■永遠と横道世之介(上・下) 2023.12.4
上巻につづき、吉田修一さんの『永遠と横道世之介 下』を読みました。
夕日に照らされた町角に、どこからともなく豆腐屋さんのラッパの笛の音が聞こえてきます。
そんな昭和の懐かしい人情話を、隣でフムフムとうなずきながら、たくさんたくさん聞きました。
なんでもない一日。
春の、夏の、秋の、冬の。
そんななんでもない一日みたいな人。
そんな、何も特別のことのない平和な一日のとりとめのない幸せ話でした。
そろそろ夏も終わりである。夏というものは、夏真っ盛りの、そのど真ん中でとつぜん終わってしまうものなのかもしれない。
きっとだからこそ寂しい。きっとだからこそ美しいのである。
「……俺もいつか死ぬんでしょうね」
ふとそんな言葉が口から出て、世之介は自分で驚いた。もちろん日ごろからそんなことを考えているわけでもない。
「まあ、死ぬでしょうね」
ただ、和尚はあっさりしたものである。
「……でも、安心なさい。あなたが死んでも、世の中はそれまでと変わらず動いていきますよ。
二千花ちゃんが亡くなってからもそうだったように。……でも、もうあなたになら分かるでしょ? 同じように見えても、やっぱり少し違う。二千花ちゃんがそこにいた世界と、最初からいなかった世界ではやっぱり何かが違う。それがね、一人の人間が生きたってことですよ」
interviews/世之介シリーズは出会いの物語だと思う、と吉田さん/
誰かのために生きるって、素晴らしいことだって。
誰かのことを思える時間を持ってるって、何より贅沢なことだって。
人生の時間ってさ、みんな少し多めにもらってるような気がするんだ。自分のためだけに使うには少しだけ多い。
だから誰かのために使う分もちゃんとあって、その誰かが大切な人や困ってる人だとしたら、それほどいい人生はないと俺は思います。
「……先生、私のことはいいですから、万一の時は必ずこの子を助けて下さい。……この子をね、待ってる人がいっぱいいるんです。この子が生まれてくるのを、どこかで待ってる人たちがいっぱいいるんです。この子と一緒に笑ったり、泣いたりするのを待ってる人たちがいるんです。……だから先生、お願いします。この子の方を助けてあげて。この子をそんなみんなに会わせてあげて。きっと人生のいろんなところで、この子を待ってる人たちがいるんです。だからどうか、この子をその人たちに会わせてあげて」
「ドーミー吉祥寺の南」の個性的な住人、あけみ、世之介、礼二、大福、谷尻、一歩が、食堂に集まり食事をする場面がたびたび描かれる。
大人数で食卓を囲む。話が弾む。なんと楽しことでしょうか。
時が経ち、彼らはドーミー吉祥寺の南から巣立っていく。
楽しかった日々の思い出を心に携えて。
また、どこからか新しい住人がやってくる。日は暮れる。時は流れる。
いくつになっても夢は持つべきである。もちろん持つ夢は、大きければ大きいほどよいのである。ただ、人は待ちくたびれるということもあるのである。
もちろんもう期待していないというわけではなくて、もちろん大きな夢の実現を期待はしているのだけれども、それよりももっと身近な幸せの方にすっかり愛着が湧いてしまっていたりするものなのである。
『 永遠と横道世之介(上・下)/吉田修一/毎日新聞出版 』
上巻につづき、吉田修一さんの『永遠と横道世之介 下』を読みました。
夕日に照らされた町角に、どこからともなく豆腐屋さんのラッパの笛の音が聞こえてきます。
そんな昭和の懐かしい人情話を、隣でフムフムとうなずきながら、たくさんたくさん聞きました。
なんでもない一日。
春の、夏の、秋の、冬の。
そんななんでもない一日みたいな人。
そんな、何も特別のことのない平和な一日のとりとめのない幸せ話でした。
そろそろ夏も終わりである。夏というものは、夏真っ盛りの、そのど真ん中でとつぜん終わってしまうものなのかもしれない。
きっとだからこそ寂しい。きっとだからこそ美しいのである。
「……俺もいつか死ぬんでしょうね」
ふとそんな言葉が口から出て、世之介は自分で驚いた。もちろん日ごろからそんなことを考えているわけでもない。
「まあ、死ぬでしょうね」
ただ、和尚はあっさりしたものである。
「……でも、安心なさい。あなたが死んでも、世の中はそれまでと変わらず動いていきますよ。
二千花ちゃんが亡くなってからもそうだったように。……でも、もうあなたになら分かるでしょ? 同じように見えても、やっぱり少し違う。二千花ちゃんがそこにいた世界と、最初からいなかった世界ではやっぱり何かが違う。それがね、一人の人間が生きたってことですよ」
interviews/世之介シリーズは出会いの物語だと思う、と吉田さん/
誰かのために生きるって、素晴らしいことだって。
誰かのことを思える時間を持ってるって、何より贅沢なことだって。
人生の時間ってさ、みんな少し多めにもらってるような気がするんだ。自分のためだけに使うには少しだけ多い。
だから誰かのために使う分もちゃんとあって、その誰かが大切な人や困ってる人だとしたら、それほどいい人生はないと俺は思います。
「……先生、私のことはいいですから、万一の時は必ずこの子を助けて下さい。……この子をね、待ってる人がいっぱいいるんです。この子が生まれてくるのを、どこかで待ってる人たちがいっぱいいるんです。この子と一緒に笑ったり、泣いたりするのを待ってる人たちがいるんです。……だから先生、お願いします。この子の方を助けてあげて。この子をそんなみんなに会わせてあげて。きっと人生のいろんなところで、この子を待ってる人たちがいるんです。だからどうか、この子をその人たちに会わせてあげて」
「ドーミー吉祥寺の南」の個性的な住人、あけみ、世之介、礼二、大福、谷尻、一歩が、食堂に集まり食事をする場面がたびたび描かれる。
大人数で食卓を囲む。話が弾む。なんと楽しことでしょうか。
時が経ち、彼らはドーミー吉祥寺の南から巣立っていく。
楽しかった日々の思い出を心に携えて。
また、どこからか新しい住人がやってくる。日は暮れる。時は流れる。
いくつになっても夢は持つべきである。もちろん持つ夢は、大きければ大きいほどよいのである。ただ、人は待ちくたびれるということもあるのである。
もちろんもう期待していないというわけではなくて、もちろん大きな夢の実現を期待はしているのだけれども、それよりももっと身近な幸せの方にすっかり愛着が湧いてしまっていたりするものなのである。
『 永遠と横道世之介(上・下)/吉田修一/毎日新聞出版 』
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