「人は見た目が90%」と言う人がいる。
人の見た目がよく実体を表している場合もあれば、実体を表していない場合もあるだろう。しかし、前者が90%なのかというと、信じられない気がするのだが。
人に限らず外界の事物や現象を見るとき、見る人がそれをどのように解釈するかは、その人の脳の情報処理能力に大きく依存している。
脳は階層的な情報処理をしているが、低次領野の入力情報よりも高次領野からの入力が圧倒的に多い。これをもって、参考文献では、「脳はほとんど外界情報を必要としない」と言っている。
網膜から入力される視覚情報は、外側膝状体という部位を経由して一次視覚野に入力され、画像の輪郭、色、位置、大きさなどの要素に分解され、画像が何かが認識される。
このとき、一次視覚野から高次視覚野へボトムアップされる入力は20%ほどであり、トップダウン入力される内部情報は80%ほどであるという。
このように、脳が視覚情報を処理すると言っても、内部情報が支配的な状況では、脳は視覚情報から別の事象を想像したり、将来を予測することができる一方、何らかの妄想にとらわれる可能性もある。
別の表現をすれば、「脳は、外界の事物を客観的に見ているのではなく、自分が見たいと思う範囲のイメージを主観的に見ている」とも言える。
こうなると、同じ事物や現象を見ても、それを脳で解釈するに当たり、高次領野に蓄積された内部情報が大きくものを言うことが分かる。
言い換えれば、その人の教養と人間性の程度がものを言うことになるだろう。
しかし、教養や人間性は、個人の中にしかなく、それをもって他人を評価することは慎むべきである。教養と人間性の程度がどうであれ、人間はすべて同一のホモサピエンスからつくられ、環境によって肉体的・精神的に個別の変形を受けたものであり、他人の評価は相対的なものでしかないから。
参考文献
高橋宏知著「メカ屋のための脳科学入門」(日刊工業新聞社)
人の見た目がよく実体を表している場合もあれば、実体を表していない場合もあるだろう。しかし、前者が90%なのかというと、信じられない気がするのだが。
人に限らず外界の事物や現象を見るとき、見る人がそれをどのように解釈するかは、その人の脳の情報処理能力に大きく依存している。
脳は階層的な情報処理をしているが、低次領野の入力情報よりも高次領野からの入力が圧倒的に多い。これをもって、参考文献では、「脳はほとんど外界情報を必要としない」と言っている。
網膜から入力される視覚情報は、外側膝状体という部位を経由して一次視覚野に入力され、画像の輪郭、色、位置、大きさなどの要素に分解され、画像が何かが認識される。
このとき、一次視覚野から高次視覚野へボトムアップされる入力は20%ほどであり、トップダウン入力される内部情報は80%ほどであるという。
このように、脳が視覚情報を処理すると言っても、内部情報が支配的な状況では、脳は視覚情報から別の事象を想像したり、将来を予測することができる一方、何らかの妄想にとらわれる可能性もある。
別の表現をすれば、「脳は、外界の事物を客観的に見ているのではなく、自分が見たいと思う範囲のイメージを主観的に見ている」とも言える。
こうなると、同じ事物や現象を見ても、それを脳で解釈するに当たり、高次領野に蓄積された内部情報が大きくものを言うことが分かる。
言い換えれば、その人の教養と人間性の程度がものを言うことになるだろう。
しかし、教養や人間性は、個人の中にしかなく、それをもって他人を評価することは慎むべきである。教養と人間性の程度がどうであれ、人間はすべて同一のホモサピエンスからつくられ、環境によって肉体的・精神的に個別の変形を受けたものであり、他人の評価は相対的なものでしかないから。
参考文献
高橋宏知著「メカ屋のための脳科学入門」(日刊工業新聞社)