人間の自然認識の歴史は、此処3000年頃から急速に発達し、特に17世紀の世界認識は宗教的な強制から隠れる事により、18世紀に至って漸く今日の世界認識に近付いて行った。然し自然科学が現代の様な形式に、つまりパラダイムが形成されたのは、19世紀の半ばから終わりに掛けてである。自然科学では、原子論が大勢を占め、力学が自然科学の土台となり、数学がその道具となった。この様な方法論と認識の枠組みを形成するまで、人間は様々な誤謬と迫害に晒されねばならなかった。20世紀に入ると自然科学は、過去の如何なる時代にもまして、その力を発揮するに至り、20世紀の初期に量子論、と、相対論、中期に原子爆弾が現れて、その圧倒的な破壊力に依る力を誇示して見せた。それ以後、自然科学は権力と戦争に勝利する為の基本的な鍵となり、独裁者は科学的な探求に莫大な資金を投ずるように成ったのである。
そして20世紀の半ばには究極的な物質の根源を把握する為に、素粒子物理学が探求されていった。物質の究極の状態を把握する為に、電気的な或いは磁気的な装置によって、物理学は実験的な事実のより、その実体を明らかにすることが出来た。それは物質は原子で構成されているという事実であった。このモデルは、残された文書的記述によれば、遠くギリシア時代に始まるが、明らかに厳密な数値的原子の世界観が確立されたのは、ここ近代に至ってからであり、古代の原子論は単なる想像上の類推でしかない。我々を含めた、この世界の物資は、すべて原子で出来ている。そして原子は元素を形作り、その元素は現在100以上の物が確認されている。現代の物理学は、物質の究極の存在の探求に向かっており、それの最新の知見は、超弦理論という呼び名で認識されている世界像である。素粒子物理学は、この超弦理論や超重力理論に象徴される様な分野で呼ばれている。そして、この究極の世界を明らかにする道とは別に、この宇宙の果てを探求する天体物理学という分野も同様の発展を遂げていて、ここからは我々がその小部分として大きな集合体の要素として存在する宇宙に付いて、根源的な認識に向かいつつある。
20世紀後半の生物科学の発展は、それと同時に、生命の複製と生殖と複製の為のDNAのような基本的遺伝物質の構造が確定されて爆発的に生命の現象、特に遺伝と複製の理解に至る扉が開かれた。19世紀の終わりにマックスプランクに依って量子的世界像が導入され、原子に構造が有る限り物質は飛び飛びの値で現れる。その様な自然認識は、やがて量子力学を産み、物質の最小単位に関する認識を進めて行った。現代の素粒子論はこの彷徨の系譜線上にある。そして2016年の現状の段階では、1970年あたりにハドロンの分類に為に作られた南部陽一郎と後藤鉄男による弦理論に始まったアイデアである。それは結局、ハドロンの段階では破綻が生じ、現象をうまく説明できなかった。しかし、時を経て、そのアイデアは、ハドロンの段階よりももう一つ下の段階で機能し始めたのである。つまり紐が振動して、その振動値によっていろいろな素粒子を説明することが最新のイデアになった。その最初の切っ掛けは長い間、紐の理論を追いつ続けた人達シュワルツやグリーンの努力と執念が実ったのである。そして、その理論は原子世界での力である、強い力、弱い力、電磁気力、重力を統一できる可能性が出てきた事である。宇宙の始まりから、物質の創成、そしてそれを司どる基本的な力があり、宇宙の進化に従い、出現した物質を司る力と法則の根拠、進化(低温化)に伴って、力が出現する。その力は、基本的には同じ土台から出ている。それ故に、基本的にはその力は形と大きさこそ違え、同根の物であるとする認識である。
物理学の現状は以上の様な状況であるが、では物質から生まれた、生命についてはどうか?と云うのが、20世紀の後半の時代的なテーマである。分子生物学は、人間の生命に対する認識を大幅に変革した。そして、工学レベルでは電子計算機の出現は、人間の活動に革命をもたらした。それは足で歩いていた人が、列車と云うものを得る事で、大幅な活動範囲を開拓したことと同様である。人間の機能を機械的に増強、或いは拡大する。この力は人間が思慮をもって、謎に挑んだ結果であり、その基本的な方向性としては、数学や物理学、化学などが有り、天文学や生物学は、それらの基礎的な理解の上に築かれた領域である。そして、ここから先は、言語学や脳科学と云うまだまだ未知の分野が控えている。この領域は、現状では漸く一歩の歩みを始めた世界であり、殆んどの部分が知られていない。しなければ成らない事が多々ある。いまの所、生命は人工的に有機物から合成は出来ていない。ゆえに未知そのものである。ただし遺伝暗号の束であるデオキシリボ核酸の構造は解明できた。それ故に、この遺伝指令書を解明できれば、ある程度の生命の歴史的な地層はあきらかにすることが可能の様に思われる。
21世紀の対象は生命体の現象であろう。この次元の問題は多様な焦点を持っており、その認識は多くの驚きとその意味をそれを理解しょうとする者達に深淵を示唆するであろう。21世紀の課題は生命とはなにかであり、出来れば生命を合成することである。それは複合的なシステムで成り立っている。細胞同士には緊密な連絡があり、互いに一個の生命の全体の調和活動に維持の為に働いている。この事は、個体の連絡としての音はを使った言語や、思惟活動への大きな根本的な鍵を握っている。
再び謂う!
音は媒体であって本質ではない。では本質とは何か?
それは、分節を創る力である。つまり、音を意味に交換する力のことだ。
分節とは何か?
時制、助詞、動詞、差異、などの関係を分節に織り込んでゆく力の事だ。
その作用から、記憶に従って意味が生まれて来る。
意味とは飽く迄も其れのみで意味は完結はしない。
意味とは概念と概念を結ぶ力だ。
人間の記憶系の中で、形成された概念は自己増殖をして、新たな概念を創り出すのだ。
是こそ人間が、聴いた事のない言葉を理解し、新たな概念を理解できる鍵である。
この認識機構は、言葉を創り、新たな概念を創り、新たな定理を証明し、本質的な問いを紡ぎ出すのだ。
この神経機構を解明することは、現在の最大の課題だ。
そして20世紀の半ばには究極的な物質の根源を把握する為に、素粒子物理学が探求されていった。物質の究極の状態を把握する為に、電気的な或いは磁気的な装置によって、物理学は実験的な事実のより、その実体を明らかにすることが出来た。それは物質は原子で構成されているという事実であった。このモデルは、残された文書的記述によれば、遠くギリシア時代に始まるが、明らかに厳密な数値的原子の世界観が確立されたのは、ここ近代に至ってからであり、古代の原子論は単なる想像上の類推でしかない。我々を含めた、この世界の物資は、すべて原子で出来ている。そして原子は元素を形作り、その元素は現在100以上の物が確認されている。現代の物理学は、物質の究極の存在の探求に向かっており、それの最新の知見は、超弦理論という呼び名で認識されている世界像である。素粒子物理学は、この超弦理論や超重力理論に象徴される様な分野で呼ばれている。そして、この究極の世界を明らかにする道とは別に、この宇宙の果てを探求する天体物理学という分野も同様の発展を遂げていて、ここからは我々がその小部分として大きな集合体の要素として存在する宇宙に付いて、根源的な認識に向かいつつある。
20世紀後半の生物科学の発展は、それと同時に、生命の複製と生殖と複製の為のDNAのような基本的遺伝物質の構造が確定されて爆発的に生命の現象、特に遺伝と複製の理解に至る扉が開かれた。19世紀の終わりにマックスプランクに依って量子的世界像が導入され、原子に構造が有る限り物質は飛び飛びの値で現れる。その様な自然認識は、やがて量子力学を産み、物質の最小単位に関する認識を進めて行った。現代の素粒子論はこの彷徨の系譜線上にある。そして2016年の現状の段階では、1970年あたりにハドロンの分類に為に作られた南部陽一郎と後藤鉄男による弦理論に始まったアイデアである。それは結局、ハドロンの段階では破綻が生じ、現象をうまく説明できなかった。しかし、時を経て、そのアイデアは、ハドロンの段階よりももう一つ下の段階で機能し始めたのである。つまり紐が振動して、その振動値によっていろいろな素粒子を説明することが最新のイデアになった。その最初の切っ掛けは長い間、紐の理論を追いつ続けた人達シュワルツやグリーンの努力と執念が実ったのである。そして、その理論は原子世界での力である、強い力、弱い力、電磁気力、重力を統一できる可能性が出てきた事である。宇宙の始まりから、物質の創成、そしてそれを司どる基本的な力があり、宇宙の進化に従い、出現した物質を司る力と法則の根拠、進化(低温化)に伴って、力が出現する。その力は、基本的には同じ土台から出ている。それ故に、基本的にはその力は形と大きさこそ違え、同根の物であるとする認識である。
物理学の現状は以上の様な状況であるが、では物質から生まれた、生命についてはどうか?と云うのが、20世紀の後半の時代的なテーマである。分子生物学は、人間の生命に対する認識を大幅に変革した。そして、工学レベルでは電子計算機の出現は、人間の活動に革命をもたらした。それは足で歩いていた人が、列車と云うものを得る事で、大幅な活動範囲を開拓したことと同様である。人間の機能を機械的に増強、或いは拡大する。この力は人間が思慮をもって、謎に挑んだ結果であり、その基本的な方向性としては、数学や物理学、化学などが有り、天文学や生物学は、それらの基礎的な理解の上に築かれた領域である。そして、ここから先は、言語学や脳科学と云うまだまだ未知の分野が控えている。この領域は、現状では漸く一歩の歩みを始めた世界であり、殆んどの部分が知られていない。しなければ成らない事が多々ある。いまの所、生命は人工的に有機物から合成は出来ていない。ゆえに未知そのものである。ただし遺伝暗号の束であるデオキシリボ核酸の構造は解明できた。それ故に、この遺伝指令書を解明できれば、ある程度の生命の歴史的な地層はあきらかにすることが可能の様に思われる。
21世紀の対象は生命体の現象であろう。この次元の問題は多様な焦点を持っており、その認識は多くの驚きとその意味をそれを理解しょうとする者達に深淵を示唆するであろう。21世紀の課題は生命とはなにかであり、出来れば生命を合成することである。それは複合的なシステムで成り立っている。細胞同士には緊密な連絡があり、互いに一個の生命の全体の調和活動に維持の為に働いている。この事は、個体の連絡としての音はを使った言語や、思惟活動への大きな根本的な鍵を握っている。
再び謂う!
音は媒体であって本質ではない。では本質とは何か?
それは、分節を創る力である。つまり、音を意味に交換する力のことだ。
分節とは何か?
時制、助詞、動詞、差異、などの関係を分節に織り込んでゆく力の事だ。
その作用から、記憶に従って意味が生まれて来る。
意味とは飽く迄も其れのみで意味は完結はしない。
意味とは概念と概念を結ぶ力だ。
人間の記憶系の中で、形成された概念は自己増殖をして、新たな概念を創り出すのだ。
是こそ人間が、聴いた事のない言葉を理解し、新たな概念を理解できる鍵である。
この認識機構は、言葉を創り、新たな概念を創り、新たな定理を証明し、本質的な問いを紡ぎ出すのだ。
この神経機構を解明することは、現在の最大の課題だ。