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絵巻物から漫画への道

2019年08月04日 10時47分13秒 | 日本の古典

 小学校に入ると父は講談社の「楽しい一年生」という学齢期の子供の雑誌を買ってくれた。これと同じ物で小学館の「小学一年生」という雑誌も在りました。 父が講談社の「楽しい一年生」を選んだ理由は、とうとう聞くことが有りませんでした。今から思えば、大した事では有りませんが、聴いて置けば好かったなと強く思います。其れの理由など、大したことでは無かったでしょうが、それでも父への感謝をもって聞いて置けばと今でも思います。父は毎月出る、この雑誌を6年生まで買ってくれたと思います。この雑誌は、当時の教育的配慮で編集されていたものでしょう。絵がとても奇麗で、子供の心を育てる配慮が成されているのを、今見ても感じられます。

 小学校4年位に成りますと、講談社や小学館の雑誌の他に、子供向けの漫画雑誌を借りて読むようになりました。5年ほど先輩の人が、自分でアルバイトをして漫画雑誌を自分で買っていたからです。それを借りて読んだ。今思い出すと、少年サンデー、とか、少年キング、冒険王、などであった気がしますが、何しろ遠い昔ですので、ハッキリしません。

 中学に成ると、漫画は卒業して、今更、漫画でも有るまいと思って居たが、絵巻物との関連から思い出を一つ書いてみたい。もう大分昔の事だが、漫画のインパクトを知った事が有る。漫画は、みな長男が購入した物であろう。長男が小1の頃に、どこかで買って貰ったものだろう。

 放り投げられていた本を拾って開いてみると。1つは、ますむらひろしの猫が演じる「宮沢賢治の一連の作品」であり、もう一つは、ペンネーム藤子不二雄Aの出した「傑作選」である。先ず、ますむら作品であるが、彼の描く風の又三郎は、賢治作品を忠実に表して居るわけではないが、彼の愉快なコンテから受ける作品には独特の情緒があると思う。二学期が始まる九月一日の始業式の日に、「一年生の子供が、チョハーカグリ、チョハーカグリ、オラが一等だぞ!、オラが一等だぞ!と」、尋常小学校に登校して来る。まだ九月の空には入道雲が湧きたち、夏の朝の、露に濡れた瑞々しさを感じさせるものだ。東北の山村の爽やかな小学校の朝を伝えている。漫画なのに不思議と情緒を感じさせる作品だ。小説には挿絵があるが、この挿絵の出来で、物語のイメージが膨らむ。挿絵は重要な力を持っているのだ。ここに登場する又三郎(髙田三郎)は、九月一日に突然登場し、わずか十日でこの小学校から消えてしまう。なんと子供たちには、彼と過ごした期間は一つの幻想的な時間なのだ。又三郎は都会の少年であり東北の田舎に子供にとっては、まさに異質の世界から来た少年なのであろう。現在の日本語は画一化されてしまい東北だろうが四国だろうが、何だろうが言葉の通じぬ地方は存在しない。方言でさえ激減している、方言は日本の謂わば文化的な資産なのであるが、私達はそれをどこまで自覚して居るだろうか。

 画一化のために失った物の価値に初めて気が付いた時にはそれは致命的に遅く、たぶんもう二度とは取り返すことは出来ないだろう。今更、元に戻れるはずがないのではないか。だが、日本語の根源に関して、方言はそれを調べる宝であり扉を開ける鍵なのだ。この事は誰もが意識しないだろうが、真の宝と言える。

 ところで、もう一つの漫画も長男が買ったものだろう。小4の頃だろうか?私は買って上げた記憶が無いので、私の父母か、妻が買ってあげたか、それとも子供が自分の貯金から小遣いで買った物かは知らない。漫画の題名は「藤子不二雄傑作選」と言う3巻本である。ショートストーリーが、何作か収録されて居て、読んでみてこの作品のレベルが高いのには驚嘆した。 藤子不二雄は相当に多くの色々な知識を、漫画に反映させている。主に未来物SFと云うべきジャンルであるが、怪奇伝承じみた物もある。フランケンシュタインの怪物の様な人造人間とか、老いた肉体を新たな若々しい肉体に交換するとか、好きだった若くして亡くなった少女の霊と出会う話とか、中々漫画とは言っても内容的に斬新で大変面白いものであつた。藤子不二雄は二人の漫画家の共通の「ペンネーム」であり、藤子不二雄AとFがあり、傑作選はAが書いている。

 この二人は1950年代に日本が漫画ブームを呼び起こす切っ掛けとなった手塚治虫に憧れて、裏日本の地方から出て来た若者たちの一人であった。戦後の漫画伝説の「ときわ荘」の住人である。現在の日本の漫画は、この時代が無ければ、今の隆盛を迎える事は無かったであろう。不思議なことだ、「或る求心軸」が有り、その下に多くの若者が憧れて集まり、切磋琢磨して個性ある数々の作品を生み出す。この構図は漫画に限らず小説や俳句、連歌や茶の湯でも同じ事だ。傑作選の作者は我孫子素雄という。彼は珍しいくらいに、自然科学や生物科学、分子遺伝学に、その作品の種を求めた稀有の人でも有ったようだ。彼は、多くのSFなどを読んでいる筈だ、例えばコナンドイルやHGウェルズが挙げられる。19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、HGウェルズは極めてインパクトの強い作品を世に送り出している。透明人間とかタイム・マシーン、モロー博士の島などで、恐ろしい生体移植を通じて新生物の創造とか。藤子不二雄Aがもっと長生きして居たら、子供たちを唸らせる素晴らしい作品を描き続けたであろうと思うと、誠に残念に思うのは、私だけではないと思う。私の子供の頃、町の教育ママの親は漫画を見ていると余り好い顔はしなかったという話を聞いた。其れよりも偉人伝や百科事典を読めと云われたらしい。幸い私の親たちは何を読もうとうるさい指図はしなかった。今思えば漫画にも内容のレベルが在る事が分かる。好い漫画は大いに将来に対する動機付けを持って居る。

 日本漫画が突然降ってわいた物では無く、それは、既に遠い昔に、その原型は在ったのである。漫画の起源は、日本語の特徴のなかにも胚胎されているのかも知れません。さて、日本の絵巻物は相当数ある。小学館だかどこかで出して居る「日本絵巻全集」と云う物が有る。すべてを見た事は無いのだが、然し言葉よりも絵は、人に訴える力が抜群だ。漫画の元祖とでも云いうる、鳥羽僧正の「鳥獣戯画」は、その動物たちの動きと云い、滑稽さと云い、僧正は相当に諧謔と皮肉の効いた男であったらしい。カエルの阿弥陀様を拝んでいる猿の僧侶など、これほどウイットのある僧侶が居たとは、何とも素晴らしいことだ。僧正は機知に富んだ人物であった。また絵が上手い、動物の表情などは漫画家などには大いに参考に成るものだろう。僧正が、この様な戯画を描いた動機は何なのだろう?当時の庶民の生活の雰囲気も有るし、相撲の描写、キツネの巡礼者、などよく調べれば、生活風俗を彷彿とさせる。市女笠の女性なども居て、ああ当時はこんな格好で暮らして居たのだろう。と妙な納得の仕方です。子供の相撲も盛んだった。輪回しなど今に通じる遊びも有る。

 それにしてもカエルの如来に向かいお経をあげている猿の僧正の口からは、霞のようなものが出て居て、是がお経を朗々と上げている声の表現なのだろう。この人鳥羽の僧正は、絵の主人公たちに言葉としての声を付けてはいない。「ひらがな」の文字を付けたら将に漫画だ。戯画の伝統は遠く永い。仏教の伝統でも、般若心経は漢字で書いてあるが、偶々字を習う機会が無かった庶民は、メクラ心経と謂って、絵で字の発音を現した般若心経がある。般若心経の正式名称は般若波羅蜜多心経と云い、それをメクラ心経は、(般若)を能の鬼女の般若の面で、波羅を人のお腹で、蜜を農具の箕で、多を田んぼの絵で、現している。これは、其れなりに面白い物です。これも漫画の系譜のひとつで有ろうかとおもいます。大いなる知恵の経典が、漢字では読めないならば絵にして仕舞おうという配慮です。経典も尊いが、其れまでして経典を随じ様とする人の、心の清らかさ、その心の高さも尊いものなのです。
 話題は少し逸れますが、先日「金鈴荘」という、大正時代に建てられた呉服商の富豪邸宅を見学した折り、文化財の説明を為さった女性のお話では、二階には「百鬼夜行図」が有るとの事でした。子供の頃は、この手の絵画は怖かったが、今では好んで見る楽しい物に変わっています。早速、解説して頂いた女性学芸員は、親子連れの子供が、この絵を見ると「お母さん早く帰ろうよ!」。と言うのだそうです。現代では水木しげるさんの漫画の影響もあるようで、お化けの絵や話は好まれています。この「百鬼夜行図」は、その歴史を考えると、成立はすでに平安後期から鎌倉まで遡れる。しかしこの夜行図を描かかしめた心性はもっと遠くまで遡れる気がする。夜行図をよく見ると、野菜や箒や藁草履、楊枝のお化けも目に付く多彩なものである。これは日本人が古来から、全ての物に魂が宿るという自然信仰を深く心の中に宿して来た為であろう。どうも日本人は妖怪が好きなのである。

 水木しげる氏の妖怪漫画本を待つまでもなく、江戸時代は妖怪が繁栄した時代だった。江戸時代の妖怪浮世絵のなかでも定番なのが、鳥山石燕の画図百鬼夜行や今昔画画図続百鬼などだが、他にも私は見た事が無いのだが数多くあるらしい。これらは明治になって後の牡丹灯籠や四谷怪談の人気につながる物でしょう。

「あらゆるものに魂が宿っている」、これは日本人の其れこそ遠く縄文以来の、何万年物過去にまで遡る考え方である。多神教と云えば言えない事もないが、それだけでは充分な説明はつかない。それは多分「言霊」の感性とも深部で結びつく種類の物だ。あらゆるものに魂が宿り、それによって私達は御蔭を頂いている。今稲作の刈り取りの最中である。汗を流してお米を作り、それに依って生かされて居る日本人、わたしの子供の頃、祖母にも母にも言われた事が有る、お米の一つ分も捨てたり残してはならない、と。一粒のお米を取るために、それこそ多くの汗を流して働いたひとの努力があるのだから。と言われた。確かに母の云う事は正しい。然し、どうも其れだけでは無いようだ。お米は夏の暑さの中を汗水を流して働いた成果ではあるが、それだけでは無いというのは、もっと直截に云えば、「お米に一粒には魂が宿って居る」と云う事なのである。ならば一粒でも、決して捨てられない事は自明の理であろう。「このあらゆるものに魂が宿るいる」、と言う日本人の信念こそが、「百鬼夜行図」を描かせた動機でかも知れない。

 現在も残る「百鬼夜行図」は、室町期からの物だそうである。事実、鳥羽の僧正(源覚猷)は十一世紀半ばから十二世紀前半を生きた天台宗の僧侶であった。ごく短期間ではあるが比叡山延暦寺の頭領である座主にまで成って居る。覚猷が描いた戯画は面白さに掛けては天下一である。絵巻物は深く物語集とも関係していて、往生要集、日本国現報善悪霊異記、宇治大納言物語{宇治拾遺物語}、今昔物語{本朝部}などと密接に関連していて、絵巻物の創作の雛形となっている。室町は統制の効かぬ酷い時代でも有ったが、其処には日本文化の現在まで続く萌芽が見て取れる。謡い、能、連歌、作庭、香道、茶道、絵画、足利義政は絶倫の色好みの上にとんでもない浪費家であったが、その浪費の上に東山文化は育った。なかでも香道は茶道と同じく興味深い。香りを聞く芸道は、何か精神的な深みを覚えさせるものだ。

一緒に出かけた人から聞かれた。「魂と霊」は、どう違うのですか?。難しい問いですね。魂と言う物に関しては、個人的な根があるのでしょうか。霊に関しては、もう個人的な根は無い、現在の自然科学は、何もその判断を提示して居ないです。冗談に「世のあらゆる巷に現れている力である重力とでも言いましょうか?」と言った。魂とは元素の化学反応とでも言えるだろうか?自然の力の根源的な物ですが、僕もわかりません。未知の力か、或いは既に把握して居る力の複合か。魂とは心と言うものとも密説に関連しているのでしょう。霊の方は、むしろ分かり易いと云えましょう、肉体を離れた意志と言えるのではないでしょうか。わたしのような鈍感なものには見えませんが、ある少数の敏感な人には見えるらしいです。「百鬼夜行図」と同じ位に「幽霊図」と言うのは一般的です。馬頭の小さな浮世絵美術館に、以前に幽霊図の特集が有りましたよ。もちろん観に行きました。あまり唸るほどの名作は無かった様に思います。なにかどれもワン・パターンの絵画であった気がしました。応挙の幽霊図や北斎などの絵の方が、其れなりの個性を感じました。

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