小学3年生から高校卒業まで野球をやっていた。
それなりの技術で、それなりの努力と真面目さで毎日練習に明け暮れていた。
ある意味、それしかしてなかった。
チームには所属していたが、「このチームのために自分が何ができるか?」とか全く考えたことがなかった。
ただただ目の前のボールを打ち返し、
目の前のボールを投げた。
もう遠い記憶になってしまったのだが、
野球というスポーツに嫌悪感さえ覚えた。
なぜやっているのか分からない。
他にやることがない。
それに辞める時の面倒くささは頭の中で充分に体験済みだった。
そんな楽しくない学生時代のコミュニティで「ONE TEAM」なんぞ感じられるはずもない。
その時から僕はチームというものへのコンプレックスが始まったのかもしれない。
チーコン…
それが今の仕事につながっているのかもしれない。
チームビルディングを通しての人材育成
何故かチームが人を育てると信じている。
ただし条件付きで。
そう。
楽しいとか好きとかポジティブな感情が伴って初めてチームが機能する。
興味関心がないと感情も生まれてこない。
そんな人間の自然な感情をチーム(グループ)に持てるように手助けをしている。
その大好きな場所。
その時間や空間が好き!
それがチームだと考えている。
無感情に「目的を持った共同集団」と言われても恐らく誰も興味もわかないだろう。
だから僕は体験学習の指導者として、
FUNを大切にして、直接指導するのではなく場作りをするファシリテーションをする指導法に興味がある。
同じプログラムに関心がある指導者と話しても何故か噛み合わない時がある。
それがハッキリ見えた。
僕はチームが人を育てると信じているんだなぁと。だから場作り(間接的と呼ぶ)の話をしている。
しかし噛み合わない人は大抵、どうやったら学ばせられるか?(直接的と呼ぶ)を議論しているのだ。
僕もたまに直接的な指導論をしていることに気づいた。その方が分かりやすくて具体的だから。
しかしそのことに気づかない。
だから場作りの話にならないのだ。
本来僕が興味を持ったプログラムの「FUNを大切にすれば人は勝手に学ぶ」という事に感動して研究した。
トレーニングとしてアイスブレイク100連発や課題解決ネタ勉強会だって、具体的にはネタが増えるが目的が何かを学ばせる事を大切にした方がいいとか言っていたように思う。
確かに、確かにそうなのだが…
誰かに気づかされないと本気で目的とアクティビティなどのDoingを直結させようとしてしまう。
これが最近の僕の悩みだったのだ。
いろんな人と話しても出てこなかった僕の最近のモヤモヤ。
これはかなりの信念を持っていないと、多くの指導者がこの直接的指導の使い手なので噛み合わないのだ。
そう考えるとかなり時間のかかる体験の場を演出できるファシリテーター(間接的)を目指したいし、そういう話がしたい。
つまりキャッチフレーズとしては…
『指導しない指導、始動』
場作り
場作りを大切にしよう!
何で目先の効果とか成果にとらわれてしまうのだろう。
これは恋愛に例えるのが1番ライトでクリアだろう。
つまり多くの人が「どうしたらモテます?」の話をしてしまうという事。
オシャレに、とか
優しくとか、
いやもっと具体的で
靴を綺麗に磨こうとか
扉をあけてあげようとか
確かに目に見える効果はあるし、一瞬は素敵と思わせられると思う。
しかし長い目で見たら?
だから「どんな雰囲気を作りましょうか?」の話がしたい。
2人で話がしやすい喫茶店とか
クリスマスムードを感じる商店街とか
楽しく過ごしている時間を作る遊園地もそういう事でしょう。
僕はその雰囲気作りの話がしたいし、
直接的な指導論に引き込まれたくない。
チーム
そういう指導者チームを作りたい。