リピート
リピートされる事が是か?
「リピートされる事が大切だからね」
そう言われてモヤモヤを感じながらその場を後にした。「なるほど」と納得の相槌も打ったかも知れない。
しかし後からジンジン疼く心の奥のトゲ。本当に僕自身もそう思っているのだろうか?
目に見える成果を世の中が求め、ソレに答えてくれるプレイヤーにお金を払いリピートする。それが現在の資本主義の様な気がするのだが、それが大きな渦となって何か大切なものを起き忘れてきたような感覚になる。
お金をもらう為にクライアントの願いを叶えようと「答え」や「成果」「変化」を参加者から表出させようとコントロールする。
それが僕が感じる決定的な違和感である。
元凶の一つに「リピートさせる」があるのではないかという仮説である。
世の中の多くの人が「良い」と思う「何か」に導かれる様に工夫をする。それが世の中のダークサイドなのではないだろうか。
漠然としているので、体験学習指導者としての例をあげよう。
フリーランスで活動するHさん。
事前打ち合わせでクライアント(担当者)の願いを引き出す。「新入社員研修なので繋がりやコミュニケーション力の向上」がゴールである。
そこでフリーランスとしては仕事をリピートしてほしいので、Hさんは新入社員に向けてある程度のアイスブレイクをやった後、「コミュニケーションの大切さやこの研修で学んでほしい事、あなた達のゴールはここですよ」と説明した。いや「こうなってほしい」を心に持ってその場にいたのかも知れない。
クライアント(担当者)はゴール設定をしてくれた研修講師に対し、感謝を伝える。「ゴール設定して頂き、(参加者の)感想でもコミュニケーションの大切さを学んだなどという人もいて研修内容も良かったです。来年もお願いします」とめでたしめでたしである。
しかし本当にそれでいいのだろうか。
リピートされたら良くて、目に見える成果が無いと悪いのか。指導者、講師としてクライアント(担当者)の求めるものに合わせて成果を求めていいのだろうか。
ここまでの話。
実は未来の僕の話。
来月、新入社員研修を行います。
でも迷ってます。
クライアントが求める成果を表出するためのワークをする事に違和感があるんです。
本当に参加者の為にできることって何だろうって。
リピートされなくてもいい。
彼らの為に僕が出来る事をやって、それが打ち合わせと違う結果になってもいいんじゃないかなと思い始めているんです。
誰に向けて仕事をするんだと自問しながら、考えが結局参加者の人がより幸せになる方法を見つけてもらうのが良いと思うのです。
新入社員研修だから社会人としてのマナーやコミュニケーションスキルを学んでも(結局学んではないに等しい)すぐに忘れてしまうでしょう。
リピートはしない。させない。
打ち合わせの内容も忘れる。
僕が目指すのは一点。
参加者(新入社員)の方々が楽しく愉快に生きられる様に寄り添う時間にする。
話を聴いたり、笑い合ったり。
遊んだり、本気になったり。
友達になる様な感覚。
ゴールやねらいを持たない様にその場にただ佇んでいる。
かなり意識しないと僕には高度すぎる。
でも欲や媚びを出さぬ様にただ純粋にそこに佇む。
これが出来たら僕はかなり幸せです。
水滴