素粒子論に出てくる「自発的対称性の破れ」あるいは「対称性の自発的破れ」という概念は、難解であり、理解し難いものがある。ところが、最近、NHKテレビの科学番組を見ていたら、この概念を分かりやすい例を用いて説明していた。この例を見て、この概念の意味するところを考えたので、この機会に記録に残しておこうと思って、筆をとった。
「自発的対称性の破れ」は、自然哲学を考える上で、ゲーデルの「不完全性定理」やハイゼンベルグの「不確定性原理」と並ぶほどの重要な概念ではないかと思う。
自発的対称性の破れを説明する例え話として、一般向けの科学書に挙げられたものは、この概念を説明するどころか、読者の頭をより混乱させる効果しかないようだ。ディナーのテーブルを前に4人の客が座っている。ところが、ウエーターがちょうど客と客の真ん中にそれぞれ食前酒を置いたため、4人の誰もが右のグラスをとっていいのか、左のグラスをとればいいのか迷ってしまう。やがて、4人のうちの1人が意を決して右のグラスに手を伸ばしたことで事態は一気に解決へと向かった。誰もがその人に倣って右のグラスを手にとった。これは不安定ながら対称性が維持されている状態が、1人の行動により一気に対称性が崩れた状態を説明する例え話という。しかも、この対称性は、システムの内部から崩れたのだから、自発的であるというわけだ。しかし、この例え話には人間心理が絡んでいるから、そちらの方に気が向き、物理現象の本質からは遠ざかるように思う。
NHKの番組では、削って芯を出した鉛筆の例で説明していた。このような削った鉛筆の設計図を書くなら、芯を中心に回転対称性をもった鉛筆を描く。しかし、この設計図を基につくった実際の鉛筆を芯を下にしてテーブル上に立てようとすると、必ずいずれかの方向に倒れる。つまり、設計上は回転対称な鉛筆は不安定な存在であり、現物の鉛筆は、安定を求めて自発的にこの対称性を破るというわけである。この設計図は、理論を構成する数学的モデルに相当するから、この例は、数学的モデルと実際の物理現象との間のギャップを例えているとも言える。
一般に、マクロの世界では、座標軸を回転させたり、並進移動しても、物理法則は不変である。また、特殊相対性理論が必要となるような物理現象については、時空間をローレンツ変換により変更しても物理法則は変わらない。つまり、このような物理現象では、ローレンツ対称性が維持されている。しかし、素粒子の世界では、ゲージ対称性のような特有の対称性があり、常にその対称性が維持されているのか否かが問題になる。
素粒子には、物質を構成する粒子と、力を伝える粒子の2種類がある。
ある種の素粒子間には、「弱い力」と言われる力が働くが、この力を伝達する素粒子として、3種類の粒子が見つかっている。これらの粒子には、ゲージ原理と言う理論が適用される。ゲージ原理とは、「物理法則はゲージ変換に対して不変である」というものである。ゲージ変換とは、粒子の状態を示す波動関数を複素数空間上で任意の角度だけ回転させるような変換である。つまり、この種の粒子の物理現象は、ゲージ対称性をもつということである。
研究の結果、ゲージ対称性が自発的に破れたとしても、粒子の質量はゼロであるという結論に達した。この結論は、不確定性原理などから予想される粒子の質量と矛盾するので、研究者を大いに悩ませた。その結果、これらの粒子に質量をもたせるためには、ヒッグス等が提唱したヒッグス粒子を導入する他ないということになった。つまり、これらの粒子は、真空中に充満するヒッグス粒子とぶつかり、その質量を得ると考えるのである。
粒子の質量とは、慣性の大きさを表す量のことであり、何か他の粒子から衝突するなどの作用を受けない限り、それが発現されない。つまり、粒子の質量には方向性があるということであり、他の粒子からの作用を受けたとき、ゲージ対称性が自発的に破れることになる。ゲージ対称性が破れたとき、ヒッグス粒子からの作用に対する反作用として質量が発現するということだろうか。いずれにしても、これら粒子の質量は、ヒッグス粒子に100%依存していることになる。また、素粒子のもつゲージ対称性は、上記鉛筆の例え話とよく合う。
クォークや電子のように物質を構成する素粒子の質量となると、また事情は違ってくる。これらの素粒子は、そのスピンが関係するカイラル対称性が破れることによって質量をもつことになったのだという。宇宙が誕生した直後は、これらの素粒子のカイラル対称性が保たれていたが不安定であり、まもなく宇宙は安定を求めてカイラル対称性を自発的に破ってしまった。その結果、クォークなどの質量の約98%はカイラル対称性に依存し、残りの2%程度がヒッグス粒子に依存するという。カイラル対称性の破れによって素粒子が質量をもつようになる仕組みは難解である。残念ながら、カイラル対称性の破れを鉛筆の例え話に合わせて説明できない。今後の課題として残したい。
自発的対称性の破れが生じるのは、素粒子の世界に限られるものではない。広く地球や宇宙に存在する普遍的な物理現象である。例えば、鉄やニッケルなどの強磁性体に現れる。強磁性体の中にある鉄などの原子のスピンは、ミクロの磁石、すなわち磁気モーメントとして働く。強磁性体を高温に熱すると、原子のスピンが乱され、磁気モーメントの向きもバラバラになってしまう。この状態は、多数の磁気モーメントが空間的な対称性をもつ状態と言える。強磁性体の温度を下げていき、ある限界点を超えるとき、急激に相転移が起きる。強磁性体中の磁気モーメントは、一斉に同一方向に向きがそろった状態となる。原子の中の一つの原子の磁気モーメントがある方向を向いたことを機にして、すべての原子の磁気モーメントがそろって、その方向を向いてしまう。これは、対称性が自発的に破れた状態である。原子の群れの磁気モーメントがどの方向を向くかは、外部に磁界がないとすれば、テーブルに立てた鉛筆がどちらの方向に倒れるかと同様に、全くの偶然による。
ナンプレ(数独)をやっていて気付いたことがある。ナンプレを解いていく過程で、数字1~9の部分集合である(4,5)のような数列が現れる。この部分集合は、量子力学の言葉で言えば、4という標識のついた波動関数と5という標識のついた波動関数とが重ね合わされた状態にあるもので、いずれ数字4または5が確定する。いずれかの3×3行列、同一行または同一列に、しばしば、(4,5);(4,5)のように2つの要素をもつ同一の部分集合のペアが現れる。このペアは、鏡像対称性をもつペアと考えられ、いずれ数字4と5が背反的に確定する。これは対称性の破れだろうか。確かに対称性の破れではあるが、このペアの外に配置される数字群によって数字が確定するので、「自発的」ではない。
ここで、量子力学がかかえる根本的な問題に言及したくなった。光の粒である1個の光子を半透明鏡に当てると、その波動関数は2つに分離し、一方はこの鏡で反射して進行し、第1の光子検出器に導かれる。他方の波動関数は、この鏡を透過して進行し、第2の光子検出器に導かれる。このように、分離した2つの波動関数が存在する状態は、2つの波動関数が重ね合わされた状態とみてよい。実際に光子を検出するのは、いずれか一方の光子検出器に限られる。半透明鏡の反射率を正確に50%にすると、光子の波動関数は、2つの鏡像対称な波動関数に分離する。光子の検出は、この対称性の破れだろうか。2つに分離した波動関数の一方で粒子が検出される現象は、測定による波動関数の収縮として知られている。波動関数という数学的モデル自体の破れと言ったら、異論があるだろうか。
参考文献:
中嶋彰著「現代素粒子物語」(ブルーバックス)
大栗博司著「素粒子論のランドスケープ」(数学書房)