私は、都内杉並区の住民であり、区内の済美山という丘陵地を里山のように思っているが、それは勝手に思っているだけであって、里山として保全地域に指定されているわけではないだろう。
どこか本物の里山を歩いてみたいと思っていたところ、東京都が「連光寺・若葉台里山保全地域」を選定したことを知り、早速行ってみることにした。
細長い里山緑地の縁や尾根につけられた山道をたどって歩くと、希少な陸産貝類などを柵内に保全する谷戸の側を通って北側の道路に出た。
谷戸とは、多摩の丘陵地帯にみられる谷間の地形であり、沼または湿地になっている場所もあるようだ。
保全されている湿地には、絶滅危惧種に選定されているミズコハクガイとキバサナギガイが生息しているという。
これらの貝類は、かつて本州、四国、九州の池や沼に広く生息していたものの、池沼の開発によって生存する場所を断たれ、今では、多摩の谷戸など経済的価値のない沼や湿地にわずかに生き残っているとみる。
この里山の近くには、桜ケ丘公園、貝取北公園、一本杉公園などウォーキングに適した場所が多く、何度か歩いている。このとき、「貝取」の地名の由来は何だろうかという疑問がわいていた。
今回、里山の貝類を知ることになり、この際、ちょうどよい機会なので、この地名の由来を調べてみることにした。
「東京都の地名」を収録した分厚い辞典によれば、「貝取村」は少なくとも江戸時代の初めには存在していた。しかし、地名の由来は説明していない。
多摩市が所蔵する参考文献によれば、「貝取」について、「地名の由来は定かではないが、言い伝えには、往古貝の取れる所といわれている。貝の化石が多くあったようである。」と説明している。往古貝とは、貝の化石のことであろう。
今の時代で「貝を取る」と言えば、主として、食料となる貝を採取することを意味するが、昔は、貝殻を原材料として利用するために、それを採取することも行われていたものと想像する。例えば、貝殻を焼いて胡粉を作り、それからできるおしろいなどは、かなりの需要があったはずである。
この参考文献は、さらに「また、その昔、付近一帯が馬の放牧場(小野牧)に関係した地帯であることから、飼取の語から来たのではないかともいわれる(多摩の歴史7)。」と追記している。
この地方では、古くから馬の放牧が行われていたようであり、万葉集にもその様子を詠んだ歌が残されている。
「東京都の地名」によると、貝取村にはまぐさ場があり、これをめぐって近隣の村と争いがあったことが記録に残されている。その当時、まぐさ場がいかに重要な場所であったかを示唆している。
まぐさ場とは、まぐさ(馬草)を刈り取るところを意味する。まぐさは、馬の餌であり、かひば(かいば、飼い葉)とも言われる。そうすると、かいばを刈り取る作業をかいば取り、縮めて飼取、当て字に代えて貝取とよぶことも可能性としてはありと思える。しかし、この発想は後知恵のようにも思えるので、「飼取」の真偽のほどは分からない。
結論として、参考文献の説明は妥当であり、それ以上に言うことはないと考える。
参考文献
「多摩市の町名」(多摩市役所所蔵)
どこか本物の里山を歩いてみたいと思っていたところ、東京都が「連光寺・若葉台里山保全地域」を選定したことを知り、早速行ってみることにした。
細長い里山緑地の縁や尾根につけられた山道をたどって歩くと、希少な陸産貝類などを柵内に保全する谷戸の側を通って北側の道路に出た。
谷戸とは、多摩の丘陵地帯にみられる谷間の地形であり、沼または湿地になっている場所もあるようだ。
保全されている湿地には、絶滅危惧種に選定されているミズコハクガイとキバサナギガイが生息しているという。
これらの貝類は、かつて本州、四国、九州の池や沼に広く生息していたものの、池沼の開発によって生存する場所を断たれ、今では、多摩の谷戸など経済的価値のない沼や湿地にわずかに生き残っているとみる。
この里山の近くには、桜ケ丘公園、貝取北公園、一本杉公園などウォーキングに適した場所が多く、何度か歩いている。このとき、「貝取」の地名の由来は何だろうかという疑問がわいていた。
今回、里山の貝類を知ることになり、この際、ちょうどよい機会なので、この地名の由来を調べてみることにした。
「東京都の地名」を収録した分厚い辞典によれば、「貝取村」は少なくとも江戸時代の初めには存在していた。しかし、地名の由来は説明していない。
多摩市が所蔵する参考文献によれば、「貝取」について、「地名の由来は定かではないが、言い伝えには、往古貝の取れる所といわれている。貝の化石が多くあったようである。」と説明している。往古貝とは、貝の化石のことであろう。
今の時代で「貝を取る」と言えば、主として、食料となる貝を採取することを意味するが、昔は、貝殻を原材料として利用するために、それを採取することも行われていたものと想像する。例えば、貝殻を焼いて胡粉を作り、それからできるおしろいなどは、かなりの需要があったはずである。
この参考文献は、さらに「また、その昔、付近一帯が馬の放牧場(小野牧)に関係した地帯であることから、飼取の語から来たのではないかともいわれる(多摩の歴史7)。」と追記している。
この地方では、古くから馬の放牧が行われていたようであり、万葉集にもその様子を詠んだ歌が残されている。
「東京都の地名」によると、貝取村にはまぐさ場があり、これをめぐって近隣の村と争いがあったことが記録に残されている。その当時、まぐさ場がいかに重要な場所であったかを示唆している。
まぐさ場とは、まぐさ(馬草)を刈り取るところを意味する。まぐさは、馬の餌であり、かひば(かいば、飼い葉)とも言われる。そうすると、かいばを刈り取る作業をかいば取り、縮めて飼取、当て字に代えて貝取とよぶことも可能性としてはありと思える。しかし、この発想は後知恵のようにも思えるので、「飼取」の真偽のほどは分からない。
結論として、参考文献の説明は妥当であり、それ以上に言うことはないと考える。
参考文献
「多摩市の町名」(多摩市役所所蔵)