繋がろう、繋がろうとすることに思う。
自宅待機の今、何故か人が繋がろうとする。そしてその事は何故か良いことのような風潮。
でも何故か僕はオンラインで繋がろうとする未来には違和感を感じる。
今は孤独を楽しむ時ではないだろうか?
『創造性は圧倒的な孤独感から生まれる』
様々な芸術家や哲学者、発明家も人間関係が不得意で孤独が新しいものを生み出してきた歴史は多い。
更には人と違う創造性は、更にその人物を孤独にした。
確かに「寂しい人生」と簡単に言い表すこともできる。
しかし繋がることで失うことも多いと思う。
ひとり旅は嫌いという人
あんなに寂しい思いはしたくないという。
旅は非日常なのに。
いつもと同じ騒々しくて瞑想さえできない日々と同じように誰かと話し続ける旅が何かを生むのだろうか?
今また自宅で寂しくひとりでいることの価値を切り裂いて、繋がろうとすることは本当に意味のあることなのだろうか?
僕が自宅で勉強する生徒に宿題を出すならば、
『生きる』
をテーマに考えをノートに描いてみよう!
(ひとりで)
とするだろう。
ゲームをしても良い。
喧嘩をしても良い。
公園に行くもよし。
ひと通り遊ぶと何故か孤独を感じるだろう。
『生きる』をひとりで考える時間は大人が質問しないと考えないテーマ。
僕は今しかできない学びの時間はオンラインで受ける授業の他にも『哲学』があるのではないかと思う。