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超ひも理論を学んで

2010-12-21 00:01:01 | 学問

 広瀬立成著「超ひも理論と「影の世界」」(講談社ブルーバックス)を一応読み終えました。また、サイエンスカフェにおいて、東京大学の杉本茂樹先生の講演「重力の謎とひも理論」を聴講し、2,3の疑問点についてもお答いただきました。その結果、詳細は理解に至っていないが、超ひも理論の全体的な輪郭はつかめたような気がしています。

 物理学がひも理論および超ひも理論に到達する前には、各種素粒子の特定と、素粒子間に働く力を統一しようとする素粒子論の進展がありました。自然界には、重力、電磁力、強い力、弱い力の4種の力があります。重力と電磁力は、マクロの世界の物体間にも作用しますが、強い力と弱い力の作用範囲は、10のマイナス13乗cm以下という素粒子の世界に限られています。アインシュタインは、重力と電磁力を統一したいという夢をいだき、長い間努力しましたが、ついにその夢を実現することはできませんでした。

 素粒子論の進展により、まず電磁力と弱い力を統一する統一理論が提案され、この理論を支持する観測データも得られています。次いで、電磁力と弱い力に強い力も加えた3つの力を統一しようとする大統一理論が提案されました。そうすると、残るのは、これら3つの力に重力を加えた4つの力を統一する理論に進むことになりますが、この段階で、物理学者は、数学的な難問に遭遇することになります。

 このような状況において、南部陽一郎氏らは、ひも理論を提唱しました。ひも理論は、やがて超ひも理論に発展し、4つの力に対する真の統一理論が構築できそうなことがわかってきました。超ひも理論こそ、究極の理論かも知れないとまで言われています。

 ひも理論は、すべての粒子や素粒子を振動するひもに帰着させるものです。ひもは、「開いたひも」と「閉じたひも」の2種類に分けられます。ひものサイズは、10のマイナス33乗cm程度です。粒子や素粒子の質量・エネルギーは、ひもの振動数によってきまります。すなわち、振動するひものエネルギーは、粒子の静止質量あるいは質量0の粒子のエネルギーに相当します。電磁波を波長の短い方から順に、ガンマ線、X線、・・・、可視光線、赤外線、・・・のように配列すると、すべての電磁波をカバーする電磁波のスペクトル図ができます。同様に、すべての粒子・素粒子をひもの振動数の大きいものから順に同様のスペクトル図上に配列することができます。

 4つの力である重力、電磁力、強い力、弱い力は、2つの素粒子の間に、それぞれグラビトン、フォトン(光子)、グルーオン、ウィークボソンとよばれるゲージ粒子を交換することによって力が伝播すると考えられています。そして、これら力を伝える4種の粒子もすべてひもであり、ひもの振動数スペクトル上に配列されるものと考えられています。

 ひも理論において、ひもの張力がひも理論のもっとも基本的な物理量を示すパラメータとなります。万有引力定数Gは、このパラメータによって表現されるとしています。万有引力定数Gは、他の3つの力の結合定数とは異なり、次元をもつ量です。

 ひも理論に、「局所的対称性」と「超対称性」を導入すると、超ひも理論を構築できます。局所的対称性は、時空間の各点に独立な変換を施したときの対称性をいう。時空間に局所的な対称性が生じていれば、それは力が発生したためであると考えられる。このようにして、自然界の4つの力は、物理法則が局所的対称性を満たすべきであるという要請から生じる。

 粒子に「超対称性」とよぶ高次の対称性を適用すると、粒子は時空内で位置を変える。つまり、超対称性は位置の変換をふくむので、それを局所的対称性へ拡張することによって、必然的に時空間に重力場をつくりだすことができる。このような重力場は、アインシュタインの一般相対性理論で提唱される重力場の方程式に現れる時空間の曲がりを記述する微分に相当するものなのであろう。

 このようにして、超ひも理論は、重力場を形成可能な時空と、粒子の質量と、重力定数Gを備えるに至ったので、一般相対性理論に相当する重力の理論を構築できることになりました。しかも、局所的超対称性のおかげで、重力と他の力を統一的に記述できるようになり、あらゆる力の根元ともいうべき1つの力「原始の力」をつくりだすことができるのです。

 それにしても、物理学というものは、この複雑な世界を何とシンプルに説明してしまうものか!

 あらゆる粒子・素粒子は、フェルミ粒子かボーズ粒子に分類できます。超対称性によれば、フェルミ粒子とボーズ粒子は互いに変換できます。このことから、スピン1/2をもつフェルミ粒子(クォーク、レプトンなど)にはスピン0をもつパートナー粒子が存在する、ということが結論できる。逆に、スピン1のゲージ粒子(フォトン、グルーオン、ウィークボソン)にはスピン1/2の粒子が、スピン2のゲージ粒子(グラビトン)にはスピン3/2の粒子がパートナーとして存在する。これらのパートナーは、超対称性(SUSY)粒子とよばれています。

 宇宙物理学において、「暗黒物質」とよばれる未知の物質が大問題となっています。暗黒物質はその重力でしか検知できないとなれば、有力候補の第一としてSUSY粒子をあげねばならないのでしょう。

 超ひも理論によれば、宇宙が誕生したとき、その温度は、10の33乗Kであり、4つの力がすべて「原始の力」として一本化されていたという。ビッグバン後、10のマイナス44乗秒(プランク時間)には、宇宙の直径は10のマイナス33乗cm(プランク長)という小さな世界であり、原始の力から重力が分離する。宇宙開びゃくから10のマイナス36乗秒のところで残りの原始の力から強い力が分離する。開びゃくから10のマイナス11乗秒たったとき、宇宙温度は10の15乗Kであり、残りの原始の力が電磁力と弱い力に分かれた。10のマイナス4乗秒後に、真空はクォーク・反クォーク対を生成する。生成されたクォーク・反クォーク対は衝突によってすぐ消滅するが、残ったクォークはグルーオンのひもによって結びつけられ、ハドロン(陽子、中性子、中間子)が生成される。

 ところで、ひも理論や超ひも理論に登場する「ひも」や「ひもの張力」については、何か疑問のようなものが湧いてきます。我々が学んだ量子力学においては、運動量のような物理量を微分演算子のような演算子に置き換えてシュレーディンガー方程式を作り、次にこの方程式を解いてエネルギーの固有値Eと一般に複素関数となる波動関数を求めるという数学的手続きを経た後に、求まったエネルギーEと波動関数の物理的意味を考察する、というものでした。すなわち、粒子の運動という物理的世界を数学的記述に置き換え、数学的手続きを経た後に、得られた結果を物理的に解釈する、というものでした。そして、波動関数を物理的解釈した結果は、粒子の存在確率というものであるから、得られた結果を実験結果と対比するときには、粒子というモノの存在を観測するというよりも、むしろ観測者がモノの存在を観測するか否かという事象(コト)の発生に立ち会うことになったのです。

 しかるに、超ひも理論の「ひも」や「ひもの張力」は、マクロな世界のモノのイメージが強く、何か素人に迎合するような説明という気がするのです。超ひも理論の舞台となるのは、量子力学の主な舞台であった原子の世界より小さな超ミクロな世界であるから、難解であるのはやむを得ないという覚悟で、我々が習った量子力学の延長である数学的手続きを主体にしたものを期待していたのです。

 しかし、「ひも」とか「ひもの張力」と言っても、マクロな世界のモノのイメージでとらえるべきではないかも知れない。例えば、2つの素粒子の間で「ゲージ粒子をキャッチボールすることによって」力を伝達すると言っても、それはモノのたとえで説明しているだけであって、実際には不確定性原理によって観測できない世界を説明しているのであるから、「ゲージ粒子を介する相互作用によって」力を伝達するという意味にとらねばならないのでしょう。

 「般若心経」というお経には、「色即是空」という文言が出てきます。これによると、「ひも」とか「ひもの張力」に見えるモノは、「色」であって、その実相は「空」に他ならないとか。そうであったのか。「閉じたひも」とは、インドで発見されたという数字の0を表わしていて、それは「空」を意味するではないか!とは言っても、これは、落語の落ちのようなものであって、もちろん冗談です。しかし、まじめな話として、超ひも理論は、この宇宙が存在すること、人間が存在することに関して、何か深遠な意味を秘めているような気がしてなりません。


台北に旅行して

2010-12-02 20:15:41 | 旅行記

 最近、友達5名と台湾の台北に旅行しました。

 以下、この台北旅行についてのメモを報告します。ここでは、台湾の歴史を簡単に辿り、その中で旅行中に訪れた場所を各々位置づけています。

 19世紀末の日清戦争で日本に敗れた清は、台湾を割譲し、日本が台湾を統治することになりました。日本は、台北に台湾総督府を建設しました。日本降伏後は、総統府として台湾に引き継がれ、現在に至っています。総統府は、バロック様式、左右対称の立派な建物です。

 日本が第2次世界大戦に敗北したとき、当時中国大陸を統治していた中華民国の中国国民党の党首であった蒋介石は、台湾の日本資産を接収した。一方、大陸から渡ってきた人間(外省人)は、台湾人(本省人)を蔑視、搾取したため、台湾人による民衆蜂起が起こり、2万8000人近い人間が虐殺されたと言われている(1947年の二・二八事件)。この事件は、日本教育によって知識、教育、経験を積んだ台湾人知的エリート層を根絶する目的をもっており、台湾での恐怖政治の始まりであった。二二八和平公園は、日本統治時代に造られた公園が、1996年になって二・二八事件を記念し、当時台北市長であった陳水扁によって改名されたものです。

 この事件の様子を見聞した台湾人は、すでに年寄になっていますが、現在の台湾国民党に対しても好意的にはなれず、今も日本に対して好意的な親日派であるようです。旅行中に、日本語のできる年寄3名と出会いましたが、いずれも親日派らしく、日本統治時代を懐かしがって熱っぽく語っている人もいました。日本統治前の台湾は、赤痢やコレラが蔓延する辺地だったのが、統治した日本が、病院を建ててこれらの病気を一掃したり、近代建築や鉄道を建設・敷設したりして、台湾のために貢献したようです。

 中国共産党との内戦に敗北した蒋介石国民党政権は、1949年12月、中国大陸から台湾に逃亡した。蒋介石は、台湾全土を戒厳令下におき、集会、言論、結社の自由を抑圧した恐怖独裁政治を強行した。蒋介石は、1975年に死亡したが、1980年になって、ようやく蒋介石の業績を称える中正紀念堂が完成した。中正紀念堂は、自由広場と称する広大な広場を擁する中正公園内にあり、巨大な蒋介石の座像が置かれている。

 国立故宮博物院は、中国の歴代皇帝が収蔵したコレクションをもとに、約62万点もの収蔵品を誇る中華文化の殿堂である。収蔵品は、蒋介石政権が中国大陸から台湾に逃亡したとき、大陸から持ち込んだ文物と言われる。この博物院では、多くの古代青銅器や、竹や象牙を素材とする明清の彫刻、有名な翠玉白菜と肉形石、宋や明の陶磁器、王義之の書などを見ることができました。

 台湾の歴史に興味をもつ我々は、国立歴史博物館の文物も見学しましたが、中国大陸からもってきた皇朝の秘宝といったものが主体であり、日本統治時代以前に作られた台湾独自の文物らしきものは展示してありませんでした。中国が収集した日本の浮世絵版画を展示したり、台湾近辺の海から引き揚げた沈没船の積荷の遺物を展示したりすることから見ても、これといった台湾独自の文物はないようです。

 その他、龍山寺と孔子廟も訪ねました。龍山寺は、極彩色に彩られた絢爛豪華な廟建築で、屋根や柱に施された精緻な彫刻が特徴です。龍山寺の主神は観音菩薩ですが、道教の神様も祀られており、仏教と道教がここまで融合した神仏混淆は日本よりも進んでいるという印象を受けました。龍山寺では、朝早くから大勢の信者がお経を唱和している光景に感銘を受けました。

 台北の孔子廟は、台湾各地にある孔子廟の総本山であり、色鮮やかな中国式建築物です。行ったとき、ちょうど、数人が古典舞踊(雅楽舞)をやっていました。

 また、台北101は、高さ508m、台北のランドマークとしてそびえ立つビルです。高さ382mの展望台まで上がり、台北の街を眺めました。ビルの形状は、9段ほどに分かれた階層状をしており、日本の東京タワーなどとは異なり、歴史的な遺物の形状をまねたもののようです。

 台北旅行の前に考えていたこととして、日本人は、「日本辺境論」で論じられるように、中国や欧米に対する辺境人意識が強いようですが、台湾人も中国本土に対する同様の意識があるのだろうか、ということです。台湾が、中国の一部なのか、中国本土からみて辺境の地なのかは、独立の問題もからんで微妙な問題でしょうが、台湾の正式名称は中華民国(台湾)であり、元の中華民国の名前を受け継いでいることから見ても、辺境人意識はほとんどないように見受けられます。中国人からみれば、台湾も中国の一部の意識が強いでしょうし、現在の台湾人もその意識にうまく取り入り、経済的な成功を収めているといったところでしょうか。