■裏切り 2023.3.20
帯によれば
ドイツ本国で9月刊行後、
わずか3か月でペーパーバック年間売上第1位となった
大ベストセラー・ミステリ
上下二冊でp751ですが、倦かずに、最後まで面白く読みました。
誰が警部を殺したのか、特定することは難しかったが、それもそのはず......。
それにしても、シャルロッテは登場人物を閉じ込めるのが好きな作家だ。
石壁の小屋に監禁したり、地下室に閉じ込め水攻めの恐怖に陥れたり、自らの過去に絡め取られ壁に座り続けるだけの毎日や依存症や過去の恐怖体験に悩み続ける人生など、すべての登場人物はなにかに閉じ込められている。実生活でも心理的にも。
「私には人生なんてないんです。それが辛いんです」
ケイトがもう何年も前から、側にいてくれる人が欲しいとどれほど強く願っているか、知っているのは神様のみだ。自分のものだと言える人。人生を分かち合える人。夜に、今日はどんな一日だった、と尋ねることができる人。朝食のとき、目の前に座って、週末の映画館のプログラムを読み聞かせてくれる人。一緒にいろいろな計画を立て、旅行をし、祝日を共に過ごす人。寒い冬の夜に一緒に暖炉の前に座ってくれる人。隣にいると、守られていると感じられる人。我が家にいると感じられる人。一緒にいると安心して寛げる人。
帰るべき港へ帰ってきたと感じられる人。
警察が市民に絶対にしてはいけないと教えること、リチャード自身も口を酸っぱくして、してはいけないと訴え続けたことなのだと、わかってはいた。「誰かが家に侵入してきたと思ったら、自分でなんとかしようとは絶対に思わないでください。家を出るなり、どこかに鍵をかけて閉じこもるなりして、身の安全を確保してください。それから電話で助けを呼んでください。その際、できる限り音を立てず、目立たないように。犯人に、気づかれたと思わせてはいけません」
あとから振り返っても、なぜ自分があらゆる規則を無視して、予測不能な危険に対峙しようと思ったのか、説明することはできなかっただろう。年を取って頑固になった? 自己過信? それとも、自分の大きく見せたかったのだろうか?
リチャードは大勢の若い警官たちを教育してきた。いつも彼らにまっさきに伝えた信条はこうだ----決して思い込みを持つな。すべては実際に確かめてみなければならない。考え得るあらゆる可能性を検討しなければならない。君たちの命とほかの人たちの命が、そこにかかっている。
「そうなんです」ジョナスは答えた。「そのとおりなんですよ。破滅がいまにもやって来るに違いないと、常に思いながら生きてるんです」
ケイレブの頼みをきく代わりに、ケイトはもう一口がぶり飲んだ。ウィスキーの香りが鼻へと入り込んだ瞬間、ケイレプは、酒が舌に残す味を感じ、喉の焼けるような感触を、胃に広がる温かさを、頭がすっと軽くなり、あらゆる硬直が溶けていく感覚を追体験していた。悩みはすべて解決可能に思われ、喪失にも耐えられるような気がする。人生の尖った輪郭が丸く柔らかになる。ついさっきまではどうしてあんなに絶望していたのだろうと、不思議になる。
ケイレプは素早く一歩退いた。額に汗が浮かんできて、鼓動が速まるのを感じた。軽い吐き気が襲ってくる。
「ああ、私自身も同じ時期に、自分がザル並みに飲んでることを誰にも知られまいと、必死に隠してた。理解あるふりをして、そのことで自分と話し合おうなんていう人間がいたら、飛びかかっていただろうな。変だと思わないか? どうやら我々はみんな、同じようにできてるらしい。いっもきれいな見た目を保っていたいし、いつも問題なんかないっていううわべを外には見せておきたいんだ。その見た目の下ではなにもかもが腐っているとしてもね」
『 裏切り(上・下)/シャルロッテ・リンク/浅井晶子訳/創元推理文庫 』
帯によれば
ドイツ本国で9月刊行後、
わずか3か月でペーパーバック年間売上第1位となった
大ベストセラー・ミステリ
上下二冊でp751ですが、倦かずに、最後まで面白く読みました。
誰が警部を殺したのか、特定することは難しかったが、それもそのはず......。
それにしても、シャルロッテは登場人物を閉じ込めるのが好きな作家だ。
石壁の小屋に監禁したり、地下室に閉じ込め水攻めの恐怖に陥れたり、自らの過去に絡め取られ壁に座り続けるだけの毎日や依存症や過去の恐怖体験に悩み続ける人生など、すべての登場人物はなにかに閉じ込められている。実生活でも心理的にも。
「私には人生なんてないんです。それが辛いんです」
ケイトがもう何年も前から、側にいてくれる人が欲しいとどれほど強く願っているか、知っているのは神様のみだ。自分のものだと言える人。人生を分かち合える人。夜に、今日はどんな一日だった、と尋ねることができる人。朝食のとき、目の前に座って、週末の映画館のプログラムを読み聞かせてくれる人。一緒にいろいろな計画を立て、旅行をし、祝日を共に過ごす人。寒い冬の夜に一緒に暖炉の前に座ってくれる人。隣にいると、守られていると感じられる人。我が家にいると感じられる人。一緒にいると安心して寛げる人。
帰るべき港へ帰ってきたと感じられる人。
警察が市民に絶対にしてはいけないと教えること、リチャード自身も口を酸っぱくして、してはいけないと訴え続けたことなのだと、わかってはいた。「誰かが家に侵入してきたと思ったら、自分でなんとかしようとは絶対に思わないでください。家を出るなり、どこかに鍵をかけて閉じこもるなりして、身の安全を確保してください。それから電話で助けを呼んでください。その際、できる限り音を立てず、目立たないように。犯人に、気づかれたと思わせてはいけません」
あとから振り返っても、なぜ自分があらゆる規則を無視して、予測不能な危険に対峙しようと思ったのか、説明することはできなかっただろう。年を取って頑固になった? 自己過信? それとも、自分の大きく見せたかったのだろうか?
リチャードは大勢の若い警官たちを教育してきた。いつも彼らにまっさきに伝えた信条はこうだ----決して思い込みを持つな。すべては実際に確かめてみなければならない。考え得るあらゆる可能性を検討しなければならない。君たちの命とほかの人たちの命が、そこにかかっている。
「そうなんです」ジョナスは答えた。「そのとおりなんですよ。破滅がいまにもやって来るに違いないと、常に思いながら生きてるんです」
ケイレブの頼みをきく代わりに、ケイトはもう一口がぶり飲んだ。ウィスキーの香りが鼻へと入り込んだ瞬間、ケイレプは、酒が舌に残す味を感じ、喉の焼けるような感触を、胃に広がる温かさを、頭がすっと軽くなり、あらゆる硬直が溶けていく感覚を追体験していた。悩みはすべて解決可能に思われ、喪失にも耐えられるような気がする。人生の尖った輪郭が丸く柔らかになる。ついさっきまではどうしてあんなに絶望していたのだろうと、不思議になる。
ケイレプは素早く一歩退いた。額に汗が浮かんできて、鼓動が速まるのを感じた。軽い吐き気が襲ってくる。
「ああ、私自身も同じ時期に、自分がザル並みに飲んでることを誰にも知られまいと、必死に隠してた。理解あるふりをして、そのことで自分と話し合おうなんていう人間がいたら、飛びかかっていただろうな。変だと思わないか? どうやら我々はみんな、同じようにできてるらしい。いっもきれいな見た目を保っていたいし、いつも問題なんかないっていううわべを外には見せておきたいんだ。その見た目の下ではなにもかもが腐っているとしてもね」
『 裏切り(上・下)/シャルロッテ・リンク/浅井晶子訳/創元推理文庫 』