ゲーム理論というと、ゼロサムのゲームとウィンウィン(ノンゼロサム)のゲームという極めてシンプルな戦略の区分が知られている。ゼロサム・ゲームというのは、一方のプレイヤーの勝利が他方のプレイヤーの敗北となるものである。
人間関係というと、一見するとゲーム理論とは関係ないように見えるが、ゼロサムの関係にある場面か、ウィンウィンの関係にある場面かを区分できる場合が多い。
そして、原則的には、ゼロサムの場合には両プレイヤーの間には両者が合意する明確なルールが存在する必要がある。合意に達したルールがないときに、一方のプレイヤーが一方的な主張をすると、他方のプレイヤーに不満が残り、争いになりやすい。
人間は、本来、自己中心的な生き物であるから、相手の立場よりも自分の利益を優先させるような主張をすることが多い。そのため、両者に特段の合意もないのにゼロサム的な関係になることが多い。その結果、不満をもった相手から反発の言葉が返ってくることになり、両者ともに不満の感情が生じ、ストレスの要因となる。
人間関係を「ゼロサム的な関係」と「ウィンウィン的な関係」というゲーム理論の用語を用いて説明することに抵抗を感じる人がいるかも知れない。これは、もちろん人間関係を意味付けする方法の一つであるので、同様の考え方をほかの用語を用いて表現することも可能である。以下、上記の主張をよりフレンドリーな言葉で表現する参考文献を取り上げ、上記の主張をいわば検証あるいは補足するよう試みる。
参考文献1は、人間の脳活動を認知脳による思考と禅的な思考とに分ける。
認知脳は、外界に向けて機能していくので、外界で起こっている出来事を重要視し、それに対してやたらに意味付けしようとする傾向が強い。つまり、認知脳が働けば働くほど、意味付けが行われ、どんどん意味付けの意味ダルマが転がっていくのである。認知脳の暴走である。
一方、禅的な思考は、自分自身の内面に向かう思考であり、フローという心の状態を重要視する。著者によれば、フロー状態とは、「揺らがず」、「とらわれず」の心の状態と表現される。
行動科学の観点から心とパフォーマンスの関係をみるとき、「行動の内容に関係なくパフォーマンスが発揮されるときの心の状態は共通していてそれはフローという心の状態」と言われる。
フロー状態を導くために必要とされる禅的な思考の基本は、自分の感情に「気づく」ことであるという。
目の前で何か事実が起こっているとき、認知脳は意味付けを起こすが、禅的な思考は、あるがままの状態をそのまま受け入れ、心をまず整える。自分の感情に気づくだけで、内側向きの思考のベクトルが脳の中で働くようになり、認知の外側向きの思考にバランスを生み出し、心のフロー化を起こす。
人間関係を参考文献1の「禅脳思考」で解くと、次のようになる。
認知脳は、他人にも意味付けをしてしまう。特に、自分に近い人ほど、その行動と言葉に意味付けが強く起こる。つまり、近い存在であればあるほど自分と同じであってほしいと強い意味付けが起こる。その結果、自分と他人の違いを、相手の間違いだと意味付けするようになり、過去の他人の行動に対する意味付けのせいで、現在の人間関係を悪化させてしまう。
このとき、意味付けに気づき、今に生きると考えれば、フローな人間関係が生み出される。
著者は言う:人間関係は自分でコントロールできないため、いい人間関係をつくろうとして相手に対策を講じてもそれは生まれない。まず、嫌い、苦手というような意味付けは、認知脳によって自分自身がつくり出したものだと気づくことである。他人への意味付けに気づき、謝る、許す、考える習慣をもたない限り、あなたの心はフローな状態には傾かない。人を変えようとするのではなく、自分を変えることこそ、いい人間関係を築く秘訣である。
参考文献2の著者は言う:理想的な状態は「フロー状態」と言われています。脳科学の見地からいうと、「リラックスしているけれども、集中している状態」が一番力を発揮できるのです。心身ともに伸びやかに、笑顔で集中しているようなときにこそ、最大のパフォーマンスが発揮できる。
以下、同著者が述べていることで関連する記述をここに転載させてもらう。
「アインシュタインがこう言っています。「人間の価値は、その人がどのくらい自分自身から解放されているかによって決まる」 言い換えれば、いかに他人のことを考えられるかです。」
「今まで、「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、130人ぐらいのプロフェッショナルにお話しを伺ってきましたが、一つの共通点があります。これがおそらく、プロフェッショナルの仕事の原点にあるのではないかと思いますが、すべての人が一人残らず、他人のためにという方でした。自分のためにという人は、一人としていませんでした。」
参考文献
1.辻秀一著「禅脳思考」(フォレスト出版)
2.茂木健一郎著「脳が変わる考え方」(PHPエディターズ・グループ)
人間関係というと、一見するとゲーム理論とは関係ないように見えるが、ゼロサムの関係にある場面か、ウィンウィンの関係にある場面かを区分できる場合が多い。
そして、原則的には、ゼロサムの場合には両プレイヤーの間には両者が合意する明確なルールが存在する必要がある。合意に達したルールがないときに、一方のプレイヤーが一方的な主張をすると、他方のプレイヤーに不満が残り、争いになりやすい。
人間は、本来、自己中心的な生き物であるから、相手の立場よりも自分の利益を優先させるような主張をすることが多い。そのため、両者に特段の合意もないのにゼロサム的な関係になることが多い。その結果、不満をもった相手から反発の言葉が返ってくることになり、両者ともに不満の感情が生じ、ストレスの要因となる。
人間関係を「ゼロサム的な関係」と「ウィンウィン的な関係」というゲーム理論の用語を用いて説明することに抵抗を感じる人がいるかも知れない。これは、もちろん人間関係を意味付けする方法の一つであるので、同様の考え方をほかの用語を用いて表現することも可能である。以下、上記の主張をよりフレンドリーな言葉で表現する参考文献を取り上げ、上記の主張をいわば検証あるいは補足するよう試みる。
参考文献1は、人間の脳活動を認知脳による思考と禅的な思考とに分ける。
認知脳は、外界に向けて機能していくので、外界で起こっている出来事を重要視し、それに対してやたらに意味付けしようとする傾向が強い。つまり、認知脳が働けば働くほど、意味付けが行われ、どんどん意味付けの意味ダルマが転がっていくのである。認知脳の暴走である。
一方、禅的な思考は、自分自身の内面に向かう思考であり、フローという心の状態を重要視する。著者によれば、フロー状態とは、「揺らがず」、「とらわれず」の心の状態と表現される。
行動科学の観点から心とパフォーマンスの関係をみるとき、「行動の内容に関係なくパフォーマンスが発揮されるときの心の状態は共通していてそれはフローという心の状態」と言われる。
フロー状態を導くために必要とされる禅的な思考の基本は、自分の感情に「気づく」ことであるという。
目の前で何か事実が起こっているとき、認知脳は意味付けを起こすが、禅的な思考は、あるがままの状態をそのまま受け入れ、心をまず整える。自分の感情に気づくだけで、内側向きの思考のベクトルが脳の中で働くようになり、認知の外側向きの思考にバランスを生み出し、心のフロー化を起こす。
人間関係を参考文献1の「禅脳思考」で解くと、次のようになる。
認知脳は、他人にも意味付けをしてしまう。特に、自分に近い人ほど、その行動と言葉に意味付けが強く起こる。つまり、近い存在であればあるほど自分と同じであってほしいと強い意味付けが起こる。その結果、自分と他人の違いを、相手の間違いだと意味付けするようになり、過去の他人の行動に対する意味付けのせいで、現在の人間関係を悪化させてしまう。
このとき、意味付けに気づき、今に生きると考えれば、フローな人間関係が生み出される。
著者は言う:人間関係は自分でコントロールできないため、いい人間関係をつくろうとして相手に対策を講じてもそれは生まれない。まず、嫌い、苦手というような意味付けは、認知脳によって自分自身がつくり出したものだと気づくことである。他人への意味付けに気づき、謝る、許す、考える習慣をもたない限り、あなたの心はフローな状態には傾かない。人を変えようとするのではなく、自分を変えることこそ、いい人間関係を築く秘訣である。
参考文献2の著者は言う:理想的な状態は「フロー状態」と言われています。脳科学の見地からいうと、「リラックスしているけれども、集中している状態」が一番力を発揮できるのです。心身ともに伸びやかに、笑顔で集中しているようなときにこそ、最大のパフォーマンスが発揮できる。
以下、同著者が述べていることで関連する記述をここに転載させてもらう。
「アインシュタインがこう言っています。「人間の価値は、その人がどのくらい自分自身から解放されているかによって決まる」 言い換えれば、いかに他人のことを考えられるかです。」
「今まで、「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、130人ぐらいのプロフェッショナルにお話しを伺ってきましたが、一つの共通点があります。これがおそらく、プロフェッショナルの仕事の原点にあるのではないかと思いますが、すべての人が一人残らず、他人のためにという方でした。自分のためにという人は、一人としていませんでした。」
参考文献
1.辻秀一著「禅脳思考」(フォレスト出版)
2.茂木健一郎著「脳が変わる考え方」(PHPエディターズ・グループ)