井頭山人のgooブログ

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辻まことの世界

2023年12月27日 18時32分59秒 | 日本文化論

 いまから40年も前のことであろうか。或る建物の二階にある本屋の、新刊本コーナーでふと手に取った。それが「辻まことの世界」だった。辻?まこと?それって誰れ?という気持だ。当時は辻まことは知る人ぞ知るであり、まるで無名の人であった。ただ、山関係のひとにはなじみの名前であったろう。絵も描くし、版画もする。そしてギター演奏もこなし、詩もつくるし、文章も書く。それの一つ一つが一流だった。私が最初に開いたページにはデッサンが描かれ、その横には痛烈な脚注説明が書かれている。後の有名な「虫類図譜」である。虫に擬えて人間社会の虫が俎板に乗った。なるほどこんな虫が確かに居たな。辻さんの手に掛ると、大抵の虫の害虫性が露になる。本来の虫は、とても懐かしい可愛い虫たちなのだが、人間が虫に替わるとその害虫性が炙り出される。辻さんの漫画は過去に「岳人」や「山と渓谷」に掲載されたが、それに付いている文がまた魅力であった。詩人仲間の会で活躍し、緒方亀之助の詩も辻さんの紹介文で知った。また、何冊かの絵本を出版し、それは今でも多くの愛好者が居る。「山の声」、「山で一泊」、山芋がウナギに成った話、詩・詩人考、唸らせる深い話が多い。辻さんの父親は辻潤氏でやはり特異な父親だった。親爺さんのことでは辻さんは苦労したと思います。

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百姓の江戸時代ー田中圭一 を読む

2023年12月26日 15時28分07秒 | 日本文化論

 大人になっても、我々の多くは江戸時代が圧政に次ぐ圧政で、誠に悲惨な時代であると思っている節がある。その理由は中学・高校の教科書では、そのような風に記載されており、習っている為でもある。それ故に中・高・大を卒業しても、単に高校で日本史を学ぶ程度では、日本歴史を本当に疑問を持って根本から独自に研究する者で無い限り、頭に教科書の印象がこびり付いている。だが教科書の記載は本当なのか?、本当にそれが事実なのか?真実はどうだったのか?を、歴史愛好家は知りたいであろう。

「百姓の江戸時代」は、今から20年以上も前に出版されたこの本をp「筑摩新書」で読んだことがある。私は、その時に内容に驚いた。それは私が高校時代に習った江戸時代の農民は、「常に収奪された農民」という、定番的な左翼的虚構の説とは異なることが書かれてあった為だ。それ以来、私は陰ながら田中圭一先生を尊敬している。先生は、本物の実証に基づいて、江戸時代を何の先入観なしに考察・考究された稀有な人だ。佐渡の農家に生れ、家では小学・中学・高校・の学校時代にも、学校が引けると家に帰り、暗く成るまで父に従って家の農作業を手伝ったと書かれている。食事は8時過ぎで、その後の就寝の時間まで先生は勉強をされたらしい。この一時からして、先生の勉強の根本には机の上の知識だけでは無く、実測に照らした精神があった。何故なら江戸時代はすべて全農民が、幕藩体制のもとで一方的に収奪され、苦しめられていた時代だという虚構を吹き飛ばしてくれたからだ。江戸時代の日本人の9割は農民だった。その農民が本当に収奪されて居たのなら、江戸時代はもっと早く崩壊したであろう。江戸時代の農民は世の中の「基盤として」誇りをもって生きてゐた。そのことがハッキリと実証されたものがこの本である。

明治以来の、理・工学を省く分野には、概ね大學アカデミズムに、社会主義・共産主義が入り込み、その社会全体の内紛を醸成していた。その典型には、日本資本主義論争という物が在る。「共産主義の虚構を」大真面目に論争をしていた連中の頭の中には、事柄の肝心な背景が何も分かって居なかったし、その主張は、今から考えると丸で盲目な世界認識であり、将に噴飯物である。何かと言うと、共産主義・社会主義の本質は、猶太の世界支配の一手段であり、その様な背景の著作である「資本論」自体が、猶太金融資本家の要請によりモルデカイ(ドイツ語ではマスクスとも言う)に依り書かれたものであることが、今ではハッキリと証明されているからです。シティとマルクスは同じ穴の狢です。特に顕著なのは敗戦後の日本を6年7ヵ月間統治したGHQである。このGHQの主体は主にCIAの元の機関であるOSSという組織でした。OSSにはドイツを脱出したfrankfurt学派の多数が流れ込んだ。私も若い頃に読んだ、マルクーゼ、フロム、ホルクハイマー、アドルノ、などがOSSに加わった。GHQの主体は金融資本が養成した左翼活動家であり、日本のアカデミズム学会は大正期に赤化が進み、特に戦後は、更に一様に赤化が一層進んだ。学校の教科書も民生も法律も6年間の間に、日本解体の設計図を社会に埋め込んだ訳です。この様な教科書を使えば、歴史は暗記と心得て丸呑みし、江戸時代史を「隷従と抑圧の時代である」と考えて仕舞うのは尤もな事なのです。では、本当の江戸時代とは、どんな物であったのでしょう。田舎の旧家に残る文箱資料を基に、庶民の歴史を再考察したのがこの百姓の江戸時代です。読んでみて損の無い新書です。恐らくは、今までの江戸時代に対する印象が変わる事でしょう。

今の社会とは異なり、古代~中世以来の家族は大家族でした。名主(みょうしゅ)夫婦の下に、その子供、父母、兄夫婦とその子供、弟夫婦とその子供、何人もの下男、下女、などで構成され、家族は20人~30人という大家族でした。30人がひとつの屋根の下に暮らしてゐたのです。田中圭一先生のご著書では、「中世は身分制度の時代であった」と、お書きに成られている。身分とは何か?「中世に在っては人の身分が固定してゐて、それを変更する事は許されなかった。身分に基づく主従関係によってつくりだされた社会を封建社会と呼ぶのだが、それは土地の支配関係の中から生まれたものである。この様な関係が永く続いたが、やがて戦国時代を迎え、それは百姓名主と領主の関係にまで及ぶと共に、世の中は大きく変わり始めた。そのころまでは、家はいくつもの家族で一軒が成り立っていた。この様な家族の構造は中世の名残であり、やがて「天和二年(一六八二)の検地」で、同居家族がそれぞれ名子として、自分の耕す田畑を所有地として独立して行くのである。」と、書かれている。現在の家族制度しか知らない人々には、中世の家族制度は想像できまい。

大家族というのはいわば血族でもある。そしてその血族は、娘をを嫁に出したり、婿を迎えたりして、親族が広がってゆく。江戸時代よりもモット以前、平安から鎌倉期には、娘が後を取り婿を迎えるというのが一般的であったという話を聴いた事がある。日本の遠い古代は母系制であったらしい。婿入り婚という社会は実に面白い気がする。

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京都大学理学研究科 数学特別講義(函数解析学)「作用素環と共形場理論」第3回 河東 泰之(東京大学大学院数理科学研究科 教授)2018年4月11日

2023年12月25日 13時13分58秒 | 電子計算機の未来

京都大学理学研究科 数学特別講義(函数解析学)「作用素環と共形場理論」第3回 河東 泰之(東京大学大学院数理科学研究科 教授)2018年4月11日

作用素環論は今流行りの分野で、驚いた事にはその研究者は雨後の筍の如く多く居る。だが作用素環はノイマン・ジョニオが始めた分野である。果たしてそんなに面白う分野なのだろうか。他にももっと興味深い分野は有るのだが、

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物事の未分化と因果律的認識の関連、或いは知ることの意味

2023年12月16日 15時14分40秒 | 哲学とは何か

 山登りの会の友人と森林公園内の遊歩道を歩くと、この人は好奇心が強く何種類かの科学雑誌を読んでいて、時々その中の話題を聴いてくる。どうも小生を困らせようとしているのか、としか思えないのだが、話題に冷たくするわけにもゆかず適当に答えるのだが、それでも時には自分にもサッパリわからない事を聞かれることが有る。もう大分前のことで忘れたが、その時の話題が「量子コンピューター」だった。凄いコンピュターらしいが、自分がもっている電子計算機とどう違うんだろう、という事であった。量子コンピュータの歴史は、このブログでも、サイエンス社の記者である古田彩さんの面白い講義があるのでご紹介した。古田さんの講義では、先ず最初に永久機関の解釈から始まりましたが、量子コンピューターのそもそもの淵源は、やはり量子力学の解釈に端を発する物である事を言おうとしている。朝永振一郎博士のお話に「光子の裁判」という名話がある。光の二重性について学生の為に書いた話だが、この二重性について量子力学の現状を書いている。量子力学の通常の理解が困難な所は観測の問題であると思います。とくに言えばハイゼンベルクの「不確定性原理」と絡んでもいる。現象の確率的解釈が一番究極の部分に在るし、観測しない内は、量子的世界では物事は未分化の状態で、決定してゐないという考え方だ。これは因果律が成立しない、時間の流れない現象の上でのみ可能な物だ。この話にはもう70年以上前の有名な問題がある。量子力学を学んだ人は知ってゐるでしょうが、EPRという人々が提出した問題です。

EPRというスペルは三人の名前の頭文字を取って付けた論文です。それは量子力学が確率的な解釈をせざる得ないのは、我々が重ね合わせの解釈に、まだ我々が知らない係数が存在しそれが解れば、量子力学の、解釈に含まれる曖昧さ未分化の現象は駆逐されるだろう。という意味の論文である。EPRは確率的解釈を異とする様々の提案の中でも、特に代表的な論文なので大抵の人は知ってゐる。人間はいま生存している世界では因果律が成立しているが、量子的な極微の世界では物事は「未決定」であり、それは確認した時点で決定すると謂われている。果たして「未決定」とは物理的にはどういう意味なのでしょう。それは我々の知覚の方に限定的な問題が在ると考えます。知るという事はどういう意味なのかと題名に書いたのは、その事なのです。知るという事の意味ですね。知らなければ未決定、知れば決定される。観測という次元を抜きにしても好いのです。観測には最低一個の光子が必要ですが、知るという想像力には光子は必要では在りません。この文章をご覧に成ってゐる方、知るという事の物理的現象と知ることの意味について、どうお考えでしょうか?。これは謂わば、最近の新しい疑問と言う訳では無く、遠い昔からこのようなCategoryは考えられてきました。知ることの意味に付いてはシナの古典である「荘子」にも似た話が出て来ます。日本のお伽話にもあります。「浦島太郎」のお話も、もっと敷衍すれば同じ様な背景を持つ話しに成ります。

こう言った不思議なお話は昔話によく出て来ますね。不思議さは現実にはあり得ない事なので、一層その空想が深まります。一瞬で移動する、というお話も普段は目的地に行くのに、ひとが足で歩けば、あるいは馬に乗っても、それなりの時間が掛かる事は誰でも経験的に知っています。ところがアッという間に目的地に行く事ができる。それはふしぎ以外のなにものでもない。現代では一番速い速度といえば光速(電磁波も同じ)だという事は小学生でも知っています。光速といえばとてつもなく速いのですが、それでも秒速30万キロメートルです。人間的な生活レベルではこれは凄い速さですが、宇宙空間の広さのレベルでは、大した速さではないらしい。月までは一秒と少し、太陽までは約8分、光でも掛かる。一応、物理法則の前提では光の速度を超えると何か矛盾が起きる。この辺の本当の事情は未だ解明されていない。それは空間の性質なのか、質量と深いレベルで関連しているのか、いまの物理の段階ではそれに答えられない。例えば身近な現象に原子核の中に陽子という物が存在する。その陽子はクオークと呼んでいる3つの構成子の集合体なのだそうだが、まあ陽子を取り上げて、その質量を理屈から導き出す事には、まだ成功してゐないのです。あらゆるこの様な素粒子と呼んでいる対象は、かならず崩れ去る(崩壊する)はずなのですが、中性子などは簡単に崩壊するにも係わらず、陽子の崩壊は未だ観測されていない。一応、現状の理論では陽子崩壊がこのくらいだろうという予想値は出ているのですが、その予想値では崩壊しない。つまり現状の理論の方に問題が在るのでしょう。では、どこに問題が在るのでしょう。それが解らないでいる。

 果たしてモノの寿命とは何なのだろう?。崩壊に至らないでいる時間とは?、何かが保たれている状態を言うのだ居るか?。複合体は必ず内部擾乱で崩壊する。崩壊とは別な物に置き換わる事でしょうか。或る調和的な状態が崩れ去る事を崩壊と言い、それは寿命とも言える。それは寿命とは、何かの、加法で表現できるのか?減法で表現できるのか?乗法で表現できるのか?除法で表現できるのか?。完全に単一の物が崩壊するという事は考えずらい。それは究極の単一物であり、それが崩壊するとは消え去ることであり、それはエネルギー保存から言えば有り得ない。それが何かに替わることはいえる。だから、保たれている状態が、何らかの擾乱で平衡性が崩壊する事を寿命という。では、その反対の創成とは何なのだろう。

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思い出の詩人ー青春1966年~1969年

2023年12月13日 19時14分22秒 | 言語・意味・精神ー惑星上の生命体

 十代の頃詩を愛した、Hesse、Hoffmannsthal、ハーフェーズ、オマルハイヤーム、Thomas・Sternes・Eliot、特にHesseとHoffmannSthal、には魅かれるものが在った。Hesseの「霧の中」とかHoffmannsthalの「早春」とか、確か富士川英郎教授が訳していたと思う。名訳の情緒は少年の心を捉えた。詩は、数学と同様に極早く目覚める分野だ。Hesseは小説でも名を成したが、彼の本質は詩人である。神学校での挫折は永く詩人の心を苛んだ。小説「車輪の下」は、彼の危機の吐露である。鋭敏な魂の青春は、また危機の時代でもある。ともすれば奈落へ、或いは車輪の下に投げ出し魂は其処で終わるであろう。Hesseはその時の心持を、一生涯保ち続けた人である。このような鋭敏な詩人の魂を持つ者は、他愛のない一般人とはまるで異なっている。平凡な人から見れば変わった人である。大体からして一般人は詩を理解する事など一生涯無いだろう。Hesseは或る意味では精神的な孤独の病に侵されて居たのかも知れない。彼は一生涯、青春の危機を描き続けた詩人で有つた。

次にはAustriaの詩人・劇作家・哲学者、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールを取り上げる。この人は人種的には3つの系統が入り混じっている。一つは猶太であり、独逸であり、伊太利亜である。非常に優れた資質を持ち、多彩な才能を発揮した。一つは詩人であり、上に挙げた「早春」を書いた。この詩は季節の移りと共に、ひとりの人間の一生、幼少期、少年期、青年期、成人期、熟年期、老年期、そして死、を書き分けると、早春は少年期から青年期への過渡期を描く詩である。富士川英郎先生の翻訳は自ずと名詩となっている。ホーフマンスタールは詩だけではなく、戯曲にも才能を発揮し、更には散文哲学にもその名を遺した。「チャンドス卿の手紙」、は、言葉と謂うものの本質と迷宮を語って、今でも驚異を与え続ける作品である。

そして次は、トーマス・スターンズ・エリオットである。この詩人はモダニズムとシンボリズムの大立者とも謂われているが、詩と共に戯曲を書いている。この詩人の最終的な作品は「四つの四重奏」と言われるが、宗教的なカトリック系統の散文詩である。今でも最高峰の境地と目される四つの詩は、バーント・ノートン(1936年)、イースト・コウカー(1940年)、ザ・ドライサルベージェズ(1941年)、リトル・キディング(1942年)の、四つであるが、発表された年代は以上の様に離れている。この他にも、ゲロンチョン、荒地、虚ろなる人々、聖灰水曜日、と私の好きな詩が並んでいる。Eliotは、USAのミズリーに生れたが、最終的にはBritainに帰化し、カトリックに改宗している。Eliotの真骨頂は四つの四重奏を代表とする宗教詩であろうと思う、その中にはインドのヒンズー哲学やヴェーダーンタ哲学が鏤められて居る。単なるカトリックの範囲にとどまらず、Eliotは東西の古代自然哲学を学び、その詩は単なる情緒のみではなく人間の限界、命の果てを見据えている様に思える。

エリオットの真骨頂は、機智的な警句である。ゲロンチョンでも、虚ろなる人々でも、聖灰水曜日でも、その警句はアラユル所に引用される。小生も文章の最初に引用したこともある。だが、人間の愚かしさ、日常の下らなさ、を告発する警句は、やはりカトリックの精神がにじみ出ている。なぜエリオットがカトリックに改宗した動機は知らない。だが明らかにエリオットにとって堕落したものでも在ってもカトリックに魅かれる何かが在るのだろう。令和5年12月13日、

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今の日本国に大事な物「漢学の復権」

2023年12月11日 07時39分47秒 | 日本文化論

 今の日本に欠けている物がある。それは明治以来というよりも、事に敗戦以来、順次日本社会と人が無くして行ったものである。具理性が持て囃され何に於いても合理性と尊ぶ事は好いとしても、段々に日本人はその精神性の背骨を失っていった。この歳に成るとその事を一層強く感じるものが在る。永く日本文化の根底には漢学が在った。例えば江戸の250年は、幕府の推奨が在った、新儒教である朱子学が国の精神性の根幹であった。朱子学は南宋の思想家、朱熹が四書五経を新たに解釈して作り上げた物である。勿論のことだが漢学とは朱子学のみを言うのではない。文献としては四書五経を使ったが、日本の漢学はその文献を更に日本流に加工し付け加えまた再解釈し新たに日本的世界観を付け加えた。それがいわゆる漢学である。日本的漢学は支那には存在しないし、とうに四書五経は廃れて其れを読める者は科挙に合格した者を中心に、少数の読書階級であり大多数の99%の庶民は漢字とは無縁であった。然もシナ大陸では民族の攻防が激しく古代の儒教を創造した民族はもう残って居ない。古代の秦帝国を作ったのは西域のウィグル系の民族であった。シナの語源ともなった秦は僅か20年ほどしか続かなかった。果たしてそれが帝国と言えるのか?。近々に於いても世界的帝国をつくった元はモンゴル人の帝国であり、最後の王朝である清をつくったのは満州人の王朝である。この様に漢学の元となった民族は、とうに消滅してシナ大陸には存在しない。誠に天地流転の世界である。

それに反して、日本人の日本列島は歴史の博物館とでもいえるほど、遠い古代の遺品が残されている。それは文献にとどまらず数々の珍品が正倉院の御物として残っている。日本は世界の荒々しい大波に洗われることなく時間的には2万年の歴史的連続性を保持している。日本は世界に類を見ない人間のタイムカプセルと言えるのではないだろうか。日本人の精神的骨格を作ったのはもちろん縄文時代に発する多神教であり神道の原型である。だが日本国の文化はその基本的な骨格を基にして。海外からも積極的に学び、日本の骨格に合わない物は捨て去る。日本の骨格に合うものだけを取り入れるのである。

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2023年の現実と2024年の希望。

2023年12月10日 18時47分22秒 | 日本の歴史的遺産と真実

 時のたつのは早いもので、もう3週間ほどで2023年も終了する。この一年を振り返り大変な年であったとわたしは思う。苦しい思いで働き過ごした人々或いは何も感じずに踊り狂った人々。これは両極端だが、その中間の人々が大多数であろう。小中高大と学校で一年を過ごした青少年、色々な物産を輸入或いは輸出に関係する人々、或いは車の生産ラインで働く人々、生産工場の従業員、デパートの従業員スーパーの従業員、長距離トラックの運転手、或いは医院を経営し患者の対応に追われる人、世間の実感とは少し離れて素粒子物理や天文学など象牙の塔に暮らす人々、身近な道路工事の人々、数え挙げれば切りがない。世相を少し斜めに見る人にはこの一年、いやこの4年間は異常な事の連続した年に思えるだろう。戦争を含め先ず世界中で変な事が起っている。大統領選挙のインチキ、意図的に流行させたパンデミック、それに呼応した注射の宣伝、感染の恐怖を煽ったテレビと新聞、発表されぬ膨大な死者、身近な人が(多くは70歳以上)コロコロと亡くなった。それは今でも続いているし今後も続くであろう、遅延性のmRNAは5~8年後に最終的には自己免疫系を破壊し(エイズと同じ)全臓器的な不全感染を引き起こす。明け透けに云えば年金世代の無駄飯食いを処分しているらしいとしか思えない。そう言えばそろそろ大量処分が始まるわよ、という外国メディアの女医さんの警告もあった。そして今度はもっと強烈な毒性の注射も登場した。どうもある小数民族の目標は日本民族の絶滅らしい。だが当の日本民族はまるで気が付いてゐない。彼らの研究報告書「成長の限界」によれば地球人口は5億人が好ましいらしい。現在の人口は75億人か?、ならば70億人は要らない事に成る。彼らの都合に好い者を残す事はできまい。その実数を私は知らないが、単に日本国に事情に限れば国民の8割が注射したという。12000万人の日本人口の8割は9600万人この内注射液には無害な物も何%かあるという。仮に希望的観測で無害な物が50%であったとして、後は有害な物なら、何れは4800万人の未来には何かが待って居る。外国も同様らしい。然し乍ら日本人の注射率は突出している。従順な性質と行政府の意向を疑わない性分が災いを為した。個人では打開できない何とも暗い世の中だ。私の不安が間違いであれば好いのだが残念ながらそうでは無いと感じている。2024年はもう目の前だが、どうなるのだろう。その予想はまだ定まっていない。

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April Come She Will

2023年12月06日 21時16分30秒 | 日記

April Come She Will

昔の日記を開くと、そこに書いて有る古い歌を想い出しました。「四月に成れば」という、この歌はわたしが学生時代に流行りました。ポール・サイモンとアーサー・ガーファンクルと云うポピュラーソングの二人です。彼らはとてもメロディー的にも歌詞的にも素敵な歌を多く作りました。四月に成ればという歌は、謂わば春の女神の季節の訪れを歌ったものでした。四月に成れば彼女はきっと必ずやって来る…。若い時に聴いた歌は特別な物です。それは歳を経てもこころの奥に仕舞われていて、あるふっとしたときに、脳裏に浮かび遠い昔の心持を蘇らせてくれるものです。

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日本古典文学の様相ー最も日本的なもの

2023年12月03日 08時36分06秒 | 日本の古典

 日本の古典はすでに白鳳期に端を発し懐風藻以前の超古代の古文献「秀真伝」にも、その影が残されている。だが現代に残る出版された古典文学ではやはり平安朝の文学が、特に女流文学(女房連の)が、量・質ともに傑出している。それを一々挙げる事はしないが、此処では平家物語、方丈記、徒然草、などの現在の日本古典文学を考える上で欠く事の出来ない物を取り上げたい。上に挙げた三つの作品は日本人ならば殆どの者が知って居る筈である。中学や高校の教科書には必ず取り上げられて居て、日本人の最低限の教養の土台に成っいるからだ。この最低限の作品を知らない者が居るとしたら、辛辣な事を謂うが、それは高校の過程が済んで居ない証だろう。それは日本人としての最低限の教養である。

琵琶で語る「平家物語」の哀調は何とも一度聴いたら忘れられぬものだ。詠嘆とも祈りとも付かない其の語りは古代ギリシャの「オデッセイ」にも似ている。「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり・・・」、栄華を極め滅びゆく平家の一門、女房、郎党、を思わしむる。平家物語の作者は誰なのだろうか?、これ程の哀調をもって吟ずる文章は、只の者には書き得まい。物語は長いが一度は全巻を味わってみるべきだろう。

「方丈記」も、実に薄い本だがこれまた詠嘆と共にルポルタージュとも付かない面白さがある。鴨長明は鴨神社の神官の家に生れ、なかなか鴨一門の中でその地位を得ることが出来なかった。己の人生を諦めた長明は方丈の庵に住み、この回想記を書いたのだろうか?、もっと上手くやれなかったのだろうか?、後鳥羽院は其れなりの眼を掛けて居たのだが、長明の頑なさが彼をして方丈の庵に住まわしめた。この薄い回想記には実におもしろい事も飢饉の悲惨な実体も書かれている。長明が嘘を書くとは思えないので、飢饉の死者は京都だけで4万人を超したのだろう。何故飢饉が起きたのかは、当時の台風、冷害などの、今で謂う小氷河期気象の結果だろう。現代の気象科学の知見では、太陽活動に基づく冷害に起因する飢饉は容易に起きるのだ。

「徒然草」は、吉田兼好法師の随筆である。兼好法師は硯で墨を擦り筆に恃み、己の見たり聞いたりした事件や些事を書いた。今で謂うところのコラムにも似ている。一段、一段、読んでみると、ああ法師はこんな考えや人生観を持って居たのだな、と、遠い過去の人にもかかわらず、不思議と親近感を抱かせられる。当時の世相、人々の考え方や、物事への反応が手に取る様にわかり、面白いしまた感心させられる。読んでみて損はない随筆と言うべきだろう。

話は変わるが、わたしのブログは一日平均すると20人位、多い時で50人位の方が見ているらしい。「殆んどコメントは呉れないが」、どういう人が見ているのかは、多少気に成ります。主婦なのか?高校生なのか?サラリーマンなのか?、はたまた小中高大の教師なのか?、徒然草の兼好法師と同様に小生のブログは、徒然なるままに、そこはかとなく書きつればもの狂るおしけれです。誰がご覧に成っいるかに付いては、まあ気にしない事にします。

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