天文学の歴史は、人の自己認識と宇宙認識の歴史そのものである事は言う迄もない。我々の生物種が、この世界に現れたのは、考古学では20万年前と云うのが定説だが、この定説は証明された物では無い以上、単なる仮定の話に過ぎない。現在の人間の能力は、すでにその20万年前から変化していない。生物的に脳神経の発達で人間は「火」を使う事を知り、その為に生存上の多くの利を得た。食料を加熱する事で腹をこわす事が減少したし、火を使う事で野生動物の攻撃を避けることができた。ヒトは哺乳類の一種で雑食ではあるが、草食では無い為に生の草を食べることが出来ない。海や川で魚を、森で木の実を採取し、主食としてその生存を保っていたが、時には大型の草食動物を襲い、その肉を食することも在ったに違いない。やがて植物を栽培する事を発明し、その発明が人間を大きく変えた。腹を空かせては居ても、植物栽培に因って全員が飢えて死ぬ事も無くなった。小さな家族はやがて大家族へと変化し同族の集落を作り、またより大きな集団となって行った。いわゆる同系の大氏族の形成である。話し言葉はすでにこの頃には完成されていたと思われる。遠い古代にも好奇心を逞しくする者は居た。そのような先祖は夜空を仰ぎ見て、月や金星、火星、木星、そして幾多の星々が天空に在り、刻々と位置を変えまた再び同じ位置に戻ることを不思議に思った事だろう。我われに身近な最大の対象は、お日様の太陽である。そして夜空には月が大きく出ていて、昼と夜という我々の生活リズムを律していた。月は自らは光らず、太陽の光を受けて自分達の暮らす大地の上を規則正しく廻っている。
古代人の天空に対する興味は、世界の各地にストーン・サークルと呼ばれる天体の運行を印した遺跡の存在に拠っても解るものだ。古代人は日が落ちたあと寝るまでの間に、星空の光の瞬きを興味をもって仰ぎ見たのに違いない。それが一定の順序パターンで天体が変ってゆく。そして、其れには何らかの意味が在り、星空は一年が過ぎると、また新しい一年にむかって順序が繰り返される。日本にもストーンサークルは存在する、それは縄文時代の遺跡であり、すでに一万年以前の遺跡を追うことが出来る。そして暦は栽培技術の上で欠くべからざる重要な指針であった。これが崩れると農業の収穫が減ることも在り、人々は種をまく時期に敏感であった。永い間、この天体の運行は、地上の諸事にも影響を与え、個人の人生までも決定すると信ぜられた時期が起きた。いわゆる天体の運行と、国家の運命もつながっていると信ぜられた。占星術と天文学の現象とは、切っても切れない関係を有している。この天体の運行は永い間、最大の謎の一つであり、人間の初期の文明が栄えた土地には、必ずと謂って好いほど天文に関する遺跡がある。バクダットもそうだし、インドもそうだ、エジプト、も、多くの古代遺跡を形成している、さらに中南米大陸では。マヤ、インカ、アステカ、と古代の天文台と思しき遺跡が密林に打ち捨てられて居る。此れからしても、文明と天文は殆どおなじ土壌の上に立っている人間の思考の跡である。
この天文学の歴史に大きな発展の切っ掛けと道具となったのが数学であった。中でも幾何学は、天体の運行までは把握出来なかったが、地球の大きさ、月と地球の比、さらには地球から太陽までの距離さえ計算した。幾何学は人間が眼を有する以上、どんな文明にでも存在した。子供向けの数学の歴史では、幾何学はエジプトで土地の面積を計る為に案出されたと書いて有るが、そうでは無い。面積を計る際には、その面積に三角形を曳き詰めその三角形を足し合わせる事で面積を確定する。いわゆる三角法である、中でも三平方の定理が有効である、さらに進むと余弦定理もギリシャでは案出された。この様にして平面上の幾何学であるユークリッド幾何学がうまれた。
現代の数学は、大きく区分けすると、概ね、「代数」「幾何」「解析」「確率・統計」などに分けることが出来る。
『代数』とは、関係と関係とを、AとかB とか、ⅩとかYとかに象徴して、それらを使って関係式(方程式)を作り、それを解く事に因ってA、B、乃至、X、Y、の関係を割り出して、数値として導入する技術と言える。いろいろな函数(指数、対数、三角、実数、複素数、四元数、八元数、)を取り込むことで、様々な方程式があり、方程式論と言えるだろう。例えば、五次方程式などは冪根では解けないことが、エポックに成り、群論が出現する。代数方程式で出現した群論は今では最高の技法として素粒子物理にまで応用されている。一旦、数学的な技法が確立されれば、それはあらゆる分野、化学にも人類学にも応用が可能なのが数学の特徴なのである。数学の定理は普遍性を持つから極めて有効である。代数は平たく言えば方程式論のことで、この分野はメソポタミアが起源かも知れないが確証はない。
『幾何』とは、人間が眼をもった時点でその条件は整っている。もちろん直接の契機は面積を割り出す事から始まったらしい。洪水で流れて仕舞った土地の面積を割り出す為に色々と思案した挙句、人々は三角測量の方法を編み出した。平らな空間、面積は二次元である、縦と横の掛けられた数値、それが面積。この面積を廻って人々は角度という物を発見する。縦、横、高さ、の三つの数値と角度の関連を廻って、やがて三角法が確立される。古代の色々な地方での工夫され幾何学は、ギリシャの賢人たちに依ってユークリッド原論として著され、この幾何学は人間の文明に根本的な知的発達をもたらした。特に、アレキサンドロス大王の中近東への遠征は、世界史的な文明論的な意味を持つ。アレキサンドロスが死去したのち、彼の帝国は何人かの将軍によって分割されて、各王国となった。中でもエジプトの港湾都市アレキサンドリアには、世界の様々な知識が集められ、その中のアレキサンドリア図書館は、地中海文明の粋である。繫栄して居たアレキサンドリアは、その図書館の三十万冊とも謂われる大百科事典をも凌駕する知識の宝庫は、エジプト内の過激分子に依って焼き払われた。この人類の宝は各地方の古史をも含み、それは人類の宝と言うべきものだった。正当な知識が邪魔に成るのは特徴と言うべきか。古代の知識はこうして失われたが、一部にはユークリッド原論や数論として辛うじて残された物も有る。この図書館の文献がどんな分野に亘るものであるかも解って居ない。こうして古代ギリシャは一神教に毒されて自然科学的な考えはすべて潰された。この古代の智慧はイスラムが継承した。西欧のルネッサンスまで、ギシリャの知識の継承者はイスラムなのである。西欧はイスラムの自然科学よりもはるかに遅れていた。
「解析」とは代数と幾何から比べると新しいものである。解析の萌芽は色々あるが、私はNewtonの流率法である微分法をもって、解析の根本的な最初の土台であると考えて居る。流率法は級数の考えを深めたものだ、無限級数のエッセンスを拡大展開することで、或る瞬間の傾きを求める微分の方法論を編み出したのだろう。いまでは曲線の傾きを、挟み法でその一点の傾きを求める簡単な方法が確立され、高校二年でその初法は習う。しっかりと学習すれば、その方法論はニュートンの時代に比べれば解り易い。ニュートンが考えた最初の方法はとても難しいが、彼の発想をそこに知ることが出来る。流率法は書き方も難解だ、後にライプニッツが改良した記号が今では普通に使われている。その方が意味が明快だからだ。解析学はその後、急速に発展し、天文学はおろか数理物理学の強力な方法論となった。工学の方面では解析学が無ければ、何に一つ完成できない。人間は自然現象を解明する大切な方法論の萌芽を手に入れた。ここで解析学を解説している暇はないので、その重要さを強調して終わりにするが、解析的整数論とか解析関数論、など解析が付く分野はそれこそ多い。
次には「確率・統計」である。これの起源は、いわゆる賭け事から始まったと数学史では説明されるのが常である。人は古代から遊び人も多い、彼等は博打をする事を常とし、人間には「濡れ手で粟」の欲張りが多い。その為に賭け事は消えることなく、競馬、パチンコ、競艇、宝くじ、と人間の射幸心を煽る遊び事が消える事がない。17世紀の賭け事はトランプ、遊びの質問から始まった。「パンセ」で有名なブレーズ・パスカルの友人に、無類の賭け事好きが居た。その友人はパスカルに、トランプ遊びの際に、絶対に損をしない方法は無いか?と質問した。その答えが確率論の初めだという、だが本当かどうかは知らない。このパスカルの方法論は組み合わせ確率の初歩だという。現代の功利的な確率論とは異なる物だが、初期の確率には違いない。この様に未だ結果が出ない現象ないし事象について、その結果の出現率を数値で求める謂わば未知の多様性を方程式の組み込むことが、やがて確率論を大いに発展させた。パスカルに始まる組み合わせ確率は、フーリェやラプラスなどの仕事を経て、20世紀の初期では、確率論に関する物には、チェビシェフやマルコフを始めとするロシアの数学者の貢献が大きい。公理的確率論がロシアのアンドレイ・コルモゴロフにより確立され、さらに数学的にも、新しい積分論がアンリ・ルベーグにより開発されて、確率論をより深い豊かな領域へと解放した。20世紀の後半では、確率論は金儲けの投資にまで広がり、其処では伊藤清の開拓した伊藤の補題がファイナンス数学を推し進めた。何れにしても確率とは面積であるから、それを拡張し三次元、四次元、空間のなかでの挙動として、対応付ければ確率論は新たな天地を得るだろう。無限次元の空間に対応させれば、この分野は思いもよらぬ展開を得るだろう。マイナスの確率や複素数の確率など、開拓領域は人間の想像力次第なのです。
天文の歴史は、人間の宇宙世界認識だけでなく、深く人間の自己認識とも重なっている。宇宙の星々を見ていると、其処には孤独な己を知る何かがあると思ってしまう。この宇宙の現象を、何故知ることが出来るのか?について、それが最大の謎だとした有名な物理学者が居た。だが彼は余りにも自明な事を忘れている。本質を言えば人間は星々が、また宇宙が創り出した物だ。生命そのものが天の下に生れたものだ。天の法の下に生れたものが、天の法を知ることが出来るのは自明だろう。それは自己認識に他ならない。
宇宙は気の遠くなる永遠の世界だ、それは永い永い時を存在している。我々はこの瞬間に、一億光年離れた地点で超新星過程が起きたとする。だが、我々は、それを見る事は決して出来ないだろう。我々はすでに命を失ってゐるからです。だが、それを実際に見なくとも、それがどんな物かを想像で知ることが出来る。それこそ生命の為せる最も稀有の物なのだろう。我々に宇宙の現象が理解できるのは、我々自体が宇宙より生れた現象でもあるからだ。つまり何度も言うが宇宙を理解するのは自分を理解することに等しい。今まで多くの人々、いや生まれ来た全ての人々が、命の始源と命の終りを知ることを願った。だが誰一人として、その始まりの意味と終わりの意味を知ることは無かった。空海さえ、生れ、生れ、生れ、生れてその初めに暗く、死んで、死んで、死んで、死んで、死の終りに冥し、秘蔵法ヤクの中で書き記している。生き物は、その呼吸を止めれば無であるという人が居る。肉体は滅び去るが、それが全て虚無であるかは、それは何も知らない人の言動である。、では、果たして今は存在せずに、此れから生まれ来る命は一体何処に居るのだろう。我われの無の空間には命が溢れている。それは未だ発現されていないだけなのです。個人的我は消え去るだろうが、個人の魂は、大いなる魂に吸収されて、そこで保存される。宇宙にも終わりが有るか?物事は始まりがあれば、終わりがあるのが原則である。
我々は父母の愛の下に生れ育てられた、この恩はどんな物より深く豊かな物だ。父母には、またその父母が居た、その父母にも父母がいた、今自分の命は、この先祖の手の中に在る。この世に存在する人は、皆、皆、おなじです。 世界はすべて一つのもっとも素朴な理念から出来ている。宇宙の存在の全ては単純な構成から出来ている。万有引力が宇宙を創り、物質は原子から構成されると古代ギリシャの自然哲学は説いた。宇宙の始原が一点から始まったとするのならば、その膨張はいずれ停止し、やがて収縮に向かうだろう。その地点と時間が、どの位かはまだ未定である。それはサイクリック宇宙論とも謂われている。謂わば呼吸する宇宙論である。例えば自然数の列は人間んが考える限り単純で自然なものだ。この自然さが物質の構成に応用されない訳がない。元素の構成もその構成を敷衍している。それは計った物では無く、自然な物としてそうならざる得ない性質の物なのだ。
天文学は宇宙空間に望遠鏡を打ち上げる事で、より鮮明な宇宙の画像を見ることが出来る。それは鮮明な物だ、誰しも驚くほかに言葉がない。宇宙は大規模な溶鉱炉なのである。その巨大さは言葉を絶する。様々の銀河があり其の中心部の大質量を中心に渦を作っている。流体の様に扱うことが出来る。周りの物質は中心部に落ち込み盛んに発熱している様に見える。中心部の力学は今の所未知である。この現象が宇宙では特殊ではなく、いわば有り触れたものであり、多くの銀河はこのような形態を示している。中心部ブラックホールの構造と力学は今の所未知であるが、何れは解決されるだろう。そして、この様な巨大構造から目を反らすと、太陽を中心とした太陽系の様な惑星と衛星の存在が浮き上がってくる。我々の太陽系は巨大構造銀河系のごく一部であり、流体の様に中心部を目指して周辺を回っている惑星系なのである。膨張宇宙が宇宙が出来て約200億年これが何処で止まるのかは分からない。 太陽系が出来て45億年と云う。あと我々の太陽系がどれだけ続くかは知らない、今が中間点だとしてあと45億年は続くかもしれない。その時、宇宙を見つめていた我々の先祖の様に、我々は宇宙を見つめることが出来るだろうか。個人としての命はこの宇宙レベルに比べれば、殆ど瞬間である。我々は産まれる前に戻るのだ。
この宇宙の現象からすれば、我々の日常は、何か極些末な事に過ぎない様に見える。誰々の展覧会、サッカー・野球の試合、子供は明日のテストの山賭け、ご婦人たちの有名店の食事会、尾瀬へのハイキング、紅葉見物、渓流釣り、すべては宇宙とは関係なく、この地球の上でただ生きてゐる者の日常である。宇宙の原則とは無関係に、生物としての営みが繰り返されているだけの様にもみえます。大昔から多分こうだったのです。宇宙を臨み命の元を考察するのは哲学でもあるが、不思議の感覚を唯一の動機とする天文学は、やがて自然科学へと変貌する。それは人間の探求心の原初形態でしょう。一瞬でも、我々のこの地上の関心事を離れて、ふと頭上を見上げれば、其処には無窮の宇宙が広がっている事に何人の人々が気付くだろうか?、ほとんど視界に入らないに違いない。天文学の歴史は詰まる所、自分の命の初めと終わり、すでにこの世に生れて来た人には、自分の命の終りを想う事とも重なっている。我々はこの地球という太陽系第三惑星の一握りの土に帰ることに他ならない。だが、この宇宙の存在は、人間の思考に圧倒的な探求の動機を与えている。