Dr. WAKASAGI at HEI-RIVER(閉伊川ワカサギ博士)

森川海をつなぐ学び合いの活動を紹介します

アメリカで、コウキリコ節を思う その二

2016-10-21 | 水圏環境教育
歴史性の認識があまりないアメリカでは、物事が簡単に民主的に決まっていく。ある意味でスピーディで頼もしい。また、参加する人々は、対等に対話することに大変に慣れていて、平等に話をする。権威的な様子は感じられない。科学の発展にとっては重要な姿勢である。しかし、民主的な議論が全てかのように決定され、その議論に参加しなかった価値観の異なる人々を排除してしまう危険性がある。
この一週間の中で、自然環境を保全するために、先住民が持っているTeKが話題にはならなかった。彼らがそれらを理解することは不可能だからだ。その場に彼らがいなくてはいけないが、それができない。民主的とは、ある意味で、個人の履歴にものすごく影響されている。学んだ環境、学んだ先生、生まれた場所、家族の教育方針。しかし、そのことに気づいていないことが大半である。そして、ある一定の枠組みに当てはめながら議論がすすむ。
気候変動に関しても、ある意味民主的な社会が生んだ負の財産だ。大規模な森林の伐採による森林の消滅、農業地帯の大規模造成による水資源の枯渇、大量の化学肥料による水質の悪化。しかしそうしたことは、話題すらならなかった。なぜなら、彼らには、歴史性が残念ながら、欠けているからである。
一方で、私たちはどうかといえば、歴史性が当たり前になってしまい、その当たり前の事実を理解できぬままに、価値を失い荒廃の一途をたどってしまう可能性があることである。歴史性を背負っているものの、当たり前すぎて暗黙知となっていつの間にか、伝統知がゆっくりと失われていく。そして、ある1つの価値観によって支配され返って、本来の姿を見失ってしまうのである。せっかくの歴史性も議論しなければ価値を見失う。
閉伊川は、48館、義経伝説、静御前伝説、妖怪伝説。短角牛の発祥地。それらを支える30億年前の海底地層からなる豊かな土壌とそこから流れ出るミネラルを含んだ水等、閉伊川流域と言う歴史性を持った価値ある環境は、価値観の異なる人々が議論することによって価値を認め合う場を提供することが必要があると、考える。
閉伊川流域の森川海と人々と生活は重要な世界的な財産だ。

300年の歴史のアメリカで、コウキリコ節を思う。

2016-10-21 | 水圏環境教育

宮古市箱石にお住まいの山崎シゲさん(90歳)はコウキリコ節の唄い手をおばあさんから受け継いでいる。代々先祖ひきついできた郷土芸能だ。この踊りは、判官神社で踊り、家々を回り、鈴ケ神社そして、根曲の神社まで歩き舞を踊ったという。鈴ケ神社、判官神社何世代にわたって、別当によって守り続けられてきた。判官神社は、義経の家臣、山名家の子孫が、代々守ってきた。また、鈴ケ神社は、義経のかがをまつったのではない。お墓なのだ。と。別当に言い伝えられていると聞く。

なぜ、今まで、表に出なかったのか。その大きな理由が、鎌倉幕府によって編纂された吾妻鏡だ。吾妻鏡は、勝者である頼朝を、中心にかかれたもの。歴史は、勝者によって自在に変えられているのが常である。別の観点からも、もともと北上高地は日本古来の縄文文化が栄えていたが、縄文人は、日本人ではなく、東北は7世紀までは日本でない、と解釈されてきた。これも中央政権よりに作られたものである。
(しかし、近年の研究によって、多くの日本人は縄文人の遺伝子を持っていることが明らかとなった。)
このように、歴史は、ある為政者によって塗り替えられたものなのである。
つまり、義経が住んでいたことが、時の都合によって否定された可能性もある。そう考えると、義経伝説は、事実であることも視野に入れて検討する必要があるのではないか。
歴史学とは一線を画して、 故郷の歴史伝説として、しっかりと情報発信すべきである。800年の歴史を誇る物語として世に出せば、また、いつの日か情勢が変わっていくかもしれない。
この伝説が北上高地に数多く残っていることは、何か大事なことを伝え残している気がする。まず第一に持続性である。なんだかんだ言ってこの地域は、数千年もひとびとがすんでいた。伝説が長い間、別当によって語り継がれ、そして守りつづけられたことは、ある意味忍耐を要することだ。単なる先祖の言い伝えだけではここまで続かなかったであろう。

お互いに認め合うとは、ある考えを単に固定観念に当てはまらないからと言って否定するのではなくて、その意味をよく考えることである。リスペクトしなければいけない。そのことが、創造性に繋がる。人々は、様々な経験や思いを持ちながら生活しているものだ。それには何か意味がある。その1つとして、生命や物質の循環だ。
たくさんの人口は養えないが、そこに潜伏できるだけの食料があった証拠でもある。何もなければ、生活できないのだ。


もしかしたら、自然を守り、大切に伝え残すために神社を作っているかもしれない。対象は義経でなくても良かったかも知れない。みんなが大事だと思うこと。これをずっと信じて守ってきたのだ。命の糧となっている自然をいかに伝え残すか、その思いが、伝承を生み、地元に活力を与え、自然と人間との関わりを紡いでいくのである。


新しく発足した水産研究教育機構、海技教育機構

2016-10-21 | 水圏環境教育

今年四月から海洋に関する国の教育、研究機関が統合、整理された事は記憶に新しい。例えば、航海訓練所が所属する事となった海技教育機構、また、水産大学校と研究開発機構が合併し、水産研究教育機構となった。海洋に関する国の大きな機関が、相次いで教育を冠するようになったことは、少子化が進行する我が国にとって、今後の海洋産業を支える人材確保のために非常に重要な政策決定であると言える。

宇沢弘文氏の提唱していた社会的共通資本の考え方は、一国のあり方に一石を投じた。わたしも、彼の考え方を基にして、自律的海洋資本(海洋環境、海洋インフラ、海洋制度資本)の考え方を「日本の海洋資源」祥文社で訴えた。この3つの要素のうち最も必要とされるのが教育である。今後は、海洋に関する教育の中身の議論が大切である。海洋国家を発展させるしっかりとした舵取りをお願いしたい。