本を
読んだらすぐに影響される。
まだ1章も読んでいないのに文章を書き始める。
アウトプットが薄っぺらい。
全章読んだら何かしら感じることもあるだろう。
ただ今は「本を読み慣れない人が本を読む」と
当然起こり得る症状。
すぐに飽きてしまう。
難しい事をずーっと連続で語られ続けると
いやいや『プリーズユーモアモア』と思ってしまう。
大きく万歳をして気分を紛らわす。
大きなショッピングモールのフードコート
周りは学生たちが冬休みの課題を仲良く自習している。
中には小学生がNintendo Switchを4人で遊んでいる。
コンセントがあるこのフードコートは
土管が積み上げている雑草の生えた空き地の代わりとしてはサンクチュアリなのだろう。
もうジャイアンのリサイタルも空き地ではなく
ショッピングモールの舞台で行われるのかもしれない。
雑多なこの環境で分厚い本を開いてイヤホンを着けて音楽を流す。
カフェなどでコーヒーを片手に贅沢空間でおじいちゃんたちは文庫本を読んでいる。
ダラダラこの文章を書き連ねているのも
このフードコートで映画の始まる時間を待っている。
iPad Proで文章を打ち込んでいる。
だから普段iPhoneで打っているものよりも断然長く
無駄に内容も薄まっていく。
学生時代のpcの指遣いは今もあまり衰えることもなく
ブラインドタッチで書き込んでいける。
iPad Proもキーボード付きで
この感覚もたまには心地いい。
ここまで書いても全く内容がないことに気づく。
このブログも日に日に文章の長さが短くなった。
ほぼTwitterレベルまで短縮されていく。
もうブログなど書かずともTwitterでいいのではないのか。
そこまで内容もないわけで。
このダラダラ長い文章を意味のある生産性のあるものにするためには?
それほど価値のあるものはあまり浮かばない。
しかし僕という人間、キャラクターは十分ここに書き綴られる。
そこに価値はないというわけではない。
ネット上では意味のある文章が並び、いかに「いいね」をもらうかを競い合い、承認欲求を満たそうとする。
「意味のある」という言葉は無駄なものをますます淘汰し、「無駄なもの」になり下げる。
しかし天邪鬼でトリックスターな僕は「意味のない」ことにこそ価値がある、はずと言い続けている。
何気ない一言が人を幸せにする瞬間もあるはずだと。
誰にも影響されない素の人間は最近お目にかかれない。
強いて言えば「赤ちゃん」くらいいかな。
そういう素直な人間が「異質なもの」としていじめられたり、価値ないものとして認識されて
必死で「素直じゃなくなろうと人としての軸を得ようとする」
若者に言った。
「軸なんて必要なの?」
生きにくくなるだけの足かせじゃないの?
これが僕の考え方である。
「自分の生きる道を見つけなさい」
「将来立派な人間になりなさい」
「世の中に必要な価値ある事を成し遂げなさい」
その全てが成れなかった大人からの冷やかしの様に聴こえてくる。
卑屈になって生きるより
自分にしか得られない幸せを求め
毎日を楽しく色変えていくチカラを鍛えておこう。
もう幸せの形は無限大なのだ。
かなりのひねくれた考え方の僕はやっぱりトリックスターである。
』
この後、映画『スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』を鑑賞した。