昨年4月だろうか、多摩市の桜ヶ丘公園を散策しているとき、ウグイスとガビチョウがさえずりの競演をしているのが印象的であった。そこで今年も同じ場面に出会いたいと思い、よく晴れた4月22日を選んで、桜ヶ丘公園へ行くことにした。
京王永山駅で降りて、陸橋を渡ってから石段や上り坂を上がって行く。聖ヶ丘で陸橋を渡り、商店のある通りと学校の脇を通ると、桜ヶ丘公園の入り口に着く。この公園の山道を上がって行くと、旧多摩聖蹟記念館に到着する。公園の頂上広場から「ちょうの道」を下っていくと、途中に兎平という所がある。昨年、二鳥の声の競演を聴いたのはこの辺りであった。
ここまで来る途中で、何度かウグイスとガビチョウそれぞれの声を聞いたが、残念ながら二鳥が競演している場面に出会うことはなかった。同じ場所で両者が常に競演するとは限らないし、小鳥の生態系が変わるということもあり得る。
そこで、さらに山を下って、「とんぼの広場」まで来ると、近くで鳴くウグイスの甲高い声に聞きほれ、しばらく休憩してウグイスの声を聴くことにした。晴天に恵まれ、山の新緑がよく映えるとともに、初夏を思わせる爽やかな風が吹き抜けていく気持のよい日であった。この先、このような日が何度もあるとは思えない。
その後、聖蹟桜ヶ丘駅まで下りて、電車で帰宅した。
ここで、今年の4月18日に戻り、区役所で行われたロビーコンサートの話になる。この日のコンサートでは、ウクライナの戦禍をのがれて東京に避難してきたチェロ奏者のタチアナ・ラヴロワさんとヤーナ・ラヴロワさんの母娘の演奏を聴くことができた。グリエール作曲「ヴァイオリンとチェロの2重奏曲」よりでは、母娘ともにチェロの演奏をした。カタロニア民謡(カザルス編)「鳥の歌」では、日本フィルの弦楽四重奏のメンバー3名とチェロ・パートのタチアナさんが共演した。
最後に、タチアナさんは、「私たちは破壊のためにこの世界にいるのではない。破壊という歌ではなく、鳥の歌を聴きたい」と挨拶した。まことに、平和な日本で小鳥の声を聴くことができるのは、この上ない幸せであると思う。
ここまで書いてきて、このブログ記事に対して「でき過ぎ」とか「盛り過ぎ」というコメントが予想されるのではないかという気がした(実際にコメントを寄せるか否かは別として)。しかし、二鳥の競演は、昨年4月から期待していたことであり、今年4月になって急に思い付いたことではない。また、私は区役所のロビーコンサートを毎回聴いており、今回のコンサートにタチアナ/ヤーナさんがいなくとも聴きに行っていただろう。つまり、二つのイベントは偶然に結び付いただけであり、作為があるわけではない。
京王永山駅で降りて、陸橋を渡ってから石段や上り坂を上がって行く。聖ヶ丘で陸橋を渡り、商店のある通りと学校の脇を通ると、桜ヶ丘公園の入り口に着く。この公園の山道を上がって行くと、旧多摩聖蹟記念館に到着する。公園の頂上広場から「ちょうの道」を下っていくと、途中に兎平という所がある。昨年、二鳥の声の競演を聴いたのはこの辺りであった。
ここまで来る途中で、何度かウグイスとガビチョウそれぞれの声を聞いたが、残念ながら二鳥が競演している場面に出会うことはなかった。同じ場所で両者が常に競演するとは限らないし、小鳥の生態系が変わるということもあり得る。
そこで、さらに山を下って、「とんぼの広場」まで来ると、近くで鳴くウグイスの甲高い声に聞きほれ、しばらく休憩してウグイスの声を聴くことにした。晴天に恵まれ、山の新緑がよく映えるとともに、初夏を思わせる爽やかな風が吹き抜けていく気持のよい日であった。この先、このような日が何度もあるとは思えない。
その後、聖蹟桜ヶ丘駅まで下りて、電車で帰宅した。
ここで、今年の4月18日に戻り、区役所で行われたロビーコンサートの話になる。この日のコンサートでは、ウクライナの戦禍をのがれて東京に避難してきたチェロ奏者のタチアナ・ラヴロワさんとヤーナ・ラヴロワさんの母娘の演奏を聴くことができた。グリエール作曲「ヴァイオリンとチェロの2重奏曲」よりでは、母娘ともにチェロの演奏をした。カタロニア民謡(カザルス編)「鳥の歌」では、日本フィルの弦楽四重奏のメンバー3名とチェロ・パートのタチアナさんが共演した。
最後に、タチアナさんは、「私たちは破壊のためにこの世界にいるのではない。破壊という歌ではなく、鳥の歌を聴きたい」と挨拶した。まことに、平和な日本で小鳥の声を聴くことができるのは、この上ない幸せであると思う。
ここまで書いてきて、このブログ記事に対して「でき過ぎ」とか「盛り過ぎ」というコメントが予想されるのではないかという気がした(実際にコメントを寄せるか否かは別として)。しかし、二鳥の競演は、昨年4月から期待していたことであり、今年4月になって急に思い付いたことではない。また、私は区役所のロビーコンサートを毎回聴いており、今回のコンサートにタチアナ/ヤーナさんがいなくとも聴きに行っていただろう。つまり、二つのイベントは偶然に結び付いただけであり、作為があるわけではない。