放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

鳥取➖松江➖出雲の旅#4(20191102贔屓は引き倒してはダメ,ってなんのこっちゃ)

2019年12月10日 23時27分21秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました

 ビジネスホテルに戻り、預かってもらっていた荷物を受け取る。もう鳥取を離れる時刻が迫っていた。
 昨日買った二日間周遊券は、JR山陰本線の特急(自由席)でも在来線でも乗り降り自由な切符。今日の予定は、松江で途中下車し、その後出雲市まで行こうというもの。昨日「みどりの窓口」で教えてもらった周遊券のお陰で随分資金が浮いた。
 もう午後1時はとっくに過ぎた。松江に着く頃はもう夕暮れだろう。だから鳥取駅で駅弁を買うことにした。山陰鳥取といえば「かにめし」が全国的に有名だが、あらかた売り切れでお目にかかれず、「かに寿司」のほうを選択した。BELAちゃんは「かに幕の内」。
 急いでプラットホームに上がる。すると、お客さんが一箇所に集まっている。なんでここだけ?
 ぶら下がっている車両番号などの札をよく見ると、山陰本線の特急車両が2両編成となっている。しかも1両目は指定席、2両目が自由席だ。で、そこにお客さんの列ができている。半信半疑で列の後ろに並んだ。気のせいか、お客さんの半分はやはり半信半疑な顔している。ま、ここが始発だからね。席にあぶれることも無いでしょう。とりあえず人の居るところが無難かな。そういうふうに札に書いてあるんだし。

 列車が来た。「スーパーおき」。ホントに2両編成。

何だか、かわいい。
 取り急ぎ自由席を確保する。どの席も進行方向を向いている。お、車両にトイレも付いている。確かに特急列車だね。
 おそらく、ローカル線っぽい特急列車というコンセプトではないだろうか。同様に2両編成の観光特急「天地(あめつち)」も向こうに停車していた。こちらは少し神がかったコンセプト? こういう列車に周遊券で乗れるというのだから、お得感はしっかりある。お得感は旅を楽しくする。
 2両編成は乗客数から割り出した車両数なのかとも思ったが、それだけではないだろう。高齢者の足代わりという典型的なローカル線とはちがい、学生さんが一定以上乗っている。子供連れの女性もいる。要するにそこそこ賑やかなのだ。けっして寂れていない。

 僕たちは早々に駅弁を平らげて、窓の景色に見入っていた。
 海が見える。日本海だ。
 真冬の日本海とちがい、それほど荒れていないように見える。小さな漁村、寿司屋の看板、山を差し挟んで、次の瞬間また海原が広がる。遠くの岬、松林。ふと鳥取で出会った人の言葉が蘇る。
 - 昔、ここが日本のオモテでした。玄関でした。-
 秋津島で小さなクニが出来つつあった頃、大陸では魏の司馬懿仲達が遼東半島の大虐殺を行っていた。
 大陸の凄まじい強欲と殺気を恐れた小さなクニたちは連合国家を作ることを思い立つ。鳥取は大陸の殺気に晒されやすいので、王たちは瀬戸内海の最奥である難波、そして大和盆地へ拠点を移し始める・・・。
 ・・・ってな感じで妄想するのにぴったりなのが日本海の海原と青い空。
 少し眠くなってきた。

 今日はお宿を出雲市に取っている。しかし、その前に松江にちょっと寄りたい。
 松江は25年前の旅でも、とても印象深い地だった。
 松江藩第7代目藩主・松平治郷公(不昧公=茶道不昧流祖)によって松江はお茶処となった。お茶といえば菓子。そう和菓子。
 そして宍道湖七珍と小泉八雲。
 そして25年前に見た宍道湖の夕日。このときは夕日が傾いたぐらいで一畑電鉄に乗って出雲へ移動してしまったので、まあ不完全といったところか。
 今回は島根県立美術館の庭から宍道湖に映える夕日を見てみたい。という計画であった。当初はね。

 松江駅に着く頃にはもう午後の3時を廻っていた。11月ともなれば夕暮れは釣瓶落しの如く、である。のんびりしていられない。
 当初は大急ぎで和菓子屋さんを巡ろうと思ったが、当たり前だけど時間が足りない。
 でも、エキナカの売り場がすごく充実していて助かった。知っている和菓子屋さんはほぼ揃っているし、宍道湖の水産物もたくさんある。じゃあ、美術館に行った後にお土産屋さんを攻めようか。 
 すると、BELAちゃん「月照寺に行きたい」。
 「月照寺?」
 「うん、美術館も行きたいけど、月照寺。大事な処だから。」
 月照寺かぁ。時間は出来たのは確かだけど、夕暮れには松江駅に戻りたい。微妙だぞ。
 「松江にはお城とか小泉八雲旧居とか寄りたいとこたくさんあるけど、やっぱり月照寺。どこか1箇所しか寄れないなら他は考えられない。」
 わかった。思い切ってタクシーを拾おう。これしかないよね。
 
 月照寺の山門に着いた時には、何となく日も陰り、あたりに人影はなかった。
 お参り前に庫裡へ。時間ギリギリだったけどお抹茶をお願いした。
 座敷に上がると先客がいた。僕はお構いなしに縁側へ向かう。ここなら庭園が見渡せる。
 「ちょっとちょっと」
 BELAちゃんに袖を引かれた。「だめでしょココは。ちゃんと毛氈の上に座らなきゃ。」
 そお?10年前に子どもたちと来た時には縁側OKだったよ。
 「あれはまだ暑い頃で、涼めるように配慮してもらったんでしょっ」
 ずるずると後ろに引っ張られた。
 お菓子が運ばれてきた。「路芝」だ。青々とした色彩が季節的には合っていないが、それでも月照寺といえば風月堂の「路芝」。
 ひさしぶり。この素朴な甘さがいい。そしてお薄(抹茶)。ああ松江に来たな、と思えるのが月照寺でお茶をいただく瞬間だ。BELAちゃんがここへ来たかったのも頷ける。
 何を隠そう、ここは松江藩主家の墓所である。実は鳥取でも鳥取藩主家の墓所に伺っていた。鳥取藩主・池田家の墓所は山沿いにありながら、日当たりがよくさっぱりしていた。いっぽう松江藩主・松平家の墓所はすこし鬱としている。こころなしか地面も多分に水分を含んでいる。まるで水脈の上に立っているような感覚。鳥取藩主墓所を山のお宮になぞらえるならば、松江藩主墓所は水のお宮だろうか。
 月照寺には不思議なものがある。それは墓所の奥のほう、古びた門を潜った先の左手にある。巨木が脚をむくむくと広げている間に巨大な亀(のような怪物)が。これまた巨大な石碑を背負っている。松江藩六代藩主を寿ぐ寿蔵碑である。俗に「月照寺の大亀」と呼ばれ、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン1850-1904)の妻セツがこの大亀を、夜な夜な街に出て人を食う怪物として語った逸話がある。
 大亀そのまんまであるが実は亀ではない。龍の子供だという。名を「贔屓(ひき)」という。詳しい説話はインターネットに散見できたが、長くなるので省略する。
 実は鳥取藩主の墓所では、墓石全てがこの寿蔵碑のように贔屓サンの背に竿石を立てている。こういう石碑を亀趺とも言う。鳥取藩と松江藩。隣の藩同士、共通する何かがあったのだろうか。ナゾは深い・・・。

コメント
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