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寺田寅彦について。

2024年09月21日 10時06分09秒 | 明治・大正・昭和、戦前の日本

 文人的科学者として有名な寺田寅彦は、江戸幕府が瓦解して西洋文明(主に独仏英)を受け入れ、そしていち早く西洋文明の粋であった科学力と技術力に追い付く事を目的にした、明治の中期に現れた物理学者であった。今でも彼の随筆は多くの人々に読まれており文庫本の再販は常に為されている。とても人気の高い科学者である。寺田寅彦の人生と、その科学の考え方を書いた評伝は、小生の見るところ10冊以上は有ると思う。彼の科学随筆は、少し増せた中学生や高校生にも読めるものだ。随筆の種は身近な自然の中の不思議という物から始まり、平昜は文章の中に科学的に鋭い探求心が発露されている。それらが永く愛される理由であろう。自然現象の面白さを題材にする、このような一連の随筆が、寅彦以前に無かった訳ではないが、寅彦ほど本格的に発表し続けた人は他に居なかった。

思うに、これと似た物に「和算」の伝統である「算額」の存在があるのでしょう。算額は幾何の問題を解いて、それを大衆に知らせる役割をしたが、不思議な事に、江戸時代の日本の大衆は数学が好きだった。なぜ不思議かと云うと、現在の日本では数学は毛嫌いされる分野の代表格の様なものだからです。これは嘘ではないです、例えば、中・高・大の生徒に、数学は好きかと聞いてみたらいい。大好きだという者は100人に聴いても10人くらいでしょう。あとの9割は嫌いだというに違いない。その理由を聞くと、試験で好い点が取れなかったからだ、という答えが返った来る。たぶん数学や物理は、先生の教え方に大差が出る分野ではなかろうか?。先生の個性や教授法で理解に大きな差が出る。ここに名前を挙げないが、良い先生の弟子には決まって、良い先生が出ることが多い、寺田寅彦の弟子の場合もその例外ではない。

評伝に必ず載っているのが、夏目漱石との出会いである。この出会いは寅彦の生涯を決定したと想像します。熊本の第五高等学校時代に寅彦の英語の担任となった漱石は俳句をやってゐた。漱石が俳句を遣るようになったのは子規の影響からだが、子規と漱石は大学予備門以来の親友である。大学を卒業し東京高等師範の英語の先生として就職したが、校長や周りと合わずに幾らも勤務せず東京から脱出して、子規が療養している松山に行くのである。旧制松山中学の英語教師として就職した。「坊ちゃん」はこの時代を描いてゐるが、漱石は自分で給料は校長よりも上だったと書いているのが面白い。そうして確か一年後に、第五高等学校の方から英語の担当をしないか?と誘われて、そこに行くのである。五高には会津藩の生き残りである漢学の秋月先生とかパトリック・ラフかディオ・ハーン(小泉八雲)など、異能の先生が沢山ゐた。寅彦はこの五高で「師と生徒」として漱石に出会った。その出会いも授業であったのではなく、クラスメートの為に英語の試験の点を貰いに何人かと出掛けた中で出逢った。

それ以来、先生と生徒は師弟関係を越えて人生の親友となった。こういう関係は、誰しもが求めていても、中々得難い関係である。それは人間の基本的な欲求が共鳴し合う関係である。自然の神秘を根底から解明したい寺田と、人がこの世に生きる真の目的は何か?、人間関係のもたらすこの世の喜びと悲しみを追求した漱石。この様な基本的な人生観が二人を結び付けたのだろう。この二人はどちらも稀有の才能を持っていた。こういう関係は日本に例が無い訳ではないが、やはり稀な事だろう。異分野で才能が共鳴し合うという誠に豊かな付き合いがあった。この二人は自分の人生において本当に幸福であったか?、どうかは知らない。だが、漱石は家庭生活に於いて幸福ではなかったと私は思って居る。女房が良くなかった。いや、良くないという言い方は適切ではなくて主人と妻は肌合いが合わなかった。という言い方の方が正確だろう。たぶん女房にも言い分は有るのだと思います。相思相愛の夫婦は中々居ないと自分は想うが、どうなのだろう?。寅彦に付いては多分、相思相愛だったのだろう。だが妻は余りにも早く、この世を去った。寅彦の書いた「どんぐり」を子供の頃に読んだ事がある。自分は泣いて仕舞った。漱石と寅彦の二人は、順風満帆の人生ではなかったが、おおくの稀有の実りをもたらしたと思う。

寅彦の科学随筆の特徴はその鋭敏さである。書き溜めた随筆をある程度纏めて出版していて味わい深い。そして実に面白い事を書いている。少し気に成った随筆を挙げれば、「変な物音」、とか、「科学者と頭」とか、「鐘に血ぬる」とか、幾らでもあげられる。特に科学者と頭を少し書くと、科学者は、まあ一般的な基準では、もちろん頭が良くなくては科学者として立ち行かないのは当然の事だが、だが、最も肝心な所で、科学者は頭が悪くなくては、本当の科学者には成れないと謂う。寅彦が言おうとしている所は実に核心を突いている。本物の創造的な科学者は平均以上の高い理解力を供えている事は当然の事だが、物事の本質を探究するには、少し頭が悪くボーッとしている頭が必要だ、で無ければ新たな独創的な力は涌かないと言おうとしているのではなかろうか?。頭の回転がが良すぎると月並みな上滑りに成り易いことを指摘する。物事の裏には深い法則性の神慮というものが働いているという認識があるのだ。その法則性と云うか、大自然のもつ法則形成力の成り立ちや法則の目的性の時間軸など、それを瞬間に理解するには、人間の弱い理解力では立ち行かない。理解の為の発酵期間が必要だという事を言っているらしいのだ。思念の発酵期間がある、それは或る問いを自然のままに任せて置く事で、その発想が進むという現象である。人間の精神性の中には自動で進むものが在って、それに任せて置く事で新たな知見に立つことが出来る。

人間のこころは自我意識がずべ手ではない。自我意識というものは本来の深い意識レベルのごく表面の物に過ぎない。それは数学の分野でもあり哲学の分野でもある。そして心理学の分野でもあり得る。我々は日常意識のレベルで暮らしてゐるが、鋭い探求者とか本当の詩人とかは、日常の覚醒レベルで暮してはいない。詩人は放然とする性癖を持つ。それでなくては真の詩は作れない。永らく言葉を待つ事も在る。詰まる所、俳句の境地は自然描写だと子規も書いている。漱石は漢詩を好んだが、俳句もやった。寅彦はおもに漱石から俳句を学んだ。彼らの友人には高浜虚子もいる。事実、寅彦の「ドングリ」は、虚子の主宰する雑誌に掲載された。あれ確か、漱石の「吾輩は猫である」も、虚子の雑誌に掲載されたかな。とにかく虚子の主宰する雑誌は投稿するのに便利だったらしい。

寅彦は、自分のフィールドである、科学からの種を基に多くの作品を書いた。では彼は随筆だけを書いて居たかと云うと、そんなことは無く、立派な内容の英文の論文もたくさん書いている。寅彦全集にはその英文の論文集が六冊ほど揃っている。寅彦の真骨頂は、我々の身の回りに在る自然現象に注目して、それが物理学の最先端の問題と被ることである。キリンの縞模様の物理、乾いた田んぼのヒビ割れの論理、等々、身の回りの不思議は気が付きさえすれば沢山ある。

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古史古伝について

2024年09月10日 13時58分42秒 | 日本の歴史的遺産と真実

「古史古伝」と言われている文献資料は、現在の学界では信頼に足る正式な文書とは認められて居ない。それらの文書は、現在使用されている日本語の文字では無い文字で書かれている。一括りに言うと神代文字と称されている文字である。若しも、それが本物の古伝書ならば、日本での一応公式な古代史書である「古事記・日本書紀」などは、多くの訂正されるべき点がある。漢字以前の古代文字である「神代文字」は、ヲシテ文字を初めとして、その数が両手を超えるくらい数がある。似たような種類の文字も、全く異なった記号の如きものもある。文字の起源は言語の起源より遥かに新しい。そして話し言葉の起源は文字の起源にくらべて遥かに古い。声帯から発した音表言葉を如何に再現文字として同定するかに、古代人は思索苦慮した事であろう。文字はそれを記録する媒体が必要だ。例えば石や粘土、獣皮、そして後に紙が出来る。石や粘土に刻む文字は流れる様には書けない。獣皮でも日本の平仮名のような流れる筆跡は難しいはずだ。その様に古代の文字は植字印を並べたようなぶっきら棒になる。シュメールの楔形文字などは代表例だ。

コトバの起源は、かなり漠然としてゐて難しいが、文字の起源は、それに比べればまだ手立てが有りそうである。確かに言語は話し言葉から始まった。意思の疎通ができてゐれば、文字の必要性はそんなに重大ではない。だが大集団が集まり、何らかの決め事をして、それを残すとするならば文字の必要性が出て来る。記憶の良い人が居て過去の全てを記憶しているならば、その生き字引の様な人に頼る事も在ろう。だが、集団が大きくなると文字の必要性は高まるだろう。現在の発見された物的証拠である縄文土器の年代が、炭素減衰法で計測すると、紀元前一万七千年と謂う事であるから、土器を創る文化が文字を持たないとは言えない面もある。勿論、南アメリカの原住民には高い文化程度を持ちながらも文字を持たない部族も居ることは確認されている。

私は、父の世代の方である馬野周二先生のご著書、*人類文明の秘宝『日本』ー 副題に「世界破局救済の「使命」その根因を探る」を、読んで、日本人の本質と日本文明の特質に思い至った。この本は私の思考のフィールド(分野)を拡大して呉れた。私は宇宙論とか哲学とか数学や物理が好きで、そんな事にばかりのめり込んで来たが、日本文明の本質は、実に深いものが在る事に永いあいだ気が付かなかった。気が付いた以上は、日本人の魂の起源と精神の歴史について探求しないのは惜しい事だと確信した。さて、日本列島には、世界のどこにも無く古い文明を感じさせる。紀元前4世紀から紀元3世紀までの700年間は解き明かせない謎に満ちている。だが古史古伝の代表格でもある「ホツマツタヱ」に依れば、神武以前に約1000年ほどの前史がある。

神話に依れば紀元前1600年までは何とか絵を描けそうだが、では紀元前16500年前の縄文土器をどう解釈すれば好いのだろう。ホツマツタヱでさえ紀元前1500年くらい迄しか推測できない。縄文時代はおよそ35000年の過去があるのである。そしてこれ以前に12万年の旧石器時代が存在する。この時の流れを埋める何かが不可欠だ。我々は取り敢えず想像する他ない。12万年の旧石器時代には届かないが、取り敢えず30000年前から始まると言う縄文人の生活を分析し再現して見ることである。貝塚を調べると、多く貝類を食べ、木の実を食べ、栗を栽培し、赤い米を作っていた。縄文時代に陸稲は栽培されていた。

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ブラックホールと天文学

2024年09月07日 07時32分55秒 | 天文学と宇宙論

 宇宙は私たちの眼のまえに広がっている。フッと空を見上げれば、其処は宇宙そのものだ。地球に生息している我々は宇宙の一部である。天文学の永い探求の歴史の中では、ブラック・ホール、という言葉は比較的新しいネームです。インドやギリシャ時代の従来の天文学は人間の生活や生産活動を律する暦の制作のために始まったとされています。それは人間が生きる為の米や麦など、穀物などの生産活動に強く結び付いた指標となるものでした。

太陽の動きを正確に把握する為、古代ではストーン・サークルが創られ、後で天文台が建てられた。日本で言えば春夏秋冬を正確に把握し、コメの作付を主に多くの作物を植え付ける目安となった。暦を創るには天体の正確な観測が必要であり、太陽と星々の運動を把握しなければ為らない。これは口で言うが安く実行は難しです。

ガラスの屈折率に気が付いた時計屋がレンズ効果を発見し、それは天体の観測に、微生物の存在に、実に多くの決定的な影響を与えました。レンズの発見以前には、すべて観測者が自分の眼で星空を観測して居たのです。そして太陽は裸眼では見ることが出来ず困難を極めた。レンズの発見により、裸眼では観る事の出来ない、遥か遠方の星々や月の表面の観測が可能となった。インドの天文台もアステカ文明の天文台も、そして近代天文学の発祥の地点となった、ティコ・ブラーェのフュン島の天文台でも裸眼で星々の運動を調べていた。「むかしは眼の好い人が居たのだな!」、というユーモアでは語れない、本当に真剣な観測だったのです。

ティコ・ブラーェの正確な観測データは、神聖ローマ帝国の占星術師兼数学官、ヨハネス・ケプラーにより計算検討され、星の運動を三つの法則にまとめ上げた。だがケプラーは現象面で運動法則を捉えたが、星の運動の原因を知ることが出来なかった。それがハッキリするのは「引力」を原因とした力学を待たなければ為らない。更に、軌道計算をしてケプラーが驚いたのは、惑星の軌道が真円ではなく楕円だった事です。ケプラーは深く神学を信じていた為に、天体の運動は、完全性を備えた理想的な物であり、それを裏付ける真円であると信じていた。ところが軌道は楕円であり真円では無かったのです。ケプラーは、最初、自分が計算間違いをしたのだと思い込み、何度も何度も計算を試み、それが間違いではない事を認めざる得なかった。

近代的天文学の曙はこうして始まったのが、然しそれよりも2000年前のギリシャ時代に、サモス島出身の天文学者アリスタルコスは、月の大きさを比例的に算出しています。アリスタルコスは月食の時に、月を隠す弧が地球の円周であることを知って居た。月に映る弧を書き写し、その孤を延長すればそれは地球の円周に成る。もうお分かりだろう、それを比べれば地球とその衛星である月の大きさが出て来る。アリスタルコスの業績で、驚くべき事には地球から太陽までの距離まで議論しているのだ。さらにアレキサンドリア図書館長、エラトステネスは地球が球体であることを信じて、その大きさを出している。

人を雇いエジプト中部のシエネ付近からアレキサンドリアまで歩かせてその距離を求めた、それは夏至の正午シエネの深い井戸では太陽は底まで照らす、その同じ夏至の正午にアレキサンドリアでの仰ぎ角を求めた。その角度で360度を割ると商が出る。其の商をシエネからアレキサンドリアまでの距離に掛ければ、球体の一周の長さがでる。今で謂えば小学生の問題です。この様に簡単な計算から地球の円周が出る。この誤差は現在の値と比べて驚くほど小さい、2500年も前に、何でこんなに賢い人が居たのだろうと驚愕する。

彼らは幾何学の「三角法」今で謂う三角関数の熟達者だった。彼らは三角法を駆使することで驚くべき結論に達して居たのです。この人達は地動説を信じていて、太陽系の生成を空想していた事は有り得ることです。若しかすると銀河系宇宙をイメージとして持って居たかも知れません。だがこれらの業績は次に継承される事無く消え去りました。再発見したのはブルーノやコペルニクスでした。我々は宗教的狂信性に因って、どれだけ間違った宇宙像、天地像、に惑わされたか分からない。

さて、この記事の表題は「ブラックホールと天文学」です。先に述べたようにブラックホールというネーミングは比較的新しいことばです。このコトバは1070年代に、原爆開発に関連していたJohn・archbolt・ホィーラーが命名したことに成ってゐる。此れからはブラックホールをBHと訳します。BHは、当初、日本語で言うと「重力崩壊星」と云うオドロオドロしい名称でした。星々の核融合反応が終わりに近づき、核融合燃料が減る事で星を燃やし、維持する事が出来なくなり、その質量に因り潰れてしまい、急激な収縮が起きる。その潰れた質量は極端にまで収縮し、恐るべき質量となる。原子核のまわりを回る電子も周りを回ることが出来なくなり陽子の中に埋め込まれて陽子は中性子に変わってしまう星が、中性子星と呼ばれている巨大星の終りの姿です。この辺の本当のメカニズムは未だ解明されてはいない未知の領域です。

さらに、もっと大きな質量を持つ超巨大星は、もう極端にまで潰れて光も脱出できなくなるB・Hとなる。B・Hは、異常な特殊な天体だと思われ、単なる空想上の存在でしか無かったが、大気圏を越えた所に望遠鏡と言う天文装置を打ち上げ、依り遠方の精細鮮明な映像を得るに連れて、BHが空想の所産ではなく、現実の存在する現象であると認められてからは、天体物理学はその多くの部分がB・Hと関連する様に成って来た。B・Hの根源は質量が及ぼす重力の作用である為に、理論的な枠組みでは一般相対論を拠り所にせざるえなくなる。

Einstein以前は、空間と時間は別物で、それは互いに関係のないCategoryと思われていたが、1905年に出された特殊相対論は、時間と空間、そして質量は、互いに密接な関係を持ち、互いに独立的な概念ではない事になった。その成果は実に驚くべきもので、我々の宇宙観、世界観を一変させ。。特殊相対論のとても分かり易い解説のYouTubeがあるので、このブログでも取り上げたが、1915年に発表された一般相対論は、特殊相対論を下敷きにEinsteinが重力の本質を探究した成果である。

Einsteinはその中で、重力場の方程式を提出しているが、その解に関して時を経ることなく一か月の後にシュヴァルツシルトによって解かれた。これは球対称性という極めて正常な条件の下に解かれた初めての解である。残念ながらシュヴァルツシルトは、第一次大戦に参戦し其処で亡くなった。此れが最初の厳密解です、それ以来多くの有名な解が発見されました。オーストラリアの数学者ロイ・カーが発見したカーの解が有名です。しかし、私は葬り去られようとしている、裸の特異点を予言する富松彰と佐藤文隆に因るTS解になにか今の時点では理解できない大切な物が含まれている事を感じます。この厳密解が間違いでない限り、それは何かを示唆している。

B・H天文学は、まだ歴史の浅い分野です。将来どんなことが発見されるか分かりません。宇宙検閲官仮説を提唱したペンローズが間違ってゐる事は十分に考えられます。宇宙の存在はマダマダ謎なのです。それはそうです、そんなに簡単に自然現象の真の起源と歴史が解かる筈は無いからです。私の勘ですが、富松・佐藤の厳密解は、次のブラックホールの認識に大きなステップを齎すと信じます。B・Hの生成と消滅については、まだまだ未知の分野です。

B・H自体が生成を経て消滅に向かう過程が必ずある。巨大星が核燃料を燃やし尽くし、その巨大な質量を膨張力で支える事が出来なくなり、爆発的に急激に収縮しその反作用で周囲の物質を飛び散らせ、中心核にB・Hが生成されるというストーリーが現在の理論的な過程です。生成されたB・Hは強力な引力で周囲の星間物質を集め、それは星雲に成長する。やがて星雲も合体し因り巨大な星雲となり、その星雲も最終的には終わる。B・Hも消滅して消える。その過程で見えないとされた裸の特異点が出現する可能性も充分にあり得ると想像する。

「宇宙の本質を我々の意識は理解できるように作られているのだろうか?」

多くに意見が在るだろうが、私は人間の一般的な知能で理解できるようには作られて居ないと感じている。それは完成された宇宙での理解にとどまるのでは無いだろうか。ひもの理論はどこまで有効だろうか、それは単なる玩具に過ぎないのでは?。一概には言えないにしても、ひもの理論の歴史を調べて見なければ為らない。紐の理論の淵源は、衝突実験で観測される、余りの多い素粒子の数に多くの者は疑問を持った。それが謂わば始まりである。それはそうだ、素粒子という物がそんなに多い筈は無いのだ。叩き壊した破片が何十種類もあるとしたら、それは素とは言えない。素ならば叩き壊した破片は皆一様に同じでなければならない。素粒子構造の奥にある物は当面は把握できないのだから、ならば観測される物だけについて、合理的な構想を想像してみよう。そうした試みがS行列論になる。観測できぬものについてアレコレ言っても誰も信じはしないだろうから、出て来た観測量だけを用いて、素粒子相互の関係で辻褄の合う理論を構築する為に出て来た物が、ハイゼンベルクが提唱したS行列論となる。ところがこの試みは途中で放棄されることに成った。量子色力学がその解釈に力を持ち出した為だ。

ところでブラックホールは、当初、まったく特異な天体だと思われたが、段々に事情が解って来ると、それは特異なのではなく宇宙のシステムはBHを造るために存在して居るのでは無いか?という認識にまで広がった。現代の宇宙物理学はブラックホールが研究の主体となってゐる。それは観測に依って認識が広がった為である。現在では、あらゆる銀河系宇宙の中心にはブラックホールが存在して居ると想像されている。ゆえに島宇宙を構成しているのはブラックホールであると言う事に成った。研究の中心が、特異な天体と思われていたブラックホールに成った。星の生成と死はこの宇宙の中での一連の生成と終焉なのである。更に終焉は再び生成の種となる。将に宇宙は生々流転を繰り返しているのである。その中で、ブラックホールの持つ意味は、星の持つエネルギーの放出とその残骸の結果として認識されつつあり、最終的な宇宙像を我々はまだ知らない。湯川秀樹博士の箴言では「真理は常に少数派から始まる」と書かれている。

以上の様にブラックホールは特異な天体から、ごく普通の現象となった。それは星の生成と消滅に関する一連の解析が進み理解が広まった為だ。現在の主流である多数派の宇宙像は、この我々の宇宙は数百億年の昔、或る特定できない一点(極限の特異点)から、何らかの原因で膨張が始まり、現在も膨張を続けているとされる。尚且つ膨張の根拠は、宇宙背景輻射とエドウイン・ハッブルが発見した遠い天体から来る光の赤方偏移の解釈にあるだけで、遠い星雲を研究している人の中には赤方偏移が必ずしも空間の膨張と同義ではない事を語る者も居る。そして少数派の中には一様な膨張に疑いを持つ天文学者もいる。天文学は星の生成と死や太陽系の生成について大きな進歩を得たが、依然として宇宙の始まりと空間の拡大について明確な理論的基礎を持ち得てはいない。ゆえに完全な証明の上に立ってはいない。物理学は自然現象を相手にして居るだけに、数学の様な意味での公理の完全な証明という物とは区別される。それだけに天文学は新たな知見が秘められている興味深く面白い分野です。天体物理学は私たちの住むこの地表世界全般を包含します。

冬の澄み切った夜空に、東の空から登って来るオリオン座を、皆さんは見る事があると思います。オリオン座は晩秋から真冬の空を彩る星座です。とおい、とおい昔、オリオン座の輝く下で、2月~3月に掛けての入学試験の準備の為に夜遅くまで、ラジオの通信講座を聴きながら、受験勉強をした皆さんは多いと思います。ラジオでは名物講師が居られましたね、とても懐かしい。そして今現在、受験の為に遅くまで勉強をして居る若い人も多く居ると思います。オリオン座は蛍雪時代の苦しくも懐かしい時代と重なった星々です。あなたが勉強に疲れた深夜外に出て見ましょう。冬の大三角形とオリオン座は、寒気の中に、天空に輝いている筈です。若い時代は苦しい事も多いが、15歳~18歳までの青春時代は、人の一生の中で掛け替えのない,二度と繰り返す事の出来ない時代です。

目出度く志望に大学に合格した人、あるいは望む大學に落ちて仕舞った人もあるでしょう。それでも、それは一生の糧に成ると信じたい。遠い星を見上げてください。その星の光は、あなたの生まれる前に親の星を発した光です。星々は小さな人間のこころを拡大し豊かにします。我々は本当に、小さな小さな星の表面に張り付いて生きてゐるのです。嬉しい事も楽しい事も、苦しい事も辛い事も、すべては、皆な皆な星の下で生きてゐる命の時間です。人間の、星の時間は、星々の長さに比べてみれば、それは一瞬のことなのです。其の星々もいずれは自己の持つ物質の原子核反応を終え、強大な超新星となって砕け散るか赤色矮星となって星雲に吸収されることでしょう。そうするとあらゆる存在は終焉を迎えると同時に、新たな誕生の出発となる。宇宙も星も生命も、みな同じです。これら一連の物質の集積は引力の力です。この不思議な力は他の力と同様に宇宙に満ち満ちている。これを不思議と言わずして他に不思議は有るか?と思う。

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