昔の時代は良かったということを確認するために
ワイン売り場に1本だけ「赤玉」が置いてあったので
チャレンジャー精神で買ってみた
「・・・」
ワインと思って飲むと、なんじゃこりゃーときっと思う
たぶん昭和とかの昔の時代は果実酒は「梅酒」というのが一般的で
それに合わせてサントリーさんがワインを造ったのだろう
あの時代はスパゲティといえばケチャップで味付けして
粉チーズを降りかける「ナポリタン」とかいう焼きうどんのようなものだったし
パスタのアルデンテがどうやらとかボジョレーがなんたらとか言い出したのは
つい最近の話である
でも、実際イタリアとかフランスの安い食堂でパスタとかワインを頼むと
焼きうどんみたいなものだったりジュースみたいなワインが出てくるので
昭和の時代は実は本場のディープな味を正確に再現していたのかもしれない
ワイン売り場に1本だけ「赤玉」が置いてあったので
チャレンジャー精神で買ってみた
「・・・」
ワインと思って飲むと、なんじゃこりゃーときっと思う
たぶん昭和とかの昔の時代は果実酒は「梅酒」というのが一般的で
それに合わせてサントリーさんがワインを造ったのだろう
あの時代はスパゲティといえばケチャップで味付けして
粉チーズを降りかける「ナポリタン」とかいう焼きうどんのようなものだったし
パスタのアルデンテがどうやらとかボジョレーがなんたらとか言い出したのは
つい最近の話である
でも、実際イタリアとかフランスの安い食堂でパスタとかワインを頼むと
焼きうどんみたいなものだったりジュースみたいなワインが出てくるので
昭和の時代は実は本場のディープな味を正確に再現していたのかもしれない
「おかあちゃん、おなかがすいたよ
甘いものが食べたい、あんみつが食べたいんだ」
「二郎ちゃん、なんてことを言うんですか
壇蜜がたべたいなんて、あれは、18歳以上になってから
食べるもんですよ」
「壇蜜って仏壇のお供え物って意味らしいよ
wikipediaに書いてあったんだ」
甘いものが食べたい、あんみつが食べたいんだ」
「二郎ちゃん、なんてことを言うんですか
壇蜜がたべたいなんて、あれは、18歳以上になってから
食べるもんですよ」
「壇蜜って仏壇のお供え物って意味らしいよ
wikipediaに書いてあったんだ」
今晩も泡盛飲んで
「わしの人生はなんやったんや~~~」
「あの頃の未来に立っているのかな~~~」
と夜空の向こうに叫ぼうとしたが
泡盛が空になっていた
そろそろ沖縄のスーパーりうぼうに買いにいくか
「わしの人生はなんやったんや~~~」
「あの頃の未来に立っているのかな~~~」
と夜空の向こうに叫ぼうとしたが
泡盛が空になっていた
そろそろ沖縄のスーパーりうぼうに買いにいくか
老後は「めざせプロバンス生活」をテーマにしようとしたが
坂はきついし、駅までしんどいし、家がどんどん建って海なんかほとんど見えんし
上の住人はうるさいし、機械式駐車場もうるさいし、冬は寒いし
そもそも、プロバンスがなんぼのもんや、と考えると
やはり貧乏人には南国長屋生活が一番良いのかもしれない
しかし、実際に南国の長屋生活をすると
虫が多いとか、湿気がすごいとか、屋根が熱いとか、隣がうるさい、とかで
きっといやになると思う
最近の円安は輸出の日本経済にはプラスのはずだが
1割変動しただけで海外での家賃に影響するので海外逃亡には困るし
やはり貧乏な老後は難しい
やはり泡盛飲んで現実逃避して寝るしかない
坂はきついし、駅までしんどいし、家がどんどん建って海なんかほとんど見えんし
上の住人はうるさいし、機械式駐車場もうるさいし、冬は寒いし
そもそも、プロバンスがなんぼのもんや、と考えると
やはり貧乏人には南国長屋生活が一番良いのかもしれない
しかし、実際に南国の長屋生活をすると
虫が多いとか、湿気がすごいとか、屋根が熱いとか、隣がうるさい、とかで
きっといやになると思う
最近の円安は輸出の日本経済にはプラスのはずだが
1割変動しただけで海外での家賃に影響するので海外逃亡には困るし
やはり貧乏な老後は難しい
やはり泡盛飲んで現実逃避して寝るしかない
正月の深夜映画で「ニューシネマパラダイス」をやっていた
何回見ても泣ける良い映画である
が、ふと冷静に考えると
都会で成功した中高年のイケメン主人公が故郷での昔の思い出にひたるっちゅうストーリーなわけで
これが、なんにも成功せず、失敗続きで、低収入で、家族も子供も無く、チビで短足でハゲでデブで
ブサイクで頭が悪くて、センス悪いし、過去の楽しい思い出も何も無い
という主人公だったらどうするねん、と考えると
まあ、そういうのは映画になるはずが無いのであるが
少子高齢化の昨今、現実にそういう状況で中高年になってしもたら
「わしの人生なんやったんやろ」と叫びながら毎晩、泡盛「南風」をストレートで飲むしかない
「三丁目の夕日」とか「コクリコ坂」とかいうのも昔は良かった的な部分で似ているのかもしれんが
記憶ちゅうのはそんなに自動的に美化されるものだろうか
たぶん美化されないと
「わしの人生なんやったんやろ」と叫びながら毎晩、泡盛「南風」をストレートで飲むしかないからか
何回見ても泣ける良い映画である
が、ふと冷静に考えると
都会で成功した中高年のイケメン主人公が故郷での昔の思い出にひたるっちゅうストーリーなわけで
これが、なんにも成功せず、失敗続きで、低収入で、家族も子供も無く、チビで短足でハゲでデブで
ブサイクで頭が悪くて、センス悪いし、過去の楽しい思い出も何も無い
という主人公だったらどうするねん、と考えると
まあ、そういうのは映画になるはずが無いのであるが
少子高齢化の昨今、現実にそういう状況で中高年になってしもたら
「わしの人生なんやったんやろ」と叫びながら毎晩、泡盛「南風」をストレートで飲むしかない
「三丁目の夕日」とか「コクリコ坂」とかいうのも昔は良かった的な部分で似ているのかもしれんが
記憶ちゅうのはそんなに自動的に美化されるものだろうか
たぶん美化されないと
「わしの人生なんやったんやろ」と叫びながら毎晩、泡盛「南風」をストレートで飲むしかないからか