壇は重い。市民は高齢者や女性が多かった。文字通り火事場の怪力である。
こうしてみんなは裏山へ逃れた。

今、校舎に残る机や椅子は天板や座面がすべて焼け落ちている。
黒板も焼けてひしゃげた鉄板だけが残っている。戦場のようだ。
生生しい震災の資料。
当時のラジオから避難を呼びかける音声データ(よく残っていたね)。
地震の膨大なデータ。
そして今なお残る裏山の擁壁。
防災や減災が身近な課題であることを教えてくれる。

もしも亘理の中浜小学校のケースで津波火災に襲われた場合、屋上倉庫に避難した児童はどうなっていたことだろう。
避難の仕方に答えはない。いつも結果だけが存在する。

体育館に向うと、そこに「がんばろう石巻」の看板があった。おう、ここにいたか。
その左をぐるっと廻るとなんと災害公営住宅が残っていた。この展開は重い。
東北仕様の二重扉。当時の家電製品。
壁に空いた穴。
阪神淡路の震災より進化しているという応急住宅だが、やはり悲しい記憶でいっぱいになってしまった。

震災直後、この辺はびょうびょうと吹く浜風と灰色または茶色い世界だった。
やがて歳月が経ち、避難の丘やメモリアル施設ができて、様子がすっかり変わった。
きっとそのほうが良いんだろう。
いつまでも灰色と茶色の世界ではやりきれない。
でも、失ったものを忘れないようにしてあげないと、誰かが覚えていてあげないと、この浜辺に刻まれた悲しみは封印されて行き場がなくなってしまうような気がする。
少しづつ蒸発・・・いや、昇華するように癒やされてゆくことが、人にも土地にも必要なんだと思う。
メモリアル施設や震災遺構は、誰かの記憶を喚起したり、伝承したりすることで、その地の悲しみを昇華させることも役割の一つではないかと思った。
もちろん防災教育も大事な役割ですけど。
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時計台と運河紀行12

2023年02月23日 01時54分51秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 僕たちは、正午少し前に千歳空港にいた。
 今更ながら千歳空港は広い。国内の主要空港から全てのアクセスがここに集中するのだから無理もない。チェックインシステムも大々的で効率性が良い。それでも混雑していて、いっぱい並んだけど・・・。
 これに比べると仙台空港はいかにも小さい。ハブ空港と地方空港の差を感じてしまう。 

 さて、札幌ではついにラーメンを食べてこなかった。せめて空港で食べて帰ろうという話になって、飲食街(空港内)に寄ってラーメンにありついた。
 とは言え、最近のラーメンはいろいろ凝りすぎている。もっとシンプルに味噌ラーメンを楽しめるといいのだけれど、そういったお店はむしろ他の都市にあって、現在の札幌ラーメンというものは、かなり味が濃いように思う。他の地域のラーメンと競争するうちに味の強調が進んだのだろう。札幌ラーメンは赤味噌味でコーンがたっぷり乗っていて、バターが少し溶けているようなのがいい。

スターウォーズのラッピング飛行機。BB8かな?

 こうして札幌・小樽の旅は終わった。
 明るいうちに仙台へ到着。飛行機は高くて怖くて嫌だけど、確かに便利ではあるんだな。
 
 後日談だが、北海道からボタンエビとホタテのクール便が届いた。
 実は小樽で、あのあと再び色内駅跡にもどり、水産物を卸しているおじさんの所へ寄ったのだ。
 まあ・・・背負えないネギを背負ったというか、おじさんのノせ方が上手いというか、おいしそうなボタンエビにそそられたという訳だ。
 結局18,000もの買い物をして、後悔が半分、期待感が半分の悶々とした数日間を過ごすことになった。

 で、届いたクール便を開けてみると、これが思いの外ぎっしりで驚いた。
 もっと驚いたのは水産物の凍らせ方。
 特殊な急速冷凍技術で処理してあるとは聞いていたが、解凍がめちゃくちゃ早い。
 ボタンエビは殻(卵ぎっしり抱えていた)を剥き始めたらすぐ融けた。
 ホタテはまな板に載せて包丁を入れ始めたらもう融けていた。ものの数分も経っていない。
 
 急ぎテーブルに運び、醤油をちょっと付けて口の中へ。
 あまぁい。
 すごい新鮮。しかも美味しい。間違いなく高ぁい寿司屋さんで出てくるネタ。  
 最後に高い買い物したけれど、値段以上の買い物だったと思う。おじさんに感謝だね。
 ボタンエビとホタテは1回では食べきれないので、2回に分けて楽しんだ。
 小樽良いとこ一度はおいで。次男坊もすっかり気に入ったようだ。
 遠くて近い北海道。
 今回はアイヌ文化に触れる機会がなかったが、そちらにも関心を持っていきたい。

(おしまい)
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時計台と運河紀行11

2023年02月18日 02時17分23秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 2022年8月22日、月曜日。朝。最終日。
 昨今のビジネスホテルってホントおシャレ。
 ロビーの設えも何もかも雰囲気がいい。どこかヨーロッパの古都を訪れているような気分にさせてくれる。
 部屋の窓から運河を見下ろすと、石の建造物ばかり。こちらも日本とは思えないくらいヨーロピアン。
 平日の、やや静かな朝。と言いたいがそうでもない。
 観光地ってのは人が休暇を取って来るもの。
 当然のことながら小樽は朝から観光客でいっぱい。朝の10時前だってのに、運河沿いを歩く人が途切れない。
 チェックアウトを済ませ、荷物だけクロークにあずけて、ぶらりと歩いてみた。
 
 「やあ、あんたたちも観光かい?」
 ジョギング姿のおじさんが声を掛けてきた。
 「ええ、まあ」
 まあ観光客だろう。ミッションを抱えて小樽に来たが、運河クルーズや小樽ビールを堪能しちゃったことも否めない。
 「小樽は大したことないだろ?建物と運河だけだ。」
 おじさんミもフタもないことをおっしゃる。
 「今日泊まりかい?」
 「いえ、昨日泊まりました。」
 「そうかい」
 おじさんは少し拍子抜けしたような顔をした。旅館関係者かな。
 確かに運河から色内の通りまでの区間は旅館が多い。そもそも一般住民さんから進んで観光客に話しかけるはずがない。まあ旅行業界の関係者だろう。

 テキトーに会話しておじさんは去った。ごめんね、ネギ背負ったカモじゃなくて。まあカモなんだろうけど、連日ネギ背負えるほど甲斐性ないんだ。何いってんのかなオレは?

 色内の坂道をゆっくり登り、廃線の遊歩道(手宮線)に出た。
 レールや枕木がそっくりそのまんま。遠くから汽車が走ってきても不思議はないくらいのコンディション。ホントに廃線?
 ここまで原型を残すのってそれなりに手がかかることなのではないだろうか。レールに錆止めを塗ったり除草作業をしたり。
 雑草もオオバコがところどころ生えているが、ススキやセイタカアワダチソウのような背の高い草は見当たらない。とても手入れが行き届いている。


 色内駅跡に来た。
 駅舎がそのまま残っている。ちいさなかわいい無人駅。
 「あんたたち観光かい?」
 また地元のおじさんに声を掛けられた。
 ええ。ご覧の通り観光(カモ)です。ネギは背負ってないけど。
 「今日来たの?」
 「いえ、もう帰るところです。」
 「どこから来たの」
 「仙台です」
 「ああ、近いんだ」
 近いか? 700km以上あるぞ。
 「小樽の旨いものは食ったかい」
 「小樽ビール楽しめました」
 「ああ、うまいよね。小樽ビール最高だ。」
 こういう話合わせるのが上手な人も大抵観光客相手に商売をしているんだろう。
 「このあたりは海鮮丼もうまいけど、みんな観光地価格だからなぁ。」
 そうなんですか?
 「ウチは魚の卸やってんだ」
 そう来たか。
 「オホーツクの水産物を特別安く仕入れしている。びっくりするくらい安いよ。冷凍技術も特別だからすぐ食べられる。」
 しばらく水産物の流通の話が続いた。BELAちゃんもMクンも引いているのがわかる。
 「どうだい、これから店よってかないか」
 「いえ、まだ他に寄りたいところがあるので」
 「そうかい。ま、店は○○の裏だから。よかったら後で」
 意外とあっさり身を引いた。
 
 昨日も実は「いか太郎」というお店で海産物を若干買い込んでいる。だからもう背負うネギ無いんだってば。 
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時計台と運河紀行10

2023年01月29日 00時52分52秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 舟を下りて(いや桟橋へ揚がって)石段を登る。
 考えてみれば運河もかつての規模ではないし、タグボートに乗っていた時間もそれほど長くない。
 けれど夕暮れ時から完全日没へと移りゆくひとときは、特別な時間だったと思う。
 で、ここからは小樽ビールで頭がいっぱい。
 さあ行こう!「小樽ビール醸造所 小樽倉庫№1」。
 
 そこは、いわゆる「バル(酒場)」。
 ぶっといエゾマツの柱がぶっ違いに交差して高い天井を支えている。結構広い。
 ヴァイキングかウィルヘルム騎士の酒場、はたまたシュタインベルグの山賊砦か。手回しオルガンのようなフォルクローレが流れ、白いエプロン姿のウェイターがジョッキを両手に掲げ歩き回っている。
 ホールの真ん中には巨大なコアタンクが据えられている。中身は言わずもがな、小樽ビール。当然現役のビールタンクということになる。
 コレを見上げながらビール飲むのか・・・。もうビールのこと以外は何も考えるなってことだよね。
 
 案内された席は窓のそば。換気のため少し窓があいている。運河からの夜風がきもちいい。
 マツ材(オーク材?)と思われる大きなテーブルに3人でちょんと座り、あれこれ迷いながら食事とビールを注文。ザワークラウトとソーセージの盛り合わせは欠かせない。
 そうそう、椅子の背もたれの曲線が優雅!

 ビールきた。そうそう。こういう背の高いジョッキ。カッコいい! ほしいなぁ。でもデカくてウチに置けないー。
 これでビール飲むと味がちがうんだけどなぁ。
 
 んがーっおいしい!

 この頃、ヴァイス(ヴァイスピア)を飲む機会が多い。どちらかというとピルスナーに飲み親しんだ自分としては、ヴァイスはやや酸っぱいように感じる。
 でも美味しい。よくわからないが、小麦を飲んでいるという感じはある。それに、同じヴァイスでもメーカーによって味の違いがあるように感じる。それもまた楽しみ。
 よくヴァイスはフルーティと表現されることがある。これはよくわからない。すくなくともヴァイスの酸味とフルーティという表現は結びつかない。酸味は酸味である。それで充分美味しさの説明になると思うけど・・・。つまり製法も何もわからず飲んでいるということ。まあそのうち詳しくなるのかもしれないが、今はただ、背の高いジョッキで冷たいビールを美味しいうちにゴクゴクっと飲みたいだけ。そうそう、ビールは早く飲まないと美味しくなくなるってのはわかる。特にクラフトビールってのは泡アワの注ぎたてが一番。ビールってのは空気に触れると美味しくなくなってゆくという話はよく聞くけれど、某ドライビールなど、アワがあってもなくても味が変わらない銘柄もあって、ピンと来ていなかった。でもクラフトビールには注ぎたての香ばしさあって、これを賞味しないと飲んだ意味がないと思う。おそらく凝りまくった背の高いジョッキも、注ぎたての香ばしさを散らさないための合理的なデザインであろう。それ以前にカットデザインされた冷たいグラスにみかん色の液体がアワたてて注がれてゆくのを見るだけで気分がアガるけど。

 んんーっおいしいいい!

 どうしてこんなおいしいものが仙台で飲めないんだろう?
 オクトーバーフェスとかに来てくれないかな! 田沢湖ビールは来てくれたけど。

 都合ビール2杯半(BELAちゃんの分が回ってきた)飲んでお腹パンパンになった。
 いやー飲んだなぁ。

 バルを出て運河沿いを少し歩いた。
 夜風がきもちいい。でもちょっと小寒い。もう少し時間があればもっともっと回りたいところ、食べたいモノがあった。
 けれど明日は仙台に帰らなければならない。
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時計台と運河紀行9

2023年01月15日 02時11分55秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 小樽ガラスの呪縛(いやミッション)から開放された。
 予定外に遊ぶ時間ができた。そこで急展開だけど、いきなりロープウェイに乗って小樽天狗山へ行った。
 しばらくお山を散策。小樽港を見渡せるパノラマを楽しみ、ジップライン(ロープに滑車をつけてぶら下がり、空中散歩する)を体験。そして山を下って小樽運河に戻ってきた。
 時刻は午後5時ちょっと過ぎ。
 小樽運河ではタグボートによる水上クルーズが楽しめる。それほど広いエリアではないが、夕暮れ時を狙ってクルーズすると茜色に染まる小樽港を堪能できる。もちろん予約制。
 気温はおそらく23℃くらい。夕暮れとともに海風が冷たくなるだろうと予想して上着を着る。簡単な救命具を渡された。腰にくくりつけるだけの救命具。これだけ?ライフジャケットとか着ないの?
 説明では腰にくくりつけたのは確かに浮き具だそうで、正しく使えば安全は確保できるという。でもコレお尻だけ浮いて頭沈むんじゃ・・・。
 午後6時。タグボート出発。船頭さんは女性。構造は確かにタグボートだけど、船上は金色の金具で装飾されていてまるで欧州のゴンドラのようにキレイ。まずは橋の下を2つくぐる。運河なんだから橋の下、つまり橋のウラを覗くわけだが驚くなかれ。そこは海鳥のねぐらである。よく目を凝らすと鳩のような鳥たちが暗闇に肩を潜めてかたまっている。あたりは充分暗いので船頭さんに教えてもらわなければ全く気付かなかった。あっちも鳥目だから動けない。毎日タグボートがここを通過するんだから海鳥も落ち着かないだろうと思うが、それでもここから居なくならないでいるのは住環境として安全なのだろう。
 タグボートはそのまま水門へ向かう。ひときわモーター音が高くなる。
 ちょうど西の空の夕焼けが少しずつ暗闇へとうつろう時刻で、金色、茜色、藍色、かすかな空色、そして包み込むように濃い紺色が周囲から寄せてくる。
 光と闇の入れ替わりというのは、こんなにもドラマチックだったのだ。
 地球を多層的に包む大気が光を複雑に反射させることで生まれる魔法の瞬間。ただし天候や季節、そしてこの瞬間をのんびり見れる心持ちであるかが条件にはなるだろうけど・・・。
 磯の香りが少し強くなった。ボートは港から出て外洋を横切る。水面をすべるスピードと頬をかすめる海風が気持ちいい。

 海上から見える小樽の街にはすっかり灯がともり、港も運河も不夜城の賑わいを纏う。その運河へと吸い込まれるようにボートは戻ってゆく。
 小樽運河は陸を掘削してできたのではなく、海岸を埋め立てて造成されている。だから海岸線そのまんまの曲線をなぞる形をしている。運河は後に一部拡幅され、ニシン漁や物資運搬の比較的大きな船で賑わった。しかし小樽港の埠頭建設によりさらに大型船が接岸できるようになると、運河はその役割を終えた。やがてヘドロで悪臭漂う水場となり、埋め立ててしまおうという計画が持ち上がった。しかし埋め立て計画を一大転換して運河を歴史遺産として残そうという住民運動が盛り上がり、観光資源として活用することになった。その結果は推して知るとおり。日本で唯一無二の観光スポットの誕生である。住民の英断と言ってよいだろう。
 岸壁は盛土とはいえ堅牢な花崗岩の石組みが並び、その上にはこれまた歴史的建造物である大正時代以降の石組み倉庫が並ぶ。なかには「澁澤倉庫」と書かれているものもあり、かの渋沢栄一が関わった取引も盛んであったことが知れる。

 あたりはすっかり日が暮れて、ガス燈の光が墨汁のような水面にゆらぐ。タグボートは舳先に小さな波を立てながら水面を左右に切り裂いてゆく。岸壁の上にひしめく石組みの倉庫。夜空はすっかり冷え込んだ。もうジャケットなしでは舟に乗っていられない。北の夏は、斯くも儚い。
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時計台と運河紀行8

2022年12月13日 00時55分01秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 今年は猛暑だった。北海道でも猛暑日があって、相当タイヘンだったと思う。札幌では30度を超えていた。でも幸い小樽では涼しい風が吹いていた。でもやたら喉渇いたけど。
 運河沿いの道から一本奥の道に入る。ここには小樽ガラスのお店がずらりと並んでいる。「小樽堺町通り」という。どの建物もレトロ感たっぷり。まず目立つのが「旧三井銀行小樽支店」。国指定重要文化財。「北のウォール街」と呼ばれた小樽市色内(いろない)の面影を残す重厚な花崗岩でできた建造物。さらに似鳥美術館へと続く。重厚の一言。
 あっ、人力車。
 どこかで風鈴の音がする。硝子の風鈴。
 街路灯に風鈴を左右下げて、そよぐ浜風に揺れている。
 小樽の短い夏を彩る、すきとおった音色。

 観光地の王道ですな。
 これだけの風致的建物を保管してきた努力もすごいし、レトロな雰囲気を壊さないよう観光産業に組成させてきた知恵もすごい。堺町通りに限って言えば、やはり小樽ガラスの誘致。街を彩るすきとおった美術品。しかも手にとったり、買い求めたりできる。余談だがガラスはリサイクル率も高い。つまり無駄のない観光資源ってことになる。何と言ってもお店のネーミングが素敵。
 「大正硝子びーどろ館」
 「北一硝子第三号館」
 「オルゴール堂」
 「ベネチアングラス美術館」
 「ステンドグラス美術館」
 などなど、地図の上にレトロな味わいを感じさせる店名ずらりとならび、見ているだけでロマンチックな気分にさせてくれる。観光客のワクワク感を刺激するのがとても上手い。

 さあ、とにかくガラスを見なけりゃ何も始まらない。
 まず「大正硝子館 本店」の暖簾をくぐろう。
 ここは明治に建てられた商家を改装している。木造だけど外壁に花崗岩を使った和洋折衷の建築。冬のオホーツク海から吹き寄せる冷たい風に耐えるよう頑丈に造られている。
 中に入ろうとして、思い直して背負っていたカバンを前に抱え直した。こんなのが製品に接触したらクリスタルdeドミノだ。考えただけで心臓がガラスのように凍る。
 
 暖簾をくぐる。
 案の定、ガラス製品が所狭しと並んでいる。壊れ物が所狭しなんだから怖い事この上ない。けど、テーブルや棚に段をこさえ高低差を強調した展示は、奥行きが感じられて率直に美しい。
 特に窓際。
 窓から差す陽の光をグラスの曲面がまろやかに融ろかしていてまるで液体のよう。アワを内包した器などは光の粒がきらきら星のように燦めいている。
 窓の外は硝子風鈴の音。
 窓の内は融けた陽の光でいっぱい。日常とは別世界。来てよかった。

 ぐるりとお店をめぐり、そのまま別の出口から外に出た。明るい日差しが街を白く輝かせている。出たと言ってもこれで終わりではない。大正硝子さんの次のお店がずらりと並んでいる。びーどろ専用のお店、酒器専用のお店・・・などなど。ちいさな堀端には網が張られ、そこにもガラスの風鈴が吊るされていて涼やかな音を奏でている。お店に入りまた出て次のお店へと繰り返し、キラキラしたものをたくさん見た。お陰様で、どうにかミッションに適うような小物を見つけ、自分たちのためにもサンタさんの買い物をして、小樽ガラス捜査は終了した。

メリークリスマス
世界の平和を心から祈ります。
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時計台と運河紀行7

2022年11月28日 20時34分58秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 小樽駅から港に向かう大通り沿いには昔からの歴史的建造物がたくさんある。外見は石造りだが、内部は木骨という建物が多いようだ。
 小樽市の歴史的建造物に指定されていないが大切に残されている建物もいっぱいある。
 その多くは元・銀行、または倉庫だったと鑑札に書いてある。道理でしっかりとした造りなわけだ。小樽港は漁港であると同時にロシア・サハリン方面の貿易玄関口でもある。水産と経済の要衝なのだ。だから大通りに銀行がひしめく時代があって、その面影が今の小樽の街を彩っている。
 って、ちょっ、ちょっと待って。
 これ線路?
 
 手宮線って書いてある・・・。
 廃線が遊歩道として活用されている。けっこー遠くまで続いているなぁ。
 しかも線路を外さずにそのままにしている遊歩道って珍しいのでは?
 どこまで続いているか歩いてみたいけど、枕木と砂利の道をコロコロ引きずりながら進むのはさすがにキツい。まずはお宿までガマン。

 やがて大きな堀川に出た。
 ここが小樽運河だ。観光に来た人は大抵ここには来るんだろうなぁ。
 お宿はこの運河沿いにある。すごいロケーションだね。BELAちゃんすごい。

 クロークにコロコロを預けて、やっと身軽になった。さあ、捜し物をしようか。

 小樽ガラスといってもさまざま。器もあるしステンドグラスもある。小物もオブジェもいろいろ。作家さんもいればベネチアングラスもある。鎌倉からの流れ物もあるようだ。
 僕たちの捜し物は小物。小さなサンタクロースのコンダクター(指揮者)。
 
 あの日、知り合いから預かったサンタクロースのオーケストラ。
 小さな音とともに手のひらで砕けた。
 寒いところから温かい部屋へ移動した直後だった。
 温度変化が原因なのか。正直なにが起きたのか誰にも理解できていない。
 小さくて繊細で、儚いガラスの芸術。
 
 同じものはどこにもない。ネットにもない。どうにか買ったお店は特定できたが、すでにロットアウト(製造終了)しているという。

 持ち主さんが怒っていたならば、もっと暗い気分で小樽入りしていただろう。
 でもさっぱりと「いいよ」と言ってくれた。
 BELAちゃんが小樽行きを打ち明けると、むしろ喜んでくれて、「オミヤゲよろしく」とのこと。
 オミヤゲ以上の何かを見つけたい。
 小樽入りは悲壮感よりむしろ、気負いが大きい。逆の言い方をすれば、やることをやっておかないと小樽を楽しめない。
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