退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#207: 永遠の零

2014-01-22 23:03:09 | アメリカ便り
日本の新聞(もちろんWEBで)に、放映中の映画"永遠の零”に対しての議論が熱くなっていると書いていました。

某映画監督が、“この映画を見たことを記憶から消したい”と言えば、この映画の原作者は“そのまま記憶をゼロにして、何もしゃべるな”といったそうな。

一般人のこの映画に対する評価は高いようで、見た人の95%のは満足したとのこと。

もちろん、反体制派の人から、軍国主義といわれている安倍首相も見たそうで、非常に感動したとのコメントを述べていました。
封切り以来、375万人が見たそうで、興行収入は45億円にもなったそうです。

私が思うに、映画もアートです。
画家がキャンバスに自身の感性を、絵という形で表すのと同じだと思います。

芸術家の感性を、他人がこの某監督のように冒涜してはいけないと思います。

芸術家の感性、人の感性というものに良い悪いは無いのだから。

芸術は、千差万別だし、それを見る私たちも千差万別なのです。
気に入らなかったら、見なきゃいいんだし。
絵だって、私が出版しようとしている本だって(ほんとうですよ)、禮ちゃんの作る焼き物だって(いや、これは冗談)、それらを好きな人もいれば嫌いな人もいる。
それが当たり前なのです。
そんなのを評価しようとするのが間違っている。
評価なんて観賞する本人たちに任せればよいのです。

それを、本人自体が映画監督でありながら、メディアを使ってこのような発言をするなんて、映画自体の批判の前に、この某監督は何か問題があるんじゃないでしょうか。

大体私は、映画や芸術の評論家というものを全く評価していません。
だから、いくら評論家がめちゃくちゃ言っていても、見たいと思った映画は見に行くし、絵だって、いくら有名な画家が描いたものでも、私にとって変なものは変なのです。

それでいいんじゃないですか?
芸術なんて。

ニューヨークの近代美術館に行ったときに、壁にトイレットペーパーが一杯架かっていた芸術作品に出くわしたことがありました。
私は、そこを静かにすばやく通り過ぎました。
大人なので、罵倒しませんでした。

ハブグレのマミー

#206:核廃棄物汚染

2014-01-21 15:35:23 | アメリカ便り
今日は、怖い題名です。
私が住むセントルイスには、第二次世界対戦中に原爆開発に使われた、ウラン等の廃棄物がまだそのままのほったらかし状態になっているところがあり、昨今それによる、住民の健康被害が話題になっています。

この廃棄場は、飛行場のそばにあり、今でもドラム缶がそのままに残っていたり、埋められたりしているそうです。

経緯を書くと、1940年代にセントルイスにある化学工場が、原子爆弾(日本に落とされたものです)を作る為に必要なウランを精製していたそうです。
精製に付き物の核廃棄物は、しばらくそのままになっていたようですが、70年代になって、8000トンもの廃棄物がセントルイスの北側に無法に運ばれたそうです(捨てられた)。
70年代でこうなんです。
それ以来、この廃棄物は、ほったらかしの状態、つまり野ざらしの状態だそうで。
2008年にEPAが、"せめて塀を立てたり、コンクリートで、キャップをしたりしようかな~”なんて話をしていたそうですが、その後どうなったかははっきりしません。
でもどうして最近になってこの話がぶり返したかというと、ある住民がこの廃棄物の捨て場近くに住む(4スクエアーマイル)住民に珍しい病気、癌が多く発生しているのに気づいたからです。

廃棄に使われたドラム缶からもれた核廃棄物が、近くに流れる小川に流れた為と言われています。

そしてフェイスブックを使って、この地域に住んでいる、または、住んでいた人達と連絡を取り合って、疾病マップを作ったそうです。
統計学者も、この小さい地域にこれだけの珍しい病気が発生するのは、ほぼ不可能に近いとの見解を出しています。

虫垂癌、サイアミーズツインなんかも2件ずつあったそうです。

ここは大国アメリカなんですよね~、と考えてしまいます。
開発途上国ではないのです。

なんかアメリカって、自分の足元を見てから、他国に口出してくれと言いたくなる国です。
イランがどうのこうのなんていえる資格が無い気がします。
アメリカ生活が長い私は、以前から、いろいろの面でそう思っていましたが。
いい加減なんですよね。
日本もいい加減だけど。

ハブグレのマミーのレポートでした。

#205: 今日はマーティン ルサー キング デイでした。

2014-01-20 21:43:21 | アメリカ便り
今日は、マーティンルーサーキングデイで休日でした。

といっても毎日が休日の退職者には、関係ないですが。
でも最近の私は、翻訳の仕事が必要以上に入ってきて断っているぐらいです。
4年前のリストラと同時に始めた翻訳の仕事、4年目でようやく波(小波ですが)に乗ってきた感じです。
でもあまり断って、仕事が来なくなっても困るので、少しは無理をして受け入れるようにしています。

今日は午前中、私のお気に入りの古着屋の"50%引きセール”に行って来ました。
駐車場が一杯で、少しはなれたところに駐車。
店の中も人で一杯。

でも私のファッションセンスって、一言で言うと"変っている"。
私の兄なんかは、あきらめ顔で"まともなかっこができないのか?" だし、母は、“あんただったら良いんじゃない”です。
だから、私の着たいような服って、ほとんどの場合、売れ残っています。
今日も、結構見つけましたよ。
なんとMax Maraの上下の服が25ドルでした。

でも問題点は、せっかくの服、退職者の私には着ていく場所がない。
家でも翻訳の仕事、ゴムパンツのジャージー姿がほとんどです。
主人は、オタクなので、家からあまり出て行きたがらないし。
私の飲み友達も、サイエンスナード(変人、もちろん私も仲間に入っているのでしょうが)。
ジーパンにセーター的なかっこばかり。
なんとしても、このMax Maraの服が着れるような機会を作らねば。

なんて馬鹿なことを言うのはやめて、本題のマーティンルーサーキングデイです。
"I have a dream" スピーチが有名な黒人アクティベストでした。
1968年4月39歳の時に暗殺されてしまいました。
前にも言ったと思いますが、黒人が大統領となったアメリカを見てキングさん、なんと思っているでしょうか?

ここは私が、キングさんになったつもりで一言。

黒人が大統領になれる時代に、いまだに人権、差別がどうのこうのと言っているなんて時代遅れとは思わないのかい。
この統計結果を見てごらん。
人口13%しか占めない黒人が、同じ割合を占めるスパニッシュ系の2倍、白人の4倍も生活保護を受けている。

いつまでもこんなんじゃ進歩がないんじゃない?
皆で夢を持って、それに向かってすすもうじゃないか?

ちょっと簡単すぎますが、大雑把にこの辺にしておきます。

明日は、まじめに翻訳の仕事をします。








#204: 昭和が一つ消え去った。

2014-01-18 19:35:29 | アメリカ便り
こんな題名にすると、年よりじみていますね。
でも、もう還暦なので年寄りだからしょうがないでしょう。

小野田さんが亡くなりました。

小野田さんは終戦を信じずに、29年間,1974年までフィリピンのルバング島に潜伏していました。
飛行機に乗って帰って来た小野田さんの言った言葉、"恥ずかしながら帰ってまいりました"を覚えている人もたくさんいると思います。
この短い言葉に太平洋戦争時代の日本、日本人と言うのを感じます。

でもどうしていくら命令使命だからといって、29年もの間、ジャングルの中にこもっていることができたのでしょうか。
何がそうさせたのでしょう。

母親に、“捕虜になってはいけない”と言うようなことを言われ、上官からは、“死なずに任務を続行”と言われたそうですが。
でもこのぐらいのこと(と言ったら失礼になると思いますが)の為に、小野田さんが29年もジャングルに籠もっていたとしたら、そうさせた当時の日本って、どんな所だったのでしょうか。
映画、テレビなんかでいろいろ戦争の映画を見ますが、小野田さん一人で、戦争そして、当時の日本が表されていると思います。

でもいろいろの面で戦争が起きたことによってできた今の日本。
右翼でもない私がこんなことを言うのは非常に変かもしれませんが、戦争に行った方々、経験した方々に感謝したいと思います。
そして、先行きが不安な日本、偉大なる犠牲を払っても守ってきた甲斐あったと思える国になって欲しいし、したいです。

こんなことを言う私って、やはり年をとってきたのでしょう。

一言、小野田さんご苦労様でした。

ハブグレのマミー

#203:忙しい。

2014-01-15 07:32:12 | アメリカ便り
おはようございます。
只今、朝の7時32分です。
今日はブロウ、かけるうちに書いておいたほうが良いと思い、朝のコーヒーを飲みながら書くことにしました。
キッチンの窓から、明かりがさし始め、鳥の餌筒に鳥が集まり始めました。
外は、-5’C。
大雪も雨と、暖かさですっかり溶けてしまいました。
今晩は、例の昔の仕事仲間との今年最初のハッピーアワーです。
月1回は、会ってますね。
リストラ後に始まったので、もう丸4年になります。
仲間意識の薄い、アメリカの職場関係の集まりでは長続きしているほうだと思います。
仲間意識が薄いといいましたが、やはり人の入れ替わりが多い、アメリカの会社事情のせいではないでしょうか。
私のこの飲み友達4人、アメリカの会社には珍しく、皆20年から28年勤めた人達です。
大学で教え始めたロビン、パートのパートで翻訳の仕事をしている私、あとの二人は完全退職者です。

先週から翻訳の仕事がたて続けに入っています。
"なんで、退職した私がこんなに忙しくならなくてはいけないのだ”と、腹立たしいほど非常に忙しいいです。
ま~自分で、自分にしているのだけど。
“朝、顔を洗う暇も無い”、はずは無いので、洗わないのは怠慢から来ています。

仕事の依頼、今朝も二つ入っていましたが、両方断りました。

翻訳も、友達の翻訳なら時間をたっぷりくれるし(と言うか私にえんりょうして締め切り時間言わないだけなのか)問題ないのですが、企業からくると、いろいろと無理難題の注文が多いのです。
だから、友達から来る翻訳は、先ず率先して受け入れることにしています。

昨日の朝も二つ依頼が来て、一つは校正。
私の一番嫌いな依頼です。
校正でも、英語だけをチェックするのは問題ないのですが、企業からくるのは日本語と英語を照らし合わせての校正となり、時間がかかり、翻訳を最初からしたほうがましとなります。
昨日の校正は、先週2回断ったもので、企業も3度も私に依頼してくるとは余程困っていたのでしょう。
それで依頼を断りきれず受け入れたら、これまた大変でした。
英語圏の校正者が見直したもので、それを私が日本語と照らし合わせると言うものでしたが。

締め切り時間、間じかになっても必死にやっている私、“もうこんな校正絶対にやらない”と自分に言い聞かせながら戦っていました。

昨晩は、その興奮冷めやらず、で寝れませんでした。





ハブグレのマミー