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政治、経済などの情勢を概観する世界地図

2011-02-12 19:33:31 | 国際・政治

 現代世界を支配するものをキーワードで表現すると、グローバリゼーションとテクノロジーに集約されるという。そこで、世界の国々が各々どういう情勢にあり、どう結びついているのかについて、政治、経済、軍事の面から概観する地図を図式にしたらどうか。世界の国々と言っても、すべての国をとり上げるのは煩雑になり過ぎるので、世界を大胆にも先進国、新興国、アラブ諸国の3つのグループに分け、各グループを1つの国で代表させたらどうか。

 先進国群には、米国、カナダ、ヨーロッパ、日本、オーストラリア、韓国などが含まれるが、代表国は米国としてみる。また、新興国群には、中国、インド、ブラジル、ロシアなどが含まれるが、代表国は中国とする。アラブ諸国には、イラク、イラン、アフガニスタン、パキスタン、エジプト、チュニジア、シリアなどが含まれるが、いま最もスポットライトが当たっている国はエジプトなので、エジプトを代表国にしてみる。各グループ内で代表国と特に異なる特徴をもつ国があれば、随時注釈をつけて補足すればよい。

 図式を示したいところだが、今のところ作図能力がないので、本ブログでは図式を省略する。

 まず、先進国を代表する米国について、主として経済面からとらえてみる。景気の動向は、好況と不況が周期的に交代するように変動するという側面と、構造的な問題による側面とに左右される。構造的問題を端的に説明するために、経済要素として、製造業を営む会社と、一般消費者と、建設業を営む会社とだけを取り上げる。

 米国の製造会社は、不況により国内の販売高が下がっているが、幸いなことに新興国への製品輸出が伸びているので、売上高、利益ともに好調という会社が少なくない。また多くの製造会社は、製造部門の一部を新興国に移転しており、移転先工場から生産された製品の一部を輸入する場合もある。また、移転先の支社が新興国で行う事業も、製造会社の売上高、利益に貢献している。しかし、生産技術の向上と、海外への事業の一部移転により、国内の従業員数を削減することはあっても増やす必要性は少ない。米国内の販売高が下がっていることも国内従業員を増やせない理由となっている。このため、米国は慢性的に高失業率の状態にある。

 米国の一般消費者は、失業者が多いこともあり、消費を抑えざるを得ない。また、収入減や失業に伴って、住宅ローンの支払い不能となるケースも多い。このため、支払い不能に陥った中古住宅の多くが住宅市場に流れ、住宅の価格が下がっている。また、建設業のうちの住宅産業は、住宅需要の減少と住宅価格の低下により、苦境に陥る会社が少なくない。

 日本は、先進国グループに属し、上記の米国状況に似ているが、失業率は米国の約半分の5%程度であり、米国ほどの深刻さはないのかも知れない。ヨーロッパは、概して米国状況と似ているのではなかろうか。

 一方、新興国を代表する中国についても、米国と同様に経済面からとらえることにし、経済要素として、製造会社、一般消費者および建設会社だけを取り上げる。中国の製造会社は、活発な内需に恵まれ、一般に事業は好調のようである。これに伴い、産業界は多くの雇用人員を必要としているが、あまりの人口の多さのため、失業率となると不明である。上記のように、製造会社には、先進国の製造会社が中国に設けた工場や営業所が含まれる。一般消費者からの需要が急増しており、住宅の需要も多い。このため、住宅価格は高騰の傾向にあり、住宅産業も好調のようである。しかし、新興国の旺盛な需要により、世界的に食料品やガソリンなどの生活用品も値上がりしており、中国経済はインフレ傾向を示している。

 アラブ諸国を代表するエジプトについては、政治や軍事が経済を支配する傾向が顕著なので、主として政治と軍事の面からとらえてみる。

 エジプトは、大統領を頂点とする独裁政治の傾向の強い国である。大統領は、行政機関、司法機関、主要産業を牛耳っており、大統領の一族がこれら国の主要機関や会社を支配するというクローニィイズムがまかり通る国である。また、役人による汚職が多く、腐敗傾向の強い国である。このため、検察や裁判所が正常に機能せず、大統領や官僚の不正を摘発し、司法の場に持ち込むようなアクションがとられず、不正が見逃されている。このような大統領と政府に対し、インターネットを介して連絡をとりあった一般市民が抗議のデモを起こし、チュニジアの大統領追放に続き、ついにエジプト大統領を辞任させることに成功した。長らく政府行政に対してもっていた民衆の不満に、増え続ける失業と生活用品の値上がりによる苦境が重なって、今回のデモを勃発させ、大統領の追放という結果になった、とみてよいようだ。

 米国は、エジプト大統領を支援するそぶりを見せながらも、大統領および大統領一族が支配する政府行政や司法に係わる制度を信用していなかったようだ。このような腐敗傾向の強い行政機関に対しては、経済援助も有効に働かない。米国は、イスラム教から独立した存在であって唯一信用できる制度と機関の基盤が軍隊、特に陸軍にあり、とみて軍隊に対して積極的な支援を行っていた。エジプトの軍隊が抗議デモの際に何をしていたのかよく分からないし、大統領辞任後の政治でどのような役割を果たすのか予測がむずかしい。しかし、軍隊が今後の政府行政に対して少なからぬ影響を及ぼすことは、間違いなさそうである。軍隊がいかに両刃の剣であるのかは、これまでの世界の歴史が繰り返し教えてきたことである。


国際的な養子縁組の話

2010-07-09 15:43:25 | 国際・政治

 タイム誌712号に出ていた国際的な養子縁組の話に感銘を受け、ここでも「人間とは何か」という原理原則的な考えを確認することになりましたので、以下、報告します。

 米国人は、日本人に比べると、はるかに国際的な養子縁組に熱心であり、ロシアからだけに限っても、平均して年間2,900人ほどの子供を養子として引き取っているということです。ハイリスク--ハイリターンの取引ならば追及するという世の中にあって、極めてハイリスクであって経済的にはノーリターンになるというよりも多大な出費を強いられるという結果になりがちな国際的な養子縁組というものは、日本人からみると、到底考えられない部類の活動になるのではないでしょうか。

 ロシアからの養子の多くは、ロシアの孤児院から引き取られたものであり、多くは脳の障害、感情的な障害、社会的な障害をかかえているようです。ここにも、米国人の懐の深さをみるような気がします。米国には、キリスト教が教える友愛の精神を深く信仰する人々が多いことは確かでしょう。日本では、ロシアの孤児を引き取って養子にしたという話を聞いたこともありません。自分自身が作った子供をまともに育てるのさえ困難な世の中にあって、どこの馬の骨とも分からないロシアの孤児を引き取るなど、想像するのも無理というのが本音ではないでしょうか。

 もっとも、ロシアなど外国から孤児を引き取った米国人の多くは、想像を絶する苦難に遭遇しているようです。それは、彼らには以前に何の経験もないために、孤児が置かれていた施設の環境と、米国の一般家庭の環境との違いがいかに大きいかを認識できないことに由来しています。

 ロシアから孤児を引き取ったある米国女性は、その孤児(7)の扱いに困り果て、その子を単身で飛行機に乗せ、ロシアまで送り返したという大胆なエピソードも伝わっています。その子供には、ロシア政府宛ての手紙が付けられており、手紙には、子供が精神的に不安定であることを訴える抗議文が記されていたということです。この出来事は、国際的なスキャンダルとなり、その米国女性は、ロシア政府および米国社会の双方から非難されることになったそうです。

 初めて外国の孤児を養子にした米国人がその養子の扱いに困り果て、自分にはその子に対する愛情が欠けているためではないかと自虐的になるということですが、問題は、決して愛情の有無というようなところにあるのではないということです。

 養子の扱いに困った里親が、その養子を一時的に米国内の施設やソシアル・ワーカーなどに預けることをdisruption(中断)と呼び、養子縁組を解除することをdissolutionと呼んでいます。養子縁組を解除された子供は、通常、他の米国人里親にreadoption(再養子縁組)されることになります。米国では、disruptiondissolutionをサポートするNPOやソシアル・ワーカーなどが育ちつつあるようです。

 孤児院に収容されていた孤児のうち、孤児院を出て正常に社会に適合できるのは10%程であり、残りは、若くして死ぬか、犯罪、麻薬、アルコールなどに走るか、刑務所や路上で一生を終えるということです。しかも、施設に収容されていた期間が長い程、社会に適合しにくくなるという傾向があります。孤児が収容されていた施設の環境と、最初の里親の家庭環境とがあまりに違い過ぎるため、孤児が最初に引き取られた家庭環境に不具合を感じる方がむしろ当然なのです。このため、孤児がdisruptionreadoptionを経験した後の方が社会に適合し易くなるケースもあるようです。

 数多ある人間関係のうち、国際的な養子縁組によって形成される人間関係というものは、極端な部類に属するものでしょう。しかし、他の人間関係も程度の差こそあれ、類似した問題をかかえているものです。例えば、夫婦が結婚生活をするという人間関係も類似した問題を見出すことができます。養子縁組の場合のdisruptionは別居生活に相当するし、dissolutionは離婚に相当します。バツ一を経験した後、再婚したら幸せな結婚生活を得られたという人も少なくないはずです。嫁と姑の間の人間関係も類似した問題を見出すことができるし、職場の人間関係も同様でしょう。

 すべての人間関係に生じる葛藤の元をたどれば、「人間とは何か」という共通の根源に辿り着きます。すなわち、各人間個人の行動原理というものは、先祖から受け継いだDNAと、この世に誕生してから現在までに脳内に蓄積された体験の履歴とにのみ依存するということです。たとえ夫婦、兄弟、親子といえども、他人の履歴を体験することはできないから、一般に他人の行動原理を理解することは困難です。たとえわずかであっても、他人を理解するための唯一の手段がコミュニケーション、特に他人の言うことを聴いて理解に努めるという行為であることは言うまでもありません。


ヨーロッパの指導力

2010-03-05 15:35:19 | 国際・政治

 タイム誌3/8号に掲載されているヨーロッパの世界に及ぼす指導力が低下しているとする記事を読み、より平和な世界を構築するためには、ヨーロッパの世界に向けた指導力が必要であろうと感じてこの記事を書くことにした。

 タイム誌の記事によれば、第二次世界大戦後の世界では、米国-ソ連間にいわゆる冷戦状態が続き、このとき西ヨーロッパは米国と強力なきずなを築き、その世界的な地位は充分存在感のあるものであった。このとき、中国は、世界的な存在感という点では小さいものであった。日本の世界的な存在感は、その経済規模の大きさにもかかわらず小さいものであった。

 ところが、冷戦が終了した後、中国の経済規模が次第に大きくなり、中国が台頭してくることになった。現在では、米国と中国とは、互いに小競り合いをしながらも、いわゆる2極として世界的に大きな存在感をもつようになった。それは、単に中国がまもなく世界第2位の経済大国になるためだけではない。最近コペンハーゲンで行われた気候変動についての会議では、中国は、ヨーロッパを抑えて世界的な指導力を発揮したではないか、というわけである。このような状態において、米国は、ヨーロッパよりも中国を含めたアジアにより多くの関心を示し、その結果として、米国とヨーロッパとの間のきずなは相対的に弱まり、ヨーロッパの存在感が低下していることが指摘されている。なお、世界における日本の存在感は、小さいままであり、以前と変わっていない。

 タイム誌の記事を読んだ当初、ヨーロッパあるいはEUは、現在のままでいいのではないかと思った。米国と中国とは、いずれも経済規模の大きな単一国家であることから、良きにつけ悪しきにつけ帝国主義的な態度で振る舞うこともあるだろう。EUは、現在27ヵ国の集合体であるから、EUに良い面での帝国主義を期待するのは無理であろう。言い換えれば、EUに世界的な指導力を期待するのは無理ではないか、と思えた。ヨーロッパは、科学技術の分野での貢献が大きいし、世界の模範となるような平和的な連合組織を形成しているのであるから、それだけで充分存在感があると思えるのである。しかし、EUが平和連合であればこそ、世界平和のためにもっと貢献できるのではないかという期待感をもってしまうのである。

 中東は、メソポタミア文明の発祥地であり、5000年にも及ぶ古い歴史をもつ地域である。例えば、イランやアフガニスタンの人々は、主としてイスラム教を信仰し、この宗教に則った生活を営み、政治的には政府役人の言うことよりも所属する部族の長やイスラム教教師の言うことを尊重する人々である。すなわち、中東の国々は、欧米とは全く異なる文化と伝統をもち、欧米の文化や自由・平等、民主主義の思想と相容れないことは明らかである。米国は、中東の国々と比べたら300年程度の歴史しかもたない新興国と言ってもよい。米国は、もっと中東の国々に住む人々を尊重してしかるべきである。

 しかるに、米国は、ソ連との冷戦時代には共産主義国の拡大を防ぐという名目でアフガニスタンを戦場とし、冷戦が終わってテロリズムの脅威が増したとき再びアフガニスタンに侵攻した。米国は、「テロリズムに対する戦争」と言っているが、再びアフガニスタンの人々を戦争に巻き込んでしまったのである。その結果、米国は、元々テロの意志がない敵と戦闘し、罪のない一般市民を犠牲としてきたのである。すなわち、米国には、イラクやアフガニスタンに侵攻する目的があいまいになってしまったのに対し、アルカイダやタリバンは、自分の国を守るという立派な大義名分の下に戦っているのである。米国の対アフガニスタン戦は、すでに戦争のための戦争となっている。戦争というものは、いつの時代の戦争もそうであるが、なんと不条理で非人道的な行為であることか。そこでは、米国が中国に対して主張する人権尊重は何の意味ももたない。

 心ある人々は、ヨーロッパがリスボン条約の締結を終え、EUの組織を強化することを契機として、その指導力を発揮し、戦争好きの米国の前に立ちはだかってこれを抑制することを期待していたようである。しかし、この期待は、早くも期待外れになりそうである。EUは、国の集合体という事情があって、単一国による帝国主義的な世界支配には、かないそうもないし、EU自身がアフガニスタンにNATO軍を出兵しているという弱みもある。さらに、選出されたEUの初代大統領と外務大臣の顔ぶれをみても、ヨーロッパの指導力と言うとき、期待感よりも失望感の方が大きいようである。しかし、人々がそこまでヨーロッパに期待するのは、世界平和と言うとき、期待できるのは、ヨーロッパをおいて外にはないという世界平和への願いが込められているためであろう。