自分のためにみんなのために
大一大万大吉
「自分がしたい」から今の仕事をしている人がいる。
でも僕は「みんな(社会)のために生きたい」から今の仕事をしている。
そしてその議論をやめた人がいる。
僕のその時の違和感は、対話をやめた人がいることに対するものが大きかった。
価値観の違いや対話の価値より他に大切なものがあるとでも言いたいのだろう。
でも僕がこの仕事を選んだ理由の本質は、「1人では生きていけない」だから「他者と関わる」ことができる今の仕事を選んだのだと思う。
そして「これからのみんなのため」に他者と関わることを僕はやめない。対話も価値観の違いを認め合うことも。
だから対話をやめてしまう人に対して悲しく思ったのであります。僕の激しい物言いにも辟易していたのかもしれません。もっと多くの人が対話に入ることができる場を作ることが僕のこれからの課題かも。
そして数日経って…
どうして「自分がしたいから」の言葉に引っ掛かるのか?
この違和感はなんなのかを考えた。
そして今の段階で思いついたのは
聞いた人の誤解を危惧しているのだと思う。
その言葉を使った人は、みんなのために色々尽力している人である。
だから周りもその言葉を聞いても
「そんなことないじゃないですかー」と言われるだろう。
しかし経験の少ない若者が同じ言葉を聞くと、「自分がしたいから」の都合のいい部分だけを都合よく解釈して醤油をペロペロしてSNSに載せちゃうかもなー
アレは極端な話だからブレるかもしれないが、素直で理解力ある将来に迷う大学生が「人がそう言ったから」と無責任に単純な自己表現をしかねない言葉だなぁと。だから僕はそんな言葉は使わないでおこう。
自分の幸せは自己実現だけでは到達しないと考えている。だから「自分がしたいこと」を全て実現しても満たされない大切な部分があるのだと今は考えている。
それは僕の旅人時代に長い時間を孤独と感動を積み重ねた結果、滲み出てくるように生まれた価値観なのかもしれない。
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読み込むと感慨深い😉