お久しぶりです。
忙しい週末でした。
2週末続けてグラスアーティスト、かえ子ちゃんとサムのセールのお手伝い。
実に大変な仕事です。
お手伝いが、じゃなくてサムとかえ子ちゃんの仕事は。
レストランをやっている友達にしても自営業とは大変です。
”働くもの食うべからず”の世界ですから。
私はサラリーマンでよかった。
さてエイゴトラフィッキング、私が作り出した言葉ですが。
だから辞書で調べてものってませんので。
定義は、‟エイゴが上手になるよ~”と言われて私みたいな無垢な外人が教会へとおびき出されることです。
私の場合はドーム(寮)で知り合いの知り合いと言うことで、お誘いがかかったんです。
この知り合いと言うのもエイゴトラフィッキングの甘い罠にかかった日本人で、一緒に寮に住んでいた人です。
寮に住み初めて間もなく、いろいろと悪知恵(教会ばあさんにひっかかるなよ~)が付く暇を与えず、おばあさんたちが寮まで車で迎えに来てくれました。
私が引っかかったのはバプティストでした。
アメリカはいかに寂れた町でも教会だけは交差点ごとに立っていると言われるぐらい多いです、そしてりっぱです。
ちょっと関係ない話ですが、以前東北大震災後のNHKのドキュメンタリーで洪水災害地の高台移転でちょっとだけレポートをやったことがあるのですが、と言ってもレストラン自営業の友達が頼まれたのですが、やりたくないということで私にその役が回ってきただけの話なんですが。
この場合は、ミシシッピー河の洪水の被害に遭ったある町が、そのまま少し離れた高台に移転した時の実態をレポートしたのですが、聞いていて興味があったのは、”住人の教会との深いつながり”でした。
住人曰く、”移転の話が出てまず考えたことは教会の位置と学校”、だったそうです。
教会が町、そして住民のまとめ役の役割をつとめていたそうです。
宗派は忘れましたが、あの小さな町にでかい立派な教会を2つも作り直すということ、私にはわかりませんでしたね。
何がって、お金を出せず移転ができない人達もたくさんいた町で、そういう隣人を助けず、大げさな教会を立てなくてはいけないという感覚が。
でもそれほど教会と言うのは大切なものだったんでしょうね。
とにかく教会と言うのはアメリカ人にとっては日本人にはわからない何かがあるんでしょうね。
中身より、見たくれ❓、なんてね。
エイゴトラフィッキングの続きです。
私と友達は老婆二人につれられて、初の教会ビジット。
こんな寂れた小さな町にこんな大きな教会があったんだ。
中は白人だらけ。
今思えば、バプティストと言えば黒人の教会のような感じがしますが、当時は白人ばかりでした。
でも中身は同じで、歌っちゃ座ってまた歌っては座るの繰り返し。
つまらなくてつまらなくて、エイゴもわからなかったから。
途中で、隣近所とごあいさつ、‟ハイとかナイスミーティング”てな感じの軽いあいさつ。
それを、相手方の白人はさも古い友達だったように返す。
私、初めてなんだけど、と違和感しか覚えない。
歌と説教が終わると、おのおのロビーに集まり、私達無垢な日本人はおばさんたちのおもちゃとなり、あちらこちらに引っ張りまわされる。
そしてまた寮に送ってもらった。
英語の勉強?、まったくなりませんでした。
その後、私は付き合いでもう1回ぐらい言ったけど、あとはサヨナラでした。
と言うことで、私のエイゴトラフィッキングの話は終わりです。
かえ子ちゃんのスタジオへの途中
キキちゃんの2歳の誕生日
かえ子ちゃんサムのスタジオで。旧現の二人のアシスタント
ハブグレジュンタのマミー