退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#632:今日はコメントへの返事とOlympus Stylusで撮った満月です。

2016-02-23 21:14:44 | アメリカ便り
Koma さん、コメントありがとうございます。
私の本はもちろん日本語です。
日本語は時々日本の友達と遊ぶときに話すぐらいです。
それから、息子、娘は生まれたときから日本語です。
といっても返事は英語で返ってきますが。
子供たち、日本では日本語を話します。
後はコンピュータで見る日本のテレビ番組。
先日、テレビ大好きの私は“子連れ狼1部と2部”を1週間ぐらいかけて全部見ました。
“また、やってしまった”。
でも気付いた事があります。
柳生れつどう、1部で右目をつぶされたのに、2部では左目に眼帯をしていました。
おかしいですね。
それから、私のブログは友達からは“長すぎる”と文句を言われますが、さらっと読めると思います。
というのもKoma さんたちがおっしゃるように明快なのです。
自分でもそう思うし、そのように書くようにしています。
これは長年白人男性の中で研究員をしてきたせいだと思います。
“え、どうして?”と思われるでしょうね。
ミーティングで発表する白人男性の話って、ほとんどの場合要領を得ずただ長いのです。
5分くらいで終わる発表を、どういう訳か20分にも30分にもすることができるのです。
これは私の主人にも言えることです。
結局何を言いたかったのかわからないで、発表が終わるなんて事もあります。
それぐらい無駄が多い話方をします。
“長ければ長いほうがよいのだ”、つまりそれだけ、“僕はたくさん働いているんだ”と思わせたいのですが、それほど、聞いている人たちは馬鹿ではないです。
でもこれは30年近く働いていた中で、変わりませんでした。

数少ない日本人の発表は、私も入れて端的過ぎるぐらい端的。
というのも、たぶん英語がうまくないから、早く終わりたいという気持ちからだと思いますが。
ちなみに中国人インド人は、まず何を言っているかわからない。
でも、“わからないのは、お前たちのせいだ”ってなことで、お構いなしにこれまた長ったらしく話します。
実に、“他人のせいにする”という民度をあらわした話し方をします。
私って非常にグローバルな世界に住んでいるでしょう、、、、




明日からはまた天気が悪くなるそうなので、今日は5年振りぐらいで動物園に行ってきました。
先日のアートミュージアムと同様、ここもしばらく来ないうちにずいぶんと変わりました。
一番感心したのは、バタフライハウスができたことです。
ハウスの中は、大小色とりどりの蝶でいっぱい。
写真をとろうとしましたが、湿気がすごく、レンズがすぐ曇りだめでした。
ネオンブルーのモナークバタフライが飛び続けていました。

昨日は満月でした。
私のolympus stylus で撮った写真をどうぞ。











ハブグレジュンタのマミー



#631: イノベイションとネセシティー(発明と必要性)

2016-02-22 20:44:49 | アメリカ便り
再度の自己紹介で主人のことが残っているので少しだけお話します。
職場結婚ですね。
主人曰く、当時(もう32年前です)の私の1インチというとても短い髪型に目が引かれたのが始まりとのこと。
私はハリソンフォード似のハンサムな顔に惹かれました。
結婚式の前日に“やはり男は顔ではない”と気づきましたが、時遅し。
親戚がもう集まっていました。
“しょうがない、一応結婚しておこうか”てな感じで結婚して、31年目です。
いまだに、後悔が多い結婚生活ですが、私は自分が強い(?)人なので、結婚自体に対して要求は余りありません。
自分で好きなことをしている以上、“このままでいいか”という感じで暮らしています。
主人は自己中で以前は、喧嘩もよくしました。
というか、主人相手の喧嘩は喧嘩になりません。
と言うのは、典型的な根暗の性格を持った主人は“だんまり”を決め込むのです。
女、酒、ギャンブルをしないから我慢していますが。
結婚当初、義母に、“私の息子と結婚できた人はなんて幸せなんだろうとずっと思っていた”ようなことをしばしばいわれたため、ある時ついにいってやりました。
“あなたの息子は私が結婚してあげなかったら、結婚もしていなかったし、まして子供なんていなかったでしょう”と。
気持ちがよかったですね。
それ以来、義母は息子のことを褒めちぎることはやめました。

いまだに私は日本への郷愁で“いつか帰る”とは思っているのですが、100%アメリカ人の主人は日本に住むということはしないでしょう。
息子娘もアメリカだし。
国際結婚の難しさですね。

今日のお題の“発明と必要性”。
次回になりますね。
どうしてこの題が頭に浮かんだかというと、土曜日にアリッサと行ったウオーキングでアリッサが腕にしていた“フットビット”を見たからです。

では次回をお楽しみに。

土曜日から暖かい天気が続いていましたが、水曜日には雪が降って風速35マイルの強風が吹くそうです。
明日は寒くなる前に動物園にでも行ってくるかな~。

忘れていました。
私のブログ始め半分ぐらいに載っている写真が全部巨大になっているため、見られないことに気がつきました。
これは、ブログ会社が途中でシステムを変えたせいだと思います。
写真を見たい人は写真を右クリックしてデスクトップにでも保存してみてください。
お手間を取らせますが、ぜひ見てください。
後悔はしませんよ。

ハブグレジュンタのマミー

#630: 再度の自己紹介: 家族編

2016-02-20 17:49:51 | アメリカ便り
昨日、今日と、ここアメリカ中西部は暖冬というか、初夏の気候でした。
なんと77’F(アメリカはファーレンハイトと言って、アメリカの賢くない国民性を反映した、自分勝手な、そして他国と協調性のない単位を使っています)。
つまり25’C。
おかげで、人は久しぶりの半袖、ショートパンツ。
冬は寒いもの、と思っている私は娘がクリスマスに買ってくれた、“千と千尋の神し”の“顔なし”のセーターを着て久しぶりのセントルイスアートミュージアム。
3年ぶりぐらいで来たら、中はだいぶ変わっていました。
子供たちが小さいころは、セキュリティーの人に行く所、行く所付きまとわれたものでした。
どうしてかって?
我が家の子供たちがうるさかったからです。
懐かしいですね。
今は静かに、いくら時間をとっても騒ぐ餓鬼がいなくて、ゆっくりぶらぶら。
さびしいと言えばさびしいことかも。

帰りはいつもの古着屋によって靴とバッグを買いました。

さて家族のことです。
子供は二人、24才の男の子とと26才の女の子です。
実は最初の子が生まれる前に3回も流産をして、その後手術と薬治療を2年間しました。
二人目は先生に“待つな”と言われたため、最初の子が生まれて21ヵ月後に出産。
間が近いと言うのは仲がよく遊ぶと言うより、互いに競争心満々で喧嘩ばかりというのが現実。

いや~ひどかったですね。
3回ほど日本から両親が来てくれましたが、私を哀れに思ってくれました。
3ヶ月の育休を2人にそれぞれ取って、終わったときは喜んで仕事に戻りました。
この子達はこちらで、コリックと言われて、“とにかく何をしても泣き叫ぶ子供”と言うのを2ヶ月(生後1ヶ月ぐらいから2,3ヶ月ぐらいまで)づつやってくれました。
保育所は、モンテソリーにしました。
3歳から、公文(算数)、サッカー、そして5歳からスズキチェロを始めました。
と言っても、最近話題になった、子供3人東大医学部に入れたような教育方針ではないですよ。
宇宙飛行士になりたくてアメリカにやってきた母親の教育方針は、そんなちっぽけな(失礼)ものではないのです。
立派な良い人間として生きていくための教育方針なのです。
つまり、大岡越前、子連れ狼のような人間、これは冗談です。
つまり、私の教育方針は大学に入るまでではないのです。
人生で常に良い判断ができるような人間になってほしいのです。

私の子供がこの後どの様に生きていくかは、まるっきりわかりませんが、良い判断ができるような子供に育っていると思います。

親ばかかしら。

セントルイスアートミュージアム

玄関前に立つ銅像







前の池。雪が降ると大勢の人がこの坂でそりすべりをします。





ゴッホです。





後はいろいろ。









ハブグレジュンタのマミー








#629: 再度自己紹介 Part 2

2016-02-18 21:04:41 | アメリカ便り
今日は私のイタリア人ファイナンシャルアドヴァイザーに会ってきました。
というのも、最近の株の激しい降下にあせったからです。
でも、私が投資している株は保守的だから別に動かすことはないといわれ、“そうですか”で解決。
1時間半いろいろと話してきました。
こちらでは62歳になるとソーシャルセキュリティーと言う、日本の国民年金見たいのが出るので、今度の誕生日にはそれを生命保険+介護保険に入れたらといわれ、これまた、“そうですか”で解決。
金の話は疲れる。

昨日の続きです。
ゲーブルとの思い出ではっきりと覚えているのは、追い越した車に家までつきまとわれた時のことです。
私も危ないことをしていましたね。
こういう時は本当は自分の家に帰ってきてはだめなんです。
家を教えることになるから。
でも私はそれをやってしまったのです。
家に着くなり、玄関のドアを開け、ハイパー ゲーブルを外に出し“Get it"と追いかけてきた真っ赤な車を指差すと、ゲーブルはその車のほうへ飛んで行き、バンパーやらタイヤやらをめちゃくちゃかじりまくりました。
運転した若い子は真っ赤な新車に傷をつけられると思って、一目散に逃げていきました。
ゲーブルは何せ、動くものは何でも追っかけまわしました。

次にきた犬はスピリットです。
この犬はピーターパンに出てくるベービーシッター犬“ナナ”のような犬でした。
子供たちに毛を引っ張られたり、たたかれたりしても決して怒ることのない穏やかな犬でした。
スピリットは10歳でがんにかかり3回の手術の後、癌発生から1年でなくなりました。

スピリットがいたとき、シェルティーが我が家に迷い込んできました。
飼い始めて2年もするとこれまた精神錯乱を起こし、私を除いた家族全員を無差別にかじり始めたのです。
玄関に誰かが来るとその人たちも齧る。
とにかくひどかった。
で、この犬も迷い込んでから5年目で、安住の地に着いてもらいました。

その次が、グレーシーとハブです。
私の名前の由来です。
グレシーはわがままで気位の高い犬でした。
頭は私が今まで飼った犬の中で一番よかったです。

ハブちゃんはこれまた自我がまるっきりない犬で非常に従順な犬でした。
私はハブちゃんの長所をすばやく(?)見抜き、セラピードッグとしてトレイニングを始めることにしたのです。
計19週間、週1回のトレイニングの後、テストを受けて無事免除をもらった時は、意地悪ババー俗名リトルヒットラー と言われていたトレイナーに会わなくても済む喜びのほうが大きかったです。
その後、私とハブちゃんは老人ホームと癌センターを週1回7年間訪問しましたが、ハブちゃんの心臓病が重くなりそのうえ癌も併発したため、やめることにしました。
グレーシーは13歳で急に病気になり1週間でなくなりました。
ハブちゃんは7歳半から生まれ持った心臓病が悪化し、その後2年半ほどスペシャリストにかかりながら何とか生きてくれましたが、癌にもかかり去年7月10歳でついに永眠しました。

今はジュンちゃん一筋です。

自己紹介なのですが、犬のことが大部分となりました、がそれが私の人生でもあるのでしょうがないでしょう。

ところで子供のこと主人のことを書くのをわすれました。

これはまた次回にします。

今日見た鳥たちです。

モーニングダヴと言っても“朝”のモーニングではなく“嘆き”鳩です。





ブルージェイ



ペリエイテッド ウッドペッカー、今日はちゃんと撮れました。







コモンフリッカー





巣箱の鳥たち







このキッチンの窓から鳥たちを見ています。



ハブグレジュンタのマミー

#628: 再度の自己紹介です。

2016-02-17 11:20:04 | アメリカ便り
私のブログも600回を超えてしまいました。
読者も少し増えたことなので、自己紹介をしたいと思います。
というのも、“このブログを書いている人ってどんな人なんだろう、どうれ、最初からよんでみようかな~”なんて思う暇人はいないと思うので。
もちろん、それを阻止するわけでもありませんが。
暇があったら最初からいってください。
後悔はしませんよ、、、、、、、?

私は還暦を少々過ぎた、アメリカ滞在39年の道産子女です(これで読者は半分になりそう)。
もちろんアメリカ市民権獲得なんて、惨めったらしいことはしません。
死ぬときも日本人で死にますので。
選挙権はありません、39年住んでも外人なので。
(日本の政治家諸君(民主党でしょ)、外人に選挙権なんてやったらだめですよ。)

父の転勤のため、札幌、室蘭、小樽で私の人生の23年間を過ごしました。
1年間公務員という自堕落な職務についた末、貯めた100万円を持って宇宙飛行士になろうという夢を持ってアメリカに渡りました。
嘘みたいですが本当に宇宙飛行士になりたかったのです。
結局はいろいろな障害(1番は私の根性なしのせいですが)のため、当時(もう40年近く前の話です)はまだ“何、これ”って感じだった遺伝子組み換え(molecular biology)という道に入りました。
学校を卒業して入った会社が当時、生命科学では世界最大規模といわれたところ。
でも科学において“初めて”ということは非難が集中するもの。
ま~、いまだに非難はうけています。

6年ほど前に世の波に飲まれ、新薬開発事業の縮小という名目で、600人いた研究員は全員首切りにあったしまいました。
その為、潔く55歳で退職を決めました。
潔くというより、それまで何回もあった首切り脅しのたび、仕事探しをしていたため、めんどくさくなったからです。
でも30年間理系女として、毎日楽しい日々を送りました。
その後は犬中心の生活の合間に、翻訳の仕事を時々しています。
3年ほど前に母の友達、禮ちゃんに進められてブログをはじめました。
2年程前には文庫本も出版しましたが、売れ残りがたくさんあります。
興味のある方はご一報ください。

さて、私の生涯の友の話です。
ずばり、犬です。
私は自他共に認める犬好きです。
歩いている時でも犬を見ると大小にかかわらず、吸い寄せられていきます。
会社に勤め始めて飼い始めた犬は、すべてオーストラリアンシェパードという、犬種の中でも5本の指に入る賢い犬。
初代がゲーブルで私の子供が生まれたとたん、精神錯乱を起こしてしまい、牧童犬というただでもハイパーな犬なのが超ハイパーになり、娘の顔を引っかいたり、かじったりしたため7歳で安住の地に着いてもらいました。
かわいそうでしたが、アメリカでは“かじる犬”というのは、“×”がついてしまい、絶対に他人にもらってもらえません。
日本みたいに、“お前、犬に何したの”とかじられた子供がどつかれるなんてことにはならないのです。

もう長くなったので続きは次回です。
今日は4時から久しぶりのハッピーアワーです。

言うのを忘れていましたが、私のブログは長くてみんなから顰蹙(ひんしゅく)をかっています。
Be prepared ですよ。

ハブグレジュンタのマミー