2035年12月31日。
何十年ぶりかで私は友達何人かと札幌の我が家で大晦日を迎えている。
もう80才を超え、年に2,3回帰ってきていた札幌に果たしてあと何回帰って来ることができるであろうか?、と考えると寂しさは募るばかりである。
そして今年の大晦日はいつも以上に寂しさが募る結果となってしまった。
1977年23才で1人アメリカに渡り、常に後悔のない人生を突き走ってきた私にとって、この15年間の日本の変わりようは、私の中にある日本をまるっきり過去のものに変えて行ってしまった。
後悔と言えば、そんな日本にしてしまった私を含めた日本人のふがいなさに対してであろうが。
そして、日本を過去に変えてしまった最大の原因、そして募る寂しさの最大の原因が、今年の比叡山延暦寺の除夜の鐘の音を最後とし、すべての除夜の鐘が日本列島から消え去ることであろう。
唯一、太平洋戦争中にだけ除夜の鐘は鳴らなかったと言われているが、それはほぼすべての鉄が軍需製品に変えられてしまい、お寺の鐘もその例外ではなかったためである。
それほど日本人、そして日本の地に宿った除夜の鐘が今夜で最後となるなんて、私達の年代の人達にとっては考えるはずがなかった。
2010年ぐらいから、まるでアメーバが触手を伸ばすように静かに、そして着実に始まった中国資本による日本国土の買い占めは、中国の韓国北朝鮮台湾併合により、大っぴらに速度を増して始められるようになった。
そして、日本国民がその実態に気づくころには時すでに遅し。
もうすでに日本の大半は日本人のものではなくなってしまった。
雪の中で荘厳になり響く除夜の鐘。
108つの煩悩を澄み渡る鐘の音とともに、一つ一つ拭い取ってきてくれた除夜の鐘。
今夜は最後の鐘の音を、先人に対する申し訳なさと共に聞くことにします。
お・わ・り
実現させてはいけない短編小説です。
私が今回どうしてこのようなブログを書いたかには訳があるのです。
そしてその❝訳❞が今までになく、私の中にある日本存在への恐怖心を沸き立たせたのです。
その❝訳❞とは、、
札幌東区にある大覚寺が今年から除夜の鐘を突くことをやめた、と伝えたニュースです。
1900年初期に建てられたこの寺にはこの数年間、近隣住民から数十件の苦情が寄せられてきたそうです。
恐れ多くも❝除夜の鐘の音が迷惑だ❞って。
絶対こいつらは日本人ではないでしょう。
あの反日朝日、毎日と互角を並べると思う北海道新聞が❝除夜の鐘は迷惑か?❞と言うアンケートを取ると、回答者22000人近くの中で迷惑と感じる人(偽日本人)が2%で、なんでもないと感じる人(真の日本人)は98%だったとのこと。
民主主義の日本どうして2%と言うごみのような最少数派の意見を聞き、この大覚寺の住職は除夜の鐘をやめたのか定かではありませんが、中国人、特に韓国人の病的しつこさを考えると納得できることもありますが。
でも寺の住職ともある人がこのような優柔不断な考えでよいものでしょうか。
一番日本の伝統を守るべき寺の住職ともあるべきお人がどうして、、、
物事にはすべて❝始まり❞があり❝終わり❞がある。
中国の日本国土買い占めはすでに大々的に始まっている。
そして韓国人の日本在留/帰化は戦後25万人の不法的移民をはじめ確実に増え続けている。
更に外国人労働者の起用による、不法/正式滞在者の数は増えるばかりである。
❝終わり❞が日本の日本喪失とならないことを、いつまで聞くことができるかわからないユーチューブから流れる除夜の鐘と共に祈ることにしよう。
ハブグレジュンタのマミー