■レーエンデ国物語 2024.2.26
多崎礼さんの『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』を読みました。
この作品も面白くて、一気に読んでしまいました。
テーマは、天才の生き方と凡人の生活。
天才に生まれた人間の自負と使命。凡人のささやかな生き甲斐と平凡な幸せ。
双子の兄弟が抱える複雑な兄弟愛の葛藤。
出会った人々との忘れがたい思い出。
時代の波に翻弄されながら、二人の人生は疾走する。
「おい」
先に気づいたのはリーアンだった。
「あれ、セリーヌじゃねぇか?」
セリーヌは彼らの母親の名だ。リーアンは母を毛嫌いし、彼女のことお名前で呼んだ。
「母さんはレーエンデ人だぞ。ホームに入れるはずがない」
反射的に言い返し、アーロウは目をこらした。
干からびた手で、ライカは彼の手の甲を叩いた。
「どうしてそんなに自分のことが嫌いなのか、その理由はわかってるかい?」
「それは----」
言葉に詰まったアーロウの代わりに、マレナが答えた。
「大好きなリーアンに置いてかれたから、アーロウは『自分には何の価値もない』って思い込んでるの」
「さすが、マレナはよくわかってるねぇ」
ライカはマレナの頭を撫で、再びアーロウに目を戻した。
「リーアンはまごうことなき天才だ。あの子は歴史に名を残す。そういう星の下に生まれてきたんだ。でもアーロウ、あんたは違う。あんたは優しくて、とても善い人間だけど、リーアンのような神がかった才能は持ってない。けどね、アーロウ。凡人もね、そう悪いもんじゃないんだよ」
ふふっと笑い、彼女は天井を見上げた。
「才能ってのは呪いだよ。人並みの幸せじゃ満たされない。十を得れば百ほしくなり、百を得れば千ほしくなる。高く、もっと高く、どこまでも昇り続けて、満足するということを知らない。でもあんたは凡人だから、とても優れた凡人だから、リーアンには決して手に入らない人並みの幸せを掴むことが出来る」
アーロウは下唇を噛んだ。否定したい気持ちと、受け入れてしまいたい気持ちが胸の中でせめぎ合う。言い返したいと思っても、上手い言葉が見つからない。
「あんたにはマレナがいる。ルミニエ座の仲間がいる。みんな、あんたを愛している。どうかそれお忘れないでおくれ」
「……わかった」
「いい子だ」
「お前は俺と違って優しい。困ってる人間を放ってはおけねぇ。だからお前は自然と皆に好かれる。人との絆は命綱だ。多けりゃ多いほどいい」
「もう、俺に、出来ることはないのか」
顔を上げ、アーロンは涙を拭った。
「お前にしてやれることは、もう何もないのか」
「そうだな。とりあえず、長生きしてくれ」
彼の顎を持ち上げて、彼の唇にキスをする。
「結婚してあげる。こんな使い古しでよければね?」
アーロウは目を見開き、堪えきれずに破顔した。
「それは俺の台詞だよ」
あたしの言った通りだろう? 耳元でライカが笑った。人並みの幸福ってのは、凡庸の中にしか存在しないものなのさ。
ああ、その通りだと、アーロウは心の中で答える。
俺は凡庸な人間だ。リーアンのように自分の才覚で人生を切り開くことも、月光亭を出ていくことも出来なかった。それでもマレナは選んでくれた。彼女が傍にいてくれる。助けを求めて手を伸ばせば、すかさず救い上げてくれる。これが凡人ゆえの僥倖であるならば、俺は天賦の才能などいらない。これ以上は望まない。
もう二度と、俺は言わない。
死にたいなんて二度と思わない。
「神様、あんたは残酷だ」
三日後、救済院から迎えが来た。
足がふらついて歩けないライカを、男達は戸板に乗せて運ぼうとした。
「やめろ!」
アーロウは野次馬をかき分けて前に出た。ライカを抱き上げ、男達に向かって叫んだ。
「どいてくれ、俺が運ぶ!」
「ほほほ……こりゃあいい!」
ライカは呵々と笑った。
「まるでお姫様になった気分だよ」
それならばと、アーロウはにっこりと笑った。
「ライカ姫、不肖アーロウ・ランべールがお供いたします。いざ参りましょう」
もう六月だというのに、救済院は寒々しかった。まるで墓場のように冷え冷えとしていた。
粗末な寝台にライカを寝かせ、アーロウは言った。
「見舞いに来るよ」
「来るんじゃない。来たら蹴っとぱすよ」
ライカは気丈に言い返した。
「ここは病人でいっぱいだ。悪い病気を拾いでもしたらどうするのさ」
「しかし----」
「あたしの出番が回ってきたら、もう一度だけ会いに来ておくれ。この世で最後に拝むのは、とびきりいい男の顔にしたいからね」
早くお帰りと言って、ライカは彼の尻を叩いた。その手は弱々しくて、彼女が無理をしているのがわかった。ここにいても何も出来ない。彼女に体力を消耗させて、命を縮めさせるだけだ。
「また来るよ」
そう言い残し、アーロウはライカの傍を離れた。
救済院を出ると、外には光が溢れていた。空気は湿って暖かい。もうすっかり初夏の陽気だ。太陽光が目に染みて、アーロウはくしゃみをした。洟をすすり、涙を拭う。
絶望の暗闇に明かりを灯す者がいた。
高らかに自由を謳い、失われた矜持と尊厳を思い出させた者がいた。
革命の話をしよう。
「真実を知るということは責任を負うということだ。自分の命を預け、仲間達の命を預かるということだ」
「テッサ、お前は夜明けの太陽のように闇を光に変えていく。不可能を可能に変え、絶望を希望に変える。それはお前の天賦の才だ。お前にあって俺にない、神が与えた英雄の資質だ」
ギヨム・シモンがテッサを鼓舞する。
テッサは困惑し、数秒の沈黙の後、問いかける。
「あたしに、出来るでしょうか?」
「もちろんだ。お前が心から願えば出来ないことなど何もない。だからテッサ、よく考えろ。人の命はひとつだけ、人生は一度きりだ。帝国軍の民兵として野垂れ死ぬまで戦うか、レーエンデの英雄として戦い抜いて死ぬか。選べるのは一方だけだ」
『 レーエンデ国物語 喝采か沈黙か/多崎礼/講談社 』
多崎礼さんの『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』を読みました。
この作品も面白くて、一気に読んでしまいました。
テーマは、天才の生き方と凡人の生活。
天才に生まれた人間の自負と使命。凡人のささやかな生き甲斐と平凡な幸せ。
双子の兄弟が抱える複雑な兄弟愛の葛藤。
出会った人々との忘れがたい思い出。
時代の波に翻弄されながら、二人の人生は疾走する。
「おい」
先に気づいたのはリーアンだった。
「あれ、セリーヌじゃねぇか?」
セリーヌは彼らの母親の名だ。リーアンは母を毛嫌いし、彼女のことお名前で呼んだ。
「母さんはレーエンデ人だぞ。ホームに入れるはずがない」
反射的に言い返し、アーロウは目をこらした。
干からびた手で、ライカは彼の手の甲を叩いた。
「どうしてそんなに自分のことが嫌いなのか、その理由はわかってるかい?」
「それは----」
言葉に詰まったアーロウの代わりに、マレナが答えた。
「大好きなリーアンに置いてかれたから、アーロウは『自分には何の価値もない』って思い込んでるの」
「さすが、マレナはよくわかってるねぇ」
ライカはマレナの頭を撫で、再びアーロウに目を戻した。
「リーアンはまごうことなき天才だ。あの子は歴史に名を残す。そういう星の下に生まれてきたんだ。でもアーロウ、あんたは違う。あんたは優しくて、とても善い人間だけど、リーアンのような神がかった才能は持ってない。けどね、アーロウ。凡人もね、そう悪いもんじゃないんだよ」
ふふっと笑い、彼女は天井を見上げた。
「才能ってのは呪いだよ。人並みの幸せじゃ満たされない。十を得れば百ほしくなり、百を得れば千ほしくなる。高く、もっと高く、どこまでも昇り続けて、満足するということを知らない。でもあんたは凡人だから、とても優れた凡人だから、リーアンには決して手に入らない人並みの幸せを掴むことが出来る」
アーロウは下唇を噛んだ。否定したい気持ちと、受け入れてしまいたい気持ちが胸の中でせめぎ合う。言い返したいと思っても、上手い言葉が見つからない。
「あんたにはマレナがいる。ルミニエ座の仲間がいる。みんな、あんたを愛している。どうかそれお忘れないでおくれ」
「……わかった」
「いい子だ」
「お前は俺と違って優しい。困ってる人間を放ってはおけねぇ。だからお前は自然と皆に好かれる。人との絆は命綱だ。多けりゃ多いほどいい」
「もう、俺に、出来ることはないのか」
顔を上げ、アーロンは涙を拭った。
「お前にしてやれることは、もう何もないのか」
「そうだな。とりあえず、長生きしてくれ」
彼の顎を持ち上げて、彼の唇にキスをする。
「結婚してあげる。こんな使い古しでよければね?」
アーロウは目を見開き、堪えきれずに破顔した。
「それは俺の台詞だよ」
あたしの言った通りだろう? 耳元でライカが笑った。人並みの幸福ってのは、凡庸の中にしか存在しないものなのさ。
ああ、その通りだと、アーロウは心の中で答える。
俺は凡庸な人間だ。リーアンのように自分の才覚で人生を切り開くことも、月光亭を出ていくことも出来なかった。それでもマレナは選んでくれた。彼女が傍にいてくれる。助けを求めて手を伸ばせば、すかさず救い上げてくれる。これが凡人ゆえの僥倖であるならば、俺は天賦の才能などいらない。これ以上は望まない。
もう二度と、俺は言わない。
死にたいなんて二度と思わない。
「神様、あんたは残酷だ」
三日後、救済院から迎えが来た。
足がふらついて歩けないライカを、男達は戸板に乗せて運ぼうとした。
「やめろ!」
アーロウは野次馬をかき分けて前に出た。ライカを抱き上げ、男達に向かって叫んだ。
「どいてくれ、俺が運ぶ!」
「ほほほ……こりゃあいい!」
ライカは呵々と笑った。
「まるでお姫様になった気分だよ」
それならばと、アーロウはにっこりと笑った。
「ライカ姫、不肖アーロウ・ランべールがお供いたします。いざ参りましょう」
もう六月だというのに、救済院は寒々しかった。まるで墓場のように冷え冷えとしていた。
粗末な寝台にライカを寝かせ、アーロウは言った。
「見舞いに来るよ」
「来るんじゃない。来たら蹴っとぱすよ」
ライカは気丈に言い返した。
「ここは病人でいっぱいだ。悪い病気を拾いでもしたらどうするのさ」
「しかし----」
「あたしの出番が回ってきたら、もう一度だけ会いに来ておくれ。この世で最後に拝むのは、とびきりいい男の顔にしたいからね」
早くお帰りと言って、ライカは彼の尻を叩いた。その手は弱々しくて、彼女が無理をしているのがわかった。ここにいても何も出来ない。彼女に体力を消耗させて、命を縮めさせるだけだ。
「また来るよ」
そう言い残し、アーロウはライカの傍を離れた。
救済院を出ると、外には光が溢れていた。空気は湿って暖かい。もうすっかり初夏の陽気だ。太陽光が目に染みて、アーロウはくしゃみをした。洟をすすり、涙を拭う。

絶望の暗闇に明かりを灯す者がいた。
高らかに自由を謳い、失われた矜持と尊厳を思い出させた者がいた。
革命の話をしよう。
「真実を知るということは責任を負うということだ。自分の命を預け、仲間達の命を預かるということだ」
「テッサ、お前は夜明けの太陽のように闇を光に変えていく。不可能を可能に変え、絶望を希望に変える。それはお前の天賦の才だ。お前にあって俺にない、神が与えた英雄の資質だ」
ギヨム・シモンがテッサを鼓舞する。
テッサは困惑し、数秒の沈黙の後、問いかける。
「あたしに、出来るでしょうか?」
「もちろんだ。お前が心から願えば出来ないことなど何もない。だからテッサ、よく考えろ。人の命はひとつだけ、人生は一度きりだ。帝国軍の民兵として野垂れ死ぬまで戦うか、レーエンデの英雄として戦い抜いて死ぬか。選べるのは一方だけだ」
『 レーエンデ国物語 喝采か沈黙か/多崎礼/講談社 』