村上春樹「職業としての小説家」を読んでいる。特にどうしても心が動いたから最後まで読んでいないのにブログに書き留めておきたくなった。
英語教育についての彼の経験は本当に同感である。僕も英語科の高校生よりも外国人へ片言の英単語のみでプログラムを説明した経験から、日本人の英語教育システムに疑問があった。受験のための英語教育は本当に青少年のためになっているのだろうか?逆に足枷にしかなっていないのではないだろうか?そして保護者は我が子に自分の夢を背負わせているだけではないのか?
本当に我が子の将来を考えているのかどうかを考えてほしい。世間的にどうとか、東大に行った誰々の自慢を聞いた自分のプライドとしての言葉ではないのか?
教育者側も今のそれが当たり前のように生徒を教育するただの中間管理職のような、まるでベルトコンベアに流れてくる生徒を検品するかのようにただただ品質の良い人間を作り出しているのではないか?を考えてほしい。
そして合理的、経済的、多数決、ばかりを追い求め正当化して運営をし続けると人間は思わぬしっぺ返しを食らう。その事も著者は触れていて福島原子力災害の人災はそういった人間の驕りがもたらしたものだと警鐘を鳴らす。
僕は今を生きるのに必死で教育という場に足を踏み入れる事も携わることもない。でももし若者と話をする機会や次の世代に伝えられるチャンスがあれば、少しでも言ってあげたい。
本当に興味のあることをとことん突き進んでこその人生だ
って。確かに学業は大切だとも思う。でも自殺をしてまで通う価値があるかどうか疑問だ。我慢を経験することも必要だし、無駄だと思っていたことが若きパダワンには理解できないこともある(実際アナキンはダークサイトに)。
学校の理不尽さに気づいた若者なら社会の不合理にもすぐに気付くだろう。それも理解した上で今は高校までそれなりの成績で卒業すればいい。空き時間でバンドをするもよし、映画をひたすら観てiPhoneで映画を撮るもよし。漫画やゲームに明け暮れ、自作マガジン発行やゲームクリエイターを目指すもいいのだ。
そのためにひたすらバイトをするとか、夏休みなどの長期休みを利用して自転車で日本縦断するも悪くない。そんな高校生がいたら飯ぐらい奢りたくなる。かっこいいじゃん!
人生はより多くの世界(world)を持っている人が素敵な人だと思う。
worldは高校生はせいぜい部活か授業かクラスメイト。多くて塾や習い事。でも社会に出ると無限の世界(world)が広がる。今ゲーム業界で流行りのオープンワールドである。何をしてもいいのだ。今、学校教育で「何をしてもいい」という授業をうまく活用している教員は少ないだろう。そのトレーニングをしていないまま社会に出された子羊たちが目標を見失って右往左往するのは目に見えている。夢を語ることができる大人になりたい。そして若者と未来を考え語り合える場が必要だ。
社会が混沌とゴッサムシティだから若者は閉じこもり自然と対峙する勇気も出ない。保護者も勇気がない。本当に一部の人間だけがゴッサムシティで生き残る術を身につけて欲しくて我が子を谷底に突き落とす。いや、軽くポンッって背中を押す。それだけでも価値はあるのだが……。
学校教育で英語教育やダンスが本当に行われているらしい。三代目Jsoulbrothersも知らない僕がダンスは良くないとは言い切れないものの、ある芸人が言った言葉に納得している。
「失敗を笑いに変える」という「笑い」を教科として教えてほしい
というのだ。英語やダンスは生徒児童全員が横並びから始めるから苦手の子が出にくいというのだが、そんなことはない。結局、ダンス塾は流行り、英会話教室も盛り返す。お金のない塾に通わせられない家庭はまた成績が悪くなる。だからこそ「笑い」の授業だと。出来ないこと、失敗することが正しいことだと言うことは苦手な子はヒーローになれる。その言葉を聞いて芸人の叫びは今の学校での生徒児童からの悲痛な叫びのように感じた。
ダラダラ結論のない話をした。僕が言いたいのは、
一緒に遊びましょう!ってことです。
ゆうだちキャンプ
http://yudachicamp.jimdo.com