4年前の記事。
研修を受けて思うところもあったのだろう。
立て続けに冒険教育と僕という作文を投稿していた。
今2020年になって冒険教育を僕なりに考えるのも確かにいい時期かも。
コメントをいただき、続きは?と聞かれたりもしたので、今この時期に冒険教育について書いてみる。
まずは自分のファシリテーターとしての考え方を大きく変えたのはベトナムでの仕事である。
そもそも教育というか学びというものは時間をかけて身につけていくもの。
そのことをまざまざと見せつけてくれた。
それまでの自分はやっぱり単発のお仕事が多く、血気盛んで結果を残そうと躍起になっていた。
だから徐々に強引なアプローチをして、参加者に無理をさせてきたかもしれない。
自分が楽しませて、自分が考えさせて、自分が学びを押し付ける。
そんな強引なインストラクターだったかも。
当時は声のデカさから隣でグループ指導したくないとまで言われていた。(陰で今も言われてるの?)
そして時を経て、20年くらいの指導遍歴になって、大きな声でガナるのはなくなりました。
だから隣でグループ活動しても迷惑はかからないと思う。
そんなことより冒険教育という手法そのものについての方が気になるだろう。
今僕がこの体験学習の手法をどのように捉えているのか?その事が次の世代の人たちにとって何かヒントになればいいなぁ。
そう。
冒険教育という考え方は、確かに重要で人間関係の根源的な部分に触れていると思う。
Full Value Contract
はどんな場面でも大切な約束だと思う。
中国思想で言うと「仁」みたいな意味かな?
全ての人を大切に
そういう感覚は日本人も分かりやすい。
ただ感情が邪魔して人を好き嫌いで判断して大切にしない事はよくある。
ただ人として他人をディスカウントしないという、プラス自分自身もディスカウントしないという考え方はとても大切だと思う。
それを体験を通して体感する事が出来るのとしたらとてもいい機会だと思う。
だから結局、プロジェクトアドベンチャーのスキルやコンテンツ(エレメントやグッズ、ゲームなど)をネタ集めする事が如何に本筋とは離れていることに気づかされる。
ファシリテーターのフルバリュー感覚が全てである。
だから参加者と出会う前に既に始まっているという事だろう。
ファシリテーター同士でお互いを大切にしているかどうか?
近くの人に対して感謝を持って接しているか?
自分の生き方がファシリテーションに現れるんだという強い意志はあるか?
そういう事だと思う。
ほぼ道徳である。
だから「哲学しましょう!」って話になる。
まだまだ溢れるように出てくるのだが、長くなるのでここまでで一旦筆を置く。
また気まぐれにファシリテーション1人書きをし始める。
本当はみんなで集まって談議するのが1番良い。
僕のこのブログに対してもかなり物申したい人も多いだろう。
なんせ「この人は教育者として不適格だ!」とクレームがついたこともあるのだから!
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北斗の文句は俺に言えっ!(漫画『蒼天の拳』より)