退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1057:5歳児虐待に思う。親は本能といえば自己防衛本能しかない単細胞生物化

2018-07-20 08:16:04 | アメリカ便り
親となってはいけない人が親となっています。

6月に起きた目黒区での5歳児虐待。
この事件のことをブログで知りました。

母親はどうしたんでしょうか。
子供を守るのが親、特に母親の本能なのですが。
その本能がない親って条件反射で生きている単細胞生物です。
異次元の生物です。
残っている本能といえば自己防衛本能だけ。

関係ないですが、私は弱いものいじめ(子供、老人、ハンディキャップの人、動物など)は大嫌いです。
子供たちにもその精神はしっかり受け継がれています。

しかし、こういうことが起きるとすぐ“行政はなにしていたんだ”となりますが、これは学校でいじめが起きると“学校は何していたんだ”と同じ、“責任のなすりあい”と感じます。
野党が国会でやってることと同じです。

この“責任のなすりあい”は非常にアメリカ的文化に思えます。
だからアメリカでは弁護士が多いし流行るのですが。

私は、今回の5歳児虐待に関しては、隣近所はなにしていたんのかと聞きたいです。。
アパートに住んでいるというから、隣近所には虐待が筒抜けになっていたと思いますが。
社会の責任というか常識はどうしたのかと不思議に思う。

誰かが怪我したら“どうしたの?”と駆け寄って聞くじゃないですか。
目の前で殴られたり、蹴っ飛ばされたりしている人がいたら、助けるじゃないですか。
それができないなら、警察を呼んだり、大声を出したりするのがコミュニティーにいる一般市民の義務じゃないでしょうか。
携帯は何のためにあるの?
ラインをするばかりではないはず。
ま~四六時中携帯に首っ丈という現代人。
周りが見えないんだか、周りを見たくないから携帯をするのかわかりませんが。

学校のいじめを学校、教師の責任にする前に“親兄弟はなにしていたの?”と聞きたい。
親兄弟が一番身近な人たちでしょう。
限られた時間や機会しか与えられていない教師や学校の責任を問う前に親兄弟の責任を問うてほしい。
もちろん昨今の教師や学校の責任問題もありますが。
“誰の子なんだ”、“あんたらの子”なんです。

行政、行政と言いますが、これだけ、多種多様大規模になってきた社会。
国民の幸福を考えるのが行政なのですが、過大に期待要求してはいけないと思う。
過大に期待要求するとなると、アメリカ社会に存在する生活保護受給者になってしまう。
日本にいる反日在日になってします。

こういうことを言えば、“人種差別”とか言われそうですが、社会的影響を及ぼさない一個人が経験で言っていることなので。

よき昔の長屋社会的感覚を取り戻さないと。

そして、J.F.ケネディーが言ったことを。
“国があなたたちのために何ができるかを問うのではなく、あなたたちが国のために何ができるかを問いなさい”と。

ハブグレジュンタのマミー