朝7時半に娘のアパートを出て、お馴染みのコーヒー飲みながらスナックを食べながらの運転手が運転する、いつも15分から30分は遅れるシャトルに乗り、10時少し過ぎにピッツバーグ空港に着きました。
朝食を食べていなかったので適当なお店でサンドイッチ(10ドル)と紅茶を買ったら15ドル。
レストランで食べた方がよかった。
本当に空港内は何でも高い。
こんな時、札幌の地下街で食べる果てしなく古くからやっている、日の出食堂と言う立ち食いそば屋の一杯290円のかけ蕎麦が懐かしい。
いつもカウンターの向こう側には、これまた果てしなく以前から働いているおばさん達が、ベルトコンベアー式に温かい蕎麦、うどんを作っている。
昨日は娘に買って来た手首に巻いて測る血圧計で私の血圧を測ってみると何と上が200下が100なんて言う数字が出て来た。
娘もびっくり。
実際そんなに高かったら何らかの症状は出るはず、だって。
2時間ほど測ったり休んだりしていると、上115下65なんて数字も出て来た。
娘が自分のを測るとちゃんとした数字が出てくるんですが。
以前、医者友が言ったけど、“一番低い数字を信じればいいんだよ”。
私はまだ大丈夫でしょう。
でも、この4ヶ月ほど本調子ではないので、明日医者に行ってきます。
が、私の主治医は病院運営の方に忙しく、患者は週半日を2日間しか見ないため、ナースプラクテショナーと言う最近盛んになってきた、看護婦になってからさらなる教育を受けたと言う、看護婦に毛が生えたような人に会うことになりました。
問題が見つかったら(見つけられるか心配ですが)医者に回されるそうです。
さてベトナム戦争の続きです。
このドキュメンタリー3エピソード、3日間で計5時間見ましたが、今の所どうしてアメリカがベトナム戦争に参戦したかはっきりした理由はまだ分からないし、娘に聞いても“わからない”でした。
このぶんじゃ18時間見終わってもわからないかもしれません。
当時、共産主義(コミュニスト)に強大な恐怖心を抱いていたアメリカが、中国共産党とソビエト社会主義の後ろ盾を得た、ホーチミン率いる北ベトナムに対抗する南ベトナムの援助をするために参戦したようです。
ベトナムは1800年代中頃からフランスの植民地でしたが、1900年代初めからフランスの私利私欲的なコロナイゼーションに憤慨したベトナム人が、反フランス、独立活動を始めたためフランスと連合国だったアメリカがベトナムでフランス軍を助けていたそうです。
日本も中国、ベトナムを含んだアジアを植民地化し始めた時でした。
日本という黄色人種が“いっちょうまい”に西欧人と肩並べ、植民地を広げて行ったのもアメリカには面白くなかった。
そして、ベトナムが北と南に分かれ、ジョンソン大統領の時にベトナムのデモクラシーを助けると言う理由の為、1965年に参戦したということになっているようです。
私の主人はドラフト(徴兵)番号をもらいましたが、ベトナム戦争に行く前に戦争が終わったそうです。
ま〜、平和主義なので、戦争に取られるようなことがあったら、カナダに逃げるかヒッピーにでもなっていたでしょうが。
ベトナム戦争ぐらいアメリカ人にとっては無駄な戦争、そして“なぜ”と言う疑問に満ちた戦争はなかったのではなでしょうか。
続きは次回です。のは
ハブグレジュンタのマミー
朝食を食べていなかったので適当なお店でサンドイッチ(10ドル)と紅茶を買ったら15ドル。
レストランで食べた方がよかった。
本当に空港内は何でも高い。
こんな時、札幌の地下街で食べる果てしなく古くからやっている、日の出食堂と言う立ち食いそば屋の一杯290円のかけ蕎麦が懐かしい。
いつもカウンターの向こう側には、これまた果てしなく以前から働いているおばさん達が、ベルトコンベアー式に温かい蕎麦、うどんを作っている。
昨日は娘に買って来た手首に巻いて測る血圧計で私の血圧を測ってみると何と上が200下が100なんて言う数字が出て来た。
娘もびっくり。
実際そんなに高かったら何らかの症状は出るはず、だって。
2時間ほど測ったり休んだりしていると、上115下65なんて数字も出て来た。
娘が自分のを測るとちゃんとした数字が出てくるんですが。
以前、医者友が言ったけど、“一番低い数字を信じればいいんだよ”。
私はまだ大丈夫でしょう。
でも、この4ヶ月ほど本調子ではないので、明日医者に行ってきます。
が、私の主治医は病院運営の方に忙しく、患者は週半日を2日間しか見ないため、ナースプラクテショナーと言う最近盛んになってきた、看護婦になってからさらなる教育を受けたと言う、看護婦に毛が生えたような人に会うことになりました。
問題が見つかったら(見つけられるか心配ですが)医者に回されるそうです。
さてベトナム戦争の続きです。
このドキュメンタリー3エピソード、3日間で計5時間見ましたが、今の所どうしてアメリカがベトナム戦争に参戦したかはっきりした理由はまだ分からないし、娘に聞いても“わからない”でした。
このぶんじゃ18時間見終わってもわからないかもしれません。
当時、共産主義(コミュニスト)に強大な恐怖心を抱いていたアメリカが、中国共産党とソビエト社会主義の後ろ盾を得た、ホーチミン率いる北ベトナムに対抗する南ベトナムの援助をするために参戦したようです。
ベトナムは1800年代中頃からフランスの植民地でしたが、1900年代初めからフランスの私利私欲的なコロナイゼーションに憤慨したベトナム人が、反フランス、独立活動を始めたためフランスと連合国だったアメリカがベトナムでフランス軍を助けていたそうです。
日本も中国、ベトナムを含んだアジアを植民地化し始めた時でした。
日本という黄色人種が“いっちょうまい”に西欧人と肩並べ、植民地を広げて行ったのもアメリカには面白くなかった。
そして、ベトナムが北と南に分かれ、ジョンソン大統領の時にベトナムのデモクラシーを助けると言う理由の為、1965年に参戦したということになっているようです。
私の主人はドラフト(徴兵)番号をもらいましたが、ベトナム戦争に行く前に戦争が終わったそうです。
ま〜、平和主義なので、戦争に取られるようなことがあったら、カナダに逃げるかヒッピーにでもなっていたでしょうが。
ベトナム戦争ぐらいアメリカ人にとっては無駄な戦争、そして“なぜ”と言う疑問に満ちた戦争はなかったのではなでしょうか。
続きは次回です。のは
ハブグレジュンタのマミー