野菜を収穫するときの喜び
森で彷徨って喉がカラカラになった時の沢を見つけた喜び
砂漠で死にかけて救われた部族に分け与えられたパンの旨さ
全て映画の主人公に感情移入して得られたVRだ。
僕の周りのリアルな喜びは大抵、クリスマスに品薄だったドラクエ3をもらった時や新商品のiPhoneをいじる時なんかが現実で。
消費社会のど真ん中に生きている。
その違和感やどうしようもない俗物的な欲望は切り離せない。
でも今僕はサナギのようにドロドロに溶けて、森に住む自分を目指して夢見ている。
でも何かの言い訳なのか、本気になれない。
ドロドロのまま腐ってカビが生えるかもしれない。
本当に大自然の恵みと生き物に感謝して生きていけるのか。
本当の意味で。
この瀬戸際にいて動物園やUSJに行って楽しんでいる自分もいる。
これはまさにドロドロのヘドロ
どちらが悪いとか高尚であるとかではなく、揺らぐのだ。
僕にとっての本当の幸せとは何なのだろう。
最近、音楽に対する興味が湧いてきている。
当然リズム感なんぞ皆無で、弾ける楽器もたまに練習するディジュリドゥもやっぱり中途半端で。
違う楽器に心が奪われる自分を不思議に思ったり。
でも言葉じゃないこの心に直接響くこの世界観がたまらなく好き。
グラフィティも同じ。
iPadでオリジナルのグラフィティを書き加えては放り投げて迷う。
僕の中の壁なのかなぁ。
こんな悩みこそが健康な証拠なのかしら。