放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

「COZY」という肖像

2008年03月17日 01時42分45秒 | Weblog
 以前地域限定のあるサイトにお邪魔していたが、余所者には居づらいところだったので「暇乞いの礼」を尽くして退所した。ところが同サイトのメンバーさんが、僕の職場の関係者に「COZY」という名をバラしてしまった。
 「僕の職場の関係者」=正確には、施設利用者のご家族。

 翌日、その利用者さんがいきなり僕のところに来て、
 「事務員さん、あんたのハンドルネームって「COZY」っていうんだって?」
 とのたまった。
 びっくりしたが、気に留めないフリをして、「誰が言っていたの?」と聞いてみた。
 その利用者さんは、心の成熟が遅れがちで、個人の情報をあれこれとしつこく訊きたがる。さらに聞き出した話をしゃべって回るという、ちょっと厄介な特徴がある。偶然でも知り得た情報を胸の奥に仕舞っておくなどという気の利かせ方は、まず期待できないのだ。
 いつもの調子でしゃべり出した利用者さんの話では、
 「ウチにも来たことのある民生委員さんが、施設の事務員さんのことを「COZYさん」と呼んでいて、地域限定サイトのオフ会で出会ったっていっていたよ」とのこと。

 福祉施設の利用者と職員の微妙で緊張感ある関係がおわかりいただけるだろうか?
 利用者は自分に適したサービスを施設に求め、職員はサービスの提供に努める。
 だが、サービスの提供とは生活指導や職業指導である場合も少なくない(もちろん、すべて契約に基づいている)。
 この関係は、小学校の児童と担任の先生の距離感に似ている。

 いうなれば、ここでの問題点は、小学校の児童に、「キミの担任は、夜に別名でバイトしているんだよ」と近所の誰かがバラしたようなもの。

 教師のバイトなら背任行為だが、僕の場合、インターネットで金儲けしているわけでもなんでもない。ただエチケットを守りつつ、つれづれに日常を綴っているだけ。利用者は知らなくてよい情報なのだ。だからむしろ背任行為(背信行為)はバラした近所の誰かさんである。僕のハンドルネームを知る利用者が他の利用者に話すなどして、僕が地域限定サイトに書き込んでいたレスに辿り付く人が出てくるかもしれない。これからもそうだが、現実の「僕」を知る人が不特定で存在する中で、果して「COZY」の願うとおり外見とか年齢とかも超越して自由奔放に書き綴ることができようか。また現実世界において、利用者から「あんた、こんなこと書いていたんだ」と突きつけられるようでは、仕事がやり難くて仕様がないではないか。

 ご近所の誰かさんにはエチケットとしての「守秘義務」があったのではないか。それも民生委員ともなればなおさらである。さらにいうなれば、ご近所の誰かさんは聞くところによれば僕と同業者である。同業者だったらば、施設における利用者と職員の微妙な関係は理解できるはずである。あなたの罪は三重に重いのだ。

 その日のうちに、地域限定サイトに行き(行きたくなかったが)、その人をハンドルネーム名指しで抗議した(書きたくなかったが)。
 
 いちおう詫びのREは返ってきたが、それでも「そんなに悪かったかな?」程度の文章。
 はっきり言ってがっかりした。

 「プライバシー侵害」というだけでも問題だが、その他に上記の三重の罪がある。どうやったら解ってもらえるのだろうか・・・。いやいや解ってもらうのは無理なのかもしれない。
 施設内での善後策といえば、すらっとぼけることである。下手にリアクションを取れば、ますます利用者の関心を深めてしまう。そうなれば、いずれこの「放菴」もアブない。いつか利用者の関心が別の方へ行き、「COZY」の名を忘れる日を待つしかない。  

 あんたの「詫び」なんて、クソの役にもたたねーよ! 
 
コメント
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