山口の空は、どんよりと重い。
靴もずっしりと重い。すっかり水を吸ってしまった。靴下が冷たい。
高村山荘を出て、いま歩いているのは小さな畑のそば。ここは当時からあったようだ。むこうに白亜の建物・高村光太郎記念館がある。
べちゃ、べちゃ、とまるで妖怪のような足音を立ててようやく建物にたどりついた。
高村光太郎や父・光雲のブロンズがならぶなか、やはり書籍や展示キャプションなど資料関連を読み込んでしまう。
「三畝ばかりの畑を使はしてもらつて、此処にいろいろの畑作をやつてゐる」と高村光太郎は随筆「開墾」で書いている。きっとさっき見た畑のことだろう。
彫刻を肉体労働と言い切るくらいだから、体力には自信があったのかもしれない。しかし慣れない農作業はその手のひらに無数の血豆と膿を発生させてしまったそうだ。ここまで来ると隠居というより苦行である。
それでも彼は東京に帰ろうとしなかった。なぜ?
随想や詩篇から読み取れるのは、彼が都会の雑音を嫌い、進んで流通や交通の不便な生活を求めていたということ。世間の雑音から開放されて、透き通った器官で亡き妻智恵子の気配を捜すために。
霧の空や、スズランの露に。
森の翳や、カッコウの谺(こだま)に。
ススキのざわめき。
霜の砕ける音。
破れ寺の読経。
・・・・・
光太郎は、ここで余生を使い切っていいと思っていたのではないだろうか。最期の制作をするために東京に行ったが、それでも身体が動くならば、また太田村の山口に戻りたいと思っていたのではないか。
記念館の窓から雨模様の外を眺める。農地や林や遠くの山もまるで青白く、それはただ静かに巨匠の帰還を待っているかのようだった。
どうして高村山荘は二重の套屋で保護されているのだろう。
古い套屋が朽ちたならば、新しい立派な建物を建てればいい。けれどもそうはしなかった。
そもそも第1の套屋は、光太郎を敬慕する太田村山口の人々の気持ちの表れである。
套屋は、主の去った山荘をそのまま包み、魂だけでも還る場を守ろうとしたのだろう。
第2の套屋は、その気持を守るために建てられている。やさしく、やさしく包み込む、その気持こそが、愛すべき花巻の観光資源そのものだと知った。
ひとり資料を見終わって書籍のことろで詩集を読み耽っていたが、みんなも一通り見て戻ってきた。
BELAちゃん、いいところ教えてくれてありがと、そう言おうとして立ち上がった瞬間、腰に激痛が走った。
あわてて窓辺の棚にしがみつく。
腰やったか。よりによってここでかよ。
拳をぐりぐりと背中にねじ込む。
異変に気づき子どもたちも寄ってくる。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。自分を落ち着かせるようにつぶやきながら背筋に充満した乳酸を拳でぐりぐりと散らしてゆく。やべー、立ち上がったぐらいで腰痛かよ。
空想とはいえ、ナマイキなことを論じたからバチがあたったか。すみません、太田村のみなさん。