井頭山人のgooブログ

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わが深き淵よりー星野富弘さんのこと

2018年12月20日 20時22分25秒 | 宗教的世界の様相
そこを訪れたのはもう遠い昔の気がする。16年も前になるだろうか。足尾の山道をとおり、星野富弘美術館を目指した。そのとき前年の11月27日に父を失って次の年の春先だった。星野富弘の名前を知ったのは、もっとズーッと前で、父の蔵書の中に在ったものだ。次に星野さんに出会ったのは、詩画集であった。それは本屋の棚に縦置きに置かれた水彩画に目が行ってからだ。だからもう40年も前の事だ。星野富弘? 誰なんだ? 画家か? そうおもった。足尾を越えて出掛けた草木湖を望む、素晴らしい眺望の富弘美術館には彼が口に筆を咥えて描いた、沢山の水彩置かれていた。みな素晴らしいとおもった。そして絵に加えた、彼のことばがまた宝石の様な輝きを持っていた。

水彩画はとても優しく、絵の花々の片隅にはことばが置かれてあった。

それがとてもこころに染みる、美しいコトバだった。ああ宜しいなと素直に気持ちに染みた。



彼の略歴を見るとまた驚きであった。学校の体育の先生だったのだ。その人がなぜ水彩画を?

新たに新任として赴任した星野さんの輝ける未来の一歩は、一か月もしない内に失われた。

それは、担当教科の実習で、鉄棒の模範演技の際に転落し頸椎を損傷し首から下の運動力を失った。

誰もが思い描いても、言葉に出ない多大なショックである。どうしたらいいのか?

彼もまた一時は絶望の淵を彷徨ったに違いない。
(これから先の希望多い未来なのに、なぜ…)、本人も、両親はじめ、親類縁者も友人も悲嘆しただろう。

だが、なによりも彼自身が絶望の淵に立たされた筈だ。彼は、何を思い一日を過ごしたのだろう。

彼の凄い所はこころがこの危機から立ちあがったことだ。なによりも増して、もっと深くもっと大きく。

人生の平坦な道を歩くとして、雨も風も吹かず、暑くも無く、寒くも無く、
だがそう云う人生があるとして、それは人間を深めるのだろうか。雨風の無い平穏な人生が理想だと云う方も居るだろう。

星野さんも事故に遭わなければ、小中学校の校長として、或いは県の教育長などとして大成したのでしょうが、現在の星野さんのように影響力を持つ人生の教師としては存在しなかっただろう。

人の人生は、また危機は至る所にあり、また思っても見ない病気に侵されることもある。
思っても見ない災難に遭う事もある。どんなにか気を付けていても。

大切なのは、そこから立ち直る力である。辛い現実を超えるちからである。
それはなんだろうか、それはどんなものだろうか、ひとのこころの弱さを、つよさに変えるのは
それはなんなのだろうか?
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日本語の特異性と日本人の脳

2018年12月13日 21時39分54秒 | 天文学と宇宙論
 心というものが今も未知であるように、脳神経の生理が未知である時代が長く続いた。心理学がそれを代用して現象と原因を説明していた時代がある。精神活動の結果としての「記憶の再生」や、思考発想などの頭の中で記憶が関係するデータの融合されると、発想が生まれて理解と言う認知の特徴が定着する。人間の空想の力は未知の事だが、それは内に蓄えられたデータが、相互に相関する現象と捉える事も出来よう。不思議なことですが、自然に問題の解決の方向に進む、解決され理解が出来る方向に自然に進むのです。心と言うか脳神経機構は、この様に自律的な問題解決のサイクルを、すでに生得的に持って居る。これは全くの不思議な事だが、人間の意識下には「自覚的意思のサイクルとは異なる」、もっと基本的で、今現在では、それが何であるかを言えないが、生命体に内在した自然的なサイクルが働いているのではないか?と確信している。 それは普通に言う分析的(単一の対象を出来る限り細かく分けてゆく)で解析的(剛知的な関係を突き詰めてゆく)な、理性とか合理とかと云う事とは異質で異なるものだ。その力やサイクルとは?、何か生命を生んだ根源としての宇宙的で、それは、今までの手法では中々把握できない性質のものだ。これは、何か月並みな方法論では捉えられない、原理現象で動いている様にみえる。また記憶はどの程度までその最初にまでたどる事が出来るのか。音や映像は、どの様な仕組みで心の中に形成され、保存されるのか? また記憶はどの様にして貯蔵され、どの様にして取り出されるのか?こう言った動作と仕組みは、現代では「脳神経科学」の問題として扱われて居て、生理学や薬理学を通じた研究の重要な問題テーマとなっている。

 誠に、困難の多い分野であるが、我々が話す「日本語」に起因した脳活動の特異性を、聴覚の分野から解明した研究がある。東京医科歯科大の角田忠信氏のご研究である。彼は聴覚の感受性を使って、コトバと脳の関係、特に中心的脳の情報伝達メカニズムを解明しょうとして邁進されて来た。中でも角田さんの研究は、聴覚の特性を十二分に応用し、大脳の左脳右脳の差異と特質を中心に、その活動性の原因を追究してきたのであった。これは極めて興味深い、一つの現象を露わにしたと思う。それは日本人の特性とは何か? 言語としての日本語の特徴とは何か?と云う問いを、新たな問題を背景に我々に突き付けた重要な研究であった。

角田忠信氏の書かれた「日本人の脳」と「左脳と右脳」を見ながら、その論点の本質と展望を記述してみたい。

 「日本人の脳」の論文の帰結は、聴覚反応の研究から世界中の多くの言語を使用する民族の中でも、特に「日本人の反応の特異性」について発見された事に基づいて書かれた論述である。また「右脳と左脳」は、その後に継続された研究から得られた展望であろう。最初に、特に日本語の特質である母音に関する効果の特異性が語られる。どんな民族でも、その特有のコトバを持って居る。つまり母国語である。外国では自分の生国を、母国とは一般的には謂わないのだそうだが、父国というのだそうです。「ファーザーズ・ランド」でしょうかね?。だとしたら文化人類学的に日本と言う国の成り立ちは、母性に起因して居るとされて然るべきでしょう。日本文明の特徴も、深く母性と係って居る。そう云う事が言えるのでは無かろうか?文化人類学という建物は、多くの柱と柱を支える基礎から出来ていますが、その基礎となる物には、哲学、言語学、数学、物理学、化学、生物学、神話学、宗教学、栽培農学、本草学、経済学、植物学、医学、建築学、伝承民俗学、などが在り、その諸々の基礎の上に建つ建物と云う事が出来ます。例えば国民性とは社会環境の必然的産物です。またその逆も(社会自然環境が国民性を創る)云えるか?国民性はその国民の持つ遺伝的要素の反映と考えられなくも無い。

我々の六識で把握される世界というものは、生物の持つ感覚で把握された総合の上に築かれたビジョン(幻映)と云う事も云える。私達の目の前に広がる世界というものは、感覚の統合が捉えた情報から成り立っている。それは昔の仏教の思索者たちである唯識派が研究した(識)の捉えた情報である。五識とか六識とか云う感覚系統が得た情報の分析のことで、目・耳・鼻・舌・触・識、等の、感覚器官が捉えたモノの上に統合された、実在感のイメージなのである。この他にも、内蔵された「本能」という、意識下の貯蔵データがあるのだが、それは今は挙げない。この五識の中でも、特に目と耳は、世界の様相を形づくる主要な感覚であり、事実上これに因って私達は世界と云う物の実体観を持つことが出来る。


さて視覚と聴覚の何を調べるのか?という事ですが、角田忠信氏の研究は聴覚を基にした左脳と右脳の違いの基本的な特質を確かめようとしたのです。聴覚は、視覚と共に人間の日常生活に欠かせない最重要な感覚器官です。この機能が損なわれると、通常の人間的な自律的活動が不能になります。所謂、障碍者として何らかの介助が必要になります。それ程重要な機能です。これまでの経験は、左脳と右脳の機能の違いは、失語症の患者や脳梁を癲癇などの治療の為に脳梁を切断した人の調査から、ある程度は分って居ましたが、例が豊富では無い為に、確定的な事は謂えなかった。


それにしても重要なのは言葉であると感じた。日本語の基本形は母音が語尾につくことです。このために日本語は、聴く者に非常に柔らかい感じを与える。それは飽くまで、表面的な事柄に過ぎないのですが、最も重要な事は、自然音に対する日本人の脳内スイッチ機構の作用です。「思考と言語」の、関係を分析する際に、音から意味を誘導し導く機構が一番の探究の問題です。コトバの問題で、ここの関係とメカニズムが最も重要な部分です。


 言葉の効果により脳の機能が決定されるのだとしたら、言葉はその民族の特性を決定する。この事の重要さは幾ら強調しても好い。我々はどんな言葉も、つまり通信の手段であって、質の差は無いだろうと高を括って居た。しかし、どうもそうでは無いらしい。根源的な問題は、意識の創生の問題だ。生命体に如何にして意識が発生するのか?勿論、5感という様に、感覚器が神経網の脳に上がって意識を創りだすのだろうと予想するが、その辺は未だ丸っきりのBlack・Boxで合って、議論すらまだ出来かねる。ただ、言語に関してだけは、或る意味では対象が明快であるので、これは議論の余地がある。言葉は最も身近でありながら、その基本的な源泉は錯綜して居て、余程、強い知能が無いと、その洞察は難しい。もう少し、言語の根本問題と展望を考えながら書いてみょう。


さて、根源的案問題を箇条書きに表すと。
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大きな物から小さな物まで構成の原理

2018年12月06日 15時34分18秒 | 天文学と宇宙論
 いま生きている我々に根源的な問いがあるとしたら、それは宇宙の起源と生命体の発生する過程を知る事である。宇宙と言う極大なものから、微生物、そして素粒子と言う構成物までの間に人間は位置している。そして生命の発生過程で生まれた知能に関する現象の解析である。宇宙の始まり、それはビックバンでは無い標な気がする。それは未だ仮説にすぎない。物事の構成の原則こそ一つにはカオスを生み、フラクタルを生み、自己増殖性を生んでいる、印象としてこの世界を特徴付けると、最大の対象としてこの宇宙論がある。すべては此処に神聖なものも愚劣なものも包含される。この最大のものから書いて行くと、先ず、宇宙論があり、銀河星雲 ー 太陽系生成論 ー 太陽系惑星論 ー 惑星衛星論 - 惑星地球科学 - 地球環境論 - 生命生成論(遺伝子学)-地球環境と生命論 - 動植物論 ー 生物進化論 - 古生代の魚類 - 中生代の爬虫類 ー 新生代の哺乳類 - 森から生まれた現生人類 - 言語学 - 栽培の起源(貨幣の誕生) - 技術と蓄積 - 現生人類の自然への関与(原始宗教の始まり) - 人類の闘争(家族から氏族へ)ー 地方豪族から地方政権へ(民族こ国家へ) - 地方政権から中央集権国家へ(言語的に統一された国民国家へ) - 宗教の始まり(教祖の出現) - 武力国家(軍隊の出現)の定着 - 国家機能(官僚制の誕生) -  学問の誕生 - 栽培農業の誕生 - 土地の争い - 日本の歴史の基本に在るのは、栽培用の土地を誰がどれだけ支配するか!という問題意識を中心に起きた。歴史が始まって以来、農耕用の土地を、どれだけ私有出来るかを巡って争われた。土地=戦争の目的なのである。これが太陽系創生後の今現在の姿である。

 簡略に学問的な構成を書けば、宇宙論ー銀河系星雲論ー太陽系論ー惑星論ー地球環境構造論ー海洋論ー生命論ー進化論ー生物論(遺伝子学、集団遺伝学)ー哺乳類論ー人類学ー言語学ー文字論ー古代国家論ー中世文化論ー現代国家。宇宙論、物理学、化学、生物学、遺伝学、工学、人類学、文化人類学、民俗学、宗教論、芸能論、そして人間界を離れて、もっと微細な細菌の世界、ウィルスの世界、遺伝的分子情報の世界、有機・無機・化学の世界、つまり分子の世界だ。もっと降下しょう。原子レベルの世界、原子構造の世界、核子の世界、クオーク模型の世界、そして紐の世界、超ヒモの世界、膜の世界、最後にPlanck・scaleの世界と云う事に成る。おそらく、必然性という物は時間と関係して居る。時間の実体に付いて我々は未だ何も知らない段階だ。長い間、科学の探究方法は物を分けてゆく事であったし、それは現在も同様である。だが、事は、それだけでは最も大事な究極の問いに答えることは出来ないだろう。それは分ける事を逆に考えれば、すぐ理解できるはずだ。小さなものから大きなものへの、公正の原則は何か?という事だ。

むかし自己組織性とか自己増殖性とか自己構成力とか、多種多様な概念というか、パラダイムが流行った。それらが、目指すものは、詰る所、自然現象の構成の原則を原理を見出す事に在ったのである。この現象の特質を追及する事は、今まで果敢に研究されてはいるが、意外に難しく結論は出て居ないし、方法論でも少し行き詰まっている。原子レベルから分子レベルに世界移行し、自由度は大きく拡大した。分子レベルでの自由度は原子レベルとは比較に成らない自由律がある。

17世紀から始まる、第二次自然科学の伝統は、第一次自然科学の古代ギリシャの伝統も幾らかの継起には成って居る。デモクリトスの原子論はまさにそうだし、ディオフアンタスの数論もユークリッドの幾何学も同様だ。古代の知的頂点は、アレキサンドリア図書館であろう、エラトステネスやアリスタルコスという偉大なる人々が研鑽を積んでいた。その他にも名前の記録されて居ない智者は大勢いたに違いない。これらの伝統がローマ帝国に世追って滅び去ったあと、やく1000年の宗教という抑圧された社会が待っていた。この期間は天上の幻想に浸り、それに疑問を持つ者は殺害される時代であった。ついこの間までも共産党ファシズム社会に似ている。これが1000年も続いたら、人間は確かに退化する。
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エジプトの聖マリア(ケサリヤニ修道院聖堂壁画)

2018年12月03日 10時41分45秒 | 宗教的世界の様相

 取り立てて自分は、信心深くも宗教的でも無いが、宗派の草創期に於ける創始者の心根には感動する事も多い。原始宗教という物は、人間の生の情念が浮き出ている場合が多いし、また、それが哲学的な情緒の発端に成る事だってある。それは世界中の素朴な多神教の習俗に限らず、いま世界を席巻しつつある、高々2000年の歴史しかないユダヤ教とそこから派生した、ローマカトリックやプロテスタントのキリスト教やイスラム教などの、一神教の硬く重く息苦しい教義の中にも現れている。生と死の円環の中で、「存在の意味」と言うような根源的な問いは、現代の宗教産業とは何の関連も関係もない問いである。この問いは、謂わば人間の心の深奥に灯る、素朴で根源的な問いである。

我々の存在よりも、はるかに永遠の過去より太陽は輝いていたが、過っての恐竜が地球の主であった日と同じく、現在の人間も恐竜と同様である。勿論、このままの現在が永遠に続く訳がないから、人間の営為は、何れ滅び去り地層の痕跡として残るだろう。そして、後代の生物が「過去にはこの様な生物が居て滅び去った」と云う事を発見し、大々的に研究をするのでは無かろうか?。生物の進化の長い適応の歴史に於ける、人間の位置に付いて、あるいはその意味について、暖衣飽食に酔う今の人間にとっては、この問いの答え、考える者はおそらく皆無だろう。弟子は空海のエッセイ集である「性霊集に」編纂した。これは多くに人が読むべき箴言集に似ている。また秘蔵宝ヤクのなかには、「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の初めに冥く、死して、死して、死して、死して、死の終りに冥し」と。生きとし生ける生命の実相を看破している。空海は日本最大の知性の一人であり、彼の探求の範囲は深く豊かで、その見識は人間を超越している。
わたしを含めた、このおびただしい命は、なんのために生まれてきたのだろう。

今日も雨の中を車で走ると、カエルが目の前に飛び出してくる、私は、逃げて、逃げて、と避けようとして必死になるが、何匹も轢いてしまった。彼らは光に向かって飛び跳ねてくるのだ。真っ暗な夜道を歩いて居るのは、カエルのヒトも同じだ。わたしはゆえなくしてカエルの命を奪っている。

 どういう訳か、昔し岩波書店の広報誌「図書」と云う物を取っていたらしい。無論、取っていたのは自分では無い、ただ家に有ったのだ。街へ出かけると、親父は必ず本屋に入り熱心に見ていたから、そこで買ったのか? 「図書」の購読者に成っていたのか?分らない。わたしは時々パラパラと捲り、面白そうな内容を見ては読み散らしたに過ぎない。田舎では、足った一軒の近所の雑貨屋で買って来た、当りクジ付きのアイスクリームや、茹で立てのトウモロコシを齧りながら見た記憶が残っている。1960年の高度経済成長以前の時代だ。長く購読していると、大抵は詰まらない記事も、記憶の残る記事も有ったと思われる。その中の記憶の底に残る幾つかの記事と、その思ったままを書いてみよう。

その中で紹介したいのは、比較的新しいとは言っても1977年11月号の図書の表紙解説「エジプトの聖マリア」である。小冊子はまるで話の中のマリアのように歳月の陽を浴びて、表紙も紙も茶色く変色し、ボロボロと崩れて仕舞うほどだ。1977年11月号と謂えば、いまから41年も前の事なのに、私の脳裏には昨日の如く、記憶として残っているのは不思議なことだ。心の奥に届く話は、永遠に新しいのだろう。分らないが、これは「イコン」ではないだろうか?、つまりローマカトリックでは無い、東方正教会、(オーソドックス)である。ギリシャ正教ともブルガリア正教、ロシア正教、とも云う正教会は、みなこの東方正教会の分派である。本拠はコンスタン・チノープルで、パック旅行でお馴染みの、四方に尖塔を持つあの建物である。

この表紙絵の解説は柳宗玄先生がお書きに成られている。元々の「修道院聖堂壁画」の解説は、先生のご著書「秘境のキリスト教美術」という岩波新書の中の一説であるらしい。私は読んだ事は無いが、我々は本物の砂漠と云う自然環境を、生まれ乍らには知らない。それは灼熱の光と闇の、生き物の無き世界であり、過酷さでは地球上で最大のものであろう。


1977年11月号の「図書の表紙絵」の解説として、柳宗玄先生が書かれた文章を紹介する。

「金儲けと享楽を旨とする今の世の中とは全く無縁の人物の像を紹介する(いや、もしかしたら、おおいに関係があるかも知れない)。この聖画はほとんど単色に近く、相当の凄みがある。」と柳先生は書かれていて、当時の暖衣飽食に満ちた、軽薄な世相に反感を持つ先生の純粋さが覗いて見える。ここからは、柳宗玄先生が図書にお書きに成られた文章をコピーしてみたい。


「あるとき(五世紀の初めのことだが)ゾスィマスという修道士が、ヨルダンの砂漠で祈っているとき、彼の前を人の影のようなものが過ぎて行くのを見た。彼はそれが悪魔の幻かと思い、大いに怖れたが、十字を切って落ち着きを取り戻してよく見ると、それは太陽の為に全身が真っ黒に灼けた裸の女で、首までしかない髪は毛糸のように真っ白だった…。

やがてゾスィマスのマントを与えられた女は、それを身にまとい、近寄ってきてその身の上話をはじめる。彼女はエジプトの港アレクサンドリアで淫乱の限りをつくし、さらに悪事を重ねるためにイェルサレムに向かう巡礼団に加わるが、ある日忽然と悟り、ヨルダン東方の砂漠に入り、そこで四十七年を過ごした…。

その間、彼女はエジプトで快楽に耽った日々を思い起こし、その心は激しく苦悶する、しかし砂漠における断食と祈りのきびしい修業によって、彼女は驚くべき能力を獲得する。ヨルダン川の水面を歩き、祈りによって空中に舞い上がり、動物と会話し、天恵のパンで飢えをしのいだ。

ゾスィマスが翌年、その約束に従って同じ谷間に彼女を訪ねたとき、そこには顔を東に向けたマリアの体が横たわっていた。そしてゾスィマスはマリアが砂の上に書き残している文字をみた。

(ゾスィマス神父よ、哀れなマリアの遺骸を埋められよ、地の物は地に返し、塵に塵を加えられよ。)」
                                    


鎌倉仏教の祖師たちの中でも、一遍はこれに似ていたと思う。彼も真っ黒に日に焼けて、ほとんど放浪して歩いたのだから…。まったく無欲のひとは社会では機能仕様がないが、欲が有り過ぎるひともまた人間以下である。大金を掴んだ人間が破滅するのは、金を得るよりも使う方がはるかに難しいことを証明している。

そしてすべてに於いて、世の中には、過ぎ去った後に成らなければ、真の意味も価値も分らないのが普通なのだ。いま事前に、その存在の価値や意味を知ろうとしても、それは無理なことなのだ。人はそんなに賢くは出来ていない。そのような叡智は無いのだから、いつも人は為したことや、為さなかった事を後悔するように出来ている。また後悔しない様な人生ならば、それは本当に生きた人生と謂えるのだろうか? 全ての悲しみは、確かにそこにある。だが後悔することで、僅かだが、全くの無明から解放されると信じたい。失う前には少しも価値を知らず、失う事によって、初めて生きて共に在ったその時間が、どんなにか貴重で幸せな時間で有ったのかを私は知った。

営業化した現代の宗教に比べて、古代の信仰はいまより純粋であった感がある。柳宗玄氏の「秘境のキリスト教美術」の口絵を見ると、「ゲレメ付近の洞窟修道院」は、なんと山形県立石寺(山寺)の岸壁に穿たれた墳墓の印象に似通っている。立石寺はもちろん仏教寺院であるが、出羽は修験道の本場であった。原始宗教という物はいずれもどこかで似通っているのが普通だ。荒野での超越するものとの対話と言う趣だが、ひとは過酷な環境の中でしか、より超越した何かとの対話は、成立しないのかも知れない。

日常を離れた不思議な経験を、するとしないとでは、人間の本質が基本的に異なってくるのは必然だろう。いままで盤石だと思って居た地面が、底知れぬ深さと豊かさを持つとしたら、これは人間が性根から変貌するのは当たりまえの事実である。自分は、どちらかと言うと理屈や合理性に傾いた人間だが、或る経験から魂の存在を信じることに成った。何でも現在の科学で解明されて分って居ると思う方がおかしい。科学は未だその本体の表面薄皮を撫でている段階に過ぎない。人間の知能は自然科学が追求することの目的地であろう。我々は自己意識と言う物の本質が、また物事の関係を理解するという合目的認識がどこに在るのかに附いて、解らない段階です。例を挙げれば、言語という外部情報と内部言語との関係さえ、ハッキリとは分かっていない。それは関連があるというぐらいの曖昧な段階にあるに過ぎない。

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なんとなく蒼き空行く雲をみる。

2018年12月01日 22時22分33秒 | 日記

 温泉の湯に浸かり、何となく蒼き空を行く白き雲を見ていると、不思議な気持ちになった。肌の赤い松や緑と黄色の取り取りの広葉樹がみえる。この空間を創っている力はなんだろう。空間の創生から自ずと時間は出現する。少なくとも私達の次元で感じるものは重力だ、USAの作家E・A・ポーは重力が神だと書いているが、まったくその通りで、世にあまねく満ち、すべての存在に作用する物とは、重力に他ならない。世に、重力教という物が有ったとしたら、私は喜んで信者に成るだろう。この世に生まれてきて重力を知らない者はいない。それ程有名なのだが、実態を調査してもその真実を把握した物はいない。と言う摩訶不思議なものだ。

特殊相対論を創ったあと、重力の相対論である一般相対論を創ったA・Einsteinが次に目指したのが、一般相対論と電磁気学の統一であった。一般相対論の式と電磁気学の式を一つの式で統一する試みである。1915年に創った一般相対論のあとに彼が死ぬ1955年までの40年間をこの統一の為の試みを追及するが、上手く行かなかった。元々電磁気力学と重力は相性が悪い。宇宙創成時にある程度冷えて来ると力の分化が始まったが、その分化の過程が温度という要素だけとは限らない。1929年USAのカリフォルニア州のパロマ山にある巨大な反射望遠鏡で深宇宙の星雲を研究していたエドウィン・ハッブルは、遠方銀河からのスペクトル写真が間延びして居る事に気が付いた。最初、彼はこの写真の間延びが何を示しているか分らなかったが、ドップラー効果を思だした。光もドップラー効果を起こす。それまで誰も宇宙が膨張しているとは考えなかった。ただ一つEinsteinの一般相対論の方程式が、宇宙の膨張を示していたが、この荒唐無稽の解に不安を懐いたEinsteinは、相対論の方程式に膨張解を押さえる宇宙項を付け足した。Einsteinはこの宇宙項を付け足したことは、最大の失敗だったと書いているが、その後の現代の先端宇宙論を解釈する上では、この宇宙項λは不思議なことに有効であるという考え方もある。

元々ビックバン論は、果たしてどこまで有効なのか?大多数の天体理論家たちは、それを支持しているが、疑問を持つ者が居ない訳では無い。始まりの前には何が在った?ビックバンの支持者たちは、それ以前には何もないという。一部では無という考え方らしい。だが、とてもそうは思えない。この問題は、現代の物理学や天文学では、残念ながら答えを得る事が出来ない問いだ。我々の科学文化は精々400年でしかない。この四百年間に基本的な多くのことを知った。だが、多くとは言え根本的な謎は数限りないほどある。

落葉ーヴェルレーヌ

秋の日の

ヴィオロンのため息の身に染みて

ひたぶるにうら哀し、

鐘の音に胸ふたぎ、

色変えて涙ぐむ

過ぎし日のおもいでや、

げに我はうらぶれて、

さだめなく飛び散らう落ち葉かな

             
           海潮音ー(上田柳村)

 

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