放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

みちあむ春秋

2008年03月21日 01時31分29秒 | Weblog
仙台市では昨年、斉藤報恩会の資料館が閉館。また、こども宇宙館も(一時)閉館した。
こども宇宙館は錦が丘に新しく出来る天文台に統合されるのだろう。
いずれにしても、今現在、子供を連れて遊べるところが一つまた一つと減ったことになる。

とか言っていたら、今度は国土交通省の「みちあむ」が閉館となった。
道路特定財源の使い道について国会では騒がしいようだが、そのとばっちりがなぜかこんな小さな資料館にまで及んだようだ。

河北新報でも、「天下り」「無駄な経費」と手厳しい。

が、「みちあむ」はなぜそんなに憎まれなければならないのか、さっぱりわからない。

道路資料館「みちあむ」は、道路状況について豊富な資料を展示し、道路の維持管理にどれだけ多くの人が労を供し、また工夫がされているかを市民に知らせていた。一方で、郷土史家・高倉先生や故・菅原雪枝先生のご鞭撻により「歴史街道」の研究も盛んであった。
そして子供たちにも安心して遊べる憩いの場でもあった。

これは健全で文化的な社会資源ではなかったか?
少なくともその検証をメディアは正しく酌量したのだろうか?
政治家(ぶっちゃけ民主党のこと)に迎合した記事を書いて民意を汲んだつもりになってはいまいか?

先月、河北新報の「みちあむ」批判記事はかなり強引であった。
そして昨日、同紙面の「河北春秋」では、「みちあむ」閉館のことに触れ「情けないの一言」と言下した。どこが情けないのだ。

地元誌は、中央の論に流されず、むしろ、仙台市内で科学的・社会的資料館が相次いで閉館している事実を憂いてほしかった。これは文化的な後退であり、早い再開を待ち望んでいる市民は確かに存在しているのだ。

仙台市は大都市であるにもかかわらず、文化的施設に乏しい。
(ナンチャッテ施設も確かにあるし。)
子供が感動できる演劇もない。イベントも子供だましばかり。恐竜の首がうごいて吠えたところで科学的探究心が育つとはだれも信じていないでしょ。

市民の木鐸たるメディアがこれに気がつかないのならば、仙台に文化は育つはずがない。




コメント
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