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ゆめ未来     

遊びをせんとや生れけむ....
好きなことを、心から楽しもうよ。
しなやかに、のびやかに毎日を過ごそう。

ギリシャ人の物語Ⅱ/塩野七生

2017年04月03日 | もう一冊読んでみた
ギリシャ人の物語Ⅱ/民主制の成熟と崩壊

塩野七生氏の歴史書は、昔、お話を聞く前、期待でワクワクとした時のことを思い出させます。
昔話を聞くように、楽しく読みました。

人としての生き方を学ぶように読みます。

 想像力とは、相手の身になって考える能力、でもあるのだから。

 貴族的とは、高貴な生まれとか暮らしぶりが贅沢であるとかはまったく関係ない。
 真の意味での「貴族的」とは、多くの人がやってみたいと思ってはいても世間体が気になってやれないでいることを、平然と、しかし品位を保って、やってしまう人を指す。

 怒りもしなかったのは、この種の愚か者の水準まで降りていくのを、拒否したからにすぎなかった。怒りとは、相手も対等であると思うから、起こる感情なのだ。

 「ローマ興隆の最大の要因は、敗者でさえも自分たちと同化していった彼らの生き方にあった」

 時代は変わるのである。そしてリーダーも、変わりゆく時代に合致したタイプが求められる。

 ローマ人は運命を、人事をつくして天命を待ち、決まった後はそれを慫慂として受け入れるもの、と考えていたからである。
 反対にギリシヤア人は、いかに人事をつくしてもどうにもならないのが運命だ、と考える人々であった。


 残念なことではあるけれど、人類は、戦争そのものが嫌いなのではない。長期戦になり、しかも敗色が濃くなった戦争が嫌いなのである。

 敗色が濃くなる一方の長期戦くらい、自国民の支持を失うものもないからである。

 繁栄は、努力や苦労をしなくても謳歌できると思うと、完全にまちがう。繁栄を謳歌したければそれに要する努力や苦労を欠くわけにはいかない。

 「主導権をにぎった側が勝つ」とは戦場では有効な考え方だが、この考え方は、政治・外交・経済、そして文化に至るまで、通用可能な真理ではないだろうか。


コップの水が、コップに1/2ある時、「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分ある」と考えるか、心の持ち方についての話は、よく耳にしますが、「つぎ足せばよい」という考え方に、ぼくは初めて接しました、その通りです。笑ってしまった。

 そこに、一人の男が現れる。コップにはまだ半分水は残っているではないか、また、それにつぎ足してはならないと、どの法も決めていないし、誰も言ってはいないではないか、と言い始めた人物が現れたのである。

最後に

 悪い知らせほど、早く伝わる。

  『 ギリシャ人の物語Ⅱ/民主制の成熟と崩壊/塩野七生/新潮社 』

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「ハリー・オーガスト、15回目の人生」 ループもの

2017年04月03日 | もう一冊読んでみた
ハリー・オーガスト、15回目の人生/クレア・ノース

この種のSF小説を、”ループもの”(同じ時間が反復される物語)と言うらしい。
ぼくの記憶している限りでは、初めて読む分野です。

巻末の大森望氏の「解説」は示唆に富んでいて、面白い読み物になっています。
クレア・ノースとは、誰なのかとか?

『2017年版 このミステリーがすごい!』では、海外編第19位でした。
第19位ではありましたが、主人公は、世界中のいろいろな地域を旅し、歴史的事実にも触れながら、話は進められるので、ぼくは結構楽しめました。

「リプレイ」とは.......... 物語の中から抜粋してみました。

 ぐるぐると輪のように生と死を繰り返す私たちのような人間は、三つのステージを経るといわれている。すなわち拒絶、探求、そして受容だ。

 無知を無垢、孤独を気楽と考えるなら、なりゆきに任せて生きた最初の人生はある意味、幸福だった。だがまえの人生の記憶を持ったまま、同じ生き方はできない。私にはこれから起こる出来事がわかるだけでなく、身のまわりの真実もちがって見えた。

 「私は死ねないんだ」私は丁寧に説明した。「誕生し、生き、死んで、また生き返る。そのたび、いつも同じ人生が待っている。おたくの政府はこの件に関して、なにか参考になる情報を持っていないか?」
 シェン氏はにっこりした。「あいにくですが、尊師。ご協力ありがとうございました」と言い、ふと思いついたように言い添えた。「いろいろご苦労されているようですが、お元気で」


 過去は過去であって、なにをしても結果は変わらないからだと答えることもできる。私がなにをしても私以外の人間には意味を持たない人生に疲れた。歳を重ねて心が麻痺し、空っぽになった。自分が死んだ理由が知りたくて古い墓を訪れる幽霊みたいに人生から人生へと漂ってきたが、なにも見つからない。意味のあることはなにも見つからない。

繰り返し記憶を持って生まれ変わることが出来れば、このことが強く意識されることでしょう。

 でもこのご時世、私たちのほとんどは思いやりを失っている。進歩のために私たちは魂を食いつくし、大切なものを捨ててしまったのよ

 『 ハリー・オーガスト、15回目の人生/クレア・ノース/南海弘美訳/角川文庫 』

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