「アセスメント」
事前に情報が欲しい人たちが仕切りにいう言葉。しかしその奥には参加者を評価するという根本的に僕とは違うスタンスで同じ職場に立っていることが窺える。
そもそもアセスメントという言葉自体に「評価」という意味合いがある。
結局、評価と指導で支配していくスタイルは自立や自己受容を促す事を後回しにして(いや蔑ろにして)、他人の評価基準で生きていく事を体験学習させていると思います。
その方々が「いやいや、やり方が違うだけだから」と言っている事に危機感を覚えてしまいます。
なぜならあなた達はしっかり相手を自分の立てた目標設定や見立てから相手を理想のゴールへとコントロールしようとしているのですから。
そして相手の中にある何かを引き出そうとするのではなく、「(指導者のための)アセスメント」を行なっているのだと思います。
本当に悲しいです。
同じプログラムの指導者集団である事に憔悴してしまいます。
それでも恐らく9割くらいの指導者がこのアセスメントについては肯定的です。
例えば学校がクライアントならば、先生がその生徒たちをどう見ているか?を聞き出そうとしています。それが多様な見方だと思っているからです。
僕もいろんな見方(10/29訂正)が存在する事は良しとしています。でもそこに興味を持つ理由が何度聞いても「自分のために聞いている」としか思えません。
自分がやりやすいから
本当に参加者のために必要なプロセスなのでしょうか?興味を持つなら参加者に興味を持って、自分が見立てた参加者自身の中にある心に関心を持つ方が自然では無いでしょうか?
どなたか議論したい人いらっしゃいますかねー?
こんぺいとう Konpeito
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