さて、僕らは石神の丘を後にして南へと向かいます。
画家さんはギャラリーへ。お客さんはラッキーでしょう。画家さんにとっても貴重なひと時かも。
僕らは国道を盛岡へ向かいました。よいところでお昼を済ませたので、迷う要素がひとつ消えました。
ところが盛岡市街地が近づくにつれて渋滞は次第に激しくなってきたのです。
いっそのこと小岩井方面(西寄りに)ズレてから市街地へ進入すればいいのかな、と迷いましたが、結局同じではないかと思い、渋滞を我慢することにしました。迷う要素が減ったとはいえ、思うようにはいかないものです。
それでも岩手は緑の多いところです。右も左もちょっとした農場が続いていました。ポプラ並木越しに見る農場は、きっと100年くらい変らない景色のような気がします。おそらくここらは入植地で、開拓農家の汗と涙の記憶が土に染み込んでいるのでしょう。開拓地と戦争は意外と縁が深くて、ここいらも戊辰の敗者または日清、日露の後方支援として農夫が連れてこられたのではないでしょうか。岩手山の火山灰と北上水系の豊富な土地。しかし地は堅く、土壌改良も簡単ではなかったのでしょう。同じ岩手山のふもとの小岩井農場も入植してから土地改良に十年もの歳月を要しています。もしかしたら賢治はこのあたりでも肥料の設計をしたのでしょうか。
農場が途切れて、郊外型の販売店が連なるようになってくると、渋滞していた車も各々の方角へ散って行き、だんだん走りやすくなってきます。市街地で走りやすいということは、車の絶対量に見合う道路環境がここでは整備されているということです。仙台よりも都会なのかも。
盛岡駅前へ到着。立派な陸橋が駅の東西を連結していて、その足元には広大な駐車場が用意されています。
何だかまるでここが東北の中心地という気がしてきました。仙台にも、そして東京にも気兼ねしない、大都市の貌を見た気がしたのです。
駅の西口は、すっかり近未来都市です。経済の活発な交流が整然とした立体交差道に顕れています。東口は打って変わって歴史文化と食と娯楽がごちゃっとしている。いいんです。これでいいんです。きっと盛岡はなにも棄てなかった。近代化や戦争で壊されたものはあったかもしれないけど、それでも重層的に積み重なった歴史を棄てることはしなかった。少なくとも、ここには不来方文化圏と呼べるものがちゃんとあって、東京の文化に何もかも押し流されるような悲劇にはならなかったのではないでしょうか。自立した地方都市として、見習いたい魅力的な街です。
駅前(というか駅の下)駐車場に車を停めて、歩いて橋の上へ。そこから連絡道を通って駅の東口へ出てきました。
盛岡へ来て、食べたいものが三つありました。
一つは冷麺。盛岡冷麺というやつです。
もう一つはジャージャー面。
そして、わんこそば。
「わんこそば」はもう少し南の方じゃないかい? と言われそうですが、まあまあ県外者の勝手な都合といいますか、ガイドマップに乗っていたから単純に食いたくなったというか、まあ結局三品のどれにもありつけませんでしたけどね。
結局、盛岡で何をしたかと言えば、バスに乗って岩手大学へ行き、キャンパスをぶらぶらしてそのまま駅前まで帰ってきた、それだけでした。もっと五百羅漢とか光源社とか盛岡城とか、まわりたかったけど時間切れ。そのまま小岩井農場を目指すことにしました。
画家さんはギャラリーへ。お客さんはラッキーでしょう。画家さんにとっても貴重なひと時かも。
僕らは国道を盛岡へ向かいました。よいところでお昼を済ませたので、迷う要素がひとつ消えました。
ところが盛岡市街地が近づくにつれて渋滞は次第に激しくなってきたのです。
いっそのこと小岩井方面(西寄りに)ズレてから市街地へ進入すればいいのかな、と迷いましたが、結局同じではないかと思い、渋滞を我慢することにしました。迷う要素が減ったとはいえ、思うようにはいかないものです。
それでも岩手は緑の多いところです。右も左もちょっとした農場が続いていました。ポプラ並木越しに見る農場は、きっと100年くらい変らない景色のような気がします。おそらくここらは入植地で、開拓農家の汗と涙の記憶が土に染み込んでいるのでしょう。開拓地と戦争は意外と縁が深くて、ここいらも戊辰の敗者または日清、日露の後方支援として農夫が連れてこられたのではないでしょうか。岩手山の火山灰と北上水系の豊富な土地。しかし地は堅く、土壌改良も簡単ではなかったのでしょう。同じ岩手山のふもとの小岩井農場も入植してから土地改良に十年もの歳月を要しています。もしかしたら賢治はこのあたりでも肥料の設計をしたのでしょうか。
農場が途切れて、郊外型の販売店が連なるようになってくると、渋滞していた車も各々の方角へ散って行き、だんだん走りやすくなってきます。市街地で走りやすいということは、車の絶対量に見合う道路環境がここでは整備されているということです。仙台よりも都会なのかも。
盛岡駅前へ到着。立派な陸橋が駅の東西を連結していて、その足元には広大な駐車場が用意されています。
何だかまるでここが東北の中心地という気がしてきました。仙台にも、そして東京にも気兼ねしない、大都市の貌を見た気がしたのです。
駅の西口は、すっかり近未来都市です。経済の活発な交流が整然とした立体交差道に顕れています。東口は打って変わって歴史文化と食と娯楽がごちゃっとしている。いいんです。これでいいんです。きっと盛岡はなにも棄てなかった。近代化や戦争で壊されたものはあったかもしれないけど、それでも重層的に積み重なった歴史を棄てることはしなかった。少なくとも、ここには不来方文化圏と呼べるものがちゃんとあって、東京の文化に何もかも押し流されるような悲劇にはならなかったのではないでしょうか。自立した地方都市として、見習いたい魅力的な街です。
駅前(というか駅の下)駐車場に車を停めて、歩いて橋の上へ。そこから連絡道を通って駅の東口へ出てきました。
盛岡へ来て、食べたいものが三つありました。
一つは冷麺。盛岡冷麺というやつです。
もう一つはジャージャー面。
そして、わんこそば。
「わんこそば」はもう少し南の方じゃないかい? と言われそうですが、まあまあ県外者の勝手な都合といいますか、ガイドマップに乗っていたから単純に食いたくなったというか、まあ結局三品のどれにもありつけませんでしたけどね。
結局、盛岡で何をしたかと言えば、バスに乗って岩手大学へ行き、キャンパスをぶらぶらしてそのまま駅前まで帰ってきた、それだけでした。もっと五百羅漢とか光源社とか盛岡城とか、まわりたかったけど時間切れ。そのまま小岩井農場を目指すことにしました。