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右脳と左脳

2024年08月19日 11時54分56秒 | 脳科学の進歩

 最も進んでいると思われている現代の自然科学でも、果たして自然現象を探求して見て、 何故に我々を含めた諸動物の脳が、左右に分かれて二つある事の意味は解けていない。元々、我々の体は、古代の遠いご先祖である魚類から構成様式を受け継いだものである。そして脳神経系と共に、多分「こころの構造」と言う物も、時間の降り積もった地層の様に、遠い記憶を本能として受け継いでいる。右脳と左脳の存在は、それこそ脊椎動物の起源にまで遡るだろう。遠い祖先から受け継いだ我々の体は、解剖学的所見に基づけば感覚器官は二つある。それは耳にしても眼にしても鼻を通じた肺にしても、生殖器の精巣も卵巣も、腎臓にしても二つある。勿論、心臓などは一つであるが。血流を送るポンプとしては一つで足りるのであろう。だが感覚器官に付いては不思議と左右に二つある。或る意味で体は対称的に出来ていると言って差し支えない。手も足も水中のヒレが進化した物だ。器官としては二つあるが、それは独立した別の存在では無く、互いに得た信号を補完し合う関係に成ってゐる。

その様にして生物は環境に合わせて、自らの形を変化させて来た。その変化は現在も進行中で、絶えず環境は変わるのであるから、地球に生きる生物は、そのままの形で終わりと言うことは有り得ない。生命はたえず取り囲む環境に合わせて形態変動しているのである。その変化の源と成るのは、地球上の惑星システムがもたらす生存環境であり、我々自身の生きてゐる社会形態である。その環境を創り出してゐる太陽系の惑星システムである。太陽系の回転と重力はその一部である地球の上でも例外ではない、惑星系の刻む時間と周期は、生命の発生と生理に多くの本質的な影響を与えて来た。言葉の真の意味で我々は星の子である。生物は細胞で出来ているが、細胞内の設計図である遺伝分子構造を揺るがすのは、熱による分子時計である。生命体の分子進化は、たえずこの熱による分子構造のゆらぎに起因している。この分野は熱力学と統計物理という古典的な道具が在るので、この道具を使い複雑な生命のシステムを根本から探求してみることが必要であろう。

道具が旧式ならば、新たに世界観に基づいた道具を創れば良い。それこそ必要な智慧である。我々は生物の形態に何となく不思議を感じる。その形には、何か意図的で必然的な理由がある。端的に言えば生物の形の変化を熱力学や統計力学と紐づける事が出来れば、それは形というものの本質に光を当てることに成るであろう。その分野は未だ未開だが形と機能に解明に至るには一番重要な焦点である。

人間の学問的認識は天文学から始まり、物理学へと変化しやがて化学を生み、そして生物学へと認識の方向性が起きている。化学は生物学への大きな貢献をしている。それは細胞だけでなく細胞中の遺伝子子分子構造を探求する道が開けた事でも在ろう。そして自然科学はいま垣根を越えて、全体が融合する時代に成って来たのである。私は、この先の人間の文明の方向は、将来は人間の意識の研究に移ると信じている、いわば精神の研究分野が行くべき方向である。この精神の研究は、今までの様な物理学を規範としたものでは不足して居るものが有る。それはこころの研究と物質の研究の融合が未だ為されていないからであり、方向性としては、今で謂う心とか魂とか、そういう形のない物の探求が不可欠な要素に成ろう。

まず、現在の自然科学の歴史の発端を振り返って見ると、それは天文学と占星術だった。しかも天文学と占星術は、別のものでは無くて一体の物であった。さらに人間が空を観測して星々を観測する事の意味は、恐らく「暦」と関連して居たことだろう。永い星空の観測の結果、古代人は太陽系の周期は決まっており、それは春夏秋冬を齎す事を理解して居た。人間が生活する上で「暦」は、不可欠の知識であった。若しも暦が無ければ、人間はどの様にして一年の仕事を割り振ることが出来るだろう。この様に一年が繰り返されることから、古代人は、人間の運命も星空の現象の中に現れていると信じたのであろう。それが占星術の発生である。占星術は人の生まれた月と日と時間を神経質に追及する。これは後で詳しく書いてみたい。

そして「暦」の制作には天文観測台と計算が必要である。歴史的には太陽暦と陰暦があるが、これも文化の違いによる歴史的な物だ。占星術が何時、どの様に始まったのかは、ギリシャ時代を越えてモット前だろうという説も在る。占星術が主に中東で始まり、それが西洋に運ばれたが、東洋には「易」が在る。シナの古典に「易経」がある。此れは周に時代に編纂された為に、易を周易とも呼ぶ。今に伝わる物はこの周易である。周は殷を滅ぼして成立した国であるが、その殷は夏を滅ぼして成立した国である。易に付いては、既に夏の時代にト朴は存在したとの伝説もある。日本の古代文書である、ホツマツタヱ(秀真伝)、三笠伝(ミカサフミ)、太占(フトマニ)、を調べると、太占は既に占いの原理を語っている。太占は16の掛けが在る。16×16=256の卦が存在し、周易の8×8=64卦に比べて4倍も卦が多い。卦が多いという事はそれだけ詳細を物語るという事だ。

角田忠信博士の起こされた「聴覚を通じての脳神経システム論」に因れば、我々の脳には年輪が在ると云う。恐らくは我々の一年の周期が、人間の生活を律している様に、この地球の全生命体も太陽系の回転から創り出される惑星時間の周期に対して、それに同調し他律性が自律性として働くのであろう。脳の年輪はキッカリ一年の周期で波長が変るという、角田先生の実験研究では、それは驚くほど正確な経過時間を現わしている。

人間の考える事は、東洋でも西洋でも大体似ている。人間の人生や国家の未来を予測するという試みを古代人は執拗に追及して来た。ト朴と呪術はどこかで関連している。未来は予想できると信じた為であろう。人の人生や運命が星の形に現れる関連性は自然科学的な見方では無い。だが古代に於いては関連性が在ると信じられた。天は神が司っている。それらの信念が占星術とト朴を生んだ。だが現代の自然科学はそれを否定する。この点は幾らかの疑義があるが、概ね人の運命は個人の意思と行いに因ると思われている。易も占星術も難しい。

もう一つ、取り挙げるとすれば、「言語」、「ことば」である。日本で育ち、全くの日本語の環境の中で生きて来た私にすれば、日本語は私の思考と表現と伝達を可能にして呉れる一番の手法であり、私自身が、私のこころが、この日本語によって創られている。思考の手段として、意識を収斂する手段として、日本語が在る。若しもこの言葉を失い、表現と思考の手段を喪失すれば、私は私ではなくなる。コトバは想像慮l句の表出手段なのだ。世界的に見た場合に日本語は全世界のどの言語とも違っている。この事は大きな意味を持っている。日本語とは人間の使うコトバの中でも最も古いコトバの様です。標記は漢字が入ったときそれを常用の手段としたが、縄文2万年の過去から、それなりの文明を築いてきたなかで、文字が無かったとは思えない。神社関係の中で、記号の様な文字が残されている。漢字以前の神代文字を称されているがその解読も進んでいる様です。それが確かな物かどうか?、時の支配者に都合の好い物が残され、又は改竄されるという事は、時として起こる事です。西暦で言うと紀元前660年が皇紀の始まりですが、日本の歴史はそんな浅いものでは無い。少なくとも縄文土器の前16500年以前にまで遡る事は事実が証明している。日本語の起源は、その付近まで遡れると感じる。

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仏教とは何か

2024年08月09日 11時16分33秒 | 日本文化の多様性

あらゆる宗教の起源は、自然現象の解釈から発している。

神と云う観念も恐れと云う観念も、各民族の生活環境から発生する。

依って神の観念も異なって来る。

原始仏教は何を探求して居たのか?

その哲理を一言二言で現すとすれば、

* この現世とは、何か? であり

* 我々は、そのなかで、如何に生きるべきか、の道の探求である

原始仏教のすべては、そこから派生したものだ 膨大な教典をふくめて、最初の志向がそうだ。

現世とは短い、食べ物、衛生、怪我、などで命が終わった。

日常の救済が、殆どが確立されていなかった古代に於いては人の一生は、今より短かった。

永い平和が続いた江戸時代の平均寿命は確定されていない。当時の幕府にしても藩政府にしても、家臣を別にして、全国の死亡統計を出してはいない。藩を見ても領民の死亡年齢は江戸中期まで記録されていない。もしもその記録を探るとすれば、膨大な寺院の過去帳に頼る外は無いだろう。幸いなことに、過去帳は寺の火災を省けば、大抵は見出される。立川昭二先生のご本「日本人の病歴」それによると、江戸時代の平均寿命は、男が、28‣7歳、女が、28・6歳となるという。これは0歳の平均余命で、この年齢の異常な低さは、乳幼児死亡率の高さにある。この時代の乳児と幼児の死亡率の異常な高さは、例えばその年の全死亡率の70%~75%を占めている。この0歳から5歳に掛けての死亡率は凄く多い。江戸時代の終りに日本を訪れた外人が見た記録では、「日本は子供の天国である」という。それは大人が、子どもの死亡率を知って居たからでもあろう。当時の諺では「5歳までは子供は神様の預かり物だ」という。それは子供がいつ死んでしまうか解らない程、死が多かった為であろう。古来、日本人は子供を、余り叱る事がなかった。子供は好きなようにさせて置くことが一般的でもあった。

日本では60歳を「還暦」と謂う、それは「暦が元に戻る事」であり、再び新しい歳が始まる事だが、其処まで生存できぬ人も居られる。還暦では赤いちゃんちゃんこを、子供達や孫たちが作ってくれて祝って呉れる。なんという嬉しいことだろう。だが、今の世の中では60歳では人の世の区切りとは見てくれない。少ない年金を出すのは65歳を過ぎてからだという。人には親から授かった、持って生まれた体という物がある。丈夫な人も居るが、丈夫でない人も居る。元気さも働いてきた仕事の種類にも因るだろう。誰もが丈夫なわけでもない。

そして70歳を「古希」と謂う。古希とは杜甫の漢詩からの「古来希なり」の事であり、日本の同世代のたぶん半分の人は、この古希を迎えられなかったに違いない。人々はこの呼び名を基に己の人生を計った。つまり終わりの用意、心掛けをしたのだろう。ここには永い時を経た先人の知恵があった。70歳をすぎれば、いつ最後が来るかを知らなくては為らない。永遠に明日があると思う者はおろかなのである。兼好法師は随筆集「徒然草」のなかで、そんなことを語っていたような気がする。それでも同じ事を繰り返す以外に、特別な事をする訳でもない。それが人生の実態でありまた要諦でも在ろう。

喜寿は77歳という、喜びの歳であろう。これだけ生きれば古代人には喜びであった。この歳くらいが自分で身を養う限界か。働くにも体の点で困難になる。むかしは体を酷使する仕事が多かった為に、この歳に成れば、相当にガタが来ている。助けてくれる者が無ければ、命は続くまい。人それぞれで、北斎は90歳でも絵を描いていた。

傘寿は80歳という。まあこの辺に至れば否が応でも人生の終りを想わざる得なくなる。この歳でも元気な人は元気である。

米寿は88歳である。現代ではこの歳が迎えられる人も多い。この歳に成ると圧倒的に女性がおおい。女は生物的には強く作られている。それが自然の摂理だ。

卒寿は90歳である。90歳とは世の中の多くを見て来たに相違ない。多くの智慧も在る事だろう。白寿は99歳である。この歳で矍鑠している方は、本当に素晴らしいことだ。

さて、大まかに人生の区切りを見て来た。人生が長く成って人間は変わったであろうか。人生が伸びただけ人々は幼稚に成ったとの見方もあるが、本当はどうなのか一概には言えないだろう。

さて、ゴータマ・ブッダの主導された仏教は、彼の大悟から始まり其の生涯は80年に及ぶとされている。釈尊は修行の過程で、それ以前の探求者の道から多くの物を受けている。仏陀が苦しい修行体験から得た物は、人生の真の道を得るのに、刻苦の修業が、何んの役にも立たなかった発見だったろう。勿論、人としての道に節制と克己は不可欠で、断食を為して死の淵まで行く経験も貴重だし、千日登峰も必要だろうが、では、それで人生の諸問題と命の存在の意味を問い、人の道の心底に出会うことが可能だろうか。仏陀の得た体験は華厳経に書かれているとされてゐる。仏陀ほどの人が自ら書いた論書を残さななかった。書いたのは側にいた謂わば修行者としての書記たちである。なぜ書かなかったのだろう。「書いた物にはいずれ誤解と改竄が生ずる」そう思って居たのだろうか。孔子もソクラテスもキリストも自分で書いた著作や日記は残さなかった。この人達が文字を書けなかったとは思えないから、何らかの理由が在るのだろう。

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思考と言語、又は、音楽とコトバ、詩とコトバ

2024年08月03日 08時12分08秒 | 心理哲学

 思考と言語の関係は、大昔から人々の関心を惹き、其れなりに探求されて来た実際の歴史がある。それは、自分の思考を明確にする為にも、言葉はある程度必要だが、考えを他人に伝えるには、言葉は不可欠だからです。此処のところは、自分の思考(内語)と他者への伝達は、内容と形式に於いて少し違いが在る。

また、音楽(音学)とコトバについても、感情を語る詩に於いても、重要でありながら、思考と言語の関係は未だに明確になってゐない。それが現状認識です。大昔からコトバが無ければ思考は出来ないと主張する人達が居た。そして言葉の本体は伝達形式に使う「音」であるから、「この音にすべてが詰まっている」と考える連中の事です。現在の日本語は表現の文字に多様な形態がある。象形文字としての漢字があるし、音標文字としてのカタカナ、また、音票の書き言葉としての平仮名がある。この多様な形態は重要である。日本語に於いてとても大切な機能を発揮する。

ところがアルファベットを使う、世界の多くの国々の言語では、表記には、音声記号しか無い訳であるから、彼らは言葉とは音が全てであるとする、確かに彼らに取り「音」が全てであるとする気持ちは判る。音声記号が最も進んだ形態だと信じている。そして「音」が、全てだとした西洋の近代言語学は、最終的には構造言語学に帰結した。勿論、構造言語学が無意味だと言って居る訳ではない。構造言語学派は、文字表現上の「音素」や「語尾変化」の形態を細かく分析し、造語には特有な構造があり、詳しく変化形態を分類する。だが、その努力を尊重するにしても、彼らはどこか、根源的な意味でボタンの掛け違いを冒している様な気がしてならない。彼らは、言葉が出てくる根源をどう考えているのだろうか。

音は伝達のための結果であって、始原ではない。ここが重要だ、言語の起源は音以前の内面に発するものだ。指標と意味はコトバの習得の過程で、判断力と意味とが分かち難く結び付いてい居る為に、構文構成の過程は解析困難なものとなっている。この部分と直接対峙しているのは、詩人と呼ばれる表現者たちです。彼らはたぶん、コトバが何処から出て来るのかに対して注意を払っている。言語哲学は、その辺を探求する分野でもある。

そして構造言語派から、出現して来たのが生成文法派です。人間のコトバには、人間共通の普遍性が在り、その普遍文法を探求するのだという。なるほど、その動機はわかります。世界中に多種多様なコトバがある以上、最も基本的な文法がある筈に相違ないと考えるのは、自然な判断力の帰結です。だが、普遍文法と謂うのならば、それは動物、或いは植物のコトバまで含まなければ成らないと思う。そして、それを言うなら、創語の機能は生命一般に亘って普遍でなかれば為らない。コトバを人間だけの機能として扱っていてはダメなのだ。日暮らしの鳴く声は、関東でも、沖縄でも、北海道でも、殆ど同じなのだから。コトバの普遍を言うのならば、多種多様な生命体のコトバにも普遍性を見出さなければならない。

私たちは外部世界からの刺激を受ける為に、目、耳、鼻、舌、身体感覚、の「五感を生れながらに持っている」、そして「五感以上の感覚がある」と謂う哲学や思想があるが、それでも、我々が感じることの出来る五感は、平凡人の私達でも、誰でも容易に納得できるもです。これは人間自身が創り出した能力では無い。大自然に因る設計であろうとしか思えない。外部世界の情報を感知する為に、生命体である自然が生み出したものだ。わたしは、自然はこころをもっているといつも感じている、調和の意思をもってゐるとしか思えない奇跡を起こすのだ。自然は何よりも偉大な物だ。それは、創り出す構造、形態、調和、に於いてすべては驚嘆に値する。

子供時代の昆虫少年だった頃の虫の形、そして庭の紅葉の種の形、こう言う物を、穴の開くほど、良く観察すれば、其処には何よりの神秘がある。

 

人類の言語として日本語はもっとも古く、且つ神秘的な物である。日々、日本語を話しながら、私は日本語を知らなかった、少なくとも角田忠信先生の学説を聴くまでは。

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